テルシェ村
レゼルブに到着した日の翌日、朝日が昇る前に俺たちは街を出た。
山道に入ると木々が生い茂って薄暗い場所もあると聞いた。日が落ちる前に村に到着していたいものだ。
街を出てから平原を進み、山の麓辺りまで来ると途端に魔物の数が増える。
時刻は昼前。
早朝から歩き続けた俺たちは、ここで休憩をとる事にした。山を登り始めたら魔物の数はもっと増えるだろうというレイラの勘に従ったのだ。
周囲を氷の壁で覆い、半透明の部屋を作る。その中の安全地帯で外を警戒しながら昼食にした。今日は道を急ぐ理由で、宿の女将さんに予め頼んでおいたサンドイッチ弁当だ。
氷の壁の中で黙って食事を取る五人。
朝から静かな俺とアランを訝しむ様にレイラが視線を向けてくるが、お互い知らんぷりを続けている。
別に喧嘩したとかそういうわけではないと思うが、昨夜からなんとなく気まずい状況が続いている。まぁ意見の食い違いなんてよくある話だ。認めて貰う理由もなければ、わかりあう必要だってない。もともと俺は俺の旅をすると言ってあったんだし。
頭の中で言い訳がましく自分を正当化してると、無防備な俺たちに近付いてくる魔物がいた。
ゴブリンだ。
氷の壁を壊そうと、手にした棍棒を振り下ろしている。
壁はビクともしないが、懲りずに何度も叩いている。
あの瞳には知性のカケラもない。あいつはゴブ太じゃない。
俺は壁に手をつき、氷の形を変えて棘を作った。それはゴブリンの頭部を貫いて一撃で絶命させた。
「そろそろ行くか」
死骸を燃やしてから、俺たちは再び歩き出した。
魔力感知にはいくつもの気配が引っかかる。
その中で最も多いのが犬顔人型の魔物、コボルトだ。成人男性よりも大きな魔物で、奴らは俺たちを見つけると反射的に襲いかかって来る。
幸いにも魔法耐性が低い様で、氷の矢を一矢放てば簡単に倒せる。しかし数が多いのが面倒だ。
「さっきから戦ってるの貴方一人じゃない」
「戦闘音で魔物を寄せ付けてしまうのは悪手だろ? こちらに気付いた魔物だけを静かに倒す方がいい」
「それはわかるけど……」
「明日以降は討伐を目的に動くだろうから、その時まで力を温存しておいてくれ。今日の目的は日暮れ前に村に到着する事だ」
小声でそんな話をしながらひたすら山道を登る。
馬車も通れる道のため、傾斜がキツイというわけではないが、長時間坂道を登り続けるのはジリジリと体力が奪われる。
おまけに、感知している魔物の中からこちらを狙っている敵だけを選別して魔法を放つのは、意外と神経をすり減らす仕事だ。
「そろそろ休憩を挟むかい?」
アランの提案に振り向く。彼も口数が減っているが、必要な時は提案をしてくれる。
そして発言の理由を察してマナとミーシャを見た。この中で一番体力がないのは二人だ。
「マナは全然ヘーキだよ!」
「……わたしも」
俺の視線に元気よく返事した二人に頷き、前を向く。だが再び呼び止める声。
「違うよ、僕が心配してるのは君だ。君は今日一日中周囲の気配に気を配り続け、更には一撃で仕留める為に精度の高い魔法を頻繁に使用している。それがどれほど大変な事か……」
「心配してくれるのはありがたいけど、災禍の迷宮はここよりも過酷な筈だ。あそこを目指すならこんな所で音をあげてはいられない」
「……君がそう言うなら」
ふと視線を感じて振り向くと、ミーシャがもどかしそうな表情でこちらを見つめていた。
この子だけは災禍の迷宮の危険度を知っている。あの過酷な日々を思い出しているのだろうか。
夕暮れ時、ようやく村が見えてきた所で、付近で戦闘する気配を感じた。
目的地は目前だし、暗くなって迷う心配もなくなった。俺たちは戦闘に参加する事にした。
「森に追い込まれている! 囲まれる前に離脱しろ!」
よく通る女性の声が、仲間であろう五人の冒険者に命令している。彼女の言う通り、三体のサイクロプスが腕を振り回しながら冒険者達を村から遠ざけようとしている。自分達に村を襲うほどの戦力がない事を理解しての行動なら、意外と賢い魔物だ。
そして冒険者達が追いやられた先、森の奥からはフォレストウルフや蜂の魔物であるキラービーが近付いて来てる。
別種族の魔物でも連携をとるのか? それとも偶然か?
「はぁぁ!」
考えてる間にレイラが飛び出した。
森の中である為か炎は使っていないが、熱を持った刀身はサイクロプスの足を焼き切り体勢を崩させる。転倒した為に無防備な首が晒され、それが狙い通りとでも言う様に自然な剣捌きで首を落とした。
「君たちは!」
「助けに来ました!」
続いてアランも前に出て、サイクロプスの注意を引く。振り下ろされた拳を盾で受けると同時に、「バインド」と唱えた。
すると、盾から放たれた光の糸が巨人の拳に纏わりつき、アランが盾を引っ張る事でそのサイクロプスは転倒した。
「メテオ!」
前に出たマナが、倒れたサイクロプスの頭部に地属性中級魔法の隕石を落とす。見事な連携だ。
瞬く間に形勢を逆転させて行くが、森の奥からウルフなどの魔物が到着し、敵の数は一気に増える。俺も加わろうと右手を前に出すが、俺の腕を握った小さな手によって止められた。
「確かにあの迷宮はもっと大変な所だった。でも、リューもわたしも、今はもう一人じゃないんだよ」
道中の話の続きだろう。ミーシャはそう言い残して前に出た。その小さな背中を見て、昨夜アランに言われた事を思い出す。
かけられた言葉の優しさも、内容も全く違う。でも、二人が思う事はきっと同じだ。
一人で背負うな。もっと頼れ。
そう言われているみたいで、途端にミーシャの、仲間達の背中が力強く感じた。
彼女が手を掲げると、背負ったリュックから五つの棍棒が飛び出て、それは宙を縦横無尽に飛び回りながらウルフを一体ずつ潰していった。
残ったサイクロプスはレイラが、キラービーはマナの風魔法が屠る。そんな蹂躙が暫く続いて、襲撃されていた冒険者と俺が何も出来ないまま片付いた。
戦闘音を聞いて近付いて来ていた他の魔物も戦況の不利を悟ったのか、既に逃げ去っている。
仲間達の圧倒的な強さを目にして、肩が軽くなる気がした。
昨夜アランに指摘された通り、俺は無意識下で仲間を信じきれていないから頼ろうと考えなかったのだろう。癪だが認めざるを得ない。
でも、それを認められたなら、意識的に彼らを頼ってもいいのかもしれない。自然とそう思えた。
「助太刀に感謝する。君達のために周辺の魔物を鎮静化しようと思っての行動だったが、却って迷惑をかけてしまったな」
リーダーっぽい女性冒険者が丁寧に頭を下げる。
俺よりも身長が高く、白銀の鎧に包まれたその姿はまるで騎士のようだった。
「あ、あぁ。結果がどうであれ、気遣いには感謝する。ところで、俺たちの事は既に知っているようだけど、アンタがギルバートが言っていた副ギルドマスターか?」
「いや……申し遅れた。私はレミーネだ。副マスターは私の姉である、ロームが勤めている。今から案内しよう」
そうして俺たちは無事テルシェ村に到着した。
高い木の柵に囲われた村の中に入ると、想像よりも広い土地が広がっていた。
人口はそれほど多くないのか、土地の広さに反して家屋の数は少なく感じる。だが、その分畑は沢山あり、様々な草や果実が実っている。
少し歩くと畑が減り、代わりに建物が増えて来る。この辺りが村の中心なのだろうか。
レミーネはその内の一軒の扉を開き、俺たちに入るよう促した。
看板には『ロームの酒場』と書いてある。よく見かける文字なら読めるようになってきた。
「あらぁ? 意外と早かったのねぇ。うぅん……二人ともあと五年くらいすれば私好みの男に育つと思うんだけどぉ」
俺たちを出迎えたのはカウンターに突っ伏していた女性だ。
真っ赤な顔で酒臭く、明らかに酔っ払っている。
「姉さん……頼むからちゃんとしてくれ。ガイスト殿が使わしてくれた特級冒険者だぞ。私たちは先ほど彼らに助けられたのだ。恩人に対して礼節に欠ける言動は慎んでくれ」
レミーネの姉さんという事は、あの酔っ払いがロームで間違いないだろう。
あのダメ人間っぷりはミスティナを想起させる。いや、ミスティナの方が幾分かマシにすら思える。
「だってぇ、こんな危ない所で冒険者を纏めろなんて、そんな滅茶苦茶なこと言われちゃあ真面目に仕事なんてやってらんないでしょー? ギルは大変な事をなんでも私に押し付けるんだからー」
この酒場は七十席程度あり、今はその半分近くが冒険者で埋まっている。
命をかけてここを守ろうとしている冒険者達の前で、とんでもない発言をする女だ。
「はぁ……すまないな。酔っ払ってるあの人の事は雑音を発する魔道具だと思ってくれて構わない。まったく、こんな時に酒ばかり飲んで、危機感が足りない人だ」
「ちょっとぉ!? 聞こえてるんですけど! レミィちゃんは真面目過ぎるのよ! そんなんだからいい歳して恋人が一人もいないのよ?」
「なっ!? それは今関係ないだろう! そもそも恋人が複数人いる事が常識みたいな言い方をする姉さんは不純だ! もっと慎みを――」
「帰っていいか?」
思わず素で呟いた言葉が、二人の言い合いを止めた。
「す、すまなかった。はぁ、いい時間だし、詫びにご馳走させてくれ。この店は姉さんが経営してるのだが、料理だけは格別に美味いのだ。好きな物を注文してくれ」
ロームから離れた席に移動する俺たちを、あの酔っ払いは呼び止めた。
「将来が楽しみなお二人さぁん。どっちか一人でいいから、晩酌に付き合ってよぉ」
中指を立てる事を返事にしようと思ったが、あんなのでも副ギルドマスターであり、この店の経営者でもある。俺は立ち止まった。
貴重な情報が聞けるかもしれない。
そして未だ気まずいままの仲間を見つめてほくそ笑む。
いつまでもパーティの雰囲気が悪いのは良くないからな。
「…………え?」
俺に背中を押された美男子は狼狽した。
「お前の言う通り俺はなんでも一人で背負おうとしていたのかもしれない。だから頼らせて貰うよ。行ってこい、アラン」
その言葉を聞き終えたアランは絶望した様な顔で。
「あらぁ、新星ちゃんが相手してくれるのぉ? お姉さん嬉しいわぁ」
「り、リュートっ! 君って人は……!」
断末魔の声を背に、俺たちは席を移動した。
そんなやりとりを横で見ていたレイラは薄く微笑んで、
「少しはマシな顔になったわね」
と呟いた。
席に座ると周囲の冒険者達がチラチラとこちらを見てくるが、皆んな疲れているのか、割と静かにしている。
まずは適当に注文を済ませて状況を確認することにした。
「魔物の異常発生に気付いたのは十日ほど前だ。平原にホーンブルを討伐しに行った冒険者が、レッドグリズリーの襲撃に遭って死亡した事件が始まりだった。山奥から滅多に出てこない魔物が何故平原に現れたのか。冒険者の間で様々な憶測が飛び交う中、近頃魔物が増えたという話が浮上し、それに同意する者が多数いたのだ。そこから調査団が組まれ、異常発生の報告が多いこの山に派遣されたんだ」
ふと視線を感じて振り向くと、アランが恨めしそうな顔でこちらを見ていた。ロームに無理やり酒を飲まされているようだ。俺はウィンクで「ガンバ」と伝えてから、運ばれて来た料理に手をつける。
香草に漬けて焼かれた鶏肉や、新鮮な野菜のサラダなど、味も栄養も満点の料理の数々。
「ギルバートや姉さんの予想は、高ランクの魔物が山頂付近で縄張り争いでもしているのでは、というものだ。苛烈な争いに巻き込まれないように、その他の魔物は山から避難している。そう考えれば周辺の魔物の増加も説明がつく」
「もしその予想が正しかったら、縄張り争いが終わればこの事態は収束するのか?」
「そうだな、山から降りて来る魔物は減るだろうから、収束に向かう筈だ。ついでに争いに負けた方も降りてくるだろうから、それは討伐する必要があるだろう。しかしこれはあくまで予想である為、調査結果が出るまで信じ込まないでくれ。とりあえず今は、村近辺の魔物討伐をお願いしたい」
「やっとまともな依頼ね。腕が鳴るわ」
昨日やった護衛もまともな依頼でしょうが……と思ったが、張り切るレイラに水をさすのはやめておいた。
なんにせよ明日からだ。
食事を終えた俺たちは早々に酒場を出る。
どうやら昨日ギルバートから連絡があった時点で、宿を予約しておいてくれたらしい。
レミーネの案内で酒場の隣の家屋に入り、二階のニ部屋を使うよう言われた。
「なんか忘れてる気がするな」
「後で刺されても知らないわよ」
女子三人と別れて、俺は一人部屋で寛ぐ。
民家のような宿で少し手狭だが、清潔感はあるのでこういうのも悪くない。
シャワーは部屋の外にある共用のものを使い、そろそろ寝ようかとベッドにダイブした所でドアが開いた。
「…………」
くたびれた顔でこちらを見つめるのはアランだった。いやまぁ、本当に忘れていたわけじゃないけどね。
「や、やぁ。美人のお姉さんと晩酌なんて、羨ましいじゃないか。ワッハッハ」
「本当にそう思うなら君がロームさんに付き合えばよかったんじゃないかな?」
ぐっ……反論できない。
でもまぁ、こうして軽口を言い合えるくらいにはなった。
「そ、それで、貴重な話でも聞けたか?」
「君が聞きたいのはあの人のスリーサイズかい? それとも性癖の話?」
うわぁ……あのダメ人間若いイケメンに何話してるんだよ。本当にロクでなしだな。
アランは光を失った瞳をしているし、余程くだらない時間だったのだろう。
「わ、悪かったよ。ほら、この前の残り物だけど、クッキー食うか?」
俺の顔と差し出した袋を交互に見比べてから、アランはため息を吐きながら袋を受け取った。ふっ、ちょろいな。
「ロームさんは優秀な地属性精霊魔法の使い手らしいよ。それで村の北側……僕らが入って来たのとは逆側だね。そっちの方に強固な石の壁を築いているらしい。明日からは南側にも着手するそうだけど、多分一番重要なのは北側の守りだと言っていたよ」
よかった。どうやら真面目な話も聞いてきたらしい。
壁なら俺がつくってもいいけど、やりかけの仕事を引き継ぐより、最後まで任せた方がいいかもしれない。
北側の守りが重要なのは、そっちが山頂方面だからだろう。
山から降りて来る魔物に村を襲わせない為に防衛を強化してるんだな。
「村の防衛は今いる冒険者達が行い、周辺の脅威となる魔物は僕たちが殲滅する。彼女はそうするのがベストだと言っていたよ」
「りょーかい、まぁ明日からだな」
「そうだね、今日はおやすみ。ゆっくり休んでよ」
ベッドに寝そべり毛布をかぶる。そこから椅子に座ってクッキーを頬張るアランを見て、昨夜とはポジションが逆だな、なんて思う。
「……俺はさ、人ってそんな簡単に変われないと思うんだ。十五年も生きていれば大切なものの優先順位だって固まっちゃってるし、好きなもの嫌いなものも決まってて、怖いものはどうしようもなく怖く感じてしまう」
お菓子を食べる手を止めてアランは耳を傾けている。
「だから考え方ややり方はそんなすぐには矯正出来ない……けど、まぁ、これからはお前達に知恵や力を借りる事が増える、っていうか、まぁ、少しは頼らせて貰おうかなと思いました。まる」
喋りながら気恥ずかしくなり、いい加減に終わらせた言葉をアランはちゃんと聞いてくれて、
「じゃあ僕らは少しでは済まないくらい沢山頼ってもらえる様に、自らを磨き続けなければね」
と微笑んだ。
あまりにも眩しい笑顔だったので、そのイケメンスマイルに舌打ちしてから眠りについた。