力足らずとも
昨夜のギルバート達との話し合いでは、暴風竜をどう対処するかは保留となった。
一先ずは竜が山頂に降り立つ事によって生じる、魔物の混乱による暴走を鎮めることが優先される。
昨夜もそれなりの数の魔物を片付けたが、全ての魔物が捌けたわけではないらしい。特に、大蛇の魔物であるナイトサーペントや、飛竜のワイバーンなど、この山に棲む高ランクの魔物が未だ降りて来てないのが気がかりだとギルバートは言っていた。恐らく次に暴風竜が来た時にこれらの魔物にも動きがあるだろうとの事。
余談だが、ワイバーンは飛竜ではあるが竜の仲間というわけではないらしく、暴風竜と連携して暴れる、などという事はないらしい。
「そう言えば山の反対側からは魔物は逃げないのか? テルシェ村ばかり守ってるけど、向こう側には何があるんだ?」
時刻は昼過ぎ。
現在俺たちは、今日応援にやって来るという冒険者達の為に村の周囲の魔物を減らしている。
昨日レミーネ達がやっていた事と同じだ。
木々の間から襲い掛かって来た最後のウルフを氷剣で切り捨ててから疑問を口にすると、ここ最近何度も聞いた呆れのため息が吐かれた。
「貴方、東方からリベルタに来たならこの辺も通った筈でしょ。泡水草の話聞かなかったの?」
「あわみずくさ?」
知ってるか? とミーシャに視線を送ると、この子もレイラと同じジト目を向けて来た。どうやら知らないのは俺だけらしい。
「子どもの絵本にもなってる有名な話よ。草木が生い茂る山道の途中、光を反射してキラキラ光る水の泡が沢山浮かんでいました。泡は小さい物から大きい物まで様々で、その不思議さに目を奪われて歩き進むと、やがて大きな池に辿り着きます。池の中央でゆらゆら漂う水草に興味を惹かれ覗き込むと、次の瞬間には自分が泡の中に閉じ込められている事に気が付きました。抜け出そうとしても手遅れで、身動き一つ出来ないまま二度と呼吸をする事は叶いませんでした。そんな感じのお話よ」
「なにその救いのない話……好奇心は猫を殺す的な話か?」
「東方にはそんな諺があったわね。まぁ似た様なものかしら。とにかく、そのお話の元になってる池が山の反対側にあって、近寄ると人も魔物も泡に閉じ込められて窒息死する。だからそっちに続く道は封鎖されたし,魔物もそれがわかってるから付近には決して近付かないのよ」
「魔物避けになるのは良いかもだけど、遭難してそこに辿り着いたら危なくね……その草燃やした方がいいだろ」
「そんなのダメよ。泡水草が棲息している付近は空気が清浄化されて、地中を流れる水質も改善してくれるのよ。テルシェ村の野菜が美味しいのは、この山に泡水草が棲息してるからって言われてるのよ」
「それだけ聞くと優秀な水草なのになぁ……。泡で窒息死するって話のせいで殺人草のイメージがついちゃったよ」
泡水草の凶悪さに怯えていると、山道の下の方から賑やかな声が聞こえて来る。
大人数の足音と、控える事を知らない大きな笑い声。うるさくしているのに、いや、うるさくしているからこそ魔物が寄って来ない。なるほど、数十人単位で村の外を歩く場合はその存在感を周囲に知らしめてやれば、魔物達は警戒して襲ってこないらしい。人が集まる村や街に魔物が寄り付かないのと同じ理屈だ。
「どうやら昨日ギルバートさんが言っていた応援の冒険者達が来た様だね。S級冒険者の話もチラッと出て来たけど、この騒ぎ声を聞くに、蛸焼組の事だったんだね」
「たこやき……? なんだアラン、昼食ならとっただろ。もう腹減ったのか?」
「言うと思ったよ……。珍しい名前だけど、それが彼らのパーティ名だ。有名な二人組の冒険者だよ」
「そんなふざけたパーティ名が許されるなら、やっぱり俺たちも――」
「却下よ」
「まだ何も言ってないだろ!」
そうやって戯れてる間に大部隊は目視できるくらい近付いて来ており、こちらに気付いた前列の数人が手を振ってくれる。
「ハハハハハッ! これはありがたい! 泡沫の夢の皆さんが出迎えてくれた様だ!」
遠くにいても騒々しかった声の正体は先頭を歩く快活な男。
黄色い短髪がツンツンと逆立っており、剥き出しの額と、笑った時に見える白い歯が眩しい。体格はガイストと同じくらい恵まれており、とにかくデカい。背中には頑強な肉体に似合ういかついハンマーを携えている。
「やぁやぁ! 僕は蛸焼組のリック! よろしくね!」
「声がデカい……」
差し出された手を取り握手を交わすが、近くで大声を出されて顔を顰める。
「……ウチの阿保が喧しくてすまない……オレはこいつと同じパーティのシークだ……」
リックの後ろから姿を現したのは、どことなく陰鬱さを纏わせた青年で、リックとは対照的な性格らしい。しかしそのネガティブな性格とは裏腹に、背丈もそれなりに高く、引き締まった肉体は武人のそれだ。得物は腰に差した刀だろう。
シークは髪を後ろで一本に纏めてあり、その髪色が混じり気無い黒色な事には驚いた。顔の造形も含め、彼の血が東方に所縁あるのは間違いないだろう。ただし、瞳の色が翡翠色ではあるが。
「……噂通り、黒髪黒瞳の少年……貴殿がリュートか……」
「えっと、こっちに来てから何度も勘違いされるんだけど、俺は貴族とかそういうのとは無関係だ。変に畏まらないでくれ」
先んじて誤解を解こうとする俺の言葉に、シークは訝しむ様に眉を寄せる。
だが――
「シーク! 彼は嘘をついていないようだよ! あまり人を疑うものじゃないね!」
続けて放たれたリックの言葉により、シークの表情は驚きへと変わり、そのまま頷いた。
リックには何の根拠もなかったと思うが、シークは彼の言葉を疑う素振りもなく「そうか」と言った。
「アホみたいなパーティ名だし、性格も真逆みたいだけど、厚い信頼があるんだな」
「パーティ名については何も言うな……オレも不服だ……」
苦虫を噛み潰したような表情でそう言うシークを見て、彼がリックに振り回される苦労人だという事が容易に想像出来た。
「お! 新星のアランじゃないか! 二年程前に港町リーズリーのギルドで会ったよね! あの時は色々悩んでる様子だったけど、今はだいぶ晴れやかな表情になったもんだ! 君はこの旅で成長出来るだろうね!」
「覚えてて下さったんですか! 光栄です」
「むむっ! 二人はマックスさんの娘さん達か! 会うのは初めてだが、マックスさんから何度も話を聞いた事があるんだよ! あの人ってば口を開けば娘自慢なんだから、困っちゃうよ! ハハハッ!」
「…………」
「お姉ちゃん、この人声が大きいね!」
「おや、キミが謎の固有魔法を操る白猫族の少女だね! 僕はこの道中、ずっとキミの二つ名を考えていたんだ! 自由自在に物体を動かす事から、自在のミーシャがいいんじゃないかと思ったんだが、それだと安直過ぎるとシークに呆れられてしまってね! 他にも操術のミーシャとか、色々考えているんだけど中々浮かばなくてね! キミはどんな二つ名がいいか、希望はあるかい?」
「………………なんでもいい」
俺がシークの苦労を慮ってる横で、リックの興味はどんどん他に移ってゆく。
声がデカくて喧しくて距離感の近い男だが、不思議と嫌悪感はない。
もっとも、それは俺の意見であって、リックに話しかけられたレイラとミーシャは心底迷惑そうな顔をしていたが。
「まぁ、挨拶は後にしてとりあえず村に入ろう。ロームが待ってる」
そう提案すると、「それもそうだね!」とリックが頷き、彼の号令で四十人の冒険者が一斉に歩き出す。
訓練された兵士というわけでもなく、バラバラに活動していた筈の冒険者達がここまで統率の取れた行動が出来るのは、リックのカリスマ性があってこそだろう。
彼は歩いてる最中も頻りに後ろを確認し、全員がちゃんとついて来ているか、周囲に異変はないかを気にしていた。
そして気になるものがあれば騒ぎ立てて冒険者達の意識を惹きつけている。村に入ってからも「あの畑では甘い人参が作られてるんだよ!」とか、「ロームさんの酒場は酒よりも料理が美味しいんだ!」などと地味に興味が湧く話を一人で呟い――叫んでいる。その声の大きさは最後尾まで届いてる様で、離れた所にいる冒険者もリックと同じ方向を眺めて笑っている。
そうして集団の外側から冒険者達の様子を眺めていると、見知った赤茶色の瞳と目が合った。
「……リオン?」
中性的な容姿をした幼い少女の名を呼ぶと、彼女はパッと顔を輝かせた。
「気付いてくれましたか! ボクも村の防衛戦に参加させて頂くので、よろしくお願いします!」
ギルバートの話では、今回の防衛戦は昨夜以上に人手が必要になるだろうからランク問わず希望者を大量募集した、との事だった。
とは言え――
「おいおい、俺たちにも気付いてくれなきゃ悲しいじゃないか」
思考に割り込んだ声に顔を上げると、リオンの近くに見覚えある冒険者達がいる。
「あれ、サイクロプスに襲われてた奴らだよな……そっちにいるのはハイドロピジョンに襲われてた奴らか」
「間違ってはないけど! 覚え方!」
レゼルブで活動していた顔馴染みの冒険者達との再会に目を丸くする。
「あなた達がこの防衛戦に参加してるって聞いて私達もここに来た」
「そうそう、ウチらは街じゃ会えなかったしな!」
「まぁ人手が足りない事もあるし、来てくれたのはありがたいけど……」
再びリオンに視線を向けると、少女は苦笑を浮かべた。
理由がどうあれ、他の冒険者達が参加するのはわかる。ランクの制限がないとは言え、危険な防衛戦への参加を志願した彼らには、充分な戦力が備わっている事が一目でわかる。
ただ一人、このリオンという幼い少女からは全く力を感じない。
魔力総量が多いわけでもないし、未成熟な身体では筋力量も期待出来ない。実際、彼女の得物は腰に差したショートソードだけで、それが大型の魔物に対して有効になるかと問われれば、首を傾げたくなる。
「ボクじゃあ力不足だと思っていますね?」
俺の考えを読んだように、リオンが不安そうに笑った。
「いや……怪我人の手当てとか、魔物討伐後の処理とか、人手は必要だからな。後方支援に注力してくれるなら大助かりだ。詳しくはロームに――」
防衛戦の前線に立たせたくはないが、かと言って非道にもなりきれず。そんな曖昧な答えを遮って、リオンは――
「ボクも戦います」
と断言した。
「自分が弱い事は充分わかっています。でも、弱いままでいたくはありません。こう言っては不謹慎かもしれませんが、今回の戦いはチャンスだと思いました。ボクなんかが多くのベテランさんと共に戦うチャンスだと。しかも、ボクが憧れたリュートさん達もいるんです。そのワザを目で見て、肌で感じて、ボクは強くなりたいんです。それに、力足らずな今のボクでも、村を守る薄壁の一枚にはなれるつもりです」
真っ直ぐな視線を向けられて、あぁ、お前もか、と嫌になる。
この世界の子供はどうしてこんなに覚悟が決まってしまっているのだろう。
マナといい、ミーシャといい、リオンも同じとは。
俺にはちっともわからない。
冒険者に憧れる理由も、他人の為に命を賭けられる精神も。
だけどこの世界では俺の考えの方がおかしくて、リオン達の覚悟の方が多数派であり、賞賛されるものなのかもしれない。
だとしたら俺は彼女の覚悟に何も言えない。
死んで欲しくない、傷ついて欲しくない、そんなのは俺のエゴでしかないんだ。
「……リュート、貴方はマナが冒険者になる事を応援してくれた。それはあの子に覚悟があったからなんでしょう? ならこの子の事も応援するべきよ」
何も言えない俺の肩に手を置き、レイラが答えを促す。
彼女の言う通り、マナはよくてリオンはダメ、などと言ったら一貫性がなくなる。二人とも幼いながらに強い覚悟を持っている事は同じなんだから。
「そう、だな。応援するよ……でも無理はしないでくれ」
納得出来ないものを無理やり嚥下する様にして取り繕った笑顔は引き攣っていなかっただろうか。
そんな不安を押し隠す俺の横顔を、レイラがじっと見つめているのが気になった。