深夜の防衛戦
ふと違和感を感じて目覚めた。
時刻は深夜。
外からは虫の鳴き声だけが聞こえる、静かな夜だ。
だけど言い知れぬ不安感が拭い切れない。
再び眠りにつく事も出来ず、寝巻きから着替えて外に出た。
この時間になると明かりがついているのは酒場だけなので、仕方なくそこに入ると、机に突っ伏したロームがいた。こいつはずっとここで飲んでいたのだろうか。
音を立てて酒場に入ってきた俺に気付き、ロームは身体を起こしてこちらを向いた。
「んー? どうしたの、お姉さんに遊んでほしいのぉ?」
「何か異変はなかったか?」
くだらない事を言い始めそうなので、真面目に質問する。
すると、さっきまで顔を赤くしてだらしない表情をしていたロームの顔つきが変わった。
「スキルの事を聞くのはマナー違反だけど、出来れば教えて。坊や、危機感知系のスキルを持ってるの?」
さっきまでとは別人の様で少し驚く。
「あぁ。でも明確な危機という感じじゃなくて、曖昧な違和感を感じただけだ」
ロームはすぐに立ち上がると、カウンターの奥の扉を開けて叫んだ。
「レミィちゃん起きなさい! お寝んねしてる冒険者達を起こして直ぐに防衛体制を整えるのよ!」
「い、いや、ただの勘違いかもしれないし、そこまでする必要は……」
「誰かが感じた小さな違和感。そういうのって意外とバカにできないのよ。それに坊やはガイストさんが認めた逸材。私はこの村を守る為に坊やの勘を信じるわ」
真剣に人々を守ろうとしているロームに驚きを隠せない。酔っ払ってた時のコイツは別人だったのか?
「そういう事なら俺たちも警戒を強める。レミーネ、悪いけど俺の仲間達も起こしてきてくれるか? ローム、俺はどう動けばいい?」
「あら、強さの上にふんぞり返った傲慢な子どもかと思いきや、ちゃんと大人の意見を聞けるのね?」
「嫌味はいいから人員をどう動かすか考えろ。土地勘があるのも、魔物の習性に詳しいのもアンタだろ」
悔しいけど、俺は圧倒的に知識が足りない。こういう場合どう動くのが最善なのか、俺よりもこの副ギルドマスターの方が詳しいだろう。
俺を見てニッコリ笑ったロームは「ついて来て」と言って酒場から出た。
そのまましばらく北に進み、平らな地面の上で止まった。
「そこから動かないでねっ!」
言うが早いか、俺とロームが立っていた地面が盛り上がり、そのまま夜空まで伸びていく。地属性魔法の土柱だ。彼女もマナの様に無詠唱魔法を使いこなすらしい。
「望遠鏡はある? なければ貸すわ。暗視機能がついた魔道具だから、夜でも見える筈よ。坊やはあっち側を探して」
ロームがポーチから出した小型の単眼鏡を受け取り、異変を探す。
危機となりうる魔物、あるいは襲われている人など。
しかしいくら見回しても山は相変わらず静かだ。
やはりただの勘違いだったか?
それならそれでいいのだが、冒険者達を起こしてしまった手前、何事もないというのは罪悪感を感じる。
ふと辺りが暗くなった気がして空を見た。
月に雲でもかかったのかと思ったが、夜空を覆う影はそんな朧げなものではなかった。
「嘘……でしょ……」
同じように望遠鏡から目を離して空を見上げていたロームが、信じられないという風に呟いた。
「あれはなんだ?」
形だけを見れば想像がつくが、その存在がどれほどの脅威になるのか俺は知らない。
「見ての通り、ドラゴンよ……しかもあの大きさ、かなり高位の存在ね……」
巨大な影に圧倒されているロームは、ただただ立ち尽くしていた。呆然としている彼女の肩を揺すり、指示を仰ぐ。
「おい、ボケっとするな。あのドラゴンは村を襲うのか? 俺たちは何をすればいい」
ハッと我に返ったロームは「少し待って」と言いながら望遠鏡で山頂を覗いた。
俺もそちらを見ると、ドラゴンは山頂に降り立ったようで翼の動きによって周囲の木々が大きく揺れている。
「坊や、レミィちゃんに聞いたでしょ? 山頂の縄張り争いから逃れる為に低位の魔物が降りて来てるかもしれないって。あの予測は、当たらずも遠からずだったみたい。ドラゴンがこの山を棲家にしようとしてる。だから魔物達は逃げ惑っていたのね……」
「という事は……」
ロームが出した答えを聞いて事態の険しさを知った。
再び望遠鏡を覗くと北の森が揺れていた。今度の揺れは風ではない。ドラゴンから逃げようとしている魔物達が、こちらに向かっているのだ。
「全員北の壁へ急いで! 村の防衛戦を開始するわ!」
柱の下に集まって来ている冒険者にロームが指示を飛ばしてる間、俺は望遠鏡を覗き続けていた。
魔物達の先頭に何かが……いや、誰かが走ってる。
「――人だ! 逃げ惑う魔物に巻き込まれないように逃げている!」
それを聞いたロームは俺の肩を掴んだ。
「調査隊の人だわ! 何人いるの!?」
「えっと……あの二人だけだな」
二人と聞いたロームは悔しそうな表情に変わる。もしかしてもっと人数がいたのだろうか。他の人間が見当たらないという事は、既にあの魔物の波に呑まれてしまったのか……。
「あいつら逃げ切れなさそうだ! ちょっと行ってくる!」
「危険よ、坊や!」
「すぐ戻る!」
柱の上からジャンプし、風魔法で自分の身体を思い切り飛ばす。
力が強すぎたせいか身体のバランスを失い、空中で無様に回転しながら吹き飛んだ。
周囲の景色がグルグル回って気持ち悪くなるが、逃げる二人にある程度近付くと、魔力の気配でどこを走ってるのか正確に把握出来た。それと同時に、魔物が木々を薙ぎ倒しながら進む豪快な音が辺りに響いてくる。
再び風魔法を操作し、宙で停止してから地面に巨大な氷柱を降らせた。
先の尖った氷は最前列を走る猪の魔物を串刺しにし、地面に縫い付ける。後続の魔物達はそれを避けたり乗り越えたりしながら変わらず走り続ける。
何度も氷を放って魔物を殺すが、数が多すぎてキリがない。
「お前ら二人横並びになれ!」
調査隊の二人は俺を救援として認識したのだろうか。空から叫ぶと、指示通りに走りながらピッタリ並んだ。足場の悪い山中でこれだけ動けるのは凄いな。だからこそここまで逃げ切れたのだろう。
俺は空から降りて二人に迫ると、右腕と左腕をそれぞれの腹部に回した。二人とも細身の女性でよかった。小柄な俺でもなんとか脇に抱える事が出来た。
「ちょっ……」
「力を抜け! 飛ぶぞ!」
逃げ出そうとする右の奴を落ち着かせ、地面を強く蹴った。
暴風が舞い上がり、再び空を飛ぶ。
さっきまで俺たちがいた地面を魔物が通り過ぎていく様子を見て肝を冷やすが、空に逃げればひとまず安心だ。
「お、落ち、し、死ぬぬぬっ! た、たすけっ……」
「ひゃー! 空飛んでるよ!」
怖がりな右と、空中飛行を楽しむ左。
対照的な二人だが、どちらも怪我はなさそうだ。少し速度を上げよう。
「ぴょげぇぇ!」
「うっひょー!」
地面を鳴らす魔物の足音よりもこの二人の方がうるさいんじゃなかろうか。
そんな事を考えながら地上の魔物より速く飛んで村まで戻る。
村ではロームが建てた北の分厚い土壁の上に、三十人程の冒険者が等間隔に並んで待機していた。
中にはマナとミーシャの姿もあり、二人は俺を見つけて手を振っている。
丁度ロームも二人の側にいた為、俺はそこに降り立った。
「坊や! なんて無茶するのよ……いえ、今はよしましょう。レミィちゃん! 生還した二人の調査隊員と一緒にギルに連絡して! 情報は貴女の方で纏めておきなさい!」
「承知した! 二人ともこちらへ!」
ロームは俺と調査隊員を見てから、直ぐに土壁の下にいるレミーネに指示を飛ばした。俺は二人をおろしてから周囲を見回す。
「この壁の上にいるのは皆んな魔法使いと……弓の使い手か? アランやレイラはどこだ?」
「剣士などの前衛は土壁がない村の東西を守ってるわ。魔物達の目的は村を襲う事ではなく、ドラゴンから逃げる事。だから壁を回り込んで村に踏み入る魔物はあまりいないと思うけど、逃走ルートが逸れて入ってきちゃう可能性もあると思うの。そんな魔物を撃退する仕事を任せてるのよ」
「じゃあ俺たち後衛は、壁を突き破ったり登ろうとする魔物を仕留める為に集められたのか」
「ご名答。一応言っておくけど、無理に全部を仕留める必要はないわよ。山から降りた魔物は散り散りになるけど、大半はレゼルブの冒険者が各個討伐してくれるから。自分がやらなくていい仕事は他人に任せちゃえばいいのよ。これは不平等な社会で生きる大人からのアドバイスよ」
「アンタみたいな苦労人にはなりたくないから参考にするよ」
軽口を言い合っていると、魔物の波が押し寄せて来た。
壁の上の冒険者達に緊張が走る。
「来るわ! この村と私の酒場を守るわよ!」
ロームが先頭の巨大猪に岩石を落とした事で戦いの火蓋が切られた。
壁の上からはいくつもの詠唱の声が聞こえるが、初動が早い弓使いや無詠唱のマナやミーシャは既に魔法を放っている。
防御力がそれほど高くない魔物は、壁に到達する前にミーシャが振り下ろす土塊や、射手の弓矢によって討伐されるが、ヨロイマンティスなど、硬い甲殻に覆われた魔物などは簡単には仕留め切れず、逃走ルート上にあるこの壁を登ろうとする。
「ファイアーボール!」
だが詠唱が終わった魔法使い達が次々に火を放ち、土壁をよじ登る魔物を撃ち落としていく。
虫系の魔物は基本的に火属性に弱いらしいが、ヨロイマンティスにもそれは当てはまるらしい。奴らは硬い甲殻の隙間から灰色の煙を出しながら地面に落ちて動かなくなった。
更に、炎を嫌う魔物は露骨にこの壁を恐れ、迂回しようと逃走ルートを変更し始める。
ただ、炎を放置しておくとどんどん燃え広がる。
「ウォーターボール!」
そんな不安を解消する様に、別の魔法使い達が水魔法で消化活動に励む。
シンプルな手法だが、火を消してくれる仲間がいる事を知っていれば、安心して火属性魔法を使える。良い連携だ。
最前列を走っていた猪系魔物や速度の速い虫系魔物を捌き切ると、後方にいたレッドグリズリーの群が見えた。さっきまでの魔物達より幾分か強い、クマの魔物だ。壁を避けて行って欲しいが、生憎奴らは波の真ん中にいる。ここを強行突破するつもりらしい。
奴らが近付く前に魔法を放とうと考えるが、そんな俺よりも速く動いた者がいた。
名も知らない弓使いの男だ。
細身の彼は片目を閉じて狙いを定めると、矢をまっすぐに飛ばした。
何の変哲もないただの矢は、正確にレッドグリズリーの目を潰した。
まだ遠距離であり、しかも夜という暗い時間に寸分違わず狙い通りに矢を放つなんて、とんでもない人だ。
しかも彼は続け様に矢を放ち、そのどれもがレッドグリズリーの目を潰していた。両目を潰された個体は方向感覚を失い、村とは違う方向に走り出して魔物の波に呑まれていく。
天才的な弓捌きに思わず見惚れていると、俺に気付いた男は片目を閉じたままニッと微笑んだ。あらイケメン。
正直、魔法が発達したこの世界でただの弓矢なんて役に立つのか、なんて思っていたが、弓使いの能力次第では魔法と違う働きや、魔法よりも有効な攻撃が出来るのだと思い知った。
ふと空が赤くなった気がして後方を見ると、大剣に纏った炎を振り回す人が見えた。レイラだ。
ロームの読み通り村を襲う魔物は殆どいない。ただ、走ってる内にこの村の木の柵を壊して乗り越えてしまう魔物もいる様で、そういった敵を排除してるのが前衛組だ。
「俺も頑張らないとな」
気合いを入れる為に呟き、魔力を練る。
「マナ、火が燃え広がりそうだったら水魔法で抑えてくれるか?」
「わかった!」
元気な返事を聞いてから火と風の複合魔法を放つ。
精霊魔法の中でも多属性を合わせて使う複合魔法は難しいらしく、マナでも使える魔法は限られている。
「火炎旋風!」
土壁の前の地面に巨大な魔法陣が描かれ、その中心に真っ赤な竜巻が現れる。
炎の竜巻は周囲にいた魔物を取り込み、焼き焦がし、灰にして巻き上げる。
あまりの火力に近くの木に飛び火するが、燃え広がる前に小さな魔法使いの声が響いた。
「アクアブレイク!」
竜巻の周りに大量の水が現れ、それは中心に向かって流れて大きな渦を作った。
消火のために放たれた水の魔法は、ついでとばかりに軽い魔物を巻き込んで渦の中に放り込んでいく。
「これなら狙いやすいわね!」
マナの魔法で渦の中心に集まった魔物はロームが放った石つぶての魔法に命を刈り取られる。
そんな攻防を続けてどれくらい経っただろうか。
突然空が暗くなった。
「ドラゴンが……帰って行く……?」
隣で呟いたロームの言葉通り、ドラゴンが月明かりを遮りながら何処かへ飛び去って行った。
ドラゴンがいなくなった事を魔物達も認識したのか、次第に逃げ惑う魔物は減り、北の壁は落ち着きを取り戻した。
「守った……守り切ったぞ……」
壁の上の誰かが呟くと、そこからどっと歓声があがり、唐突に始まった深夜の防衛戦が漸く終わりを迎えた事を悟った。
ロームの方を見ると、彼女はまだ考え事をしている様子だったが、俺の視線に気付いて微笑んだ。どうやらひとまずは勝利を喜んでいいらしい。
「ししょうー!」
飛びついて来たマナとミーシャを受け止め、俺たちは守り切った村を見て笑い合った。