あなたの世界で
他者視点です
わたしは、都合の良い勘違いをしてたみたい。
リューならわたし達の元に帰って来てくれる。
わたし達を助けてくれる。
そう思っていた。
そうなると信じて疑わなかった。
でも、違った。
わたしの夢見た幻想は崩れ落ちる。
リューにはリューの生活があって、それはわたし達と交わる事はない――もう、二度と。
それを思い知った時、お父さんとお母さんを失った時の様な、寂しくて辛い感覚を思い出した。
「初めまして、私は竜斗の母親です。貴女は?」
一人、膝をついて落ち込むわたしに話しかけて来たのは、リューとすれ違って帰って来たお母さん。
「ぁ……えっと、わたしはミーシャ……異世界から……来たんだけど……」
リューはこの世界が自分の居場所だと言った。
妹さんはリューに旅立たないで欲しいみたい。
なら、わたしの存在は邪魔だよね。
「ごめんなさい、もう帰ります――」
出来ればもう一度リューに会いたかった。
だけど、それはあまりにも辛いから――
魔素が薄い場所でも魔法が使える様にと、フィオナが渡してくれた指輪。それを着けて魔力を練り――
「あなたが異世界で竜斗を助けてくれたお仲間さんの一人ね? ずっと会いたいと思ってたの、よかったらお話聞かせてくれる?」
リューのお母さんに手を掴まれて、わたしの魔力は霧散した。
その手はわたしを引き留めるような力強さと、優しさを感じる温かさが混じった、拒絶し難い手だった。
「えっ、と……」
「こっちに来て座って頂戴。飲み物は……ココアでいいかしら」
ここあ?
よくわからないけど、断りづらい雰囲気だったから頷いた。
それから少しして、お母さんは良い香りのする白い陶器のカップを持って来た。
「さ、どうぞ。ローブは邪魔でしょう? 預かるわよ」
そう言って近付いてくるお母さんに警戒する。
出発前、フィオナが言ってた。リューの世界ではわたし達の常識が通用しないかもしれないと。だから空間魔法を隠したり、獣人である事を隠したりしてるんだけど……
「大丈夫よ。あなたがどんな人であっても、息子を助けてくれた恩人である事に変わりはないわ。実際、リュドミラちゃんの事も歓迎してたのよ?」
その言葉に驚き、バッと立ち上がる。
「リュドミラ!? 邪神と一緒に暮らしてたの!?」
なんて命知らずな。
わたしがそう思う一方で、お母さんはわたしの様子を注意深く観察していた。
「……なるほどね、やっぱりリュドミラちゃんは只者じゃなかったのね」
「……え?」
「ごめんなさい、リュドミラちゃんの事が知りたくて、狡い話し方しちゃった。私達が知ってるのは、リュドミラちゃんは『凄い魔法使い』って事だけ。でも竜斗のリュドミラちゃんに対する態度を見て、何かあるなと思ってたのよ」
そ、そっか……リューが隠してたリュドミラの秘密を、わたしから聞き出そうとしたんだ。うっかり話しちゃった……。
「…………リュドミラに違和感を感じたなら、どうして一緒に暮らしてたの? アレは、息を吐くように人を殺す邪神だよ?」
「さっき言った通り、リュドミラちゃんが息子の恩人だったからよ。あの子は竜斗をこの世界に連れ帰してくれたし、異世界でも助けてくれたって聞いたわ」
それだけの理由で信用してたの……?
いや、この人にとってはそれこそが一番大事なことなんだ。
……なんだか納得した。リューとこの人はよく似てる。悪人だと知っても、自分が受けた恩を忘れない所とか。
わたしは思い切ってローブを脱いだ。
「あら、可愛い耳ね……って私は思うけど、確かにこの世界では隠すべきね。そうだ、今度帽子と服を買って来てあげる。そしたら外に出られるでしょう?」
「えっと、その、わたしはすぐ帰るから……」
「何か急ぐ用事があるの? 出来れば竜斗とちゃんと話し合って欲しいのだけれど」
話し合うって言っても、わたしはもう拒絶されちゃったわけだし……
「ミーシャちゃん。このまま別れたら、あなたも竜斗も絶対に後悔するわ。だから私はちゃんと話し合って、二人で結論を出して欲しいの」
どうしてこの人は、わたしをここに留めるんだろう?
もしかして、わたしがリューを異世界に連れてこうとしてるって、知らないのかな?
「あの、わたしはリューに、わたし達の世界に戻って来て欲しくて、それでここに来たんだけど……」
恐る恐る顔を上げると、お母さんは優しい笑みを浮かべていた。
「それくらい想像つくわ。あなたが今心配してる事も、ね。だから最初に言っておくわ。私は竜斗を引き留めるつもりはない。ミーシャちゃんは何も遠慮しなくていいのよ」
驚いた。この人はリューの事を大事に思ってる。なのに引き留めない。妹さんみたいにこの世界に留めようとするのが普通だと思うけど……。
「舞の事も心配しなくていいわ。あの子はちょっと弱ってるだけだから……あ、変なものは入ってないから遠慮せず飲んでね」
お母さんは思い出したようにここあを勧める。
初めて嗅ぐ香りにドキドキしながら口をつけると――
「あ、甘い! なにこれ、美味しい」
「あら、異世界にはないのかしら……」
びっくりした。この世界ではこんな美味しい物がどこにでもあるの?
ここあを一気に飲み干しちゃったわたしに、お母さんはおかわりを持って来てくれた。
更に、見た事ないお菓子も。
「これ、竜斗が舞のご機嫌取りの為に作ったものね……。あの子暫く拗ねてるでしょうから、ミーシャちゃんに食べて貰おうかしら」
そう言いながらお母さんは廊下の方を見た。
妹さんはリューが出て行ってから、また部屋にこもってる。
……なんだか、わたしを避けてるみたい。
「ミーシャちゃん、食べながらでいいから聞かせてくれる? あなた達がどんな冒険をして来たのかを」
リューは多分、家族にもいくつか隠し事をしてる。
リュドミラの事をお母さんが知らなかった事を考えれば、家族を心配させない様にしてるんだと思う。
それなのに、わたしが話してしまってもいいのだろうか。
……少し罪悪感があるけど、でも、わたしは――
「わかった、話すよ」
この人は知るべきだと思うから。
わたしはリューと出会った時の事から、迷宮でキメラに殺されかけたことも、リューとレイラが暴風竜に挑んで大怪我した事も、そしてリューの中にリュドミラがいた事も、そのせいで汚いハーフエルフに殺されそうだった事も、全部話した。
お母さんは途中何度も辛そうな顔をした。
やっぱりリューは自分が大変な目に遭った事を話してなかったみたい。
「……話してくれてありがとね、ミーシャちゃん」
お母さんは暗い表情だ。
……やっぱり話さない方がよかったかな。
だって――
「安心して。異世界がどんなに危険な場所だとしても、私が竜斗を引き留める事はない。私はあの子の意思を尊重するわ」
「――え?」
てっきり、危険な世界にリューを連れて行って欲しくない、なんて言われるかと思った。
だけどお母さんは、変わらない態度でいてくれる。
「わたしが言う事じゃないけど、なんで引き留めないの? わたし達の世界は、この世界より危険だよ?」
「なんで、ね……。それはミーシャちゃん自身で考えて、答えを出して欲しいかな」
わたしにお母さんの気持ちを理解しろって言うの?
それは、すごく難しそう。
悩んでいると、不意に玄関が開く音が聞こえた。
リューが帰って来たんだ。
リビングから玄関を覗いて――思わず息を呑んだ。
生気のない目、青白い肌、覚束ない足取り。
普段とはかけ離れた様子のリューが、そこにいた。
「お、おかえり……」
一緒に覗いてたお母さんがそう言っても、リューは返事もせずにお風呂に行った。
しばらく流れ続ける、シャワーの音。
わたしもお母さんも何も言えず、何も聞けず。
結局、リューが出て来て自分の部屋に戻るまで、わたし達は一言も喋る事が出来なかった。