さよなら
他者視点
あの日、わけもわからず気を失い、何も知らずに目覚めた時。その時には既に、何もかもが片付いていて、事件のことを聞かされた私は――自分を情けない人間だと恥じた。
それと同時に、レイジが犯人だと知った事で私はショックを受け、怒りと悲しみで頭がグチャグチャになった。
きっと……全てを解決してくれたリュートも同じだっただろう。
しかし彼は戦った。
私を助けてくれた。
レイジは死んでしまったが……それは悲しい事だが、しかしそれ以上に私は……私が背負うべきだったものをリュートに背負わせてしまった事が、酷くやりきれなかった。
彼に会いたい。
会って謝罪したい。
助けてくれたお礼も。
しかしいくら連絡しても返事は無く。
やはり塞ぎ込んでいるのだろうか。
だったら、今度こそ私が彼を救いたい――そう思うのは身勝手だろうか?
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、何も出来ない私は数時間を無為に過ごし――スマホの着信音をきっかけに、漸く動き出した。
「夜分にすみません……実は兄の事で相談したい事がありまして――」
電話の相手はリュートの妹、舞だった。
リュートの元に行きたいが迷惑をかけたくない、そう悩む私にとって舞からの連絡は渡りに船だった。
人に聞かれてはマズイ話だと言われ、私は舞を自分の部屋に招待した。
時刻は夜七時。
学校の制服に身を包んだ舞はごく普通の女子高生みたいで、いつも見る大人びた受付嬢姿とは程遠い。
「アスカさん、信じられない様な話なんですけど、これから話す事は全て真実です――」
そんな前置きをしてから、舞は語り出した――とても信じ難いリュートの秘密を。
曰く、彼はダンジョンに落ちたのではなく、異世界に転移していたのだと。
そこでは波瀾万丈の旅をしながら色んな人に出会い、仲間と助け合いながら生き抜いたのだと。
そして、ある人物の助けによって帰還したはいいものの――
――現在、彼の仲間がこの世界に訪れ、リュートを異世界に連れ戻そうとしているのだと。
冗談を言ってるのかと疑いたかった。
しかし、舞の深刻な表情を見てそんな疑いを向けるなど、私には出来なかった。
だからそれを真実だと思い込んだ。
思い込んだ上で、話を続ける。
「それで、私に相談というのは?」
「アスカさんには、兄を引き留めて欲しいんです」
そうだろうな、と薄々感じていた。
しかし何故――
「何故私に? 秘密を守ってくれそうだから、と信用してくれてるなら嬉しいのだが、それなら他にも候補はいるはずだ」
正直、私には彼を止められる自信がなかった。
だって、私は彼の仲間にすらなれなかったのだから。
「簡単な話です。貴女が兄に対して好意を抱いているから」
――あまりに淡々と語られるから、何を言われているのか一瞬わからなかった。
少しの沈黙の後、理解した。私がリュートに特別な感情を抱いてる事を、舞は察していたのだ。
「そ、それなら……」
平静を装い質問を重ねようとする――が、言っていい内容か判断が付かず、言い淀む。
そんな私を見て察した舞は、やはり淡々と答える。
「はい、リカさんやミドリちゃんに相談を持ち掛ける事も一考しました。しかし二人の言葉じゃ兄を止められない。何故なら弱いから」
まさか舞からそんな言葉が出て来るとは思わなかった。
彼女は弱い強いで他者を判断しない人の筈なのに。
「あぁ、私の目線で弱いと言ってるわけではありません。私は自分が一番弱い事を知っていますから……」
少し悲しそうな表情をした舞を慰めようと口を開くが、舞は私の言葉を待たずに話を続けた。
「二人が弱いと言ったのは、兄にとって弱いという意味です」
「それなら、彼に負けた私も……」
「確かにアスカさんも兄に負けました。ですが貴女はこの国で最も強い。そんな貴女が弱った表情で兄を引き留めれば、兄はどう思うでしょうか?」
鳥肌が立った。
これはきっと寒さだけのせいじゃないだろう。
目の前にいるのは、本当に私の知ってる舞なのだろうか。
「間違いなく不安になります。一番強い戦士がこの程度なのか、と。そして不安に思った兄はこの世界に留まる選択をします。兄は弱った人を放っておけないから。自分がいなきゃ世界が危ないと思えば、この世界に残らざるを得ない」
私は漸く気付いた。
舞の瞳の中に宿る暗い感情に。
「兄に去って欲しくないのはアスカさんも同じですよね? 私が兄と貴女が会う機会を作りますので、お願いします」
彼女は目的の為に――リュートを引き留める為に手段を選ばなくなってしまったのだ。
黒い双眸にジッと見つめられた私は、ただ頷く事しか出来なかった。
――――――――
――――
そして今日。
舞から連絡があり、言われた通りの場所で姿を隠して待っていた。
そこに現れたのは、白髪紅目の青年と、淡い水色の髪と翡翠色の瞳をした少女。
舞から話を聞いていなければ、彼がリュートだとは気付かなかっただろう。隣の少女も異世界の人とは信じ難い。
しかし――
「なるほど、その子が君の……君の異世界での仲間というわけか」
舞の言葉を疑っていたわけではなかったが、確認の為にもそう問い掛けた。
すると、彼の反応は――
――警戒だった。
私は、ひどく寂しく思った。
今まで共に出掛けたり、ダンジョンに潜ったり、調査に協力もした。
なのに彼は……私を信じてはいないらしい。
「どうやら妹の妄言を信じてしまったようですね。謝罪します、あの子はまだ子どもですから――」
「――隠さなくていい。全て、全てわかっているんだ。君が異世界に戻る事も……。だから探索者活動を休止し、旅に出るなどと公言したのだろう?」
彼の言葉を聞いていられなくて、つい遮ってしまった。
だけど許して欲しい。
今の彼が発する言葉、仕草、表情――全てが私を傷付ける。
「私は……君に、君達に何かをするつもりはないし、要求する事もない」
彼は胡乱げに私を見る。なら、何故ここに現れたのか。そう問いたそうな顔だ。
「私は……」
雰囲気は最悪だ。
話の流れも滅茶苦茶だし、何より彼は今、私を疑っている。
それでも――彼がここを去る前に、早く言わなければ。そんな気持ちが私を急かした。
「リュート。私は君が好きだ」
言ってしまえば、案外呆気ないものだった。
彼は警戒を解いて困惑している。
少し安心した。私の言葉を嘘だと突っぱねずに聞いてくれる事に。
「好きだから力になりたい、君を助けたい。そう思っていた」
いつからそう思う様になったのかはわからない。
気が付いたら私の中に特別な感情が芽生えていた。
「あぁ、返事はいらないよ。私は……思い知ったんだ。君に私の力は必要ない。君を助けてくれる人は……別にいるって」
チラリと彼の後ろにいる少女を見る。
こんな感情はよくないのかもしれないが……それでも少し思ってしまう。君が羨ましいと。
……はぁ。これ以上惨めになる前に、言うべき事を言ってしまおう。
「君の予想通り、私は舞に頼まれてここに来た。君を引き留めてくれ、と。しかし私にそのつもりはない」
彼と会う為に舞を利用したみたいで申し訳ないが、私は何度考えても、彼を引き留めるべきじゃないという結論に至った。
「私は君に伝えに来たんだ。君の家族も友人も、君が暮らしたこの街も――全部まとめて私が守る。だから安心して旅立って欲しい。そう、伝えに来たんだ」
本当は旅立って欲しくない。
また一緒に食事したり、リカに誘われてダンジョンに潜ったり、それに次の工房戦でも戦いたかった。
だけどそんな願望を口にして、これ以上彼を困らせたくはない。
今この瞬間だけでいい、強くあろう。
彼を不安にさせないように、強い私で彼を送り出そう。
「………………ありがとうございます。貴女の高尚な心を、尊敬します」
――尊敬します、か。
嬉しい言葉だ。
だけど私が本当に欲しい言葉を彼は言ってくれない。
わかってる。
それこそが答えだ。
だから私は返事を求めなかったのだ。
「さようなら、アスカさん。今までお世話になりました」
彼は深く頭を下げてから振り返り、ゆっくり歩み出す。
少女は私と彼の間で視線を迷わせた後、私を見て小さな口を開いた。
「ごめ――」
「――彼の事は君に任せるよ。彼を、助けてあげて欲しい」
「……任せて」
あぁ、それでいい。
君が謝る事なんて一つもない。
胸を張って彼の隣に立って欲しい。
我ながら上手く演じられたと思う。
少しは彼に安心感を与えられたかな。
「さよなら。君と過ごした時間は夢のようだったよ」
もう離れて遠くなった背中に別れの挨拶を返す。
別れを告げたら歩み出さなくてはならない。
そうは思いつつも、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
彼の背中が見えなくなっても、夢を見ようと夜闇の中で目を凝らし続けていた。