深痕の迷宮
「双剣使いの基本的な役割は遊撃。だが君の本当の強みはノーモーションで放つ魔法にある、そうだろう? だから僕は双剣の秘技を伝授するわけではない。敵との接近時に最適な動きが出来るようにしてやる。それが出来る様になったら自身の強みである魔法を剣技の合間に放てばいい。幸いにも僕は君と同じ戦闘スタイルだからよく見ておけ」
現在一日目の夕方、二十五階層。
十階層を超えたあたりから周囲の冒険者の数は減り、会敵時には戦闘を行う様になった。
ここまでは俺たち泡沫の夢が主に戦い、その動きを太古の黄金樹が確認し、指導方針を決めるという段階だった。
そしてこれからは太古の黄金樹が主に戦い、彼らの連携や技を見て俺たちが学ぶ段階だ。
「ちょうどいいわねぇ、通路奥右方向から、ロックエイプが六体来るわぁ。マナちゃん、お姉さんが先制攻撃を仕掛けるから、よく見ておくのよぉ?」
地属性の固有魔法を扱うロックエイプは、岩の洞窟であるこの階層の天井に張り付いて移動している。
マナの指導役であるリジーは弓に矢をつがえ――通路奥から顔を出したロックエイプの頭部を的確に貫いた。
「まずは一体。リーダー格の魔物が倒せそうなら、それを狙うのが定石ねぇ。でも一体倒したら、向こうに気付かれる。ここからは矢は防がれるから、魔法の番よぉ」
そう言いながら左手を翳し、青色と茶色の魔法陣を展開したリジーは無詠唱で複合魔法――泥の壁を作った。
こちらに走って来ていた二体のロックエイプは唐突に現れた泥に思い切り突っ込み、動きを鈍らせる。
「双剣は手数で勝負するものだが、動きの鈍った相手には時間を掛けるな。一太刀で充分だ」
レガリスはそう言いながら走り、両手の刃で一気に二体の首を切り落とす。
チャクラムは投擲武器だったと思うが、レガリスはそのまま剣の様に振るう事が多いらしい。
「グリオンちゃん、壁が消えるわぁ」
「任せろ」
リジーの宣言通り泥の壁が地面に流れて消える。
すると見通せる様になった向こう側から、残った三体のロックエイプが手に生成した石を投げつけてくる。
それらは真っ直ぐレガリスへ向かうが――
「反射」
瞬時に前へ躍り出たグリオンの盾に弾かれ、石は投擲者の元へ戻って行く。
まさか自身の攻撃がそのまま返ってくるとは思わなかったのか、三体とも慌てて石を避ける。
その隙をついて接近したレガリスが二体の首を斬り、残った一体にはリジーの矢が刺さる。
この三体が倒れ、光になって消えた所で戦闘終了だ。
「いやぁ、ウチらは出番なかったな」
「はっ、こんな低階層で気張ってもしゃあねえだろ」
戦いに参加しなかったミーゼとギムルだが、レガリスは「それでいい」と頷いた。
「ギムルの言う通りだ。この迷宮は少なくとも八十層はあり、僕らは今回最深部を目標としている。となると、低階層にいる内は無駄な体力を消耗するべきではない。どんなに体力や魔力が多い者でも、それは無限に湧いて来るものではないし、気を抜けない迷宮内では休憩しても効率的な回復は見込めない。故に最小限の労力でこなして行く事こそ肝要なんだ」
言われてみれば、先程の戦闘には無駄な動きがなかった。
奇襲、妨害、防御。
レガリスはその合間に一手で確実に敵を仕留めていた。
「マナちゃん、特に魔法使いは無駄に魔力を消費しない方がいいわぁ。魔力切れで足手纏いにはなりたくないでしょう? だから私は弓を持ってるのよぉ」
リジーの助言は俺にも当てはまる事だ。
俺だったら最初の奇襲の時点で、何も考えずに魔法をぶっ放したと思うから。
思い返せば災禍の迷宮でもずっと力んでいた。体力が保たなかったのは食糧難だけではなく、そこも理由にあったのかもしれない。
「うーん、マナもししょうみたいに剣を持った方がいいかな? それともパンチ?」
悩みながらシュッシュと拳を前に突き出して見せるマナ。残念ながら全く痛そうじゃない。
「私はリジーみたいに弓がいいんじゃないかと思うけど……今のあなたじゃ弓を引く筋力が足りないわね。身体強化も上手くないし」
確かにマナは身軽だが、力がない。
それに反して魔力量は膨大だったから、武器は必要ないかと考えていたが……いざという時の選択肢は多い方がいいか。
――災禍の迷宮には、こちらの魔法を封じて来る化物もいるしな。
俺を半殺しにした化物の姿を思い出し、身震いする。
あの場所に戻る以上、また遭遇する可能性はあるのだ、対策は考えておこう。
「よーし。マナ、迷宮から出たらなんでも買ってやるぞ! そうだ、ボウガンとかどうだ? 今の俺らは金持ちだから好きなの選んでいいぞ!」
「わーい!」
「貴方って子供に甘いわよね……」
呆れた様な目で俺を見るレイラだが、そんな様子を見たレガリスは腕を組んで「フッ」と笑う。
「僕らからしたら、君達は全員子供だがな。大人といえるのはグリオンくらいだろう」
確かに長寿のエルフなら人間の十代も二十代も子供に見えるんだろうな……と考えると同時に疑問が浮かんだ。
「レガリスとリジーは今幾つなんだ?」
「あらぁ、女性に年齢を聞くのは……」
「二人とも二百九十二歳だ」
うわ、予想以上だ……。
エルフの平均寿命って三百歳らしいけど、二人に老いは見られないし、平均以上に生きそうだな。
なんて考えていると、怖い顔で微笑むリジーがレガリスを見ていた。
俺が聞いたせいでレガリスが危険に晒されているのが申し訳なく思い、質問を重ねる。
「そ、それじゃあ、二人とも邪神が倒された直後に生まれたって事だな。親から邪神と勇者の話とか聞いたりしたのか? やっぱり今世に出回ってる英雄譚って嘘が混じっていたりするんかな?」
伝説になっている話の時代を親が生きていた、なんてすごい事だ。アランも話が気になったらしく俺の隣に来て目を輝かせている。
しかし、レガリスとリジーの表情は浮かないものだった。
「僕らの場合、両親よりも先生に聞く事が多かったな」
「先生?」
「ああ。僕とリジーに戦い方や魔法を教えた……強く、誰よりも尊敬しているハーフエルフの先生だ」
レガリスの口ぶりからして、その先生とやらの事を本当に慕っているのだろう。
しかし先生の事を話題にしてから二人の顔は暗くなった。
踏み込むべきではないのかもしれない。
しかし俺にはこの話がとても重要なものの様に思えてならない。
「その先生は邪神と勇者の事に詳しかったのか?」
「ああ。誰よりも詳しいさ。何せ――」
「――レガりん」
言葉を続けようとするレガリスを、リジーが遮る。
やはり聞いてはならなかったか……。
そう思ったのも束の間。
「リジー、言っただろう。僕らは見極めなければならない」
「…………わかったわ。でも、間違っちゃダメよ」
小さく呟いたリジーの言葉に疑問を投げかける暇もなく、レガリスは言葉の続きを――衝撃的な話を続けた。
「何せ、僕らの先生は実際に邪神と対峙しているからね」
「――!?」
離れた場所で周囲を警戒していたレイラとグリオンすらも驚いて振り返る。
彼らの様子を見るに、レガリスとリジーしか知らなかった話らしい。
「それって、勇者フィンと一緒に戦ったって事か? いやでも、勇者は一人で戦ったって……」
混乱する俺に、レガリスはゆっくり首を振る。
「物語というものは、路傍の石に焦点を当てる事はしない。無謀にも邪神に挑み、瞬きの間に敗北した若いハーフエルフの話など、残すに値しなかったという事だろうな」
「負けたって……」
「ああ。先生の魔法は邪神に届かず、邪神が煩わしげに放った魔法で、先生は右目を失った。並の戦士なら避けることも出来ずに死んでいたであろう攻撃を辛うじて避けた先生を僕は尊敬しているが……先生はその一撃だけで力の差を理解し、戦意を喪失した。直後に勇者フィンが現れなければ、先生は絶望したまま死んでいた所だった」
レガリス達の先生だ、きっと強い人なのだろう。
そんな人が戦意を失う程途方もないのが、邪神と勇者だそうだ。
邪神が復活する時が近付いているという話を以前聞いたが、この時代に勇者フィンの様な存在は現れるのだろうか。
俺の不安を読み取ったのか、レガリスは強い口調で断言した。
「先生の強さは世界でもトップクラスだ。ハーフエルフの若造だったその時から三百年も己を磨き続けて来たんだからな。現代で有名なのはガイスト達の“暁の宴”や、僕ら“太古の黄金樹”だが、人々に知られぬ強者というのは存在するものだ――君もそのうちの一人だしな」
君は一体どこから現れた、と問う様な視線から逃れる為話を続ける。
「勇者がいなくても先生ってのがいるなら、邪神が復活しても大丈夫だな」
そう結論付けるも、レガリスとリジーは頷かなかった。
「……?」
レガリスの暗い表情を見て疑問を抱くと、リジーが説明してくれた。
「先生はね、邪神に負けたその日から、いつかの再戦に向けて自分を磨き続けて来た。でもね、再戦の日なんて来ないに越した事はないの」
普段の間延びした喋り方ではなく、真剣な話し方でリジーは語る。
「だって、先生が邪神について語る時の表情は……とても恐ろしくて、酷く哀しげで、見ていられない程辛いものだから」
きっと二人にとって先生とは余程大事な人なんだろう。
そんな人が辛そうにしていれば居た堪れない気持ちにもなる。
「だから私達は……先生よりも先に邪神を殺したいの。きっと先生は、自分の命に変えてでも邪神を滅ぼそうとするもの。それを阻止したいの」
大切な人の悲しむ姿をこれ以上見ていられない。リジーのその気持ちはわかるが……邪神を殺す? 果たしてそれは可能なのだろうか。
確かに二人は強いけど、それは勇者や邪神と並ぶ程なのか……俺にはわからない。
「何か勘違いしている様だが、僕らは復活した邪神と戦うわけではない。復活前に殺すつもりだ」
「復活前に殺す……? そんなのが可能なら、勇者フィンがとっくに殺していたんじゃないのか?」
彼らの言ってる事がよくわからない。
そんな疑問を浮かべる俺の前まで歩み寄って来たリジーは少し屈んで、俺の目を覗き込んだ。
「ねぇ、リュートちゃん。貴方は邪神がどうやって復活するのか、知っているかしらぁ?」
再び間延びした喋り方で問い掛けてくるリジーに、何故か鳥肌が立つ。
恐怖、嫌悪、そのどちらでもなく、言い表しようのない謎の嫌な予感。
その正体を探るべく口を開こうとして――
「貴女、ウチのリーダーを惑わせて何がしたいわけ?」
突然目の前に割り込んだレイラに遮られる。
まだリジーに聞きたい事があった筈なのに、レイラに遮られた事にどこかホッとしている自分がいる。
「あらぁ、カワイイ騎士様ねぇ。私はリュートちゃんとお話ししてただけなのに、どうして警戒されちゃったのかしらぁ?」
クスクスと笑ってからリジーは再び俺を見る。
「じゃあ、またお話ししましょうねぇ」
そう言ってから列の前方に戻ったリジー。彼女に続いてレガリスも前に進む。
「……貴方らしくないわよ。知る事が怖いのに、どうして知ろうとするのよ」
怖い?
そうだ、確かに怖い。
リジーが、とかレガリスが、とかそういう話ではない、
この世界の事を知れば知るほどに、自分がどれほど危険な存在なのか思い知らされていく。
いつか全てを知った時、俺はどうするべきなのか……それを考えると、怖くて仕方なかった。