第一話 「勝負はひりついてこそよね」
ツバキが目を覚ますと、いつもの教室だった。
序列第十位争奪戦が始まる前にいた場所と同じ教室。だが、教室内にはツバキとアイベの二人だけだった。
「くそっ……!」
ツバキがアイベの声に反応し、近づくとアイベは唇を噛み締めながら机を叩く。
「また、負けちまった……!」
そう言うアイベの拳からは血が滲んでいた。
上級生を倒した。
これは紛れもない快挙だ。ツバキもアイベの成長を感じ取っていたし、あわよくば最後まで生き残れるかもしれないと思っていた。
だが、アイベとツバキは二人がかりでありながら、エースの前に何も出来ずに倒された。
「アイベくん……」
エースとの戦いの敗因が自分にあると思っているツバキは、何と声をかけたらいいか分からず立ちすくむ。
ただでさえ、エースとサイトウに憧れているアイベが再び戦う可能性は高いのだ。
エースは人を殺す覚悟をしていると言っていた。
もしも、目標にしているサイトウを殺されたらアイベはどうなるのか。
あるいは、エースの手によってアイベが再起不能になってしまったら自分はどう思うのか。
余りに不透明で暗雲立ち込める未来に、ツバキは自らの腕をさすった。
「こうしちゃいられねえ。特訓だ!! ツバキ、俺特訓してくるぜ!」
だが、ツバキの不安など露知らずアイベは前を向き立ち上がる。
教室を飛び出すアイベの後をツバキは追いかけることが出来なかった。
エースの放ったサイトウに関する話は、アイベには効果がまるでなかった。
それはアイベが単純すぎるバカということもあるのだろう。
だが、ツバキには効果があった。
(なんで、そこまで……)
ツバキが感じているのは絶望感だった。
エースという同年代でありながら圧倒的な実力を有する相手に出会い、そしてその相手と敵対するかもしれない未来を前に彼女は怯えている。
ツバキにとってサイトウは実地演習の時に魔族から救ってくれた恩人ではあるが、それまでだ。
アイベの様にサイトウに特別な思いは抱いていない。
アイベのことを応援したいとは思っているが、自信の命を天秤にかけるほどかと言われれば否と答えるだろう。
胸の内に迷いを抱きつつ、教室を出て廊下を突き進むツバキ。
(自分はどうしたらいいんスか……)
数年前に自らの目標を見失ったあの日から、ツバキの仮面の下は依然として曇ったままだった。
***
入学試験首席のエースが序列第十位を勝ち取った。
その情報は瞬く間に広がった。
全校生徒の前で正式な発表もあり、一年生は口々に彼女を褒めたたえた。
そして、ナンバーズの地位を獲得したエースが真っ先にその特権を用いて創り出した組織が警備隊であった。
学園生だけで構成される、学園の風紀を乱すものを処罰し、その更生を目的として組織である。
今まで学園には力を振りかざし、決闘という学園特有のシステムを悪用する者たちもいた。
警備隊が真っ先に目を付けたのはそういった者たちだった。
ナンバーズであるエース本人が、一年生相手にカツアゲをしていた三年生を決闘で打倒したこともあり、エース並びに警備隊の評価はみるみるうちに上昇していき、学園内で一番の派閥となりつつあった。
そんなことは露知らず、サイトウは賭博場にいた。
平日こそ学園で昼寝をしながら過ごすサイトウだが、休日はほぼ毎日学園の敷地外に出て、遊んでいた。
しかし、毎週のようにそんなことを繰り返していればいずれお金は底を尽きる。
案の定、所持金が減って来たサイトウは聖都の端にあるカジノに来たのだ。
カジノに足を踏み入れたサイトウは喧騒をものともせずに真っすぐにルーレットがある台へと向かう。
サイトウはカジノに慣れているわけではない。
慣れていないからこそ、ルールがシンプルで分かりやすいルーレットを選択したのだ。
ちなみに、聖都ではカジノは合法だ。
更に、お金さえあれば誰でも参加可能である。
あまりに自由な空間だが、ルールも存在する。
それはカジノ内での神器の使用禁止ということだ。
また、万が一魔族が侵入して来れないようにカジノの入り口には魔力に反応する装置が置いてある。
さて、話をサイトウの方に戻そう。
ルーレットの台に辿り着いたサイトウはやけに人だかりが多いことに気付いた。
何事かと思いつつ、自分もルーレットに参加するべく人ごみをかき分け、ディーラーの前に出て空いている席につく。
そこでサイトウは人だかりの理由に気付いた。
サイトウの目の前には高く積み上げられたチップがあった。
そのチップは全て黒に賭けられている。
ここで、ルーレットのルールについて軽く触れておこう。
ルーレットとは回転する円盤に球を投げ入れ、落ちる場所を当てるゲームである。
色は赤と黒、緑の三色で、数字は0、1~36の合計で37個ある。
0だけは緑色で、残りの数字にはそれぞれ均等な数になるように赤と黒が振り分けられている。
つまり、黒に賭けるということは単純に考えれば18/37の確率で当たるということでもある。
「へぇ、どんな男が来たかと思えばガキじゃない。あなたも賭けるのかしら?」
サイトウに話しかけてきたのは真っ黒なドレスに身を包んだブロンズヘアーの美女だった。
手にはグラスに注がれたワインがあり、カジノの雰囲気もあるせいか酷く魅力的に見えた。
――ああ。ディーラー、この金、赤の1番にオールインだ。
ドサッと音を立てながらサイトウの手に会った袋がテーブルの上に乗せられる。
その袋をディーラーは確認すると、金額に応じたチップをサイトウが言った赤のマークがついた場所に積み上げていく。
その量は、すぐ隣の黒に積み上げられたチップより僅かに多かった。
「おお……! すげえぞ、あのガキ!」
「ああ。しかも赤の1番に一点賭けのオールインだ。余程のバカか、はたまたとんでもねえ勝負師か。こいつは見ものだぜ」
「も、もし当たれば配当は36倍! あのチップの量を見る限り金貨百枚は確実だぜ……」
「金貨百枚もあれば家一軒立てることだって夢じゃねえ……。こいつは大勝負だぜ!」
サイトウの一点賭けにどんどん人だかりが増えていく。
この無謀な賭け方には普段冷静なディーラーも苦笑いを浮かべていたが、サイトウの隣にいた美女は目を大きく見開き、動揺していた。
「あ、あなた、正気? 確かに一点賭けはオッズが最も大きいわ。でも、当たる確率は1/37の3%未満よ」
――はした金を手にするつもりはない。俺はここに勝ちに来ているんだ。
恐れを知らぬサイトウの言葉に、美女は大きな笑い声をあげる。
そして、一通り笑い終えた後、彼女はサイトウに向けて不敵な笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。この私としたことが、いつの間にか勝負のカンを忘れていたらしいわ。勝負はひりついてこそよね。ディーラー、黒の2番にオールインに変更でお願い」
「「「……ッ!!!」」」
この一言にはその場にいる全員が息を呑んだ。
ディーラーは「こいつらマジか」という表情を浮かべながら冷や汗を浮かべていた。
そんな周囲の反応を他所に、美女はサイトウの方に身体を寄せる。
「ふふふ。あなたみたいな無謀な子は嫌いじゃないわ。どうかしら、この後私の奢りで飲みにいかない?」
――それは悪くない。だが、生憎とあんたの金はこの賭けで無くなるだろうし、飲みは俺が奢ろう。
「言うじゃない。いいわ、この勝負に勝った方が奢る。決まりね」
――構わん。
美女とサイトウが見つめる中、ディーラーが遂にルーレットに球を放り込む。
コロコロと勢いよく転がり始めた球にその場にいる全ての人の視線が集まる。
やがて、球の速度が緩やかになり、そして停止した――。
***
「やっぱガキはガキだな」
「ただのバカ二人だったか」
「そう言ってやるな、テンション上がってかっこつけるなんてよくある話だろ」
カジノの出口、その横で黒いドレスに身を包んだ美女は体育座りをして顔を伏せていた。
その横にはサイトウの姿もあった。
――そう落ち込むな。金が無くなっただけだろう。
「逆にどうしてあなたは平然としていられるのよ。あんなにかっこつけておきながら二人とも大外しよ! しかも、一文無し!!」
そう。
美女の言う通り、この二人は一文無しだった。
球が止まったのは緑の0番。二人が持っていた全ての所持金分のチップはディーラーに持っていかれ、二人はカジノを追い出された。
その姿を見て観客たちは鼻で笑っていた。
――そうだな。
冷静に呟くサイトウだが、実はサイトウも困っていた。
休日に肉を好きなだけ食べることがサイトウの楽しみの一つだ。しかし、お金が無ければそれが出来ない。
――冒険者ギルドに行くか。
冒険者ギルド。
神器を扱うことが出来るものの、聖騎士になれなかった、あるいはならなかった者たちが所属する仕事の斡旋施設である。
学生の身分ではあるが、神器を使えるという条件を満たしているサイトウでも冒険者ギルドで依頼を受注することは出来る。
カジノで一発当てることに失敗したサイトウがお金を稼ぐにはそれが一番手っ取り早かった。
早速、冒険者ギルドに向けて歩き出そうとするサイトウだったが、そのサイトウを美女は呼び止める。
「あなた、神器が使えるの?」
――ああ。
「へぇ。うん、そうね……。いい儲け話があるんだけど、あなたも来るかしら?」
どこか含みのある笑みを浮かべながら美女はサイトウを勧誘する。
怪しさしかない誘いだが、サイトウの直感はこの美女の誘いに乗るべきだと言っていた。
――行かせてもらおう。
「そうこなくっちゃ。そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はパール。よろしくね」
――サイトウだ。
こうして、サイトウはパールに連れられ、聖都の中心に位置する聖教会へと向かった。
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