幕間 天才達の休息2
フィオナが指先から魔力を放つと、腕の生えた四角い鉄の箱がやって来ました。
鉄の箱はテーブルの上の食器を片付け、暫くすると二人分のティーカップを運んで来ました。
「……何年か前の魔具コンで見かけましたね。確か自立式魔導人形、でしたか。簡単な家事をこなせると話題になりましたが、製造コストが高くて実用的ではないと評価を受けてましたね。雑用程度なら奴隷を買った方が安いですから当然の評価です」
都で年に一度開催される魔道具コンテストでは、様々な人の発明が発表されます。中にはお偉いさんの目に留まって高い値段で魔道具が買われたり、個人の発明家なら大きな組織にスカウトされる事もありました。が、この魔導人形は珍しさだけで話題になった物で、人気は出なかったのを覚えています。
「人の尊厳を踏み躙る様な奴隷制度を、私は好ましく思っていない。それに、彼が考案した魔導人形は多くの問題を抱えていたが、私は低コストでそれ以上の物を作れる。当然、実用性も格段に増している」
「……ぷっ、ちょっと待って下さい、フィオナ、貴女遂にジョークを覚えたんですか? ふふっ、貴女にしては最高に面白いですよ。あぁ、音声記録の魔道具を起動しておけばよかった」
「…………」
「人の尊厳を踏み躙る様な奴隷制度を、私は好ましく思っていない、ですって。ふふふ、本当に可笑しな発言です。大量虐殺者が善人の皮をかぶろうとしている様子がこれ程滑稽とは思いませんでしたよ」
私がこれだけ笑いものにしているにも関わらず、フィオナは眉ひとつ動かさずに私の目を見ています。
……その真面目腐った態度が気に食わなくて、途端に面白くなくなってきました。
「シフティ、君には何度も伝えたと思うが、私の行為に善悪の概念は影響していない。目的を達成する為に必要な事を行なっているに過ぎないのだ。私がミスティア族を滅ぼした事を君は責めているのだろうが、その行為も必要な事であり、今も尚私は自身の考えを正しかったと評価している。だが、その行動と好悪の感情は別だ。私は自身の感情に背いた選択をする事を厭わないが、故に私の本心と君が認識している私とで齟齬が生じているのだろう。その点について事細かに訂正するつもりはないが、私は君が目覚めてからずっと本心で話していると断言しておこう」
「……では、今まで通り本心で答えて下さい」
逸れていた話を戻す為に姿勢を正しました。
今更、フィオナも誤魔化しや無言を貫く事もないでしょう。
踏み込むなら今だと直感しました。
「巫術を扱う一族――ウユウ谷のミスティア族を滅ぼした貴女は、無意識で巫術を使い、リュドミラの魂すら取り込んだあの少年、リュートをどうする気ですか?」
部屋の中に沈黙が訪れる。
フィオナは目線を落としたまま黙っています。
「やはり殺すのですか? もっとも単純で手っ取り早く解決する為に、今まで奪ってきた数多の命と同じ様に、あの少年の事も――」
非難を多分に含んだ私の言葉に対し、フィオナの返事は驚くほど弱々しいものでした。
「……私は、どう、するべきだろうな」
「――――っ!?」
耳を疑いましたよ。
彼女が迷いを抱えて決断出来ずにいる様子など、今まで見た事がありません。
「……六百年前のあの日、初めてリュドミラを見かけた日。私は彼女を救うべきだと思った。この大陸で最も不幸であろう少女を助けてやらねばと思ったのだが、しかし私はあの時、たった一度の機会を無駄にした。私の生に後悔があるとすれば、あの時リュドミラを救わなかった事だ。まさかそのせいで取り返しがつかない事態に陥るとは考えてもいなかった」
フィオナが今話している事こそが、彼女の目的。
リュドミラを救う事。
そのリュドミラは今、リュートさんの中におり、フィオナなら干渉できるかもしれません。だと言うのに、彼女は迷っている。
「シフティ。前にも話した通り、巫術を極めし者は自らの魂を他者の肉体に憑依させ、半永久的に生き続ける。仮に現在憑依している肉体を滅ぼした所で、別の器に移り生きながらえる。だからこそ私は火炎竜に取り憑いたミスティア族の成れの果て――ギータの討伐をライラに任せたのだ。私が彼女と同じ事をした場合、ギータの魂は輪廻に戻れなかっただろうからな」
ライラが行った事は単純です。自らの魂にギータの魂を縛り付け、自らが死を迎えると同時にギータの魂をも輪廻の中に返そうとしたのです。
ただ、ギータはライラの死だけでは消失しませんでした。
しかしライラの術の効果で、ギータはその後ライラの子供へと強制憑依させられました。その子供も寿命で死に、再び子供へ移り、そうして何度も死を経験する事でギータの魂は少しずつ磨耗し、やがて消えゆくのです。
これは途方もない時を生き続けているフィオナには真似出来ない討伐方法です。
「では、貴女はリュドミラの討伐方法が思い付かないから迷っているのですか?」
リュドミラを救うには、死なせてあげるしかないと私は考えています。フィオナもそれが苦しみから解放される唯一の手段だと言っていました。
「君が協力してくれれば彼女の魂を消滅させる事は出来る」
私は再び驚きました。フィオナが私の協力を必要としている事に。
今まで何度かフィオナの頼みを聞いて来た私ですが、それはフィオナ一人でも出来る事を手伝っていたに過ぎません。
そんな彼女が私を必要とする、という事は――
「なるほど。その為に私に巫術を教えたのですね……そして、貴女は自らの命すらも捨ててリュドミラと共に逝こうとしている」
「……君の言う通りだ。そして、私は目的の為なら自身の命を代償にしてもいい。失うのが私の命だけであれば、これは何一つ難しい問題ではなかった筈だ」
「――まさか、リュートさんすらも死ななければならないのですか?」
「現状、他の方法が思い付かない。しかもこの方法は魂を消滅させる術を使う。これを行えば輪廻に帰ることも出来なくなり、転生が行えなくなる。消滅した魂は意識だけを残して暗闇を漂い、悠久の時を虚無の中で過ごし続ける事となる。しかし実際に虚無の中で己を保っていられる者はそういない。長い年月を暗闇という閉鎖空間で身動き出来ずに過ごし続けていれば、精神に異常をきたし、心身喪失、記憶障害などが続き自己を認識する事が出来なくなっていき、軈て暗闇の中に幻覚を見、狂気に蝕まれて声にならない叫びをあげながら自己制御能力すらも失い次元の渦に吸い込まれる塵芥へと成り果てる。それで終わりだ」
……そんな簡単に言わないでもらいたいものです。
なんて酷い結末でしょうか。そんな終わりなど絶対に嫌です。
「或いは、リュートが悪人であれば悩みはしなかっただろう。強大な固有魔法に酔い、残虐の数々を為してくれれば、私達三人はそれぞれ自身の罪を償う為に罰を受けた」
「……意外ですね。貴女は有象無象の命など気にかけないのだと思っていました。だからこそ私はリュートさんが何も知らないまま貴女に殺されるのではないかと危惧したのですが」
「それは君の偏見だ。私とて救える命は救いたいと、常々思っている。しかしそうもいかない状況であれば、残酷な決断も厭わない。故に今回もあの少年を巻き込んでリュドミラを終わらせようと考えたのだが――彼の慟哭を聞き、気付けば私も彼を憐れんでいた」
「憐れむ? 過去の話に戻りますが、貴女、リュートさんは全て知っていると言ってから私をリベルタに送り出しましたよね? しかし彼との会話に齟齬がありました。彼は自身の中にリュドミラがいる事も、力の詳細すら知っていませんでした。私達を騙す様な事をしておいて、貴女に彼を憐れむ資格があるとでも?」
「それについては、すまなかった。正に君が言う通り、会話に齟齬が生まれる様仕向けたのだ。二人の会話の中で食い違った箇所が、あの少年の知らない情報という事だ。それを炙り出すための企みだった」
あのフィオナにこうもあっさりと謝罪をされるなんて、調子が狂いますね……。
「……まぁ、いいでしょう。貴女がそれほど彼を警戒していたのだという事は理解出来ました。貴女とガイストとの通信でも、リュートさんに興味無い風を装いながら、内心では気が気じゃなかったんですね」
「その通りだ。しかし、私の警戒は全くの無駄であったらしい。彼はあまりにも無知で、弱く……そして脆い。まるでかつてのリュドミラを見ている様だ」
見ている、というのは表現であり、実際には盗聴しているだけです。が、今はそれを突っ込む気分ではありません。
「教えていただけますか? 私が眠っている間に何があったのか」
そして私は聞きました。
このひと月、彼らがどう過ごして来たのかを。
数日前にリュートさんとレイラさんが暴風竜を討伐したと聞いた時には驚きましたが、それよりもリュートさんがたった一人の少女の死に狼狽えた、という事に驚きました。
「君は彼が最近になって戦いの環境に身を置いたのだと推測したが、私もそれは正しいと思っている。しかし彼の力量を見るに、数ヶ月は戦い続けていたはずだ。だと言うのにあまりにも脆い。今まで彼がどこでどう過ごしていたのか、まるでわからない」
貴女にもわからない事があるのですね、と言おうとしてギョッとしました――フィオナがポケットから出した大量の紙を見て。
「な、なんですかこれは……東方人の出生情報? 今は亡きミスティア族のものまで……まさか貴女、リュートさんの生まれを調べる為だけにこれ程の情報を仕入れたのですか?」
頷くフィオナ。
「貴女、無自覚ストーカーの気質がありますよ……」
「年甲斐もなく学生の様な事を言うな」
「余計なお世話ですよ!」
戯れも程々に話を戻します。
「貴女がそれだけ調べても何も出てこないなんて、あの少年は一体何者なんでしょうね?」
「さてな。だが、彼は巻き込まれただけの高校生だと自称していた。高校生、という単語が何を表すかは私にもわからないが、文脈から察するに重要な役職というわけではなさそうだ」
なるほど、どうやら彼は自分が何かに巻き込まれている事くらいは自覚したようですね。
「しかし本当に似てますね……強大な力を持ったせいで大きなものに振り回されてしまうなんて」
リュドミラもか弱く、平凡な少女だったとフィオナに聞いた事があります。力さえなければ生涯を村の中で過ごした事でしょう。それが生まれ持った力のせいで――
「――まさか貴女、リュドミラを救えなかったからと、その代償行為でリュートさんを救うおつもりですか?」
そう、二人はよく似ているのです。
私は実際に会った事はありませんが、過去にフィオナから聞いたリュドミラという少女は、まるでリュートさんの様に脆く危うい存在でした。
「わかっている。リュートはリュドミラではないし、彼を救ったところで私の後悔が消えて失くなるわけでもない。だが、あの少年が救われるべき人間である事もまた事実だ」
「……わかっているなら構わないのですが、肝心なのは救う方法です。リュドミラの魂だけを分離させて消滅させる事は出来ないのですか?」
「不可能だ。彼の固有魔法は魂の欠片を吸収する魔法だ。リュドミラは輪廻に帰る事を諦め、自らの魂本体をリュートに吸収させた。本来ならその時点で彼の意識はリュドミラに飲み込まれ消失する筈だったのだが……今はいい。とにかく、吸収を終えてしまったリュドミラの魂を切り離すことは出来ない。彼らの魂は既に一つと化したのだからな」
「リュートさんの意識が消失する筈だった? それこそ大事な事でしょう。リュドミラの魂を取り込んだのなら、リュートさんが意識を飲まれないようにすればそれで良いのではありませんか?」
「……シフティ。この世の万物は摩耗するし、風化もする。やがて朽ち果て消えゆく定めにあるのだ。だが私は、そんな理の中にあっても時と共に頑強さを増し、更に言えば時の流れによって研ぎ澄まされて行くものがあると考えている」
なるほど、歳を重ねる度に頑固になっていった父を思い出しました。
「年寄りほど自分を変える事を難儀と言います。それは自己というものがとっくに形成されて頑強になったからだと言いたいのですね?」
「ああ。リュドミラを年寄りと呼ぶのも憚られるが……六百年前から今に至るまでずっと、怒りや悲しみ、恨みや憎しみ、沢山の感情に苛まれ続けてきたのだ。彼女の激情がたった十数年生きただけの少年の感情に飲まれると思うか? 今リュートが自分を保っているのはリュドミラの巫術に不完全さがあり、リュートの固有魔法に優位性があり、そう言った細かい要素が重なって生まれた奇跡だと私は考えている。尤も、その奇跡ですら長くは続かないがな。彼は既に一度同調率を高めてしまった。先程話した防衛戦の際に、彼は自身の思考とリュドミラの思考、更には感情、言動までをも混濁させた。この同調率が高まる時間が長くなればその分リュートの優位性は薄れて行き、軈て完全に消えてしまう」
「…………」
予想以上に危うい状況にあった事を知り、言葉も出て来ません。
フィオナに解決出来ない問題であるなら、この世で生きている他の誰に頼っても無駄でしょう。彼女だけが希望なのです。
なのに――
「私は、何一つ決まっていないまま彼に会おうとしている。救う方法は勿論探し続けるが、それが見つかるとは到底思えない。もし何も見つからないまま時が来てしまったのなら――」
フィオナとは長い付き合いです。
どうせ三人まとめて消滅する方法を選んで「全て私の責任だ」なんて言っていなくなってしまうだろう事はわかりきっています。
「――見つけましょう。リュートさんを、リュドミラを救う方法を。他に選択肢は与えません。私を協力者に選んだのですから、私が納得するまで足掻いて下さい」
言葉にはしませんでしたが、フィオナ、貴女だって救われるべき人間なのですよ。
罰を受けると言うのなら、生きて償いをするべきです。
「……そうだな。そうするべき――」
言いかけた言葉を途中で止め、フィオナは再び口を開きました。
「いや、私もそうしたい」
――私は今まで、フィオナはこの世界に生きる人々とは違う存在なのだと思っていました。
理由は沢山あります。
彼女はこの世界を俯瞰して眺め、他人を駒の様に動かし、その後の結果まで予測しているのです。まるでボードゲームでもやっているかの様に他人事で、彼女には共感能力がないのだと考えていました。
リュドミラを救うと言うのも、過去の失敗を取り返す程度の思いしかないのだろうと勝手に解釈していたくらいです。
――ですが、全ては私の思い違いだったのだと、今日ハッキリとわかりました。
確かにフィオナは全てを掌握している天才です。
ですが紛れもなくこの世界の登場人物であり、地に足をつけて今を歩いているのです。
だからこそ悩んでいるのでしょう。
『人の為に悩める事即ち、人を思う心あるが故に』
かつて共に旅をした仲間が言っていた言葉が正しいのなら、フィオナには人を思う心があるという事です。
「それなら、協力しますよ。今まで以上に」
フィオナに比べて、私に出来る事は多くありません。
それでもあの少年達を救う方法は意地でも見つけ出します。
そして、ハッピーエンドを迎えた後にはフィオナをドヤ顔で煽って差し上げましょう。
だって、私はフィオナが嫌いですから。