決着
静かに岩山の上に佇み、ジッと北西を睨むその姿。
クォントが殺気を向けても気にも止めず。
ただそこで何かを警戒していたフェニックス。
俺にはどうしても、アイツが敵だとは思えなかった。
『奴は己の身が脅かされた時にのみ姿を見せ、戦う』
アルバートの言葉を思い出す。
前回は海蛇が現れた事で姿を見せ、そして天敵を倒した。
しかし王国騎士団までもが命を狙って来た為、フェニックスはクォントの村を滅ぼした。
じゃあ今回は?
フェニックスは何を警戒して北西を見ていた?
その方向には最果ての荒野がある。俺がアルバート達と出会った場所だ。そこに訪れる脅威を――俺は知っている。
「これで、終わりだァァァア!」
本来の力を発揮した尖拳崩牙は遂にフェニックスを追い詰め、トドメを刺そうとしていた。
その瞬間。
死を目前にしたフェニックスと、目が合った。
ガラス玉の様な水色の瞳からは、悲哀と失望、理不尽に命を奪われる怒りが垣間見えて。
気付いたら身体が動いてた。
ここでフェニックスを殺すのは間違っていると、考える前に判断していた。
俺がクォントの剣を止めた瞬間、ここにいる全ての者が疑問を向けた――尖拳崩牙のメンバーだけでなく、フェニックスもだ。
「……ごめん、やっぱコイツの事、殺さないで欲しい」
願いを口にした瞬間、この場にいる全員の目が驚きに見開かれ、そして理解と同時に敵視に変わった。
俺は話していいものか迷ったが、別に口止めされてるわけでもないし構わないだろうと判断して説明を始めた。
「実は、後二十日ちょっとで最果ての荒野に厄災が降り立つんだ。フェニックスはそれと戦ってくれる――」
「――ドラン、言い訳なんかいらねぇよ」
しかしクォントは俺の説明など聞く気がないらしい。
「テメェが何の目的でここにいて、何の為にフェニックスを生かそうとしてんのか……んなこたぁどうでもいいんだ」
クォントの殺気が俺に向く。遅れて、他のメンバー達も俺に対して強烈な敵意を向け始める。
「テメェの今の行動は俺達に対する明確な裏切り行為だ。何故なら俺はずっと昔からフェニックスを殺す事を決めてっからだ。それを阻むってこたぁ……覚悟は出来てんだろうな?」
言葉で説得する事は出来ないか。
それも仕方ない事だ。クォントの抱える恨みや憎しみはそれだけ深く、何年も願い続けた復讐がようやく果たされようとしているのだ。邪魔する者は敵だと言われても文句は言えない。
でも――俺は、同じ様に憎しみを抱えるリュドミラを救おうとしているんだ。
ここでクォントの復讐を止められない様なら、リュドミラを救う事もきっと出来ない。
「互いに曲げられない意志が衝突した時、貫き通せるのは強い方だけ……。来いよ尖拳崩牙。俺に勝てればお前達の意志を尊重してやる」
俺の傲慢な物言いに腹を立てたクォントが、小さく吐き出す。
「後悔させてやる」
その言葉と同時にクォントが地面を蹴る。
凄まじい怒気と殺気で大剣を振り下ろし――
「――あ?」
風の闘気を纏った俺は片手でそれを受け止め、間抜けな顔を晒すクォントの腹を蹴り飛ばす。
尖拳崩牙の驚愕が伝わってくる。俺がクォントを圧倒出来るとは思っていなかったのだろう。
そんな中で速やかに動いたのはアナクとチル――元から俺を疑っていた二人だ。
アナクは上空から無数の風刃を放ち、チルは俺の足元に精霊魔法のアースクエイク――中範囲の地震を起こす。
その場に留まっていれば体勢を崩し、風刃が直撃していた事だろう。
しかし俺は既にアナクの背後に飛んでいる。
「遅い」
俺の声で漸く気配に気付くアナクだが、彼女が振り向く前に拳で地面に叩き落とす。
直後、俺の顔に鉄矢が飛んで来る。籠手で払い落とすも、連続して飛んで来る為煩わしい。
「女の子に手を上げるなんて、ドランっち見損なったぜ!」
俺は風と共に飛び、男らしい事を言うビリーの目の前に降り立つ。
「厄災が訪れれば男も女も関係ない。無差別に殺される」
言いながら彼の脇腹を蹴り、チルがいる方向に飛ばす。チルは詠唱を中断してビリーを受け止めた。
「今まで力を隠していたのかドラン・フレイム!」
「……悪いとは思うけど、こっちにも色々あるんだ」
俺を取り囲んだのは、ガレアス率いる屈強な戦士達。
剣や斧、槍を持つ戦士達が次々に襲い掛かってくるが、その全てを返り討ちにし、戦闘不能にする。
そうして戦い続けて、どれくらい経っただろう。
今では殆どの戦士が戦意喪失して立ち上がれずにいる。
尖拳崩牙は強い。
だけど、それは常識的な範囲に限られる。
常識を超えた存在――グラモスやフィオナ、リュドミラなどと比べれば、尖拳崩牙は相手にならない。
そして今の俺もまた、常識を超えた場所に足を踏み入れている。
だから、彼らじゃ俺に勝てない。
皆それを理解したからこそ、立ち上がらないのだろう。
そんな中でただ一人。
変わらず立ち向かってくる男がいた。
「チキショウ……なんなんだよテメェは……俺の、復讐の、邪魔をしやがって……!」
息も絶え絶えに、剣に体重を預けてどうにか立っているクォントが、未だ消えぬ闘志を瞳に宿して俺を睨む。
「お前の邪魔をするつもりはなかったんだ。ただ、厄災を止めるという目的の為に、フェニックスの力が必要だと思っただけで」
そして俺は、その考えを今も正しいと信じている。
何せ、フェニックスは既に回復して戦える状態なのに、俺の背中を攻撃する事も、弱った尖拳崩牙を殺す事もせずにジッとしているのだから。
やはりこいつは知能が高く、誰が敵で誰が味方か、わかっているのだ。
「…………貴方の行動の一貫性を見れば、厄災が訪れるという言葉に信憑性を感じられます。貴方は厄災を止める為に戦力を欲している。だから有用な者が死ぬのを見過ごせない……違いますか?」
のそりと立ち上がったアナクがクォントの隣に来て、俺を正面から見据える。
「その通りだ。そしてお前達にも生きて厄災と戦って欲しいから、俺はここに来たんだ」
「そこが、不思議なんです」
納得出来ない、とアナクは指摘する、
「世界の危機となれば、星見の予言者なりがそれを察知し、大勢に知らせる事でしょう。ですから厄災の件は納得しました。しかし、私達の死はどうやって予知したのですか? 貴方はフェニックスの情報が出る直前に私達の仲間入りを果たし、今日ここで兄様を助けた。しかしそれは奇妙です。何故なら星見の予言者は個人、或いは小規模な集団を救う助言などしない。そんな些細な出来事まで視えていたらキリがありませんから」
え……そうなのか?
じゃあ、アルバートはどうやって尖拳崩牙の全滅を予知したんだ……?
いや、それだけじゃない。
俺の事も……俺の秘密を知った事も、星見の予言者は関わっていない、のか?
「…………その表情を見るに、貴方にもわかっていない事がある様ですね」
まさか……本当に――そうなのか?
早鐘を打つ心臓を落ち着ける様に深呼吸をし、思考を中断した。この件は後だ。
俺は再びクォントとアナクと向き合う。
「すまない、情報の出所を話す事は出来ない。だけど、俺達の力だけじゃどうしようもない程の敵が現れるのは間違いない。共に戦ってくれるならどんな奴でも味方につけたいんだよ……アナク、お前ならわかるだろ?」
今ではもうアルバートの事を疑ってなどいない……いや、それどころか、予想がついてしまった――多分俺達は一度負けているのだ、と。
だから、必死に戦力を集める。助けになってくれる者全てに縋り付く。
「……確かに私は、尖拳崩牙の危機かもしれないと思い、不気味に思いつつもドランさんを今日この場所に連れて来ました。ですが……」
アナクが見つめるのは、未だ俺に敵意を向けるクォントだ。
「クォント、お前だって本当はわかってるんじゃないか? お前の村が滅んだ原因は王国騎士団がフェニックスを殺そうとしたからで――」
「――あぁウルセェウルセェ! んなグダグダ言われなくてもわかってらぁ!」
俺の言葉を遮ったクォントはその場にドカッと座り込み、目を閉じた。
「敗者は勝者に従う! だからテメェはそのクソ鳥連れてとっとと失せろ! 後な、テメェに言われるまでもねぇ、家族に危険が迫れば厄災だろうがなんだろうが戦ってやらぁ!」
見てない内にいなくなれ、という事か。
きっと、納得出来ていない部分も多いのだろう。それでも俺の望みを叶えてくれるクォントに、俺は頭を下げた。
「ありがとう、この恩は忘れない」
「ケッ、俺はただ猶予を与えただけだ。もしも今後その鳥が害鳥だって確信すりゃあ次は間違いなく殺す。だから精々まっとうに生きやがれ」
俺は不死鳥の様子を見る。
傷は既に完治し、失った翼すら生え変わっていた。
そうして体力は万全になりながらも、しかし既に戦う気は無い様子。
「じゃあ、行くか」
俺が声を掛けると、フェニックスは小さく鳴く。俺と共に来る事に不満はないらしい。
俺がフェニックスの大きな首元に跨ると、クォントが声を上げた。
「それともう一つ言い忘れていた事がある」
飛び立とうとするフェニックスを静止して耳を傾ける。
「ドラン・フレイム。お前は今も今後も尖拳崩牙の家族だ。厄災の事以外でも、困った時は頼れ」
リーダーの言葉を皮切りに、メンバーが俺に声を掛けてくる。
「元気でな、ドラン!」
「お前にボコられたの忘れねーからな!」
「次会った時はジュースじゃなくて酒飲もうな!」
裏切り行為を働いた俺に対して、懐の深い奴らだ。
「ありがとう尖拳崩牙! また会える日を楽しみにしてる!」
そう言って、今度こそ俺達は飛び去った。
次会う時は本名で自己紹介出来たらいいな、なんて考えながら。
――――――――
――――
「で、貴様はこの部屋にフェニックスを転移させたというわけか」
尖拳崩牙と別れた後、俺はフェニックスをどうするか悩み、とりあえずアルバート達が滞在する部屋に転移した――フェニックスと共に。
「この部屋って無駄に広いし、フェニックスの巨体も入るんじゃないかって思ったけど、予想通りだったな!」
但し、フェニックスは窮屈なのか、不満げに鳴いている。
「…………ミーシャ。この馬鹿の後始末をしてやれ」
「わ、わかりました……でも、どうすれば?」
悩むミーシャに提案する。
「暗黒大陸に転移させたらどうだ? 実はレイラに紹介しようと思ってたんだ。炎同士で仲良くやれそうだし」
「貴様はそんないい加減な想像でフェニックスを連れて来たのか?」
呆れた様にため息を吐くアルバート。
「余が貴様に指示したのは尖拳崩牙を厄災と戦わせる様に動く事。だと言うのに奴らの敵を救うとは……よもや貴様、余の邪魔をする気か?」
彼の言いたい事はわかる。
結果的に尖拳崩牙は厄災と戦う事を約束してくれたが、それはあくまで結果だ。俺の行動に怒ったクォント達が、俺やアルバートと敵対する未来もあったかもしれない。俺はリスクを犯したのだ。
でも――
「俺は俺なりに厄災に備えて最善の行動を取っているつもりだ。それがお前の考える通りに行かないのは、仕方ないんじゃないか? だって、お前は俺に何も話さないんだから」
アルバートは厄災の詳細を知っている。
未来を知っている。
知っているからこそ、様々な対策を立てて行動している。
だけどその詳細を俺には話してくれない。
だから俺はアルバートの命令よりも自分が正しいと思う事を優先した。
「――――」
ここでも沈黙を選んだアルバート。
しかし今日の彼は迷っている様にも見えるが……これは俺の勘違いだろうか?
どちらにせよ、俺は今日アルバートを問い詰めるつもりだ。
「……まぁいい。ミーシャ、フェニックスの事を頼めるか? 護衛でルナやグランツ、フラムにも行って欲しい」
「任せろ」
「私は……いえ、かしこまりました」
「……はいはい、オッケーだよ」
グランツとフラムはアルバートを窺う様に見た後、了承してくれた。
そうして四人はフェニックスを連れて暗黒大陸に転移し、部屋にはアルバートと俺の二人だけ――彼の影にはまだ何人か潜んでいる筈だが、表面的には二人だけになった。
「モタモタしててもしょーがないし、ハッキリ聞かせて貰う。アルバート、お前――世界の時間を巻き戻したのか?」
いつからだろう。
アルバートが未来の事を知った様に話すのを見てる内に、「もしかして」という想像があった。
しかし、世界の時間を巻き戻すには膨大な力が必要だ。リュドミラですら、たった数時間戻すのが限界だった。
だから時間を操作したわけじゃないと、一度はそう結論付けたが――
「固有魔法ってのは精神が効果に大きな影響を及ぼす。実際に精神干渉を受けた事があるからわかる。強力な黒魔法で対象に暗示をかければ、通常ではあり得ない程の力を発揮する」
ウルガルフからの情報。
アルバートがミーシャを気に掛け褒美を与えようとしていた話。
そして、今日アナクから聞いた、星見の予言者はアルバートの様には未来を見れないという事実。
これらの事から、俺は考えを改めた。
――アルバートは厄災に敗北した未来を生きていたのだ、と。
その未来で最後にミーシャを頼り、黒魔法でミーシャの力を増幅させて引き出し、アルバートただ一人が巻き戻った。
「……或いは、他にも一緒に巻き戻った人がいるのか? でも魔力効率を考えれば時空を渡る物質は少ない方がいいか……いや、それよりも重要なのは、何故俺達は敗北した? その未来は今と何が違う? どうすれば――」
「――口を慎め。貴様に語る事など何も無い」
「――――は?」
耳を疑った。
ここまで来て何も話さないつもり、なのか?
「貴様にしろフィオナ・ローズヴェルトにしろ、何を予想し何を思うかは自由だ。だが、余に答えを求めるな。既に未来は決まっている――余が決めた未来へ向かっている」
「……そりゃあ、お前が自分の足で行動して未来を変えようとしてんのはわかるよ。だけど、なぁ、お前は、知ってるんだろ? この先何が起きるか……敵の詳細、味方の戦力、何が敗因でどこを改善すべきなのか……それは共有すべき情報じゃないのか?」
「確かに、己の役目くらいは知っておくべきだろう。……貴様には厄災に立ち向かう軍の先頭に立ってもらい、英雄として――」
「……くだらない」
吐き捨てる俺を、アルバートが睨む。
「俺が言いたいのはそういう事じゃないんだよ! 何も知らずにお前の操り人形になるつもりはない! 何が英雄だよ! 既に負けている俺にそんなもんが務まるかよ――」
「――貴様はわかっていない」
静かな声なのに、思わず黙り込んでしまう。
「リュート・スザク。貴様が――貴様じゃなければならないんだ」
アルバートの声は震えていた。それが怒りか悲しみかはわからないが、彼がこんなに感情的になるのを初めて見た。
「何が、言いたいんだよ……」
説明を求める俺の胸ぐらを、アルバートが掴む。
「――わからないのか!? お前だけが俺にとって、厄災にとっての未知なんだ! お前だけが、英雄になり得る……なのに、だと言うのに――お前はそれ程の力を持っているのに何故人々を率いようとしない! リュート・スザク! お前はもう巻き込まれただけの部外者ではない! 自ら望んでここにいる――そうだろう!?」
口調も乱れ、普段の飄々とした態度も崩れ、感情的になるアルバート。その姿から、彼が俺にどれ程期待しているのかが伝わってくる。
そして、アルバートが言ってくれたお陰で思い出せた。俺はもう、巻き込まれただけのあの頃とは違うって事。自らの意思でここにいる事。
それと同時に、やっと気付いた。
『貴様、姓はなんという?』
俺の事を知っている筈のアルバートが、聞けばわかる事を何故あの時聞いて来たのか。
『私が思うに、彼は慎重になっているだけだと思うがな』
フィオナの言う通り、アルバートは俺を慎重に見定めていた――それこそ、初対面の相手の様に。
いや、正に俺達は初対面だったのだ。
アルバートが俺の事を知っていたのは、他者――恐らく未来のミーシャから聞いたからだろう。
「俺は、お前の知ってる未来にはいなかったのか……」
だからアルバートはフィオナに魔道具を用意させ、「必ず連れ戻せ」と言ったのか。アルバートが介入しなければ俺はこの世界に戻って来なかったから。
「……誰も知らなければ存在しないのと同じ。故に俺はあの凄惨な未来を語りたくはない。あんなものは無かった事にし、俺が勝利へ導く。その為には……お前の力が必要なんだ、リュート」
縋る様に俺の胸ぐらを掴むアルバートの手を、俺は引き剥がした。
「お前、バカだな」
呆れつつ、小さく笑う。
確かに、どんなに悲惨な出来事があっても、何も知らなければそれを悲しむ事はないし、病む事もない。
だけど、知ってるじゃないか。
アルバートだけは知ってるんだ――敗北し、絶望に染まった未来を。
つまり彼は、全てを自分で背負い、そして自分だけで皆を勝利に導こうとしていたんだ。
「そういうのは英雄の仕事だろ。俺に英雄になれと言うのなら、俺には話せ」
彼が見た未来は、どれ程悲惨だったのだろうか。
俺はいなかったし、俺にはわからない。
でも、知らないからこそ強がれる。
「お前の望み通り、俺は英雄になるよ。そんで最前線で厄災に立ち向かい、皆の希望となろう」
世界を滅ぼす程の厄災を相手にし、敗北した。
それでも再び立ち上がり、勝つ為に時を戻り、全て一人で背負って勝利を掴もうとしている。
そうして勝利を手にすれば、誰も絶望を知らなくて済むと考えて。
本当に馬鹿で頑固な皇帝だ。
だけど俺は、コイツを少し好きになれた。
「共に戦おう、アルバート。俺達で未来を変えてやろうぜ」
そう言って俺は右手を差し出した。
八章「英雄になれ」 完
幕間を挟んだ後、九章に入ります