幕間 立ち聞き狼
もう十年以上前の事だってのに、今でも鮮明に思い出せる。
『任せろ! 俺らは火竜すら討伐してみせたA級冒険者だぜ!』
『人呼んで竜殺しの英雄とは、俺達の事だ!』
そう言って胸を張る大柄の男達を見て、幼かったオレは強い憧れと安堵感を抱いたのを覚えている。
『こっちだ、頼む、集落の皆んなを助けてくれ!』
魔物に襲われているオレ達の――獣人達の集落に冒険者たちを案内する。
近くに偶然彼らがいて助かった。なんて幸運だ。これで皆んな助かる。
そう思いながら走って集落に戻る。
よかった、間に合った。
『親父! 兄貴! 英雄って人を連れて来た!」
『ギムル!? 逃げろと言っただろう!』
デカいオーガを相手にしながら親父はオレの方を見た。
その表情は少しの怒りと、助けが来た事に対する安堵が浮かんでいた。
『英雄さん達! 親父の所に加勢してやってくれ! オレは兄貴の方に――』
ボスオーガと戦っている親父を手伝うように頼むが、返事がない。それを訝しんで振り向くと――
『お、おい、聞いてねぇよ、ありゃキングオーガか? 無理だろ……』
『……え?』
さっきまで自信に満ち溢れていた男とは思えない程弱々しい様子を見て、オレは言葉を失った。
その後のことは思い出すだけで腹が立って悔しくて泣きたくて頭がイカれそうだ。
あの冒険者達は尻尾を巻いて逃げ、親父と兄貴は死んだ。
集落の仲間に引き摺られて退散したオレは、あの英雄モドキの事を調べた。
どうやら奴らは、火竜の討伐隊に参加していただけのC級冒険者だったらしく、A級指定のキングオーガになんか勝てるわけなかったんだ。
雑魚のくせに英雄を騙り、優越感に浸る。アイツらがガキのオレを期待させたせいで、親父達は死んだんだ。アイツらが何も出来ねェ無能だと最初から知ってれば、別の奴を呼んだってのに。
「――あぁ! クソ! クソ! この、クソッタレがぁ!」
グランタールの外にある迷宮内で一人、オレは魔物を相手に鬱憤を晴らしていた。
寄って来る魔物を殴り蹴り、叩き潰す。
あの日からオレは英雄が嫌いになった。
物語の英雄譚なんかも信じてねェ。
オレは自分が見たものしか信じねェ事にしたんだ。
――だから、竜殺しの英雄と呼ばれる特級冒険者のリュートとレイラの事も、どうせペテン師だと思っていた。
その予想は、呑気な顔で初心者用迷宮から出て来た黒髪のガキを見て確信に変わった。
あの日の事を思い出して苛立ちを募らせたオレは、奴をぶちのめして化けの皮を剥がそうとして――そして敗けた。完膚なきまでにボコボコにされた。
あの冷たい目、容赦無い攻撃。それで英雄を騙ってんのか? と戸惑いもしたが、話を聞くとあのガキは英雄と呼ばれる事を嫌っていた。
過去に守れなかったものを悔やんでいた。
あの悲哀に満ちた目を見て共感しちまったオレは、やり場のない怒りをアイツにぶつけて、返り討ちにあった。
――あぁ、本当にバカだな、オレは。
英雄モドキの事は今でもムカついてるけど、他人に期待して裏切られる事を恐れるくらいなら、ハナッから自分が強くなりゃよかったんだ。
きっとそうやって強くなったのがリュートであり、リーダーもそうだ。
だからオレは二人に敗けた。
「くそ、まだイテェ……」
回復力の高い獣人族の肉体だが、昼間やられた傷が未だ痛む。
これ以上暴れんのは良くないか。頭も冷えた事だし、そろそろ帰るか。
外はもう暗く、街は魔道具の灯で人工的な明るさを放っている。
滞在しているホテルに向かう最中、路地裏から男の下卑た笑い声と、女の怯え声が聞こえる。
丁度オレの通り道って事もあるし、放っておくのも癪だから顔を出す。
「姉ちゃんよぉ、こんな時間に散歩か? 暇なら遊んでやるぜ?」
下心丸出しで吐き出される汚い誘い文句。格好を見るに、冒険者の男と一般人の女だ。
反吐が出るぜ。
冒険者ってのは弱い立場の奴らを守る為の存在なのに、弱い奴を怯えさせるなんてクソッタレだ。それをわかってない奴が多すぎて腹が立つ。
「なぁオッサン。アンタら暇なら、オレが遊んでやろうか?」
オレよりもデカいその背中に指を鳴らしながら近づくと、男達は苛立った表情で振り向く。だが、オレが誰だか知ると、顔を青ざめて愛想笑いに変わる。
「げ、ぎ、ギムルさんじゃねぇか。は、はは、こんな所で、奇遇だな」
「で、でもオレら、用事が出来たんで、今日は失礼する!」
ヘラヘラしながら逃げていく二人組の男を見送り、小綺麗な服を着た若い女に視線を移す。
「テメェもこんな時間に暗い場所歩いてんじゃねェ。自衛が出来ねぇならトラブルを避けるくらいしろってんだ」
オレの言葉に驚いた様に目を丸くさせた後、女は苦笑した。
「すみません、仕事場に行くのにこの道が近いので……用心が足りませんでしたね。助けて頂いてありがとうございました」
「あぁ、確かにこの街はごちゃごちゃしてっから、慣れてる奴は路地裏通った方が早いって場合もあるな。オレもそれでここ通ったわけだし……てか今から仕事か?」
こんな遅い時間に? と疑問に思うと、素直に答えてくれた。
「えぇ、ウェストホテルで働いているので。今日は夜番なんですよ」
「良い所に勤めてんじゃねぇか」
この街では評判の良いホテルだ。まぁ、オレたち太古の黄金樹が泊まってんのはそれ以上に良い所だけどな。
「うし、ならさっさと歩け。オレも丁度同じ道通るんだよ」
ポケットに手を入れて顎で先を促す。
「……へっ? あ、もしかして送って……」
「ちっげぇよ! オレが帰る場所もそっち方向ってだけだ!」
「ふふ、ありがとうございます」
気に食わない笑い方をする女はオレに言われた通り歩き出す。
実際遠回りになるわけでもねぇし、礼を言われる事でもない。
「ギムルさんは、今話題の竜殺しの英雄さんって知ってます?」
「…………」
クソ、聞きたくねぇ話題をピンポイントで出して来やがって。
「あれ? 聞こえてます? おーい」
「っるせぇんだよ! 知ってるに決まってんだろ! 今一番騒がれてる話題じゃねぇか!」
「わ、はは、そうですよね」
なんでコイツはその話題を口にしたんだ?
疑問を横目でぶつけると、信じられない事を口にした。
「さっきギムルさんに助けて頂いた時、この人はリュートさんに似てるなって思ったんです」
…………。
「……はぁぁぁ?」
バカかこいつ。
そんなわけないし、そうであってたまるかってんだ。
「いや、実はリュートさん達、今ウェストホテルに滞在していまして。彼らが来たのが五日ほど前なのですが、その時、少し厄介なお客様に迫られていまして」
「……お前、あれだな。面倒な奴に好かれやすいな」
どうせさっきみたいに下品な冒険者に絡まれていたんだろうな。コイツはなんだか、隙だらけって感じだし。
「あ、あはは……まぁ、それでその時、お客様の対応に困っていた時、リュートさんが凄い威圧感でお客様の事睨んで追い払ってくれたんです。で、助けてくれた事を感謝したら、俺達が手続きするのに邪魔だったからどかしただけだって。それより、ああいう奴らは下手に出るとつけ上がるから調子に乗らせるなってお叱りまで受けちゃって。ね? 似てるでしょう?」
……確かにオレもさっきコイツに説教したな。
だからあの時目を丸くしてたのか。
「なんか、私が言えた事じゃないんですけど、お二人とも損な性格してますよね。本当は優しいのに鋭い言葉を使ったり、助けてくれているのに自分はそんなつもりじゃないと言い張ったり」
「チッ。オレは自分の気に入らねぇ事をそのまんまにしておきたくねぇだけだ。アイツの事は知らん」
やけに気に障る笑みを浮かべた女は不意に前方を見てお辞儀した。
知り合いでもいたのかと思い前を向くと、そこにいたのは――
「……新星のアラン」
「……ギムルさん」
互いに呼び合い、その後の言葉が続かない。
オレたちの剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、横にいた女が口を開く。
「捻くれ者のお兄さん、ここまで送ってくださりありがとうございました! そこに従業員通路があるので私はここまでで大丈夫ですよー」
いつの間にか彼女が働き、泡沫の夢が滞在するウェストホテルに到着していた様だ。なるほど、アランがここにいるのも納得だ。
「あ、それとアランさん。この人はこんな怖い顔をしてますが、私を助けてくれた親切な方なので、誤解しないであげて下さいね!」
「な、テメェ!」
適当な事ばかり言う女に怒りを向けるが、彼女は軽い足取りで扉の中に入ってしまった。
残されたオレたちは再び睨み合う――と思ったが、予想に反してアランは穏やかな表情でこちらを見ていた。
「昼間の件に関しては、色々と言いたい事がありますが……それを除けば、貴方は悪人というわけではない様ですね」
あの女が余計な事を言うせいで、アランに変な評価を持たれちまった。居心地が悪くて話を変える。
「なんでテメェは一人で外出てんだよ」
「それはこちらのセリフでもあるんですけど……僕はリュートを待っているんです。ギルドに向かったとレイラに聞いたんですが、まだ帰って来なくて」
随分仲良しなパーティだな。
ウチはリーダーが逸れたり行方不明になっても皆んな放置してるんだがな。そのうち勝手に帰って来るし。
「なぁ、テメェはなんでリュートについてんだ? テメェの事は知ってんだよ。自分の実力を客観的に理解しているから無謀な事に手を出さないクソ真面目野郎だった筈だ。そんな奴が災禍の迷宮に行こうとしてるなんて、気でも触れたか?」
「はは、過去の僕はそんな評価を受けていたんですね……まぁ、確かに僕は未だにあの迷宮に潜る理由がわかりません。リュートは今日だってそれらしい嘘で誤魔化しましたし」
……マジか、アイツ仲間にすら理由を教えてねぇのかよ。
「でも、そんな事はどうでもいいんです。僕は彼を――強くて脆い、優しくてちょっぴり捻くれ者な、そんな英雄を助けたくて同行しているんです。まぁ、こんな事本人に言ったら怒られると思いますけど」
言いながら苦笑するアランを見て、やっぱり理解出来ねぇと思った。
「アイツが悪りぃ奴だって疑う気持ちは無いのかよ? 迷宮に入る理由すら話されてないんだろ? なのになんで一方的な信頼を持ってられるんだよ」
「リュートは多分僕らを危険な事に巻き込みたくないから隠し事をしてる。信じるとか疑うとか、そういう段階にはもうありません。僕は彼がそういう人だと知っているんです。だから、彼が頼ってくれるくらいに僕らが強くなれば、きっと話してくれる」
「……ケッ。クセェ台詞だな」
言いながらアランに背を向け歩き出す。
言葉とは裏腹に、アイツらの関係にどこか羨望しているオレがいた。
⭐︎
この都市で最も高いホテルの部屋――値段も高度もだ――に帰って来た所で、オレたちが借りてる部屋の扉が閉まる場面に遭遇した。
前方に仲間の誰かが歩いていたのだろうか?
気配はなかった。それが出来る奴となると……リジーか?
ホテルの廊下を進み、なんとなく静かに扉を開けて中に入る。
中は再び廊下があり、左右に三部屋の寝室と風呂とトイレ、そして奥の部屋がリビングになっている。
仲間達は皆んなリビングにいるのか?
飯はもう食ったのだろうか。
そんな事を考えながらリビングの扉に近付くと、中から話し声が聞こえる。
「リジー。どうだった?」
リーダー、レガリスの声だ。
話し相手はリジー。オレの直前に帰って来たのは彼女で間違いないらしい。
「えぇ、やっぱり巫術の事を嗅ぎ回っているのは、リュートちゃん、だったわぁ」
ふじゅつ? なんだそれ、魔術か何かか? 初めて聞いたな。それに、リュートがどうしたって?
「グラベルってば、久々に会った友人にすら、依頼主の情報吐いてくれないんだから。お陰で疲れちゃったわぁ」
「ふっ。昔から真面目が取り柄な男だったからな。今はもう随分老けてしまった様子だが、変わっていない様だ」
部屋にいるのは二人だけか。
入って行ける雰囲気でもなく、かと言って立ち去るのは好奇心が許さず、そのまま立ち尽くす。
「しかし……まさかあの善良そうな少年が、か。俄には信じられんな。先生に相談するべきか?」
先生。
一度だけ聞いた事がある。
レガリスとリジーがガキの頃、魔法や戦い方を教えてくれたクソ強えハーフエルフの先生がいたって話だ。
「善良そう、ねぇ。でもあの子、昼間の居酒屋で嘘ついてたわよねぇ? 災禍の迷宮に、落とし物をしたとかなんとか。怪しい点は、けっこう多いのよぉ?」
「ではリジーは黒だと思うのか?」
「……えぇ。ただ、私達だけで処理出来るかは微妙な所ねぇ。その点で言えば、先生に頼るのも悪くないかしらぁ? どのみち報告も必要だし、ねぇ?」
背筋がゾワリとした。
最後の言葉はこちらに向けて言われた様に感じたからだ。
バレてる、のか?
ここは……出て行くべきだろう。
堂々と扉を開け、いつもの調子で口を開く。
「……ったく、大事な話なら隠れてしやがれってんだ。入るタイミング逃したじゃねぇか」
「あらぁ、気にせずに入ってくれても構わなかったのよぉ? 別に貴方に聞かれた所で問題無い話だもの」
「気にせずって、オレはリーダーと違って空気の読める男なんだよ」
「む。ギムル、言うようになったな」
「それより気になったんだが、あのガキ……リュートは悪人なのか? そんな話してたろ?」
オレに聞かれても問題無いと言った手前、隠す事はないだろう。
普段の調子で、さりげなく、二人が何をしようとしてんのかを聞き出す。
別にリーダー達を疑ってるわけじゃねぇけど……何故だか胸の動悸が収まらない。
「さてな。それを確かめる為にも、僕らはもう少し彼らに接触する必要がある」
まだ何かを疑ってる段階って事か。
「ギムルちゃんは、彼の事どう思うのかしらぁ?」
なんの変哲もない質問。普段から交わす様な軽い言葉で――しかし、選択を誤るなと本能が警鐘を鳴らしている。
「あぁ? クソムカつく野郎だ。もしアンタらがアイツをボコすってんなら協力するぜ。リベンジマッチだ」
嘘は言ってない。
アイツの事を疑う気持ちはもう無いが、ムカつく野郎である事に変わりはない。
「だがその前にリーダー。先生とやらを呼ぶんならオレにも紹介してくれや。手合わせしてぇ」
「まだ呼ぶと決まったわけじゃない。それに、お前じゃ相手にならないからやめておけ」
「そんなにヤベェのか?」
「……あぁ、先生は怖い人だ」
世界ってのは広いもんだ。
太古の黄金樹のリーダーが恐れる程の人物がいるなんて想像も出来ねぇ。
「そのヤベェ人を呼んでまで、リュートを倒したいのか?」
こっちに向けられたリジーの細い目に背筋が寒くなる。
「ギムルちゃん、夕飯は食べたのかしらぁ?」
「え、いや、まだだけど……あぁ、そういや腹減ってたんだ」
これ以上は踏み込むなと、獣の勘が騒いでる。
「グリオンとミーゼなら、二階のレストランにいるわぁ」
「そうかよ、じゃあオレは他所で食って来るわ」
「一匹狼だな」
「っるせぇ!」
余計な一言を言うリーダーを怒鳴ってから部屋を後にするオレは、既に二人の視界から離れているというのに平静を保つ事に必死だった。
正直言うと怖かった。
二年間付き合って来た仲間だ。あの二人が他人を害する奴じゃないってのは知ってるつもりだ。
……だが、リーダー達がリュートを処理するとか言ってたのは、冗談には聞こえなかった。
知ってはいけない事に踏み込んだ自覚がある。
リジーはオレに聞かれても問題無いと言っていたが、それは本当か?
…………。
いや待て、オレは何にビビってる?
そうだ、リジーは聞かれても問題無い事しか喋ってない。
今まで通りリーダーについて行けば何も問題無ェだろうが。
にも関わらず、ここまで警戒しちまってるのは――
――オレは今までと違う選択をするつもりなのか?
リーダー達と敵対する可能性を考えて恐れているのか?
いや、あり得ねェだろ。
オレは太古の黄金樹のメンバー、嵐狼のギムルだ。
今日殺り合っただけのガキに肩入れする義理はない。
……だが、もしもリーダー達が本当にアイツを殺るってなった場合――
「――あぁ、クソが! わっかんねェよ!」
ホテルを出た所で漸く感情を露わにし、頭を掻き毟る。
通行人がこちらを見てギョッとするが、気にしてる余裕はない。
リュートをオレと似てると言った女の笑みを思い出す。
リュートを英雄と言ったアランの穏やかな表情を思い出す。
そしてオレが見た――悲哀に染まったリュートの瞳を思い出す。
「アイツが悪人とは到底思えねェ」
だが、リーダー達が他人を見誤るとも思えねェ。
だから結局わからないまま。
わからないまま事が起こっちまったら、その時オレは何を選択するのだろうか。
想像もつかねェけど、気に食わない選択だけはしないつもりだ。