第八話 そいつは悪くない
「ああっ! こんなに血だらけになって!」
チチブの頭に直撃した哺乳瓶を拾いつつ、素早くサイトウの傍に膝をつくマリア。
そして、彼女はそのまま哺乳瓶をサイトウにほぼ無理矢理咥えさせた。
――んぐ!?
最初こそ驚いていたサイトウだったが、哺乳瓶から流れ込んでくる液体を口にした途端に大人しくなる。
暫くすると、パックリ開いていたサイトウの胸から流れていた血が止まった。
これがマリアの神器が持つ力の一つだった。
哺乳瓶の中に、接種した対象の身体能力を大幅に向上させる液体が入っている。
身体能力とは文字通り、ほぼ全ての能力であり、体が持つ自然治癒力や血液を生成する器官の働きも活性化させる。
見た目こそ年頃の男女には抵抗感を感じさせるが、非常に優秀な支援系の能力だ。
「不意打ちとは酷いじゃないか。君の素晴らしいおっぱいに免じて許すけどね」
哺乳瓶を受けた頭をさすりながらチチブがマリアの下に歩み寄る。
チチブの表情には笑顔が浮かんでいたが、マリアはチチブを強く睨みつけていた。
「チチブ先輩、これはどういうことですか?」
「ひっ」
チチブはマリアの背後に火を噴くドラゴンを幻視した。
思わず後ずさる、チチブにマリアが一歩詰め寄る。
「私たちナンバーズの仕事は今年の一年生を見定めることです。必要があると判断すれば戦ってもいいとされていますが、基本的には私たちが一年生を倒してはいけません。何故なら、これは彼らの戦いだからです」
「は、はい」
下級生ということは最早関係なかった。
圧倒的な正論と威圧感を武器に、マリアはチチブを追い詰めていた。
「で、これはなんですか?」
マリアが指さすのは血だらけのサイトウである。
マリアの神器の有用性に気付いたのか、今は自らチューチューと美味しそうに哺乳瓶を咥え、中身の液体を飲んでいる。
見た目は余裕そうだが、大量失血のせいで未だに起き上がることは出来ず、序列第十位争奪戦に脱落したことは誰の目からも明らかだった。
「サイトウ君が倒れているね」
「ええ、そうですね。何故ですか?」
「僕がボコボコにしたからだね」
「なるほど。理由だけは聞いてあげます」
自らの拳に息を吹きかけつつ、最後の慈悲とばかりにチチブに問いかけるマリア。
そんなマリアに対して、チチブは堂々と胸を張って答えた。
「譲れないプライドを守るためだ!!」
「そうですか。では、私も譲れないプライドのためにお仕置きさせていただきます!!」
――やめろ。
マリアの振り抜いた拳がチチブの股間を打ち抜こうとしたその時、サイトウの声が響いた。
――そいつは悪くない。
チチブのサイトウに対する印象は、クソガキの狂人である。
本心から思っていないにしてもおっぱいをバカにした愚か者とも思っている。
そんなサイトウが人を庇ったのである。
流石のチチブもこれには目を点にしてしまった。
「サイトウくん……。偉いですね! 自らを殺しかけた相手であろうとも、庇う姿勢! お母さんはサイトウくんが大人になって嬉しいです……」
涙ぐみながら、サイトウの成長を喜ぶマリアだが、マリアは知らない。
そもそもサイトウから喧嘩をふっかけていることも、他でもないサイトウ自身が命がけの戦いを望んでいたことも。
『話しているところ悪いけど、そいつ連れてくから』
不意に空からエアの声が響く。
既にサイトウは戦闘不能とエアは判断した。序列第十位争奪戦から脱落した人物をいつまでも異空間の中に残しておくわけにはいかない。
支配人としての当然の判断だった。
――おい、貸し一つだ。
姿が消える直前、サイトウはチチブの方を見てはっきりとそう言った。
チチブとしては、おっぱい愛好家としてサイトウをボコボコにしたことに後悔は無いが、ナンバーズとしてやり過ぎたということは否めなかったがために、殴られる覚悟はしていた。
それでも、サイトウのおかげで殴られずに済んだことは事実だ。
実際、マリアに殴られる元凶はサイトウでもあるため、ほぼ当たり屋のようなものだが、それでも借りは借りだった。
(やれやれ、面倒な相手に手を出したかもしれないな。まあ、おっぱいは素晴らしいって叫ばせることは出来たしよしとしようか)
サイトウの姿が消えるところを見送ってから、チチブはため息を漏らすとその場を後にしようとする。
だが、そんなチチブの肩をマリアは掴んだ。
「どうしたんだい、マリア? もしかしておっぱいでも揉ませてくれるのかい?」
「いえいえ、私はサイトウ君が止めたので手は出しませんけど、一部始終を見ていた方がご立腹みたいですので、一応伝えておきますね~」
「一部始終を見ていた人? ……ま、まさか」
「そのまさかです~」
ニコニコと笑みを浮かべるマリアにチチブは震えた。
チチブ自身すっかり忘れていたが、序列第十位争奪戦はナンバーズたちによって中からも外からも監視されている。
それはつまり、序列第二位のチチブも頭が上がらない人物が一部始終を見ていたということに他ならない。
次の瞬間、チチブの身体はナンバーズがいつも会議をする部屋に飛んでいた。
エアの能力で強制的にエアの神器内の空間から外にはじき出されたのだ。
戸惑うチチブの肩がガシッと掴まれる。
恐る恐るチチブが振り返ると、そこには笑顔のクリスがいた。
「チチブ、随分楽しそうだったね」
「あ、いや、これは違うんだよクリス」
「勿論、言い訳は聞いてあげるよ。でもやり過ぎだったよね?」
「……はい」
ナンバーズの一人としてはやり過ぎだったことをチチブも自覚しているからこそ、逃れることなど出来なかった。
「なら、罰受けよっか?」
「……はい」
シクシクと涙を流すチチブ。
おっぱい愛好家故にチチブがやり過ぎることはこれが初めてではなかった。
その度にチチブは罰を受けて来た。
その罰はチチブにとって耐えがたいものばかりであった。
「じゃあ、一か月ほどトレール鉱山に行ってきてね」
「……え? トレール鉱山って、あの屈強な男たちが年中鉱石を掘り続けているっていう自然界と魔界の境に位置しているあそこかい?」
「うん、魔物の動きが活発化しているらしくてね、人手が足りないらしいんだ。女性は一人もいないらしいけど、チチブなら大丈夫だよね?」
クリスの言葉にチチブは絶望した。
おっぱい愛好家として、おっぱいの無い生活など耐えられるはずもない。
おまけに魔物との戦いは激務だ。
特に鉱山は魔物が姿を隠せる場所も多く、厄介な地形でもある。
いや、だからこそチチブなのだろう。
神器解放は出来ても神器を全解放出来ない聖騎士は数多くいる。
即ち、現時点でチチブの実力は聖騎士を含めても上位であることは間違いなかった。
「ちなみに、断ったら?」
「今年の学園祭に参加することを禁止するよ」
「直ぐに行ってきます!!」
さっきまで渋っていたのが嘘の様に、部屋を飛び出すチチブ。
終わらない戦争中ということもあり、戦うための力を養うこの学園にも娯楽は存在する。
その一つが年末にある学園祭であった。
チチブはその学園祭のミスコン実行委員会委員長だった。
一年生の頃からナンバーズの権力をフルに使い、ミスコンという体で着飾った美しい女生徒たちのおっぱいを堪能していた。
言ってしまえば、学園祭のミスコンこそがチチブがナンバーズになった理由であり、チチブの一年における最大の楽しみだった。
その楽しみを奪われるくらいなら一か月程度の激務などどうということは無かった。
「はぁ、胸さえ関係なかったら優秀なのに。それにしても、サイトウくんも分かっているじゃないか。おっぱいは脂肪の塊、たくさんあってもいいものじゃないからね」
チチブを見送ってから、クリスは足取り軽く部屋を後にする。
自らの人より少し発達が遅い胸をぺったんこと言うことは依然として許せないが、サイトウの発言にはクリスとしても大いに同意できる部分があった。
お見舞いくらいいってあげてもいいかもしれない。
クリスはお見舞いの品になにを持っていこうか考えながら廊下を突き進む。
後日、お見舞いを持っていったクリスはサイトウに『脂肪の塊とは言ったが、無いよりはあった方がいいだろ。ぺったんこよりはマシだ』と言われ、激怒することになるのだが、それはまた別の話である。
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