時空を超えて
リュドミラは地球にいる間、俺や家族の害になる事はしないし、勝手に身体を乗っ取ることも、思考を読む事もしない。
その代わりとして俺に要求する事は、高性能なアンドロイドを彼女に献上する事。そして、そのアンドロイドに乗り移ったリュドミラを再び異世界に送り届ける事。
それを契約魔法として脳に、精神に刻んだ事で、頭の中に違和感を覚えた。
破ろうとすれば苦痛が生じると言っていたが、それが本当なのかは今の所わからない。
……試しに、イメージしてみる。
俺は所詮学生だ。大金なんて用意できない。
だから適当な、低スペックで安価なロボットをリュドミラにプレゼントしてやろう――と。
その瞬間、視界がブレ、平衡感覚を失って膝をつく。
心臓を刺されるような痛みを感じ、身体中を駆け巡る不快感と共に胃の中から何かが上がってきて――
「ゔっ、おぇ……っ、はぁ」
堪える事も出来ずに嘔吐した。
突然醜態を晒した俺を驚いた様に見るヴェリタス。それに反して、俺の思考を読めるリュドミラは半ば呆れながら言った。
『君は何かと心配性のクセに、時折思い切った事をする。苦痛が怖くないのですか?』
「けいやく、魔法ってのが……どんなのか知りたかったから」
息も絶え絶えに答えると、横で聞いていたヴェリタスも納得する。
「なるほど、豪胆なお方だ。ご安心下さいリュート様、契約魔法は直接魂に刻む事は出来ませんが、脳と精神に働きかければ実質的な死を齎す事も可能。破ればリュドミラ様と言えど復活は叶わなくなるでしょう」
実質的な死?
『はい、君にわかりやすい様に言うなら、廃人になる、といったところでしょうか。巫術みたく魂に干渉する事は出来ない為、破れば即死といった効果はありません。しかし契約を破る意思を持つ限り恒常的に苦痛を与え、契約の履行を促し、それでも契約を破れば死に匹敵する程の苦痛を与える。それが契約魔法です』
……耐え難い苦痛が続けば気が狂い、廃人になる。実際に体験してみてわかったけど、これは恐ろしい魔法だ。単純な死よりもよっぽどタチが悪い。
『因みにこれはその人が嫌がる類の苦痛を与える魔法です。私にとって多少の痛みは生の喜びなのですが、そんな私ですら苦痛に感じてしまうのがこの魔法です』
「しれっとドM発言したな」
『やめて下さい、死んでいた時期が長かった反動のようなものです』
こうして話していると、邪神と言えど本当にただの女の子みたいだ。しかし強大な力を持っていて、極端な思想を持っているのもまた事実。
『さて、そろそろ心の準備は出来ましたか?』
帰れるとわかっても中々踏み出せなかったのは、沢山の不安があったからだ。
本当に元いた場所に帰れるのか。同じ時代に帰れるのか。家族は生きているのか。それに、この世界に残していく仲間達の事も――
「でも、結局俺にはお前を信じて運命を委ねる事しか出来ないんだよな」
『私の見立てではもっと早く信頼を得ていた筈なのですが』
それは無理だ。リュドミラが邪神で、過去に数多の命を奪ってきた事は事実なんだから。
「……まぁいい。もう決まったんだ、行こう」
『承知しました。ではヴェリタスに最深層へ連れてくよう言って下さい』
リュドミラに言われた通りヴェリタスに頼むと、手を取られた後、一緒に黒渦に入った。
そして気が付けば景色が変わり、草木があって魔素が薄いセーフエリアではなく、薄暗い遺跡の中みたいな広い空間――魔素が非常に濃い空間にいた。
「これが転移か……そういえばこの災禍の迷宮が邪神教徒の実験施設とか、レガリスは言ってたけど……」
リュドミラとヴェリタスが我が家のように行き来している所を見れば、あながち間違ってないのか?
「この迷宮内で多様な実験を行っているのは事実ですが、頻繁に出入りするのは私だけです。詳細は省きますが、ここは実験に適した環境なのです。過去にも優れた土地を実験場として利用していたのですが、そこはフィオナ・ローズヴェルトに滅ぼされてしまいました」
「もしかして、ウユウ谷の?」
「ご存知でしたか。あの方は基本的に放任主義なのですが、一線を越えようとした者の前に現れ、粛清をする。そういえば当時はフィオナ・カールマインを名乗っていましたが、何故今更になって本名を名乗るようになったのでしょうね」
「本名? フィオナは――」
『リュート君。今その話、必要ですか?』
「……いや、必要じゃないな」
リュドミラに指摘され、首を振る。
そうだ、俺にはもう関係のない話だ。
「もう行くのですね?」
「あぁ、世話になったな……」
『ヴェリタスに伝言を頼みます。私が帰るまで無謀な行動は慎むようにと』
「えっと、リュドミラから。心配だから私が帰るまで危ない事するなってさ」
『伝言は正しく……まぁいいです』
「慈愛のお言葉に感謝を。それではお二方、どうかご無事で」
頭を下げたヴェリタスは動かない。
彼に背を向け、リュドミラに問い掛ける。
「そういえば地球には魔素がないから魔法は使えないんじゃないか? お前も帰って来れなくならないか?」
『はい。なのでどんな環境でも魔法を使えるようになる魔道具が君のポーチに入ってます。魔素が存在しない場所でも起動したので問題はありません……念の為言っておきますが、凄く貴重な魔道具ですから勝手にイジらないで下さいね』
「わかってるよ」
それより、俺が寝てる間に準備を済ませていたとは。俺が帰る選択をする事を疑ってもいなかったんだな。
『では参りましょう。目を閉じて右手を前に出して下さい……そしたら、君が帰るべき場所を想像して……』
俺が帰るべき場所。
間違いなく、母さんと妹が暮らすあの家だ。
俺は帰って二人に謝らなくちゃいけない。今まで迷惑かけたこと、心配させたこと。
そしたらちゃんと礼を言うんだ。こんな俺を愛してくれたこと。二人が俺を大切にしてくれてるからこそ、俺は帰る為に歩けたんだ。
『――大量の魔力を使用します。耐えて下さい』
その瞬間、強い虚脱感と耐え難い苦痛に苛まれる。耐えろと言われてなければ遠慮なく意識を放り出していた程だ。
『これ程の負担とは……でも、大丈夫、です。君は必ず帰れる』
声の調子からして、リュドミラにも同じ苦痛が与えられているらしい。
それなら――一人じゃないなら、耐えられる。
脳が焼き切れる程の熱を発し、閉じた瞼の裏が真っ赤に染まる。
その眩しい赤色の中に景色を見る。
赤。
燃えるような真っ赤な髪が靡き、紫色の瞳が真っ直ぐ少年を睨む。
「バケモノが」
傷だらけの少女は殺意に満ちた怒気を少年に向けている。
焦土に立って、少年は言った。
「バケモノ? 違う違う、何言っちゃってんの、バケモノはお前らだよ。俺の大切な友達を殺しておいてよくそんな事言えたな?」
「知らないわよ……私のやった事じゃない」
「うん、知ってる。でもゴブ太を殺した奴はもう俺の手で殺してしまったんだ。なのにこの憎悪が全く晴れない。だからアイツと同じ冒険者は皆んな殺すんだ。恨むならアイツを恨めよ」
「……狂ってる」
そう呟いた少女――レイラは、話すのも無駄だと剣を持ち上げた。
だけどもう瀕死の彼女に勝ち目はない。
「やだなぁ、怖い怖い。異世界人、覚悟決まり過ぎでしょ。死ぬのわかってんだから大人しく死ねよ」
そう言った少年――いや、俺は、レイラにトドメを――
『違う! それは君じゃない!』
リュドミラの言葉にハッとして、頭を振る。
そうだ、これは俺じゃない。
俺が彼女を殺すわけがない。こんな世界は――拒絶する。
するとまた景色が変わり、今度の世界では、迷宮内でゴブ太から逃げた俺が狼に喰い殺されていた。
生きたまま肉を食われ、血が噴き出て、臓物が流れ落ちて――
あまりの凄惨さに気が狂いそうになりながらもその光景を、世界を、絶叫混じりに拒絶する。
拒絶したら、今度は目の前でミーシャがキメラに殺されている世界を見た。
悲哀、憤怒、憎悪。正気を保てない程の激情に駆られて破壊衝動を振りまく俺を見て、俺は再び拒絶して――
今度は俺がフィオナと戦っている世界を見て、それも拒絶して、次も拒絶して、再び拒絶して――
次々に見せられるわけのわからない世界の光景。
怖い。嫌だ。見たくない。
そんな世界を拒絶し続けて。
段々と何が本当の事かわからなくなって来た頃、今までと雰囲気の違う世界が見えた。
その世界では多くの物は見えなかった。
泣いている妹と、妹を抱きしめて悲しみを分かち合う母さんの姿。
悲しむ二人を見ると、俺も悲しくなってくる。
だから二人を元気付けてあげたいと手を伸ばして――
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――――――
――――
「ふべらっ!」
――背中から地面に叩き付けられた。
『ふふ、君が初めて異世界にやって来た時も、同じように落ちて来ましたよね』
そういえばそうだったかもな、と思いながら起き上がる。
「笑ってる場合か。何度も見たあの酷い光景はなんだったんだよ」
今も脳裏に焼き付いて離れない最低な場面。俺か、或いは仲間が死ぬ。いや、一番酷いのは俺の手で仲間を殺そうと――
『思い出す必要はありません。その価値もない。単なる並行世界の景色ですよ』
「並行世界……」
それって、じゃあ、もしかしたら俺があんな風になっていたかもしれないって事か?
例えば最初の世界では、迷宮から共に出たゴブ太を冒険者に殺されて――
『言ったでしょう。思い出す価値もないと。あれらの世界を拒絶した君は、あの世界にいた君とは完全に別の存在です。くだらない事を考えてないで、状況を把握しましょう』
「そう、だな。お前の言う通りだ……ってか今、俺の思考を読んだか?」
『いいえ、今のは読むまでもなく察しがつきましたよ。そして、今の私には君の思考を読む事は出来ません』
思考を読むことが出来ない。それはつまり――
「契約魔法が発動している。地球にいる間は俺の思考を読まないって約束が――って事は」
『はい、君の帰るべき場所で間違いない様ですね』
「…………おかしいと思わないのか?」
『おかしいですね』
そう、おかしいのだ。
俺が地球に戻って来たとしたら、ここはどこだ?
見た感じ、迷宮によく見られる洞窟の通路だ。
いや、それはまだいい。日本にも洞窟くらいあるからな。
でも問題は――
「なんで、地球に魔素が満ちてるんだよ……」
俺たちがさっきまでいた災禍の迷宮よりは遥かに薄い魔素濃度だ。
しかし確実に、ある筈のない魔素がこの空間には満ちていた。