我々の神
次に目を覚ました時、そこは真っ暗闇でした。
まだ夢の中にいるのか。或いは死後の世界か。
判断が付かないまま立ち上がり――立ち上がれた事に驚きました。
「あれ、これは……私の身体? 声も出る」
眠る前の私はアルフレッドの剣に封じ込められていたはずですが、今の私は間違いなく自分の身体で立っている。
胸を貫かれた傷もなければ、服も綺麗なまま。そして地に足をつけて立っている――ただ、この地面が真っ暗だから、どうにも生きた心地がしない。
「とりあえず、歩きますか」
胸を貫かれたり、剣に封じられたり、色んなことがあった割には体調は良好でしたから、真っ暗な闇の中でも真っ直ぐ歩くことが出来ました。
「それにしても、この地に他種族が住んでいたなんて……」
敢えて言葉に出しながら、記憶を整理する。
まず思い返したのは異界の地にやって来て初めの驚き。
この地には多くの種族が住んでおり、その見た目が魔物に近くて恐ろしいからこそ、人族は彼らを先んじて滅ぼそうとしたのでしょうね。
「リーンはともかく、リーダー……アルフレッドも人族至上主義でしたか……」
私だってエルゼア大陸人です、姿形の違う亜人族に違和感を抱きます。しかし会話が成立するのに殺そうとするのは理解出来ません。ですが――
「グラモス王は自分達を“原初の生命”と言っていた。恐怖されるのは仕方ないとも。ならアルフレッド達の反応が普通で、私の方が異常? だとしたら私は彼らの言う人外なのでしょうか?」
親殺しのバケモノ。
それは確かに大罪人です。
ですが、イザベラとモーガン、ルーシーは私を普通の子として接してくれました。あの頃の時間は間違いなく幸福だった。バケモノにこんな温かい気持ちがわかるものでしょうか?
ローズヴェルト王国の方々も、皆んな仲良さそうに笑っていました。彼らがバケモノだったとしたら、あんなに温かい国は出来る筈がありません。
つまり――
「アルフレッド達は、いたって普通の、心優しき民が住む一つの国を滅ぼそうとした……いえ、既に王を殺している。ならば罪は彼らの方にある」
視野を広く持てば、アルフレッド達だけでなく、勇者を召集して送り出した人間達が最初の悪です。彼らが野望を叶える為に異界の地を蹂躙しようとしたから、王は死んだ。
「グラモス王、偉大な方でした……」
少し言葉を交わしただけでしたが、私は今まであれ程に優れた人を見た事がありません。
「彼は予知夢で未来を知っていた。きっと彼がわざとアルフレッドの攻撃を受けて死んだのは、自身の死で同族を守る為だったのでしょう。その上で国に転移魔術を仕込んでおき、勇者達が手を出せないように遠くへ逃した。思えば、異界の地に来てすぐの場所に国を築いたのは、勇者達の目の前で転移魔法を披露する為だったのでしょう。自分達には逃げる手段があると知らしめれば、追跡する気は削がれる」
もしもグラモス王が勇者達を倒してしまえば、次はもっと強力な駒が送られて来たでしょう。それが何度も続けば、いずれ国が動き、大きな戦争にも発展した筈。
それを未然に防ぐ為に自らの首を差し出し、民を遠くに追いやった。
強く優しい王でありながら、自らの死すら計算に入れてしまう残酷で合理的な判断。
「……合理的な判断を厭わない王は、どうして私を助けてくれたのでしょうか」
王は禁術を使ったと言った。それのせいでこの大地が暗黒に呑まれたのだとしたら、私はこの損害を帳消しに出来るくらい価値ある事を成さなければいけない。
「調和……それが王の望みだと聞きました。それは、全ての種族が分け隔てなく暮らす事だと私は思います」
しかしそれは不可能。
異界の民がいくら寄り添おうとしても、人族は彼らを嫌悪、或いは恐怖し殺そうとする。
「なら、反乱分子を全て殺せばいい」
エルゼア大陸にも私の様に異界の民を恐れない人がいる。私を引き取ってくれたイザベラ達の様に、調和の意思を持つ心優しき人が。
「調和の意思を持つ人は生かし、そうでない人を殺す」
そうやって選別を終えたら、新世界が訪れる。
その世界では戦争も迫害もない、平和な日々が続く事でしょう。
それこそが私の目指す調和。
王は他者を害しませんでしたが、私はもう見切りをつけました。
分かり合えない者は殺す。
新世界に害悪は必要ない。
手始めに、私を裏切った勇者パーティを皆殺しにしましょう。
あの国も滅ぼします。
これは選別であると同時に、復讐でもあるのです。
「破壊と殺戮をもって、調和を成し遂げましょう」
暗闇の中で顔を上げる。
いつの間にか私は闇の外にいて、そこには私を喜色の目で見つめる黒い角の男が立っていました。
確か、王にヴェリタスと呼ばれていましたね。
私が名を呼ぶ前に、彼は跪き、私に言った。
「王の意思を継ぐ者よ。我々の神となって下さい」
聞けば、私が目覚めたのはあの戦いから二百年後だと言います。
その間に沢山のことがあったそうです。
私がいたクロムウェル王国は、邪神を討伐した勇者を政治に利用し、国力を上げて領土を拡大し、軈てクロムウェル帝国に名を変えました。
今では強大になったその国に伝わる勇者の昔話では、リュドミラという魔法使いは精霊魔法使いで、戦いの最後に自己犠牲で命を落とした事になっている。それを聞いた時は思わず笑いが溢れました。
勇者が固有魔法使いだと心象が悪いから精霊魔法使いと偽り、私の犠牲は自分で成したかのように伝わっているのです。
馬鹿馬鹿しい。
どうしてもっと早く気付かなかったのでしょうか。固有魔法使いが苦しまずに暮らせたら、という私の願望は、誰も叶えるつもりがなかったのです。だから二百年経っても固有魔法使いは“魔物混じり”と嫌悪されていました。
それから、二百年経った事で勇者達は寿命で死にました。私の手で殺すつもりでしたが……まぁ仕方ありません。彼らの子孫に代わりをして貰いましょう。
それより、ルーシー達と二度と会えない事の方が…………いえ、今更幸福を願うのはよしましょう。私はもう復讐の道を歩き始めたのですから。
「それで、神とはどういうつもりですか?」
一通りの事を聞いてから、話を戻しました。
「貴女のことは覚えています、リュドミラ様。初めて王に謁見した時の貴女は無知で無力な、平和願望が強いだけの少女でした。しかし今、虚無の闇から出て来た貴女は、調和の為に殺戮を行うと仰いました」
だから? と睨むと、ヴェリタスは両手を広げ全身で高揚感を表現しました。
「嗚呼、なんたる矛盾! グラモス王は調和を望み誰も傷付けなかった。そして貴女もまた調和を望む者。だと言うのに、貴女は殺戮によって問答無用の調和を築こうとしている!」
「グラモス王を引き合いに出したのは、彼を侮っているからですか?」
確かに王は調和を成し遂げられずに死を迎えた。しかし彼は一貫して民を守る事に尽力し、最善の運命を選択して自ら死を迎えたのです。彼の在り方を冒涜するなら許しません。
ですがヴェリタスにその様なつもりはなかったらしく、静かに首を振りました。
「勘違いされないよう申し上げますと、私が最も慕っているのはグラモス王です。彼は我々の友人であり、理解者であり、尊敬すべき統率者です。ですがただ一点だけ不満を挙げるなら――彼は死ぬべきではなかった」
底冷えする様な低い声は、聞く者全てを萎縮させるほどの迫力でした。二百年前の私なら腰を抜かしていたでしょう。
しかし今の私は――私の理解者となり得る彼の存在に歓喜していました。
「他の何を犠牲にしてもよかった! 勇者を返り討ちにし、軈てエルゼア大陸全土を敵に回したとしてもそれでよかった! 我々は最期の瞬間まで王と共に在る覚悟を持っていたのに! なのに、あの人は……自己犠牲で調和を取り繕う事を選んだ。それが永遠に続くはずがない事はわかっているだろうに……王の命はたった数百年の調和程度では釣り合わないほど価値あるものだというのに……」
膝をついて肩を震わせるヴェリタスからは強い哀愁が漂い、強大な力を持っているはずの彼を、庇護すべき存在だと感じました。
だからでしょうか。次に私の口から出た言葉は、ごく自然に紡がれました。
「私は選別を行います。人間達を尊重する必要はない。調和の意思に従わない者は殺す。私の邪魔をする者も殺す。生かすも殺すも全て私が判断します。それはさしずめ、神の所業とも言えるでしょうね」
顔を上げたヴェリタスは光を見たような、縋る様な表情をした。
「私の行先を知りたいならついてくればいい。神と崇めたいなら自由にすればいい。私は私の復讐を果たし、選別を行い、王の意思を継いで調和を実現する――それだけです」
「――我々の神、邪神リュドミラ様。貴女が創る世界に、お供させていただきます」
望まぬ力を持って生まれた只の少女が、邪神として始まったのはこの時から。
これが私の原点。私が私である理由。
この記憶を見せたのは、別に同情して欲しいからでも、理解を求めたからでもありません。
ただ――
『ただ君に知ってほしかっただけですよ、リュート君』