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巻き込まれただけの高校生、冒険者になる  作者: 木下美月
第八章 英雄になれ

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幕間 誰も知らない滅びの記憶

 


 ――――どこで間違えた。


 荒野を駆けながら、自問を繰り返す。



 あの日。或る冒険者達が城へ来た時――俺達は星見の予言者が見た未来を知った。

 その日から俺は人を使って周辺国に協力を仰ぎ、戦力を確保し、決戦当日には自ら戦場に赴き指揮をとった。


 打てる手は全て打った。

 俺の先祖を恨んでいるだろうフィオナ・ローズヴェルトにすら協力を要請した。

 これ以上ない程の備えをして、迎えた当日。




 俺達は敗北した。




 世界は闇に包まれ、空には暗黒の太陽が浮かぶ。

 そこから際限なく産み出される黒い生物は、人や獣の形を作り、全ての生命を襲う。

 個々の強さはさることながら、無限に産み出される故に数が多い事に加えて――奴らは死者の肉体すら操作する。それが絶望的に戦況を悪化させた。



「い、イヤだ……死にたくない……へ、陛下! お助けを――うわぁあぁあ!」


 聞くに耐えない悲鳴が耳に残り、戦場に充満する血の匂いに咽せそうになる。

 それでも走り続け、しかし三日三晩戦い続けた肉体は根を上げて足をもつれさせる。


 べちゃ、とイヤな音がした。

 両手を地面について身体を起こせば、血で柔らかくなった泥に上半身を打ち付けていた。


 血と泥に塗れた身体を起こし、再度問い直す。


 どこで間違えた。




「……なんて、惨いの」


 指示していないのに、皇帝の影エルドラが現れる。


「……どうやら私達はここまでみたい」


 エルドラの隣に現れたのは、最も幼い皇帝の影、シャロ。


 シャロの言いたい事はわかる。

 既に俺たちは黒い生物や動く死体に包囲されつつある。

 逃亡するには奴らをどうにかするしかない。

 いや、もう、逃亡したとしても――


「ごめんね、アル。貴方にばかり辛い思いをさせて……でもね、私は信じてる。貴方さえ生きていれば、またやり直せるって。だから――生きて」


 ――また、それか。


 皆が俺に生きろと言う。

 希望を押し付け死に向かう。


「お前まで……そう言うのか」


「私だって生きて貴方を守りたいけど……あの子をあのままにはしておけないし、逃がしてもくれないでしょうし」


 鎖が擦れる音がした。

 直後――目にも止まらぬ早さで迫った鎌を、エルドラの剣が弾く。

 その鎖鎌の持ち主は、最期の瞬間まで俺達を守ってくれたフラムだ。

 但し彼女にかつての様な明るさはなく、頭の一部が弾け飛び、そこから脳髄を流しながら動いている。


 死して尚、動き続ける。

 死者を増やす為に。

 生前の強さを持ったまま、殺戮を続ける。


「何が、大いなる意思だ……」


 文献に載っていたのは、ソレは世界の均衡を保つ為の存在だという事。

 安寧を脅やかす存在が現れれば力を振るい、粛清するという事。

 文献を信じるならば、ソレは俺達を守る超常的存在だ。


 しかし目の前で死神を産み続けるあの黒い太陽はどうだ。

 まるで、自らが定めたルールを見失い、盲信的に粛清を続ける異常者だ。




「――天剣よ、我が主の為に道を斬り拓け!」


 エルドラが光の剣を振り下ろすと、後方の敵は消滅した。


「テティ。兄様を連れてって。出来るだけ遠くに」


 シャロが片手に抱えたクマのぬいぐるみに話し掛けると、テティと呼ばれたソレは巨大化し、生物の様に動き出す。

 テティは柔らかい腕で俺を抱えて走り出す。


「エルドラ! シャロ!」


 遠くなっていく二人に手を伸ばす。


「兄様……必ず生きて、私達の国を蘇らせて下さい」


 戦いの音が遠ざかって行く。

 今まで俺を守り続けてくれた者達が、常人を超えた戦いを繰り広げる激しい音が。




 誰もが俺に期待する。

 兵は指揮をとる俺の姿を見て勝利を確信したし、配下は絶対的な信頼を持って俺に従い続けた。


 しかし俺は、民を、配下を、家族を、裏切り続けた。

 敗走している今だって、これからどうするべきかわからずにいる。

 本来であればこの荒野に留めるつもりだった黒い生物だが、既に防壁を破壊し、世界中に散ってしまった。

 この地から離れたとしても、街に入れば死者が徘徊し、生者を襲い続けているだろう。



「俺は、どうすればいい――」


 声に出した所で、答える者はいない。

 俺の影は、皇帝の座に着いてから初めて空っぽになった。


 何も出来ない中で、何かをしなければ正常でいられない。

 故に思考を巡らせ続ける――が、それすらも中断させられた。


 硬い衝撃。

 回る視界。

 起き上がり、地面に投げ出されたと理解した。

 俺を運んでいたテティの姿を探し――


「――シャロ」


 地面に転がるクマのぬいぐるみを見つける。

 それは、さっきまでの様に走りはしない、ただの小さなぬいぐるみ。

 シャロの呪術が解ける条件は二つ。

 シャロ本人が望むか、或いはシャロが絶命するか。


「――――俺は、どうすれば」


 多くの者に救われ、この時まで繋がれた命。その使い方がわからない。

 俺が皆の様な戦士だったならば剣を持って戦おう。しかし俺に期待されたものはそこにない。



「わたしはどうすれば――」



 声が聞こえた。

 それは今では数少ない生者の声だ。

 その者はこの絶望的な状況で地に這い蹲り、それでも何かを為そうとし、何を為せばいいのかわからずにいる――今の俺とよく似た者だ。


 その少女の側に、精巧な装飾が施された砂時計が転がっているのを発見した。

 その砂時計からは、不思議な力を感じる。


「貴様、これが何かわかるか?」


 精神干渉の黒魔法を声に乗せて問い掛ける。

 少女は軽い洗脳状態に陥り、疑問を挟む事なく俺の質問に淡々と答える。


「時繰の砂時計。時間が止まった夢境に転移出来る」


「――! 今すぐに使え、余と貴様を転移させろ!」


 砂時計を渡すと、少女はそれをひっくり返して魔力を込める。

 瞬間――血に塗れ闇に染まった世界から一転、青空が広がる美しい花畑に転移した。


「これで、一先ずは安全か」


 ここには敵がいない。いつまでもここにいるわけにはいかないが、作戦を立てるには丁度いい。

 だがその前に。

 俺はこの少女の正体に気付いた。


「貴様、空間魔法を扱う少女、ミーシャだな?」


 冒険者パーティ『泡沫の夢』の名が広まった時、そのメンバーに奇妙な魔法を使う獣人がいると噂が立った。詳細を聞いた帝国の魔術研究所は、それが空間魔法だと予想して目を付けていた。

 ただ、研究所が声を掛ける前にフィオナ・ローズヴェルトに連れられて失踪した為、接触する機会は無かったが……こんな所で出会うとは。


「少し違う。わたしの本当の固有魔法は時空魔法」


 確認の為にした些細な質問に訂正があり――その内容に驚愕した。


「時空、だと?」


 それは世の理を捻じ曲げる強力な魔法であり、使用すれば大いなる意思……いや、あの愚者に粛清される危険な魔法。

 そうか、だからフィオナ・ローズヴェルトはこの少女を連れて行ったのか。


「……貴様、過去に戻る力を有してはいないか?」


「わからない。リュドミラは出来たって聞いたけど」


 ならば、不可能ではない。

 ……いや、ここは冷静になるべきだ。

 過去に戻るにしても、どれ程前に飛べるかは未知数であり、戻った先でどうすべきかも定まっていない。


「……ところで、フィオナ・ローズヴェルトはどうなった」


 奴には愚者を相手にして貰いたかったが、邪魔が入ったのを覚えている。

 それは邪神リュドミラ。

 奴は自身も愚者の敵である事を理解しておきながら、愚者と共に俺達を滅ぼそうとした。

 度し難い程の馬鹿だ。

 リュドミラはどうやら、自身の命よりも復讐が大切らしい。俺達が死ぬなら結末はどうでもいいのだろう。


「フィオナはリュドミラと一緒に虚無に堕ちた。でもフィオナ一人じゃない。シフティが手伝って漸くリュドミラを道連れに出来た」


「……奴はそれ程までに強くなってしまったのか」


 三百年前はフィオナ・ローズヴェルト一人でリュドミラに勝利したが、今回はそうはいかなかった様だ。


「ならば他に黒い太陽をどうにか出来る者が必要か……そもそもあれは滅ぼせる類の物なのか? どうすればアレを止められる……俺は一体……どうすれば……」




「――リューがいたら」



 ポツリと呟かれた願望。

 普段であれば聞き流す様な戯言だが、そう出来ない理由があった。


「……洗脳状態にある貴様が、余の指示無く口を開くとは……それは盲信か? 執念か? 或いは――本当にその者がいれば救われたと?」


「うん、リューがいればわたし達は勝てた。だってリューは――わたしの英雄だから」



 ――所詮、この少女が過大評価しているだけだろう。

 世界を知らぬ子供が自らを救った者を英雄と呼ぶのは、よくある話だ。


 ……そう思いつつも、俺は『リュー』という少年が気になってしまった。

 冒険者パーティ『泡沫の夢』リーダー、リュート。

 同パーティのレイラ・アークロッドと、たった二人で暴風竜を討伐した事で爆発的に名を上げた冒険者だ。


 ただ、言ってしまえばそれだけの人間だ。

 いつの世にも力を持つ者は存在し、何かを為して来た。だと言うのにリュートはここにいない。期待外れもいい所だ。


「冒険者ギルドにも協力を要請したと言うのにここにいないなら、貴様の英雄はその程度の男だ」


 戦いから逃げたのか、或いはどこかで野垂れ死んだのかは知らぬが、いない者に期待しても無意味だ。


 吐き捨てる俺に、小さな手が伸びる。

 その手は俺の服を掴み、少女は睨む。


「違う……! わたしが、ちゃんとしてれば、リューはこの世界に戻って来れた……!」


 洗脳状態にありながらも強い意志で俺に抵抗する少女には素直に感心した。

 それと同時に、疑問が湧き上がる。


「その言い方だと、まるで異なる世界が存在し、リュートはその世界に滞在しているのだと聞こえるが、事実はどうだ?」




 そして俺は全てを聞いた――。

 リュートが異世界からやって来た事、帰る為に災禍の迷宮を目指していた事、巫術の使い手である事、リュドミラの依代となっていた事、今は解放されたが元の世界から戻れずにいる事。



「それ程の秘密を隠していたとはな……。だが、なるほど……リュドミラと一つになっていたという事は、アレと同等の力を秘めているのか……」


 当然、リュドミラと全く同じとはいかぬだろう。

 力を持っていても扱えなければ意味がない。

 ――それでも、期待してしまう。

 この戦いで足りなかったピースは、リュートなのではないか、と。



「……いや、仮にリュートが役に立たなくとも問題無い。余が全てを覚えている。悲鳴も慟哭も、暗闇も絶望も――」


 配下が、民が、俺に期待している。

 あの絶望に打ち勝てると信じている。

 しかし俺は敗北した。

 皆を苦しめ、その命を浪費した。


 俺にはその罪を背負い、やり直す責任がある。



「――時空を司る偉大なる神よ。閉ざされた明日を塗り替える為、ご助力下さい」


 俺はミーシャの前に跪き、黒魔法の出力を上げる。

 しかしあまりにも突飛な言葉である為、ミーシャは俺の言葉を信じ切れず混乱する。

 流石に洗脳で自身を神と偽る事は不可能か。

 ならば――精神を塗り替える。


 俺は禁忌に手を出した。

 魂に刻まれた力を代償に、人知を超えた魔法を発動する。

 それは対象の思考、精神、価値観を塗り替え、別人を生み出す魔法。いつか使うかもしれないと思って磨き上げた一世一代の魔法を、今使う――。


「神に頼るしか方法が残されていない……それ程までに切迫しているのですね」


 生み出したのは、自らを神と認識する人格だ。

 当然、自意識だけで新たな力を手に入れる事は出来ない。

 しかし既に持っている力を最大限利用するには、自意識から変わらなければならない。


「俺の魂だけでいい、過去に……出来る限り遠い過去に戻して欲しい。今度は――今度こそは勝利して見せる」


 半ば己を奮い立たせる言葉になってしまうも、目の前の存在は願いを聞き入れた。


「ならば抗いなさい、滅びを知る者よ。そしてどうか――」


 膨大な力が溢れ出す。

 光が、風が、景色が、世界が渦を巻くように回り出す。

 力に耐え切れなかったミーシャの肉体はボロボロと崩れ始め、しかし少女はそれを気にも止めず、失われゆく命すらも魔力に変換して魔法を行使する。


 そして、絶命の瞬間に言葉を紡いだ。


「――リューと共にこの世界を救って」


 精神を塗り替えられていても、彼女が頼る存在は変わらないのか。


「無論だ。貴様の英雄をこの世界の英雄に祭り上げてでも、余はこの世界を救ってみせる――」


 俺の言葉が気に入らなかったのか、ミーシャは呆れた様に笑った。

 その「わかってないな」とでも言いたげな笑みを最後に、景色は移り変わり――






 ――目まぐるしく回り続けた世界がピタリと止まった時、あまりの気持ち悪さに堪らず嘔吐した。



「陛下――っ! 直ちに医者を――」



 否、吐き出したのは夥しい量の血液であり、見慣れた執務室の机は赤く染まる。


「かはっ、よせ……グランツ。もんだい、ない」


 内臓を抉り取られた様な苦痛と喪失感は、俺の魂に刻まれた力が失われたせいか。


 顔を上げると、そこには皇帝の影が六人――全員が現れていた。


「え、えっと、急に魔力の流れが乱れて、影から追い出されて……。陛下、一体何が?」


 フラムが不安そうな表情で尋ねる。

 時を戻る前に見たフラムの残酷な姿を一瞬思い出すが、絶望を引き摺っている暇は無い。


「今はいつだ……グランツ、シャミスタの街付近でフィオナ・ローズヴェルトが戦った記録はあるか?」


 あの時よりも前に戻れたなら、リュートを引き留める事が出来る。


「……? ご存知でしたか。丁度本日の日暮れ頃に争いがあった様で、今その報告をしに参った次第です」


 グランツは困惑しながらも俺の質問に答える。


「そうか……目論見は外れたが……いや、十分か。後は俺の役目だ」


 俺は立ち上がり、この場にいる七人に言う。


「五ヶ月後、最果ての荒野に厄災が降り立つ。余は今からその対策を始める――お前達は何も聞かずに余に従え」



「――仰せのままに」


 跪く配下達を見て、俺は決意を固める。

 今度こそは守り抜く。

 例えどれだけ犠牲が出ても、あの愚者を殺し、国を守ってみせると。











『珍しい相手からの連絡だと思ったら、随分と一方的な要求だな。それに、何故君がリュートの事情を知っている?』


 配下達に今後の方針を話した後、直ぐにフィオナ・ローズヴェルトに連絡した。

 案の定疑念を向けてくるが、俺が無意味な事をしないと彼女は知っている。故にフィオナ・ローズヴェルトを動かすのは容易い。


『……まぁいい、君の助言通りリュートには双頭竜の魔石を持たせよう。機会はある筈だ』


「それでいい。……必ずだ。必ずリュートを連れ戻せ」




 フィオナ・ローズヴェルトに指示を出せばリュートの件は充分だろう。後はミーシャが上手くやる筈だ。


 それから、俺は自分の仕事を可能な限り配下に任せ、厄災と戦う準備を始めた。

 兵力の増強、物資の調達、武器の確保。

 同時に、いくつかの国や勢力には協力を要請した――但し、現時点では星見の予言者は厄災を予言していない。故に俺を信じられる者にだけ声を掛けた。


 ただ、こちらから声を掛けていなくとも、多くの武器や物資の流れを知って探りを入れて来る者もいた。


「近頃、こんな噂を耳にするんです。帝国が兵と武器を集めて戦争を起こそうとしている、と」


 わざわざ海を越えてまで噂の確認をしに来たのは、東方の島国、カレド王国の女王ツバキ。


「ぬかせ、何が噂だ。貴様の誇る忍び達に情報を集めさせたのだろう。そこまでして余の行動が気になるなら協力したらどうだ?」


「戦争に参加しろと? それとも――陛下が方々で話している厄災……それと戦えと?」


 話す相手は選んだつもりだが、どこで情報を仕入れたのか、厄災の事まで知っている様だ。


「知っているなら話が早い。あれは最果ての荒野に降り立ち、そこから世界を蝕んでいく。いくら遠くとも、貴様の国も無関係ではおれん。兵を貸せ」


 俺の言葉にツバキは一言。


「嫌です」


 ニコリと笑って放たれたその言葉に、俺は思う――今回もか、と。


「世界を蝕む程の厄災ならば星見の予言者が知らせるでしょう。だと言うのに予言は無く、陛下だけが厄災を知っている。これでは陛下が厄災を起こして自ら解決するという、自作自演の劇を開催しようとしているみたいじゃないですか」


「くだらん妄想だな。なら星見の予言者が予言すれば貴様は協力するのか?」


「それもありませんね。陛下ご自身が仰った様に、カレド王国は遠い。ならば被害を受ける確率は低いでしょうし、仮に皆さんが討ち漏らした敵が来ても少数なら自分達で対処出来ます。なので、やっぱり協力は出来ませんね」


 やはり、前回と同じ理由で断るか。

 まぁいい、此奴の決定を覆す手段を探すよりも、厄災への対策を進めた方が建設的だ。


「ならば貴様に用はない。直ちに失せろ」


 謁見の間の扉が開かれ、ツバキは配下を伴って出口に向かう――その途中、一度だけ振り向いた。


「ただ、意外でしたね。能面みたいな陛下の顔が、厄災の事を話す時だけ歪んでいました。その感情が何かは存じませんが……きっと、恐ろしい厄災が訪れるのは本当なのでしょうね」


 感情を隠すのは得意だが、それと同様に、奴は感情を読むのが得意らしい。だから態々ここに来て、俺と顔を合わせて話をしたのか。


「負けない確信があれば、ウチの可愛い子達を参加させても構わないのですが」


 ポツリと呟くその背中を、俺はただ見送った。

 負けるつもりは到底無いが、一度敗北した俺に勝利の信憑性を説く事など出来ない。

 故にカレド王国の不参加を受け入れるしかなかった。







 それからも俺は準備を進め、必要に応じて自ら動いた。

 その内の一つがガルレア王国――いや、ここはあくまでついでだ。

 本命は、暗黒大陸から移住して来た狼主、ウルガルフだ。


 ウルガルフは前回の戦いには参加していなかった。

 何故なら、奴らはもう少し時が進めば最果ての荒野から去ってしまうからだ。

 住処を荒らされれば戦うのだろう。しかし移住してしまえば戦う必要は無い。前回はそのタイミングの悪さに歯軋りしたのを覚えている。


 だから今回は正面から協力を取り付ける。


 それから、時が進んだら手遅れになる団体がもう一ついたな。

 尖拳崩牙を生存させる作戦は、予定通りフラムに任せるか。


 そうやって今後の予定を確認しつつ荒野を歩いていると、狙い通りウルガルフの家族が現れる。

 現れた黒狼族の少女はウルガルフと会わせるつもりはないと言い放ち、時間が惜しい俺は少女を挑発して力で捩じ伏せようと考えた。それが野生で生きる者に対する有効的な説得方法だからだ。

 ただ、少女もかなり手練れの様子。

 あまり皇帝の影を表に出したくはないが、今回もフラムを呼ぶか。


 そう決めた瞬間だった。



「――ふべらっ!」


 間抜けな声と共に落ちて来たのは、黒髪黒瞳の少年――続いて、白猫族の少女が着地する。

 忘れる筈もない。彼女は俺を過去に戻してくれた恩人、ミーシャだ。

 という事は、この少年がリュート、なのか?

 いずれ会う予定ではあったが、こんな場所での邂逅など予想していなかった。


 しかし、なんと言うか……。

 第一印象は間抜けと言わざるを得ない。

 こんな子供に英雄が務まるのか?

 ミーシャと小声で話す少年を、俺は疑念の目で観察していた。



「おい! コソコソと何を話している! ルナの質問に答えろ!」


 怒りを向けるルナに対し、少年は恭しく頭を下げる。


「申し訳ありません、ルナ殿。我々は魔法研究の最中に意図せずこの場所へ転移した様です。あなた方の安息の地を踏み荒らすつもりはありませんでしたが、こうしてここにいる事もまた事実。心より謝罪申し上げます」


 なるほど、どうやら瞬時に状況を把握し、穏便に済ませられる程度の知性はあるらしい。


 少年は立ち去るつもりの様だが、せっかく機会が訪れたのだ、予定を早めるか。

 立ち去ると言った少年に、俺は言葉を掛ける。


「そうか。だが貴様は直ぐに選択を改めるだろう――異世界の民、リュートよ」


 奴は秘密を知られてる事に驚いた後、鋭い視線で問い掛けて来た。


「何故それを?」


 やはりこの秘密は少年にとって重要なものらしく、立ち去る選択は失せた様だ。


「グランツ」


 事前に話してあった通り、俺の呼び掛けでグランツはリュートに襲い掛かる――が。暗殺を生業としていたグランツと言えど、現役を退いた今ではリュートの相手にならない様だ。

 尤も、この程度は想定内。寧ろこのくらいの力が無くては役に立たん。


「フラム」


 続いて、懐刀を呼ぶ。

 フラムは殺気を纏わずに、しかし刃の如き鋭さでリュートに肉薄する。

 一言二言話していた二人だが、戦うしか無いと察したリュートはいよいよ本気を出し――


「ちょ、これは――陛下! 応援求めます!」


 一人では勝てないと悟ったフラムは早々に助けを求める。

 普段であれば情けないと叱責する所だが、今日に限ってはそれでいいと思った。


 可視化出来る程の闘気を纏ったリュートはフラムとユーク、二人を圧倒していた。

 皇帝の影とは、一人で騎士団を壊滅させる程の力を持った精鋭だ。

 それが二人いるのに、リュート一人に圧倒され――遂には二人とも戦闘不能となった。



「それで? 話す気になったか?」


 赤い闘気を纏って力を見せ付けるリュート。

 わかっていた事だが、彼の重要な秘密を漏らし、彼に配下を嗾けた事で信用を失ったらしい。


 だが、そんな事どうでもいい程に俺は歓喜していた。


 潜在能力だけならリュドミラと同じと予想していたが、今の力を見るに、正真正銘リュドミラと同じ力を有してるように思える。


 一人の力に頼るのはリスクが大きい為、作戦は綿密に練らなければならない。


 だが、この男を利用出来れば、俺は勝てるかもしれない。









 フィオナ・ローズヴェルトが来た事で話は進み、ウルガルフからはこの地で戦うと言質を取り、リュートとミーシャは俺に同行する事が決まった。

 奴はリュドミラを救うなどとほざいていたが、俺には無駄な足掻きにしか見えなかった。

 だが奴がリュドミラを相手にするならば都合が良い。

 俺は奴の責任感に訴え掛けた――アレの相手をするなら、失敗した時は殺せと。

 よほどリュドミラに情があるのか、奴は苦しそうに了承した。


 これでいい。

 これでリュドミラの死は確定し、フィオナ・ローズヴェルトを愚者の始末に向かわせる事が出来る。


 思い通りに進む物事に対し、俺は内心笑みを浮かべていた。








 本来フラムに任せる予定だった尖拳崩牙の件を、リュートに任せる事にした。奴がどれほど有能か確かめたかったからだ。

 奴には多くを命令した。

 尖拳崩牙の信頼を勝ち取る事、クォントにトドメを刺させる事、誰も死なせない事。

 しかしそれらは理想であり、必ずしも全てを達成しなくても構わなかった。

 最低限クォントとアナク、そしてグリフォンが生きていれば十分と考えていたのだが――


 ――奴は俺の言う事をすべて成し遂げてみせた。


 これには素直に感心した。

 アナクからの信頼は得られなかった様だが、機転を利かせて依頼への同行許可を得たのは見事だった。




 しかし、最後の最後で奴は俺の命令に背いた。

 俺が討伐を命じたフェニックスを生かし、連れて来たのだ。


 反逆かと思い、俺はリュート・スザクを睨んだ。

 だが悔しい事に、奴の言い分を聞いた俺は納得してしまった。


 ――曰く、俺が未来の詳細を語らないせいで、目的を共有していてもその過程が違うのだと。


 俺は今更になって理解した。

 リュート・スザクは俺の配下ではなく国民でもない。俺の庇護を必要としない一人の人間なのだ。

 故に奴は俺よりも自身の正しいとするものを優先した。


 ――俺の手札に此奴は入らない。


 それを悟り、歯噛みした。






 リュート・スザクはあからさまに人払いをし、とうとう俺に確信的な質問をした。


 実際に時空を行き来してる此奴なら気付くだろうとは思っていたが、しかしいざ改めて問われると、迷いが生まれてしまう。


 ――俺は己が見た絶望の未来を、話すべきなのか?


 いや、しかし……。

 俺は決めたのだ。

 あの未来は誰の記憶からも消えて、そのまま存在しなかったものにするのだと。

 そして、今度こそ勝利してみせる。

 それこそが俺達を蹂躙した厄災に対する完全なる勝利だ。絶望の抹消だ。

 だから、俺の決定は変わらない――



「何故俺達は敗北した?」


 ――――。


 此奴、今、敗北者に自身を含めたのか?


 耳を疑いながらも、平静を保ち返事を重ねる。

 だが、やはりリュート・スザクは勘違いをしていた。


「何が英雄だよ! 既に負けている俺にそんなもんが務まるかよ――」


 奴は英雄という言葉を拒絶する様に声を荒げる。

 その根本には自信の無さが垣間見え、それは己が敗北者であると思い込んだ故のものだろう。


 ――嘆かわしい。


 これだけ勘の鋭さを見せておきながら、重要な所で勘違いをしている。


 ――腹立たしい。


 あれだけの力を持っていながら、己が皆の希望になれるとは考えていないらしい。



「――貴様はわかっていない」


 声が震えた。

 俺は今、怒っているのか?


「リュート・スザク。貴様が――貴様じゃなければならないんだ」


 彼から見て、胸ぐらを掴む俺の姿はどう映っているのだろう。

 もしかしたら幼子が縋っている様な、弱く情けない姿に見えたかもしれない。

 それを理解しつつも、感情を制御出来ない。



「……誰も知らなければ存在しないのと同じ。故に俺はあの凄惨な未来を語りたくはない」


 これでは俺が未来を生きた事を認めてしまっている。

 だが口をついた言葉は止まらない。

 俺が意地になって成し遂げようとしているのだからお前も役目を果たせと、一方的な押し付けを口にしてしまう。




「お前、バカだな」


 俺の手を払い、そう言ったリュートは――呆れた様に笑った。

 その微笑が、絶望の未来で最後に見た少女の笑みと重なる。


「そういうのは英雄の仕事だろ。俺に英雄になれと言うのなら、俺には話せ」


 その言葉はまるで――己の役目を受け入れた様に聞こえた。



 今まで俺は毅然とした態度を貫いて来た。

 上に立つ者として弱みを見せるべきではなく、常に強く在らなくては臣下に不安を与えてしまう。

 強く在ったからこそ、ここまで皆が着いて来たのだ。


 ――そう、思っていたのに。



「お前の望み通り、俺は英雄になるよ。そんで最前線で厄災に立ち向かい、皆の希望となろう」


 俺が弱みを見せた事で、リュート・スザクは初めて俺に寄り添おうと手を差し伸べた。





 ――あぁ、そうか。俺はずっと、勘違いをしていたんだ。



 リュート・スザクは俺達と何ら変わりない姿で、人並みに迷い、悩み、無知を晒し、まるで凡人の様だった。

 いや、事実凡人であったのだろう。

 それがこの世界に来て力をつけ、様々な戦いに巻き込まれていく内に俺の前まで来た。ただそれだけの男だ。


 だから、俺は勘違いしていたのだ――この男は英雄ではないと。

 リュート・スザクには揺るがない信念など無いし、物事の本質を見通す目も持っていない。

 英雄譚に出てくる様な超越的存在とは程遠い。


 しかし――彼は知っている。

 痛みも苦しみも、恐怖も弱さも。

 全て経験して、ここに立っているのだ。



 今更になって、あの時のミーシャが呆れた理由がわかった。


『貴様の英雄をこの世界の英雄に祭り上げてでも、余はこの世界を救ってみせる』


 夢境の中でそう言った時、彼女は「わかってないな」とでも言いたげに微笑んだ。


 まったくその通り、俺はわかっていなかった。


 誰が祭り上げるでもなく、リュート・スザクは英雄だったのだ。

 確かに奴は超越的存在ではないし、捻くれた性格を見せる事もある子どもだ。


 しかし彼は、他者の苦しみに共感し、手を差し伸べる優しさを持っている。

 人々に寄り添い、共に戦ってくれる強さを持っている。

 リュートは「超越的英雄」ではない。しかしミーシャが言った「わたしの英雄」という言葉がしっくりくる。




「共に戦おう、アルバート。俺達で未来を変えてやろうぜ」



 ――救われた。


 不覚にもそう思った。

 あぁ、そうだ。

 俺は一人で戦う事に不安を抱いていたのだ。

 また絶望を繰り返すんじゃないかと恐れていたのだ。


 だが、もう大丈夫だ。

 安心感が胸を満たした。




 俺は、差し出されたリュートの手を強く握った。





次回 九章「決戦」

最終章になります

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