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明日を拒んで

 

 あの部屋から逃げ、五十五階層の片道エレベーターで一階層まで戻り、迷宮を出た。

 探索中の冒険者を管理している受付嬢が一人で出て来た俺を見て目を丸くして近付いて来たが、「怪我をして一人で帰還した」と、それだけ伝えて逃げるようにその場を後にした。


 レガリスの話を思い出すと、本当に自分が生きてていいのかわからなくなる。

 でも仲間達は俺を逃した。

 今は彼らだけを信じて、ただ走る。

 都市を出て、周囲に人の気配を感じなくなってからは、風を纏って飛ぶように走る。

 シャミスタはここから北東に位置する大都市だ。地図を見なくても、ある程度近くまで行ければ視界に入るから辿り着き易いと聞いた事がある。


 グランタールから馬車で迎えば五日程度。

 その距離を、俺はどれくらい縮められるか。


 迷宮を出た時は夕暮れ前だったが、既に日は落ち、夜を過ぎて再び朝日が昇っている。

 その間ずっと走り続けた。

 食事も睡眠も取らずに、ただ走り続けた。

 余計な事を考えないように、風魔法に集中しながら、走り続けた。


 それから暫くして、再び日が落ち始めた時だった。

 黄昏時の空を見てどこか寂しさを感じていた所に危機感知が反応した。

 これまでに感じた全ての危険を超える、悍ましい気配だった。

 反射的に左手を横に突き出し、纏った風を集めて暴発させる。その勢いで思い切り横に飛んだが――


 ――宙に飛んだ左腕を見て、思考が停止した。


「ぎぁああぁぁぁぁっ!?」


 遅れてやって来た激痛が理解を齎した。


 左腕を斬り飛ばされた。

 集中力が乱され、平衡感覚を失い、走る勢いそのままに地面に倒れ転げ回る。

 間に合わなかった。

 避けなければ身体を真っ二つにされていた事を考えれば間に合ったと言えるのか?

 どうでもいい。

 とにかく痛い。

 激痛で涙が出て視界が滲む。

 そのボヤけた世界の中――


 ――一人の男が立っていた。


「お前が器だな」


 掠れて聞き取りづらい声。

 それを発したのはあまりにも汚い、傷痕が残る右目を閉じたままのハーフエルフ。

 これがレガリス達が言っていた先生なのか?

 見窄らしい格好、悍ましい気配。

 表情筋が死んでいるかの様な無表情で目だけがギラついていて、その目が俺を見つめること数秒。


 前言撤回。


 彼の表情筋は死んでなどいなかった。

 釣り上げられた口角が、ギラついたまま細められた目が、狂気的な笑みを形作った。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 見つけた、見つけたみっけだみづけだミツケタみつけたぁぁぁっ!」


 発狂しながら地を蹴り、飛び掛かってくる。

 突如として変貌した狂人に心底恐怖し、言葉も出せない。

 振り下ろされた剣は錆びつき、刃こぼれも酷く、まともな武器ではなかった。

 しかしあれで俺の腕は斬り落とされたのだ。斬れ味がない剣で斬られたせいで余計に痛い。

 そのボロボロの凶器が、狂気と共に降りかかる。


「目を覚ませ邪神リュドミラ! 俺は、お前を殺すためだけに今日この日ここへここにココでここにいるんだァァァア!」


 両足と右手だけで地面を転がり、振り下ろされる剣先から避けながら彼の言葉に驚愕する。

 今、この男は「邪神リュドミラ」と言った。

 しかしそれはおかしい。

 リュドミラは六百年前邪神を討伐しに暗黒大陸に赴いた勇者パーティの魔法使いだ。なぜ彼女を邪神と呼ぶ?

 或いは別のリュドミラなのか?


「いつまで凡人の肉体で眠っているゥ!? 三百年! 三百年もお前を待ったんだぞ! ようやく爺様の仇を討てると思えばもう抑えは効かん! ハハハハ! さぁ目覚めろ! 器が壊れる前に、俺の前に出て来い、リュドミラァァァア!」


 顔のすぐ横を過ぎた剣が俺の髪を数本切り、肝を冷やす。

 避けれなければ死んでいた攻撃を何度も避け、神経をすり減らした所で横腹を思い切り蹴られる。


 激痛で吐き出した呻き声と共に血を吐いて、肉体の損傷が過去一番酷い事を自覚して緩やかな死を垣間見る。


「どうしたッ! 俺に殺されるのが怖いかッ! 怖くて出て来れないのかッ!?」


 転がる俺の足に錆びた剣が突き刺さり絶叫する。

 その絶叫すら自分の声じゃないみたいに遠くに感じる。

 もういっそ死んだ方がマシなんじゃないか?

 遠くなりかける意識の隅でそんな考えが浮かぶ。

 微睡みの最中に見るボヤけた夢の様に曖昧な意識の中に、喧しい男の声が響く。


「いいかよく聞けリュドミラ! 俺は、剣聖アルフレッドの孫だ!」


 だから、なんだよ。今それ大事な話か? コイツが勇者パーティの剣聖の孫だったとしても、俺には関係ない。どうでもいい。


 俺はそう思った。当然だ。死を目前にして他人の事に思考が向く筈がない。








 しかし私は嗤っていた。当然です。これほど愉快な事が他にある筈がない。




「ふふ、はははは! そうですか、リーダーは神官のリーンだけじゃ満足出来ず、エルフの女にまで手を出していたと。相手は……あぁ、そういえばリーダーを慕う売女の様なエルフがいたわ。名前は確か――」


「ロム婆様を、侮辱するなぁアァァッ!」


「あぁそうそう、そんな名前でしたね」


 剣聖の孫を自称する割には遅く、拙い剣筋。クズなリーダーの方がよっぽどマシでしたね。

 剣も錆びていてオンボロだし、使用者はもっと醜い。


「復讐の続きが出来るのは嬉しいのですが……」


 せっかく二度目の同調を成したというのに。


「はぁ。今回も他愛無い殺戮になりそう」


 相手が弱過ぎてつまらない。


「ァァァアァァァ! リュドミラァァァア!」


 発狂しながら剣を振り回す姿は、まるで狂人。


「……何度も私の名を呼ばないで下さい。貴方程度に呼ばれると――酷く腹が立つ」


 苛立ちを向けると、私の感情に呼応して火炎が巻き上がり、周囲一帯を焦土と化す。

 即座に飛び退いた浮浪者は焼死を免れた様ですが、それは僅かな延命に過ぎない。


 それにしても……。


「勇者パーティの血縁者は全員殺すと決めていたのですが……あまり気が乗りません。貴方が弱過ぎて気分が上がらないのかしら?」


「――殺す!」


 実行不可能な言葉を吐きながらさっきよりも早く走って来る。


「まぁ、リュート君では勝てないくらいの実力がある事は認めますが……私を呼び出すには足りません、貴方程度じゃ」


 そう言いながら、私は気付いた。


「あぁ、そういう事! 私、彼の中で彼の目を通して彼の感情を共有しながら同じ考えを持って旅をするのが好きだったんです! リュート君と貴方の戦いも、参戦するより見てる方が愉快だわ」


 絶望的な状況で、死を垣間見ながらも足掻き、生を掴もうとする。

 彼が嬲られる様子は酷く痛々しいものでしたが――それもまた良い。

 可哀想な人って、素敵だもの。


「ァァァア! ゥガァァア!」


 自分の気持ちを整理している最中に邪魔されると殺したくなりますね。

 まぁ、殺すのだけれど。


「貴方はもういいです」


 右手を向けて風を放つと、破裂音と共に男の体が吹き飛ぶ。遠くに見える森が揺れ、木々が倒れる音がする。ふふ、結構飛んだみたい。

 三百年前の私なら、今の男の死体を探して蹴っ飛ばして遊んでいた所だけど、今は他の事に感心がある。


「さて……同調を果たしたと思っていたけど……もしかしたらこれは」


 この身体……いえ、魂は、全て混ざり合って私のものになると思っていたのだけど、様子が違うみたい。

 考察の必要が――


 ――何か飛んで来ましたね。


 後方を向くと、高速で私の元へ向かってくる一人の少女。

 彼女は氷の盾をサーフボードの様にして上に乗っており、私を見つけるとそれから飛び降りて駆け寄って来ました。


 私は彼女を知っている。

 白猫族の不幸な少女、ミーシャ。

 私の欲する固有魔法を持っており、つまりは、殺すべき――



 ――――――


 ――――


 ――



 違う。

 俺は彼女を知っている。

 ゴブ太を失って自棄になっていた地獄の中で出会った守るべき子。

 だけどいつの間にか彼女は強くなり、逆に俺が守られてばかりで。

 だから、頼れる大切な仲間だ。


「ミーシャ!」


 名前を呼ぶと、走る勢いそのままに飛び込んで来て、小さな身体で俺を抱え上げて氷の盾に乗せた。


「リュー、腕が……それに酷い怪我……でも、今はとにかく急ごう!」


 そして自身も盾に乗り、空間魔法でそれを前方へ高速移動させる。


「皆んなもすぐに来るから、そしたらあんな化物なんて怖くないよ。だから大丈夫、今はとにかく距離を稼ごう。きっと大丈夫。だい、じょ…………」





























「アァ、冷めるんだよ。部外者は引っ込んでろ」






 冷たく掠れた声と同時にミーシャの魔法が不安定になり、俺は盾の上から投げ出された。

 斬られた左腕の断面が地面に叩きつけられて激痛が走る。

 けどそんな事に構ってられなかった。


「ミー…………シャ?」


 地面に這いつくばったまま周囲を確認すると、俺を助けに来た少女が浮いていて――


 ――彼女の足下にポタポタと血が落ちる。



 そのまま顔を上げていくと、彼女の胸からは錆びた剣が飛び出ていて。

 剣一本で支えられていたミーシャの体は、それが抜かれると同時に地面に崩れ落ちる。


 残された右手と傷の少ない左足だけでミーシャに近寄る。


 右手だけでは彼女を抱える事しか出来ず、俺は救いの手を持ち合わせていない。



 認められない。

 あり得ない。

 信じたくない。

 許せない。

 終わらせたくない。


 多くの感情が渦巻いて、諦め悪く足掻こうとしても、何もかもがもう遅い。

 俺の頬に小さなか弱い手が触れて、血を流した口が聞き取れないほどか細い声を上げて。

 それがミーシャの最期だった。






「オマエ、器に戻ってるな?」




 腕の中で仲間を失うのは二度目だ。

 あの時から俺は何も変わっちゃいない。



『そう、君はいつまでも弱いまま』



 仲間を巻き込みたくないと言いながらも自分の感情を優先して、彼女達と離れなかったせいでミーシャは死んだ。



「オマエに用は無い! リュドミラを出せぇぇ!」



 誰も、俺なんかに関わらせるべきではなかったんだ。

 俺に関わらなければ誰も死ななかったのに。



『でも過ぎた事は仕方がない。君はこれからの事を考えなくちゃいけない』



 俺は、もう仲間を失いたくない。



「この雑魚が! さっさと退場しろ凡人がぁ!」


 ボールみたいに高くまで蹴っ飛ばされて、このまま俺が死ねばもう誰も死なないんじゃないかって思う。



『残念ながらそれは違います。君が死んでも、仲間達は悲しみ、この男への復讐を決意する。そして返り討ちにされます。なので君が死ねば君の大切な人は皆死にます」



 嫌だ。それは絶対に嫌だ。



『なら、君が殺す側になれば良いのですよ。これは考えるまでもない簡単な話。あの狂った男も、奴のような腐った人間も、国も、世界も。ぜーんぶ壊して仕舞えば良いのです』



 ……確かにそうだ。

 俺にも非はあるかもしれないが、自分を責めるだけでは何も変われないって、思い知ったばかりだろ。

 だから、向かってくる奴をみんな殺せばいいんだ。

 でも俺にその力はない。


『でも私にはあります』


 お前が仲間を殺さない保証がどこにある? さっきミーシャを殺そうとしたばかりだろ。


『それについてはどうしようもない理由があったの。謝罪します。でももう君の大切な人達は傷付けません』



「ァァァア! まだオマエなのか! 早く代われ! さもなくば、オマエの仲間を! 全員! この場で殺して見せるぞ!」



 ――――。


『あぁ、その怒りこそが何よりも正しい感情です。その憎しみこそが私と君を繋ぎ合わせてくれる。ほら、同じ感情が共鳴しているのがわかるでしょう? さぁ、私とあの男の、どちらが信用出来ますか?』



「そうか! 殺戮ショーをお望みか! ならば今すぐあの迷宮にいた愚図共を連れて来て――」


「――もう、いいよ」


 リュドミラ。

 勇者パーティにいたお前がどうして邪神と呼ばれているのか俺は知らない。

 でもお前の憎しみは、醜悪な人間の全てに向いている。

 それは、俺も同じだ。

 だから、俺の全てをお前にやるから――


『このクソ野郎も、こんなのが自由を許されている馬鹿げた世界も――全部ぶっ壊してくれ』



 それを伝えた瞬間、意識が暗転した。


「ふふ、君の望むままに」


 最後に聞いた声は、身が凍えるほど狂った歓喜に満ちていた。



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