幕間 消えぬ炎1
シャミスタの街よりも遥か北、エルゼア大陸最北部を目指して、私は走り続けた。
馬よりも速く、長距離を駆け続ける。
少しでも速度を落とせば、後ろから追って来ているシフティに捕まってしまう。
これはそういう試練だった。
私が逃げながら目的地へ向かい、そこに無事辿り着ければ次の試練を受けられる。
「速度が落ちてますよ!」
背後から迫る氷柱を躱しながら走る。
時には振り向き、剣で弾く。
食事も睡眠もロクに取れずに三日間走り続けた。
人って、案外やれば出来るものなのよね。
長い夜を超えて、日が昇り始めた頃、私は雪山の頂上に――目的地に辿り着いた。
「まずまずの結果です。長時間戦い続ける体力がある事は確認出来ました」
「流石に疲れたわ……」
追って来ていたシフティに背後から声を掛けられ、剣を置いてその場に座り込む。
この寒さも、雪の冷たさも、熱を上げる身体には心地良い。
「次の試練に行く前に、話をしましょうか」
「休む暇も与えてくれないのね……」
「休む為に話をするんじゃないですか」
話してる間に効率的な回復をしろって事ね。
携帯食料を取り出して、それを齧りながら汗をかいた身体を拭く。本当ならお風呂に入りたいけど、当分それは叶わないんでしょうね。
「さて。レイラさんはリュートさんを助けるという意思を今も持っていますか?」
「当たり前じゃない。今更覚悟の確認?」
無駄話なら付き合いたくないのだけれど。
「……いえ、最終確認です。答えが変わっていないのは、残念です」
残念? 私じゃ彼を助けられないとでも言いたいのかしら?
例えそうだとしても、私はやるわ。
「ところでレイラさん。人の命は平等ではない。それぞれ価値が違うと、そう考えた事はありませんか?」
突然話題が変わって困惑するけど、一応答える。
「まぁ、言いたい事はわかるわよ。人を守れる様な力や知識、人の暮らしを便利にするような発想力とか、社会に貢献出来る様な人間は価値が高いって言いたいのよね?」
「えぇ、仰る通り。この、人への貢献度という観点でフィオナを見た時、彼女は何者にも変え難い程の価値を持つ、それこそ唯一無二の存在だと思いませんか?」
「まぁ、そうね……」
「そんなフィオナですが、次の戦いでリュドミラと共に死のうとしてます」
「……え?」
「正確に言えば死よりも恐ろしい、虚無へ向かっています。彼女はリュートさんを救うと同時に、リュドミラを虚無の中に道連れにしようとしているのです」
彼女がそんな事を目論んでいるとは知らなかった。
フィオナには死んで欲しくないし、死ぬべきじゃない。
「だから、リュドミラを殺す役目は私が奪おうと思っています」
「……え? 貴女が?」
「はい、その為に巫術を学んで来ましたから――」
「道連れになるしか手段がないんでしょ? それって、貴女がフィオナの代わりに死ぬって事? 言っておくけど、貴女だって価値ある人の一人よ」
「おや、心配してくれているのですか? ありがたいですが、残念ながら私は寿命が近い。これ以上価値を残せないので、私の犠牲はそれ程大きな損失ではありませんよ」
寿命? そっか、雪人族だから見た目がわからないけど、そんな歳なのね。
でも、だからと言って彼女の犠牲を認められるわけじゃない。
「ただ、一つ……謝罪しなくてはなりません」
シフティは心底悲しそうに言った。
「私の巫術では、リュートさんを救う事は出来ません。彼の身体の中にある二つの魂……リュドミラとリュートさん、そして術者の私。三人で死に向かいます」
「――は?」
それって、リュートの命を諦めたって事?
そんなの許せない。
シフティの本心を確認する為に彼女を見上げて――
「――――ぇ?」
「謝罪します。私の目的を妨げそうな貴女達を、殺す事を」
シフティが一瞬にして作り上げた氷の剣が、私の腹部を貫いている。
それを見て、流れる血が雪を赤く染めていって、少しずつ理解して行く。
「ですが、これが私の選択です。最も生きるべき人間は、フィオナですから」
裏切られた。
いや、最初はリュートを救うつもりもあったのかもしれない。
だけど、フィオナが死ぬと知った彼女は、リュートよりもフィオナの命を優先したんだ。
つまり、私達の明確な敵だ。
「ゆる、さない……! わたし……達は、絶対にアイツを救って……」
「不可能です。貴女はここで終わりですから」
シフティが右足で地面を叩くと同時に、私が倒れた地面が盛り上がり、巨大な氷の柱が飛び出した。
それは私の身体を押し上げながら空へと打ち上がり――私はそこから崖下まで落ちて行く。
こんな所で終わりたくない。
終わらせてはいけない。
そんな想いとは裏腹に、意識はどんどん遠退いて行く。
落ちていく私を、崖の上から見下ろすシフティの姿が見えた。
許さない。
絶対にアイツを倒して、邪神を倒して、リュートを助ける。可能ならばフィオナにも生きて貰いたい。
その為には、まず生き残らないと。
どうにか生き残って、
そしたら、
その後は――
次回 六章「静かな隣人」