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深夜の帰宅

作者: 放浪日和

作者が幼少時、母を通して実際に祖母から聞いた話に、脚色を加えて再構成したものです。

 私の母が生まれるより更に前の話だが、祖母がまだ若い頃、妹(私にとっての大叔母)と一緒に住んでいたことがあった。

 気楽な独り者同士の姉妹として、同じ部屋を借りて仲良く共同生活をしていたらしい。お互い別々に仕事をしていたので、必要以上の干渉はせず、最低限の家事分担以外は付かず離れずの楽な状態だったと聞いている。

 特に妹は、サービス業の仕事で夜が遅くなることも多かった。そんな日は、祖母は先に夕飯を済ませ、先に就寝していた。携帯電話などなかった時代のこと、特に連絡はせずとも夕飯までに帰って来なければ察し…という状態だった。


 そんなある晩。

 妹が帰って来ないので、祖母はいつものように先に夕飯と入浴を済ませ、床についていた。いつも通りの夜だった。

 眠りに入りかけ、半ば夢うつつになっていたその時。

 玄関の外の道から、コツコツと足音が聞こえてきた。近しいものにだけ判る、聞き慣れた身内の足音。

 …ああ、あの子が帰ってきた…。

 すぐに妹の足音と気付いた祖母だったが、特に起き出そうとは思わなかった。割といつものことだったし、夕飯も風呂も済ませて布団に入ってしまったら、もうあまり起き出したくはない。枕元にある時計の蓄光の針にちらりと目をやると、時刻は既に午前0時を回っていた。ずいぶん遅くまで仕事をしていたらしい。それとも、同僚との付き合いでもあったのだろうか。

 じきに、いつものようにガチャガチャと玄関の鍵を開ける音が聞こえ、ガラリと玄関の戸を開けて妹が入ってくる。祖母はそう考え、寝返りをうった。

 ところが、しばらく経っても、玄関の鍵を開ける音は聞こえてこなかった。

 …玄関の鍵を無くしでもしたかな?

 布団の中で、ぼんやりと祖母はそう考えた。

 もし鍵を無くしたのならば、玄関のチャイムを鳴らすか、自分が寝ている部屋の窓をノックして開けてくれと頼んでくるだろう。その催促が来るまでは、できれば布団から出たくない。祖母はしらばっくれて、布団に潜り込んだままでいた。

 ところが、しばらく外の気配に耳を澄ませていたものの、妹が寝室側に回り込んでくる気配はなかった。その代わり、再び外の道から玄関に向かって歩いてくる妹の足音がコツコツと聞こえてきた。いつの間にか、外の駐車場まで戻っていたらしい。

 …あら、車まで家の鍵を探しに戻ったかな?

 足音は、再び玄関の前で止まった。今度こそ、家の鍵をガチャガチャと開け、妹が入って来るに違いない。

 しかし、またしても家の鍵が開く気配はなかった。

 …鍵、無くしたな。アイツ。

 布団に潜り込んだまま、祖母はクスリと笑った。鍵が見当たらず、バッグや車の中を焦って探し回る妹の姿が目に浮かんだ。

 深夜で自分がとっくに寝ているものと思って、起こすことを躊躇しているのかも知れない。出ていって、玄関を開けてやるべきだろうか。

 しかし、いったん完全に眠る態勢に入ってしまった身体を起こすのはとても億劫だった。そうでなくとも、今にも睡眠に入ろうとしてウトウトしかけていた矢先のことだったのだ。

 …そのうち鍵を探すのを諦めて、私の部屋の窓を叩くか、チャイムを鳴らすだろう。

 …それが聞こえたら、起きればいいや。

 祖母はそう考え、もう一度寝返りをうった。

 そうしてしばらくすると、またしても外の道から玄関に向かって歩いてくる妹の足音がコツコツと聞こえてきた。

 …え、また車に戻ったの?

 三度も車と玄関の間を行ったり来たりして、本当に鍵を無くして途方にくれているのかも知れない。さすがに、祖母も心配になった。

 …やっぱり起きて、玄関を開けてあげようか…

 しかし、祖母の眠気はもはや限界状態になっていた。

 「早く、チャイム鳴らしなさいよ…そしたら起きるから…」

 祖母は再び寝返りをうち、独り言のように呟いた。もはや、夢と現を彷徨っている状態だった…


 鳴り響く黒電話のベルの音で、ようやく目が醒めた。

 気が付くといつの間にか夜が明けており、外は既に明るくなっていた。

 あの後、どうやらそのまま眠り込んでしまったらしい。祖母は慌てて寝床から飛び出し、電話の受話器に手を伸ばした。

 「もしもし…」

 寝起きの頭を振って、電話に応答する。時計に目をやると、電話がかかって来るにはまだいくぶん非常識な時間帯だった。

 しかし…電話の相手の言葉を聞いた祖母の顔色は、みるみる蒼ざめていった。

 「えっ…交通事故…?」

 耳に入ってくる言葉が、すぐには理解できなかった。

 …え、だって…あの子は昨夜帰ってきて…

 …あれ?結局、私…あのあと玄関を開けてやったんだっけ?

 祖母は電話を切らずにいったん受話器を置き、妹の部屋の扉をノックもせずに勢いよく開けた。

 部屋には、誰もいなかった。

 布団は綺麗に畳まれており、台所や洗面所を使用した形跡もない。玄関に靴もなかった。妹が帰宅した形跡は、全くといって良いほど見られなかった。

 「あの、待ってください。妹は昨夜、確かに…」

 気が動転したまま、再び受話器を取って上ずった声をあげる。しかし、妹の姿は家の中のどこにも見当たらなかった。

 警察の話によると、昨晩、帰宅途中の妹の運転する車が、交差点で信号無視の車と衝突したとのことだった。シートベルトがまだ努力義務だった時代、シートベルトを着用していなかった妹はガラスを突き破って車外に放り出された。ほぼ即死状態だったらしい。

 そして、事故発生の時刻は…午前0時過ぎ。

 そう。昨晩、祖母の耳に妹の足音が聞こえた、正にその時間帯のことだった。


 この話を初めて聞いた時、私はぞくっとする恐怖をおぼえた。

 その時に祖母の耳に聞こえた足音が、この世のものではないことを理解したからだった。おそらく、誰が聞いてもその手の「怖い話」に区分されるだろう。

 しかし…当の祖母の反応は全く違っていたそうだ。

 「開けてあげれば良かった…あの時、玄関を開けてあげれば良かった!」

 「せっかく…せっかく最後に会いに来てくれたのに!」

 「ごめんなさい!眠気に負けてごめんなさい、ごめんなさい…」

 取り乱して、いつまでもいつまでも泣いていたそうだ。

 たったひとりの姉妹である妹を亡くした悲しみと、亡くなってもなお帰宅しようとした妹の気持ちを推し量り、やるせなさと後悔の気持ちで一杯だったと語っている。それから数十年経った今でもなお、時折自分を責めることがあるという。

 あの夜、大叔母は間違いなく、姉である祖母に最後の別れを告げるために深夜の帰宅をしてきたのだろう。

 たったひとり、もう二度と歩くことのない最後の帰り道を、祖母に会うためにやってきたのだろう。

 そう思うと、私も最初の恐怖は薄れ、やるせない気持ちになるのだった。


 大切な人に最後に会いたいがために…死してなお歩く、深夜の帰り道。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あまり多作品と変わらないな、と思いつつ読み進めていたら、ラストで印象ががらりと変わりました。ホラーとしては弱くとも、お盆の季節に相応しい、良いお話でした。
[良い点] 初めまして通りすがりの読専で御座います。 小説として纏められた時点で脚色はあるのでしょうが、本作は私にとってはホラーというよりも祖母様の後悔に胸を打たれます。 [一言] 当たり前の幸福の日…
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