92 アンジェラ、跪く
王の間では今日一番の歓声が湧く。
耳がビリビリと痛みを感じるほどの歓声は、サラの正解に歓喜するものだった。
「黙りなさい!!! お前たち黙りなさいよおお!!」
このままではまずい。どうにかしなければいけない。
アンジェラは出したことがないくらいの大声を腹の底から出すと、そのつぶれた声に周りは口を閉ざした。
枢機卿は慌てるだけで場を仕切ることもせず、てんで使い物にならない。
淑女らしからぬ大声ではあったが、背に腹は代えられなかった。
「どういうことよぉ!? 何よこれはぁ!! どうしてサラが分かるのよぉ!! さては勘ねぇ!? そうでしょう!? 理由を言いなさいよ理由をぉ!!」
「……落ち着いてくださいませアンジェラ様。理由なら簡単ですわ。──利き手です」
「…………はぁ? 利き手ぇ!?」
サラの説明にいまいちピンと来ないアンジェラだったが、上段から「ふ」と小さく笑う声に、大袈裟に振り向いた。
「なるほど。さっきの挙手か」
「はい。そのとおりですわカリクス様」
(利き手……!? 挙手……!?)
──記憶をたぐり寄せ、サラが質問をしたときのことを思い出したアンジェラはハッとする。
あのとき確かにティアは左手を、マイアーは右手をあげていた。
しかしアンジェラは言われるまでそのことに一切気が付かなかった。それは何故か。
そもそもアンジェラはティアとマイアーの利き手のことなんて知らなかったからである。知らないことに違和感を持つことなんて、出来るはずがなかった。
アンジェラは怒りと悔しさで両手をわなわなと震わせると、扇子を持っている方の手を勢いよくサラへと向けた。
「事前に二人の利き手が違うことを聞いていたんでしょぉ!? こんなの不正よ不正ぃ!!」
「言葉にはお気を付けください。代理争いにティアとマイアーを参加させたのはアンジェラ様の意思です。質問に関してもアンジェラ様の許可を得ましたし、私はそのルールに則って勝利しただけのことですわ」
「……ぐっ!!!」
(まずいぃ……! どうしたらこの場を逆転出来るぅ……!!)
頭がグルグルする。どうやったらサラの涼しい顔を歪めさせられるのか。どうやったらこの状況を一転させることができるのか。
予想外の結果に思考がうまく働かないアンジェラは、子供のように駄々をこねることしか出来なかった。
「そ、それなら挙手以外にティアとマイアーがサラに何か指示を出したに決まってるわぁ!! 私を陥れようと思ってもそうはいかないんだからぁ!!!」
「……何故二人はそのようなことを? 二人はアンジェラ様付きのメイドです。二人が陥れたくなるようなことをアンジェラ様はなされたのですか?」
「そそ、それはぁ……!!」
「──まあ、それに関しては今は結構」
冷たく言い放ったサラはアンジェラからマイアーに視線を移す。
ティアの前からマイアーの前に一歩ずれたサラは、ゆっくりと手を伸ばした。さらりと、マイアーの短い髪の毛に触れる。
「マイアー、正直に言って大丈夫よ。もう貴方もティアも傷付けさせないわ」
「サラ……様……っ」
「貴方の長い髪を切ったのは自分の意思? それとも──」
優しくも力強いサラの声に、マイアーは堪えきれずにポロポロと涙を流した。
赤い絨毯が涙によってポツポツと色濃く染まる。
マイアーはその瞬間、大きく口を開く。
「やめなさい!!」と叫んだアンジェラの声は、当然ながらマイアーの心には響かなかった。
「止めてくださいって、言ったのに……!! 無理矢理切られたのです……! 私はっ、嫌だとちゃんとお伝えしました……!」
「……分かったわ。ごめんねマイアー、辛かったわね……。教えてくれて……ありがとう」
(上手くいかない上手くいかないぃ……!! 何で何でよぉ! どうしてなのよぉ……!!)
アンジェラの呼吸はどんどんと浅くなっていく。再び聞こえだした周りの声は、歓声ではなくアンジェラを悪く言うひそひそとした声ばかり。
この場を支配していたのはアンジェラのはずだったのに、今となっては儚い記憶と化した。
どうしてこんなことになったのだろう。
本当ならば今頃跪いて口悔しがるサラを見下ろしているはずだった。持って生まれた器が違うのだと嘲笑っているはずだった。
顔が見分けられないという事実を知ったとき、これならば絶対に勝てると、信じてやまなかった。
アンジェラはぽとり、と扇子を赤い絨毯へと落とすと同時に、地面に両膝と両手をついた。
「私……私の……負けぇ……?」
弱々しい声で呟くアンジェラにサラは一瞥をくれてから王の間の後方に視線を移す。
「セミナ、二人を」
「はい。かしこまりました」
マイアーを慰めるようにして抱きしめているティアもまた、我慢の限界だったのか泣いていた。二人をこんな面前で晒すことをいち早くどうにかしなければと考えたサラは、セミナを呼んで二人を後方へと連れて行ってもらったのだった。
王の間の中心で二人だけになったサラとアンジェラ。アンジェラは未だ頭が追いつかない中で、サラに名前を呼ばれてふと顔を上げた。
「私、以前に言いましたわよね?」
「な、何をよぉ…………」
「『次、何かしたら容赦しませんわ』と。二人を下賤な平民共と罵ったことも、マイアーの髪を許可なく切ったことも、どう償うおつもりです」
「……ヒィィィっ!!!」
(その台詞は私が言うはず、だった、のにぃ……っ! またっ、またこの感じぃ……っ、何でこんなに恐れ多いと感じるのよぉ……っ!!!)
いちゃもんをつけることも、言い訳を言うこともまだ出来るはずだと、僅かながらに残っていた希望は、パリン……と音を立てて崩れ去っていく。
もういい。負けを認めよう。王妃にはなれなくても、侯爵令嬢として悠々自適な暮らしを満喫すれば良いじゃないか。適当に謝れば、今ならばまだどうにかなるかもしれない。
アンジェラはそんなふうに考え始める。のだが。
「お待ちなさい! 私から正式に抗議するわ!!」
「お義母様ぁ…………っ」
この場で王妃が声を上げるということは、アンジェラにとってはまさに救いそのものだった。
これならばまだこの場を覆せるかもしれないという希望に、アンジェラの頬は緩む。枢機卿なんかよりも俄然頼りになるのである。
決着がついたはずの王位継承権代理争いに水を差す王妃を制しようと立ち上がったローガンだったが、先に口を開いたのはカリクスだった。
「陛下、今はまだ貴方の出る幕じゃありません。サラに任せましょう」
「しかし……。──いや、分かった」
一切たじろぐことなく言うカリクスに、ローガンは言葉を飲み込んで再び腰を下ろす。
王妃は上段から使用人や家臣たちの辺りを眺めると、目的の人物を見つけたのかカッと目を見開いた。
「ラント!! 前に出てきなさい!!」
「!? はっ、はひ……!!」
駆け足でサラとアンジェラの近くまでやってきたラント。
王妃は立ち上がって扇子で口元を隠すと「ふふ」と笑いが漏れる。してやったりの笑顔を浮かべ、サラを見下ろした。
「早く言っておやりなさい!! サラと双子のメイドは結託していたと! 傍に居たお前ならばそれを証言出来るでしょう!? 私の言ってる意味、分かるわよねぇ!? お前の大切なものがどうなるか!!!」
(なるほどぉ! その手があったわぁ!!)
王妃の発言──逆転の一手にアンジェラは立ち上がる。口角は上げたままで瞳はサラを睨みつけた。
まさに王妃の発言はアンジェラの勝利を再び手繰り寄せるものだった。
ラントの証言次第ではアンジェラの勝利、もしくは代理争いのやり直しが行われるのが目に見えているからだ。
前者ならば言うことはない。後者だとしても枢機卿が紙を引き当てるとならばアンジェラの勝利は決まったようなものだ。
今度は絶対にサラには分からないような問題を言ってしまえば良い。この際周りからの反感なんてどうでも良かった。そんなものは後でどうにでもなる。
サラの表情が一切崩れないことには違和感を持ったが、強がりに違いないとアンジェラはそう思っていた。
「ぼぼっ、僕は……しょの、その…………」
家族を人質に取られているラントは逆らうことが出来ない。事実無根だろうがなんだろうが、アンジェラが有利になるよう発言する道しか残されていない。
だからこその王妃の一手は鋭く、確実にサラの喉を掻っ切るものとなる。
──はずだった。
「失礼いたします!!!」
そのとき、王の間の正門は閉ざしたまま、脱出用に作られた上段に近い部分に作られた出入り口から騎士が一人入ってくる。騎士は片膝をついて頭を下げると、ローガンの言葉を待った。
「一体何事だ」
「マグダット子爵令嬢つきの使用人たちが、重要な話があるから王の間に入れてほしいと」
「重要……?」
王位継承権代理争いの途中に入室を求める、それも使用人がだなんて常識的には有り得ないことだ。騎士の発言にカリクスは、ふとサラを見る。
サラはドレスを揺らしてローガンに視線を向けると、暫しの沈黙を解いて頭を下げた。
「陛下、恐れながらお願い申し上げます。入室許可を頂けませんでしょうか」
どうしたものかとローガンを腕を組むと、カリクスはローガンを見ながら口を開く。
「私の婚約者は理由もなく非常識なことを求めたりしません。どうか入室を許可してやってくださいませんか。責任は私が持ちます」
「……分かった。その者たちの入室を許可しよう」
サラが思慮深いことをローガンは知っている。カリクスがサラに絶大な信頼を置いていることも、それくらいサラが優れていることも。
ローガンの許可はすぐさま伝令され、大きな扉が音を立てて開いた。
王の間にいた全ての人間の意識はそこに集中する。
(ふんっ、使用人くらい何人来ても関係ないわぁ!! ラントが嘘の証言されすればぁ!! 流石にお義母様の発言は脅しているみたいだって後から詮索されるかのうせいは……って、あれは誰よぉ)
王の間に入室した人間のうちアンジェラの見覚えがあったのはカツィルのみ。その後ろにいる二人には一切見覚えはないが服装から見て平民で間違いない。
つまり取るに足らない人間だと、アンジェラは余裕な笑みを浮かべる。
──勝利はもう目前のはずだった。
「お父さんとお義母さん……?」
「ラント……!!」
「なっ、なんですってぇ……!?」
(このタイミングでぇ!? 嘘でしょぉ!?)
突如カツィルが連れてきたラントの両親。ラントに言うことを聞かせるために人質として名前を上げていた人物が大勢の前に姿を現したとなれば、脅しの効力はもはや無に帰した。
姿が見えないからこそ脅しは効いていたのだ。
(どうしようどうしようぉ!! これじゃ本当に負ぇ……?)




