恩と怨
他者視点です
学校に行って、つまんない授業を聞き流して、友達と談笑して、バイトに行く。
そんないつも通りの日常が、今日も始まると思ってた。
ううん、実際に途中まではいつも通りの日常だった。
だけど、災害っていうのは突然起こるもの。
「え、これ……ヤバくね?」
バイト中、探索者協会のロビーからそんな声が聞こえて来た。
普段から賑やかなこの場所だけど、焦燥と不安に駆られたその声はやけに目立った。
声を発した探索者は、注目されてる事に気付いて居心地の悪そうな表情を浮かべる。
けど説明の義務があると思ったのか、手に持っていたスマホを、私がいる受付カウンターに持って来た。
「なんかさ、魔物がどんどん増えてるらしくて、しかも上の階に上がって来てるんだよ」
画面には知らない配信者が映っている。
同時接続数は十人……まだまだ無名の配信者だ。
カウンターに置かれたスマホの周りに、探索者と職員が集まって画面を覗き込む。
後ろの方の人は、自分のスマホで同じ配信を検索している。
『えっと……ここってこんなに魔物が多いとこなの? 脱出した方がいい?』
スマホから、可愛らしい配信者の声が聞こえる。
数人の視聴者がポツポツと話してるだけのコメント欄に、直後赤文字の目立つコメントが表示された。
《神蔵協会:慎重かつ速やかに撤退して下さい》
一目でわかる簡潔な指示に、配信者の子は驚いた様に目を丸くした後、すぐに事の重大さを察して緊張気味に頷いた。
コメントをしたのは私達の後ろにいる先輩職員、宮本さん。彼女は正社員の中でもリーダー的存在で、私達下っ端のまとめ役でもある。
「舞ちゃん、貴女の評価でいいから、今ダンジョンに潜ってる探索者の中で助けが必要そうな人をリストアップして」
「は、はい!」
こういう非常事態に頼られるのは緊張する。けど、信頼されてるのだと思うと嬉しくなるし、期待を裏切りたくないと思う。
私は急いで宮本さんの側に移動して端末を操作し、ダンジョンに潜ってる探索者のリストを作る。
その中から、実力と探索階層が見合ってない人をピックアップする。
「チッ……よりによって今日か……」
隣から聞こえる舌打ちにビビりつつ、共感もする。
明らかに異常事態。
それに対応出来る人が必要だけど、今日は魔道具の展示会で、多くの実力者がここにいない。
もしもお兄ちゃんがいてくれたら……。
そんな弱音が出そうになるけど、いないものは仕方ない。
被害を出さない為に、ここにいる人達で頑張らなきゃ。
「宮本さん、リストアップ完了です。心配なのは新人のペアが一組、三階層まで……」
その時、けたたましいサイレンが響いた。
音は探索者協会の内と外、つまり市内全体に鳴り響いている。
「……嘘、ダンジョン一階層の魔素濃度が――」
端末を見ながら顔を青くしてる先輩。
彼女の言葉を引き継ぐ様に、ロビーに飛んで来た探索者が叫んだ。
「魔素濃度の異常です! 一階層どころか、この場所まで魔素が満ちてる!」
そう言って息を切らしているのは、私の好きな配信者――
「ミドリちゃん!」
彼女は両脇に抱えていた探索者をその場に下ろすと、受付を飛び越えて私達の側に来る。
「あ、宮本さん、心配してたのはあの二人です。ミドリちゃんが助けてくれたんだね」
「うん、魔物に追われてたから抱えて来ちゃった。それより……」
今一番大事なのは、この非常事態でそれぞれがどう動くべきか、だ。
それを指示出来る立場の人が、良いタイミングで現れた。
支部長の黒田さんだ。
「今この場にいる探索者の皆様に緊急出動を要請します! 魔物がダンジョンから出て来る可能性を考慮し、この場で迎え撃つ態勢を整えて下さい!」
しかし、それを聞いた探索者達は不安そうにしている。
探索者には、こういう非常事態の時に出動する義務がある。
だから皆んなこの場に残っているけど、内心は逃げ出したいんだと思う。
それを察してしまうくらい、彼らの表情には怯えが浮かんでいる。
そんな中、一人の少女が声を上げる。
「迎え撃つ態勢? そんなの既に整ってますよ! 私達探索者はいつだって、どんな状況にも対応して来たんですから。そうでしょう?」
そう言いながら、テーブルの上にある紙コップに指先を向け、風魔法でそれを吹き飛ばすミドリちゃん。
本当に魔素が溢れているんだ……。じゃあいつ魔物が出て来てもおかしくない。
でも力が使えるというのは、探索者にとって心強いもの。
「そ、そうだよな。やる事はいつもと変わらねー」
「俺達で守ってみせようぜ」
自分より若い子に煽られて、探索者達は強がりながらも戦う姿勢を見せる。
ミドリちゃん、強くなったな……。
「舞ちゃん、心配な探索者はあの二人だけ?」
「あ、えぇと……後は今ロビーのモニターに映ってるあの配信者の方と、レイジさんがソロで二十階層まで潜ってるのが心配ですね」
「いや、レイジ様なら大丈夫ね。寧ろダンジョン内で敵を減らしてくれてる筈よ。それと、配信の子も……もう直ぐ出て来るか」
宮本さんはレイジさんのファンだからか、信頼がすごい。
まぁ、実際なんとかなりそうではある。
配信者の子は、丁度いま一階層に上がって来たところで――
「なっ、凄い魔物の数!」
カメラが捉えたのは、逃げる少女と後を追う化物の数々。
「このままだと魔物がダンジョンから出て来ます!」
「扉を開放し、逃走中の探索者が見え次第直ぐに救出しましょう! 後から来る魔物はこの場で迎え撃って下さい! 非戦闘員は直ちに避難を!」
ダンジョンの入口は、頑丈な壁で覆われた部屋の中にある。
そこから外に出て来るとしたら、このロビーに出る道しかない。
魔物が殺到するのは怖いけど、街に散らばるよりはずっといい。どうにかこの場で探索者達が抑えてくれればいいけど……。
「宮本さん、朱雀さん達を避難させて下さい。最寄りの避難所は中央小学校です。隣市の探索者協会にも要請を出したので、避難所の守りは心配ないでしょう」
探索者に指示を出し終えた黒田さんが、こっちに来て避難を促す。
「わかりました……皆さんあとはお願いします!」
そう言って頭を下げる宮本さんに続いて、私も挨拶しようとした時――激しい爆発音が響いた。
「きゃぁあぁぁっ!?」
リアルに人が吹き飛ぶのを初めて見た。
その子はさっきまでモニターに映っていた配信者の子だ。
幸いにも彼女は探索者の一人にキャッチされて事なきを得たけど――
「部屋が、破壊されてる……」
さっきの爆発でダンジョンの入口を囲う壁は砕け散り、出て来た魔物が四方八方へ散らばって行く。
そんな絶望的な状況を唖然としたまま眺める私達に、大牛の魔物、ミノタウロスがが迫り来る。
「――っ」
息を呑む瞬間、視界の隅で眩い炎が爆ぜた。
「グモォォオ!」
ミノタウロスの悲痛な叫びを聞き、助かったんだと悟る。
「ここは僕達に任せて、戦えない人は避難してください!」
そう言って現れたのは、制服姿の太一さん。
学校からそのまま来てくれたんだ。
「私達がいても邪魔なだけだね……行くよ皆んな! ほら、舞ちゃんも!」
「は、はい!」
宮本さんに背中を押されて、慌てて足を動かす。
背後では探索者達の怒声や、指示を飛ばす黒田さんの声が聞こえて来る。
そして、魔物が解き放たれた街が、少しずつ破壊されて行く音も。
「全部で六人か……俺が君達の護衛に着くことになった! 君達のペースで走ってくれ!」
不安を隠せない私達の後ろから、太一さんのチームメンバーの男の人が駆け寄って来た。
貴重な人員を私達のために割いてくれるなんてありがたい。
「チッ、車が使えたら楽だったのに……」
走りながら駐車場の方を見て、舌打ちする宮本さん。
視線の先では、ダンジョンから出て来たオークが不思議そうに車を殴り付けている。
「なんて野蛮なの……」
同じ様にその光景を見ていたバイト仲間が呟く。
その呟きが聞こえたわけじゃないだろうけど、こっちに気付いたオークが嬉々として駆け寄って来た。
「ひっ!」
悲鳴を漏らし、パニックに陥りかける子もいるけど、流石は太一さんの仲間。
「オーク一体くらいなら問題ない! 直ぐに片付けて後を追うから、そのまま走ってくれ!」
迫り来る魔物に剣を向ける姿は頼もしい。
彼を残して私達は走る、とにかく走る。
とは言ってもペースはそんなに速くない。
……いや、これは私の感覚か。
他の皆んなは一生懸命走ってるけど、私は体力があるから結構余裕。
余裕があったから、周囲がよく見えていた。
だからこそ、私は見つけられた。
百メートル程離れた公園でキョロキョロしてる、不安そうな顔の少女を。
「――! みずほちゃん、子供を見つけたから助けに行って来る。皆んなは先に行ってて!」
「え、ちょ――」
前を走るバイト仲間に声をかけてから、私は右を向いて全力で走る。
チラリと後ろを向くと、先頭の宮本さんは私がいなくなった事に気付かず走り続けている。
よかった、皆んなの足を止めずに済んで。
みずほちゃんは皆んなに着いて行くのに必死で、宮本さんに声を掛けられないでいる。
後でちゃんと謝ろう。
今はとにかく、あの子を避難させないと。
「ふぅ……キミ、どうしたの? 逃げ遅れちゃった?」
少女に駆け寄り、息を整えながら質問する。
五歳くらいだろうか。女の子は小さなスケッチブックを胸に抱えて、オドオドしている。
「うぅんと……よくわかんない。絵をかいてたら、みんないなくって……」
「そっかそっか。集中しててサイレンが聞こえなかったんだね……今ね、ちょっと大変だから、お姉さんと一緒にみんなの所行こっか。お父さんとお母さんは近くにいる?」
「ううん。今日は一人できたの」
この子の親は無事に避難出来たかな?
それとも、この子を探して外を歩いてるのかな。
出来れば探してあげたいけど、それは危険か。
とにかく避難所に向かおう。
「よし、じゃあ行こ――」
女の子の手を握っていざ出発、と歩き出そうとした時。
メキメキと木が倒れる音がして、その方向を向けば、見上げるほど大きな蛇の姿。
「ダイジャってほんとにいるんだね!」
状況がわかってないこの子に声を掛けてあげる事も出来ない。
恐怖が湧き上がって来て、思考停止する。
どうすればいい。
探索者はいつもこんなのと戦っていたの?
動画で見るよりずっと恐ろしい。
逃げなきゃ。
逃げ――
「――っ!」
思考が働かず、作戦も思い付かない。
それでも敵は待ってくれない。
上から叩き付けられた尻尾を、女の子を抱えながら思い切り飛んで避けた。
奇跡としか言いようがなかった。
一般人の私にこんな力があったとは。まさに火事場の馬鹿力。
だけど後先考えずに、いや、考える余裕すらなく飛んだせいで、私達は抱き合いながら無様に地面を転がる。
その姿はなんとも無防備だ。
強い衝撃を受けた驚きと痛みで、女の子は泣き出す。
私だって泣きたいよ。
でも泣いたって魔物は手加減してくれない。
片腕で地面を叩いて体を起こす。
すぐ後ろに迫っていた牙から、身を捩りながらなんとか逃げる。
なんだ、私結構動けるじゃん。
このまま逃げ延び――
「ぐ――っ!?」
気付いたら、体を木に打ち付けられていた。
痛みを感じると同時に、あの尻尾に殴打されたのだと気付いた。
「ぅぐ……ヒック……」
よかった、女の子は無事だ。
私の腕の中で、身じろぎしながら泣いている。
「大丈夫、だよ。だいじょーぶ」
何が大丈夫なのかよくわからないけど、他になんて言えばいいのかわからない。
もう逃げる力もないのに、無責任にも子どもを安心させようとしている。
でも、不思議と絶望はしていない。
大丈夫って、割と本気で思ってるのかもしれない。
大蛇の牙が迫る。
私は動けない。
このままじゃ私もこの子も死んじゃう。
だけど――そうはならなかった。
いつも見ていた。
誰よりも応援していた。
一番憧れていたその人がよく使う氷の剣が、大蛇の頭を斬り落としていた。
「おに――」
来てくれると思ってた。
信じてたその人を呼ぼうとして、だけど、様子が違う事に気付いて言葉を中断する。
「…………」
氷の剣を持った、ローブを着た人はジッと私の目を凝視している。
フードで顔は見えないし、輪郭もハッキリしない。印象に残りづらい、目を離したらすぐに忘れてしまいそうな人。
だけどこれだけはわかる。
この人は兄ではない。
「あ、えっと、助けてくれてありがとうございます……」
見覚えがあり過ぎる氷の剣について聞きたい気持ちはあったけど、まずはお礼だ。
そう思って頭を下げると、目の前の人はようやく口を開いてくれた。
「…………似てる」
しかしボソッと呟かれたその言葉にどんな意味が込められているのかわからず、首を傾げる。
「……なんでもない。歩ける? 安全な場所がどこかわかる?」
「あ、はい、なんとか……。えっと、中央小学校が一番近い避難所ですけど……」
「じゃあそこに向か――」
途中で言葉を切ったローブの人は、どこから出したのか、岩で作られた盾を手に持って横を向いた。
硬いものがぶつかる音がしてその方向を見ると、瓦礫を手に持った魔物、コボルトの姿。
家屋を破壊し、その瓦礫をこっちに投げ付けて来たんだ。
なんて酷い。
魔物の破壊行動に苛立ちが募る。
そんな私に、ローブの人は唐突に質問して来た。
「……ねぇ。武器がひとりでに飛び回ってたら、変かな?」
「は……?」
こんな時にふざけているのかと、そう思ってしまう。
だけどローブの人はふざけてる様子もなく、
「やっぱり変か……」
と、残念そうに呟く。
そして覚悟を決めた様に剣を握り直し、岩の盾を私に渡すと、「うまく隠れてて」と言ってから走り出した。
ローブの人は特別速いわけでもないし、剣を振り慣れてるわけでもなさそうだった。
だけど、驚く程戦い慣れていた。
魔物に恐れる様子もなく、冷静に攻撃を避けながら魔物の急所を狙う。
その姿は、稀に配信に映るお兄ちゃんの姿によく似ていた。
そうしてあっという間に敵を片付けたその人は、魔物が光の粒子になって消えるのを確認してから私の方に振り向いて――大声で叫んだ。
「――危ない!」
強い人に助けられて気が緩んでいたのかもしれない。
反対方向から走って来る、大きなイノシシに気付かないなんて。
突進するイノシシは速い。
立ち上がって避ける暇は無い。
ならせめて盾で――
きっとただでは済まない。
だけど、せめて胸に抱いた女の子だけは助かる様にと、岩盾と自分の身体でこの子を守る。
そして――
轟音が響く。
しかし恐れていた衝撃は訪れない。
「――こんな時まで人助けなんて、立派だな」
轟音の正体は、空から降り立った探索者がイノシシを踏み付け、地面に陥没させた音だった。
「おに――」
今度こそ、間違いなく、兄だ。
この世で最も頼りになるその人の登場に、こんな災害時だというのに希望で胸がいっぱいになる。
だというのに、私の言葉はまたしても最後まで言い切る事は出来なかった。
「リュー!!」
ローブの人が走り寄って、そのままお兄ちゃんの胸に飛び込んだ。
私も兄も、驚きと困惑に目を丸くした。
だけど、兄は驚きつつも理解を示した。
「なん……で……ここにいるんだ、ミーシャ……」
何故、と疑問を浮かべながらも、兄の目は喜び、信頼感、好意、そういったポジティブな感情で輝いていて、ローブの人の抱擁を受け入れている。
そこでようやく理解した。
この人は異世界人で、お兄ちゃんの仲間なんだ。
理解と同時にリュドミラちゃんの言葉を思い出す。
『貴女こそ知っているんですか? リュート君が迷宮に落ちてから誰と出会い、どんな戦いを乗り越えて来たのか。その中で助け合った仲間に対して、どれだけ厚い信頼と好意を寄せているのか』
私は知らなかった。
人と関わる事が下手っぴなお兄ちゃんが、こんなに優しい顔で他人と接するのを初めて見た。
お兄ちゃんにとって、この人はよっぽど大事な人なんだろう。
黒い感情が沸々と湧き上がってくる。
異世界人がここに来た理由。
それはきっと……いや、間違いなくお兄ちゃんを連れ戻す為だ。
そうはさせない。
当然でしょ?
お兄ちゃんの居るべき場所はこの世界なんだから。
それに、リュドミラちゃんにお願いされたんだ。
お兄ちゃんを引き留めてって。
だから――
――私、ちゃんとやるよ、リュドミラちゃん。




