深雪の魔術師
『リュート、指先に、軽く炎を出してくれ』
『いま使ってる魔力を、身体の内側に回すんだ。筋肉、内臓、骨の内側まで硬くするイメージだ』
記憶の中のゴブ太が俺に語りかけてくる。
俺が魔法を使えるようになってすぐの頃の記憶だ。
『身体がアツいか? それが身体強化だ。骨が軋む? む、無理をするな。多分今こめている魔力が、リュートの身体の限界値だ』
そうだ、自分が今までやっていた身体強化が、ゴブ太のものと違う事に気が付いたのはこの時だった。
『リュート、魔力が無い世界から来た。だから、身体が魔力による強化に、慣れていない、と思う。だからお前は、あまり魔力を使わずに、身体強化を、行うといい。少しずつ、慣らしていけ』
確か、魔法使いが鉄の剣に思いっきり魔力を込めると、それは簡単に砕け散るという例え話をゴブ太はしてくれたっけ。
それは鉄という素材が、大きな魔力を受け入れる器がないからだと言っていた。
それと同じように、魔力に慣れていない俺の身体を思いっきり強化した場合、爆散する可能性があるなんて言われた。
それが恐ろしくて、身体強化のレベルはあの日から変えていない。
『今、リュートは魔力を纏っているんだろ? 自分の外側の空気を硬くして、身を守っている。剣士の間では、それを闘気と呼ぶらしいが、それも重要な事だ。でも、いつか身体強化も、最大出力で出来るようになれ。そしたら、お前は全てにおいて、オデを上回る』
自分の外側を強化するのではなく、内側を強化するのが身体強化なのだ。
これが出来なければ成長は無い。
両手に持った氷剣の形を変える。やはり俺の剣は素人だ。力の伝え方がわからない。レイラみたいに剣を自分の一部として扱えるようになるには、長い歳月の鍛錬が必要なのだろう。
だから俺は今、原点に戻る。
ゴブ太はいつも土のグローブをつけていたが、俺はもっとスタイリッシュな氷の籠手にする。その方が動かしやすいからだ。
胸の前に迫った大剣を見ながら身体強化の出力を上げる。
少なくとも、彼女のスピードとパワーに追いつかなければ意味が無い。
ミシリ、と嫌な音が聞こえた気がするけど、きっと幻聴だ。
「がぁぁあぁ!」
身体が熱い。
筋繊維が破断と再生を繰り返しているみたいに痛み出す。
出力を誤ったか、と思ったが、調整をしている時間は残されていない。
湧き上がる力をそのままに、左の拳で大剣を弾く。
軌道が逸らされた剣は壁に刺さり、レイラの動きが一瞬止まる。
姿勢を落として一歩踏み込む。
前に体重移動しながら腰を捻り、身体の力を右肩、右腕へと移動させ、渾身の力を乗せた拳でレイラの腹部を打ち抜いた。
「ごふっ!?」
彼女の吐いた血が氷の地面を赤く染める。
これでおあいこだな。
訓練場の端から端まで吹き飛んだレイラだが、離さず握っていた大剣を地面に刺して体勢を立て直し、獲物を狩る獣みたいに愚直に接近してくる。
迎え撃とうとこちらも構えるが、心臓がドクンと音を立て、それに伴い身体中の血液が沸騰するように熱くなる。
「血が、滾る!」
つい厨二病みたいな発言をしてしまった――なんて冗談を言ってる場合ではない。腹の中で何かが弾けそうだ。戦いが長引いたらまずいぞ。
短期で決着をつけるために俺も前に跳ぶ。
目標を捕捉した大剣が振り下ろされるが、今の力なら弾き返せる。
拳で刃を殴り、インパクトの瞬間に風魔法を放つ。それによって大剣と一緒に追撃してきた炎を吹き飛ばす。
いくら馬鹿力のレイラでも弾かれた大剣を再び振るうには僅かに時間がかかる。
この隙にレイラを攻撃しようと試みるが――
「くっ!」
生まれた隙を埋めるように牽制の蹴りが放たれる。炎を纏った脚は尋常ではない威力で、防いだ右拳がジンと痛む。
そして戻ってきた大剣が再び俺を切断しようとするから、今度は左拳を痛めながら防ぐしかない。
剣と拳、それから脚の応酬が暫く続いた。
やり取りの中でレイラはどんどん速くなっている。
だが、戦いの中で成長するのは彼女だけじゃない。
痛みにも慣れ、速度にも対応出来るようになっていき、周囲の音や気配が消え去る。
集中力が極限まで高まり、目の前の少女の動きを先読みすら出来るようだ。
俗に言うゾーンってやつだろうか。これ程までに集中力を発揮したのは生まれて初めてだ。
余裕が生まれたなら魔力の操作が可能だ。
地面についたままの足から魔力を流し、氷の地面を変形させる。
それは慣れ親しんだ棘の形でレイラの足元から飛び出し、彼女は後ろに跳んだ。
それは俺の予想通りの動きだ。だから着地地点にも既に準備はしてある。
彼女が地面に足をつく瞬間、その部分が飛び上がる。それは氷の柱が天に向かって伸びるようだった。
空中に打ち上げられたレイラの無防備な身体を狙う。
普段より太く作り上げた氷の棘を無数に生み出し、彼女の頭上、背後、脇下、股の間と、とにかく一切の身動きが取れないように身体ギリギリの場所に氷棘を放った。
動けないながらも抜け出そうと必死で、右手首だけで大剣を振り回そうとしている。もう手詰まりだと言うのに、闘志を失ってはいないようだ。
仕方なく背後の氷棘から氷の輪を作り、レイラの首を締め上げた。
苦しむ仲間の顔を見るのは辛いが、正気を取り戻させるためだ。
やがて意識を失ったレイラは右手の剣を落とした。
静かな訓練場にガツンと重い物が落ちる音が響いた。
それを皮切りに、観客席からドッと歓声が湧き上がる。
俺は氷棘に触れて、この訓練場にある全ての氷を魔力操作を用いて粉砕した。
雪の結晶より細かく砕かれた氷は、光を反射してキラキラと舞い落ちる。
支えを失った事によって落ちてきたレイラの身体をキャッチした所で、ガイストが歩いて来た。
「……マックス、お前の娘は強くなるぜ」
レイラの剣を拾って寂しそうに呟くガイスト。
彼の後ろから、戦闘中に結界魔法を使った白い少女が歩いて来た。
「こちらへ」
彼女は俺を呼んでから踵を返した。
医務室にでも案内してくれるのだろうか。
レイラを抱えたまま白い少女について行くと、俺が初日に寝かされていた応接室みたいな部屋に連れてこられた。
ガイストも後ろからついて来ている。
「医務室は?」
「二人とも大した怪我じゃないでしょう。その子もすぐ起きるでしょうからその辺に転がしておきなさい」
酷い事言う子供だな。
レイラをソファに寝かし、その隣に俺も腰掛ける。
正面にガイストと白髪の少女が座った。
「それで、シフティはコイツに何の用があるんだ?」
俺より先にガイストが質問をした。
白髪の少女はシフティという名前らしく、ガイストも用件を知らないようだ。
「フィオナに頼まれたの。ガイストが特級冒険者に仕立て上げた子どもがどんな人物なのか見て来い、と」
ガイストは僅かに顔を顰めた。やはりフィオナの事をあまりよく思っていないのか。
「お前がアイツの言う事を素直に聞くとはな。どんな心境の変化だ?」
「素直に聞く? どうしてそう思ったのでしょうか」
背筋が凍る様な笑みを浮かべたシフティは、次の瞬間、俺の首筋に長剣を触れさせていた。
俺が作るよりも頑丈で冷たく、精巧な細工まで施されている美しい氷の剣だった。
「私があの女に不満を抱いているのは貴方だって知っているでしょう? ならばあの女が特別視しているこの少年を殺す事で、あの女の動揺を誘えるかもしれない。もしかしたら計画の一つが破綻するかもしれません。その時あの女がどんな表情をするのか、楽しみで仕方ありませんね」
その時、室内の空気が変わった。
ガイストが放つ怒気で、押し潰されそうな程の重さを感じた。
「冗談も大概にしておけよ、シフティ」
ガイストはレイラの大剣を右手で軽々と持ち、シフティの首に突きつけていた。
「かつての仲間に酷い事をしますね。ところで、リュートさん。貴方は戸惑いの一つも見せてくれないのですね?」
いきなり剣を突きつけられてビックリしたけど、危機感知は反応しなかったからな。それに――
「本当に俺を殺す気なら、ガイストがいない所でやるだろ」
そんな当然の事、ガイストもわかっているだろう。だが、わかっていてもシフティに突きつけた剣は下ろさない。彼はシフティの行動に怒っているんだ。
真面目と言うか、真っ直ぐで良い奴だよな、ガイストは。
「はぁ、貴方たちが既に信頼関係にあったとは思いませんでした。武器を向けた事は謝罪します。さぁ、私の事は気にせずお二人は話すべき事を話して下さい」
シフティは氷の剣を消滅させて両手をあげた。降参のポーズだ。それを確認したガイストも剣を下ろす。
そういえば元々ガイストから話があるって言われたから来たんだよな。
その話をするなら他の仲間も呼んでこないとだけど……。
この白髪の子供はいつまでここにいるんだ?
「……シフティ、お前本当に何しに来たんだ? 邪魔だから帰ってくれ」
ガイストも同じ事を思ったのだろう、かつての仲間に冷たい言葉を放つ。
「私の戯れのせいでここまで信頼を失ってしまうとは、失敗ですね。それともフィオナの名前が貴方を警戒させているのでしょうか? どちらにせよ、疎まれているのなら立ち去るしかありませんね……。ですが、最後に好感度を上げておくとしましょう。リュートさん、さっきから私の言動に集中して情報を掴もうとしているようですが……そんな事をしなくても質問の一つくらいは答えて差し上げます。なんでも仰って下さい」
何を考えているかわからない奴だが、コイツがただの子供じゃないのは明らかだ。
ガイストの昔の仲間って事は、見た目以上の年齢である可能性が高い。
そして、先程見せた精巧な氷の剣、フィオナと繋がりがあるという事実。
どんな質問でも答えられる知識量がありそうだ。
ならば一番聞くべき事を――
「レイラの中には何がいるんだ? さっき戦ってみて思ったけど、最後のアレは理性を失っただけじゃない。これは勘違いかもしれないけど、コイツの中にある別の意思が暴走したみたいな、そんな感じだったんだ。もしかしてあの化物を追い出せればレイラは自分の力に苦しまなくてすむんじゃないのか?」
自分の口から出て来た言葉に、俺は自分で驚いていた。貴重な質問権を他人の為に使った事に。
だけどこれでいいのかもしれない。
聞きたい事は色々あったけど、一番大事なのは仲間が苦しまなくて済む事だ。それを解決出来るなら質問権の一つや二つ使うべき。
だけどシフティは俺の質問を聞いて吹き出した。
「プッ、フフ……アハハハ。面白い冗談ですね。貴方がそれを仰いますか。ですが考えている事はわかりますよ。さて、ユーモラスな質問にはユーモアをもって回答すべきでしょうか……」
何を笑ってるんだ?
冗談なんて言った覚えはないし、笑える様な軽い問題でもないだろう。
昨日、『孤独のレイラ』と揶揄された彼女は辛そうだった。コントロール出来ない自分の力を本気でどうにかしたいと思っているようだった。
人が真剣に悩んでる事を笑うような奴とは話したくない。
「もういい、帰れ」
俺がそう言うと、シフティは心底驚いた様に目を見開いて立ち上がった。
俺の真面目な目を見て、信じられないものを見たかのように狼狽している。
あまりの驚き様に、俺の方が戸惑ってしまう。
「冗談ではないと……そう仰るの? まさか……まさか貴方は、何も知らずに……!? フィオナ、どういう事よ、これでは前提から違って――」
なんの事だ? どうしてフィオナの話が出てくる? フィオナに話したことと言えば――
チラリとガイストを見る。彼は何一つわかっていない様子だ。単語の一つや二つ聞かれても問題無いだろう。
「フィオナにはマギアテイカーだと伝えた筈だけど、それ以外に何かあるのか?」
その言葉で全てを理解したとでも言うように、シフティはソファにストンと腰を下ろして静かになった。
暫く放心していた彼女は伏目がちに謝罪した。
「お気を悪くさせたのなら申し訳ありません。私は貴方がここまで無知で、純粋で、心優しいとは思いませんでした。償いをさせて下さい」
そう言って右手を差し出したシフティ。
何を言ってるのか、彼女が何を理解したのか、俺には何もわからない。
しかし誠意のこもった謝罪は受け取ろう。
右手を差し出すと、シフティはその手を掴む。
直後、膨大な魔力が伝わって来て、俺の右手――肘から指先までが氷塊で覆われてしまった。
「おいシフティ! てめぇ何を――」
怒鳴るガイストの言葉を、シフティの落ち着いた声が遮った。
「この氷は解けませんし、生半可な攻撃では破壊も出来ません。今の貴方では魔力操作で形を変える事も不可能でしょう。ですが鍛練を積めばいつかこの氷を貴方自身が生み出し、使いこなす事も出来る筈です。貴方が自覚している通り、それが出来るだけの力が備わっているのですから」
凍り付いた右手を動かし、魔力を込めてみる。だが何をしてもびくともしない。今の俺ではどうにも出来ない頑強な氷のようだ。幸いにも、冷たさや痛みを感じない為、急いで対処する必要は無い。もちろん、ギプスで固定された様な右手を不便に思わないなら、という前提はつくのだけれど。
「強くなりなさい、哀れな少年」
シフティはそれだけ言い残して部屋から出て行った。
結局何一つ答えてもらっていないし、それどころか疑問は増えた。
だけど、ひとまずこの氷を自分のものに出来るように修行を続けるとしよう。
シフティの俺を憐れむ様な視線を思い出して決意する。
強くなる事でしか解決出来ない事ならば、愚直に鍛錬を積むしか無いのだ。