第一話 静かにしろ、チビ
サイトウには母がいない。
いや、正確に言うならばサイトウの母はこの世には既にいない。
サイトウが幼い頃に他界した。
そんなサイトウの目の前に「母」を名乗る人物がいる。
しかし、どう見てもその姿はサイトウとそう年齢が変わらない少女である。
――俺の母親は既に他界しているんだがな。
「ああ、安心してください。私は皆さんの心の中の母のようなものです。実在の母とは別物ですよ~」
――そうか。
「はい。ところで、サイトウ君は逃げないんですね~。お母さんは嬉しいです~」
母を自称する少女が未だに身体を起こそうともせず、膝枕されたままのサイトウに微笑みかける。
この少女の名はマリア。
自称・世界の母とのことだが、大抵の生徒からは避けられていた。
その原因はマリアの溢れる母性の前に幼児退行することを恐れる生徒が多いからだが、マリアとしては是非とも自分に甘えてきて欲しいと思っていた。
「他の子は反抗期みたいで、中々甘えてくれないんですよ~」
――そいつは勿体ない。こんなに寝心地のいい枕もないだろうに。
「気に入ってくれて嬉しいです~。あ、耳掃除もしてあげましょうか?」
――頼む。
「は~い」
普段からアイベに自分の世話をさせていることからも分かるが、サイトウは基本的に世話されたい側の人間である。
まあ、折角世話をしても気に入らないことがあれば容赦なく文句を言うため、サイトウを世話したいという人間は殆どいないのだが。
しかしながら、このマリアという少女は全世界の母を自称するだけはあり、優れた包容力と世話力を有していた。
クソガキのサイトウですら、耳掃除の気持ちよさのあまりぐっすりと睡眠している。
「ふふ、クソガキで生意気と聞いていましたが随分と可愛らしいですね~」
まだ幼さの残るサイトウの頬をマリアは優しく撫でる。
「あなたは何故そこまでの力を手に入れたのですか~? どうして、一人で戦おうとするのですか? お母さんは心配です」
まるで本物の母の様に語り掛けるマリア。
しかし、これらは全てマリアの妄想である。
サイトウという人物に接触するに辺り、マリアは事前にサイトウの情報を出来る限り集めていた。
クソガキであり、暴言を撒き散らす傲慢な男。
されど、時計塔で襲撃してきた魔族の撃退、実地演習で生徒たちを守る大活躍を見せた。
そこからマリアが導き出したのは、サイトウが素直になれないが根は優しい子、という設定だった。
その設定が合っているかは分からないが、マリアとしては合っていたら「性癖ドストライクです~」と喜んでサイトウに付きまとうだろう。
合っていなくても「お母さんなので」と付きまとうことは確定しているのだが。
「あ、みーっけ! マリっちゃん、こんなところにいたんかよー。オレっち、探し回ったんだぜ~」
マリアがサイトウの頭を撫でながらそよ風を感じていると、目の前に明るい茶髪にヘアピンを付けたやけにチャラい男子が現れた。
「あらあらまあまあ、チャライ君じゃないですか。どうしたんですか~? お母さんに甘えに来ましたか?」
「ちょっち、それは勘弁っしょー! オレっちとしては、マリっちゃんには母親じゃなくて恋人になって欲しいゼ☆」
「母親と恋人になりたいなんて……。いくらお母さんが大好きでもそんな禁断の関係に手を出しちゃいけませんよ~。メッ! です」
「わお! ちょっ、そのメッ! って奴、可愛すぎッショ!!」
「もう、可愛いだなんて照れますね~」
和気あいあいとしたのんびりした空気がその場に広がる。
しかし、その空気をよしとしない人物が現れる。
「二人とも、関係ない話は止めてください。今日はナンバーズによる会議の日です。早く来てください」
笑顔絶えない会話に無表情で水を差したのは、この学園の序列第八位のエアである。
チャライがマリアを呼びに行くと言ったものの、チャライ一人では不安だということでエアも付いて来たのだ。
案の定、チャライは碌に必要な情報を話すことなく訳の分からない会話を楽しんでいた。
「あらあら、エアちゃんじゃないですか~。最近、会えなくてお母さんは寂しかったんですよ~」
「何度も言いますけど、私はマリアの子供じゃありません」
「そ、そんな……。酷いです~」
「ちょっ、エアちん冷たすぎ~」
ピキピキ。
二人の態度にエアのこめかみに青筋が浮かぶ。
三人は同年代だが、この二人がエアは大がつくほど苦手だった。
ナンバーズは誰もが一癖も二癖もある実力者だ。
その中で常識人側であるエアは肩身が狭い思いをしていた。自分の方が常識人であるにも関わらずだ。
今すぐにでもこの二人を強制的に連行したいが、なまじ実力がある分抵抗されれば面倒だ。
喚き散らしたい気持ちをグッと堪え、エアは努めて冷静に口を開く。
「なんと言ってもらっても結構です。とにかく行きますよ」
エアが語気を強めてそう言う。
すると、その言葉にチャライでもマリアでもない、この場にいたもう一人が真っ先に反応した。
――うるせえ。人が気持ちよく眠ってんだ。静かにしろ、チビ。
「チ――ッ!?」
エアは序列第八位のエリートである。
身長こそ確かに同年代と比べて”ほんの少し”低いが、スーパーエリートなのだ。
そう、それこそ皆が憧れるクリスのような格好いい大人のレディなのである――とエアは思っている。
「こらっ! サイトウ君、いけませんよ~。エアちゃんは可愛らしい女の子なんですから、チビなんて悪口はメッ! ですよ~」
ピキ。
違う。エアは可愛らしい女の子ではない。
格好いい大人のレディだ。
「そうっしょ。確かにエアちんはちびっこだけど、そこが可愛くていいっしょ!」
ピキピキ。
ちびっこではない。エアは”ほんの少し”身長が低めなだけだ。
――チビだろ。俺はこの学園に来てあいつより身長が低い奴を見たことが無いぞ。
「「そ、それは……」」
ピキピキピキ。
3アウト。エアは激怒した。
必ずやこのクソガキと、それと自分を娘扱いしてくる母親気取りの序列第五位としょっちゅう「可愛い、可愛い」と言ってくるやかましいチャラ男を倒さねばならぬ。
「ええ、いいでしょう。序列の順位が実力の順位ではないことを教えてあげます」
「あらあらまあまあ、エアちゃん。それはよくないですね~。お母さんに反抗する悪い子は、おしおきが必要ですね~」
「マジかー。おれっちとしては、可愛い子たちを傷つけるのは遠慮したいんだけどなー。まあ、格好いい姿を見せられるからいいっしょ!」
――気持ちよく寝ていたかっただけなのに。なんでこうなる?
エアは背後から大きな正方形の布を、マリアは胸の谷間から哺乳瓶を、そしてチャライは後ろポケットから笛を、サイトウもポケットからボロ布を取り出す。
一触即発の緊迫した場面で、ほぼ同時にエア、マリア、チャライの三人が叫ぶ。
「「「神器解放――!!」」」
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