9 サラ、デートの概念が難しい
「サラ様、今日も執務室ですか?」
「ええ。けれどその前に畑の管理を任されているトムさんのところへ行くわ。パトンの実のことで話を詰めないといけないから」
「かしこまりました。お供します」
季節はそろそろ夏になる。サラがアーデナー家へやってきてから早2ヶ月が経とうとしていた。
乾いた生暖かい空気が身体にまとわりつくように吹いては、これからの猛烈な暑さの前章だと知らせてくる。
風通しの良いクリーム色のドレスを身に纏ったサラは、暑さなどものともしない軽やかな足取りで屋敷の裏側にある畑へと繰り出した。
トレードマークの麦わら帽子を見つけたので、サラはセミナに確認することなく声をかける。
「トムさんおはようございます!」
「いらっしゃいサラ様! 今日も元気だね」
「そりゃあもう、ふかふかのベッドに美味しい朝食、それに優雅に紅茶まで飲めるんですもの! 元気に決まっているわ」
「あはは! そりゃ貴族なら当たり前だろうて! サラ様はやっぱり変わってるな」
「!? そそそそそーよねーー。普通よねーー。貴族だもの当然ーー」
「……サラ様、本題に移らなくて良いのですか?」
「ハッ、そうだったわ」
「ありがとうセミナ」とにこやかに微笑んだサラ。
相変わらず嘘を吐くのは『超』がつくほど下手くそな彼女に、セミナは慣れたように話を切り替えた。
一般的な貴族令嬢と違うと言われたとき、サラは嘘を吐いたり誤魔化していると分かったのは初日であり、その全貌は全てカリクスに報告済みである。
今日もサラが『棒読み』を発動したことは、セミナは合間を見て報告するつもりだ。
サラが公爵家に来た次の日、ヴァッシュからサラの気になることは全て報告するようにという命令を受けたセミナは、これがカリクスのサラに対する警戒心や興味という意味ではなく、小さな恋の灯火の現れであることを理解している。
セミナは無表情で感情が読みにくいなんて言われるが、実は観察力に優れているので人の感情には敏感なのである。
「ねぇトムさん、パトンの実のことなんだけど」
「おう、そうだったな! それなら──」
今後の領民の生活を大きく左右するパトンの実の栽培。
パトンの実は程よい甘さがあり、すり潰してはちみつなんかを混ぜて焼くとパンと似た主食になり、そのまま焼いてもあっさりとしていて食べやすく全世代に人気がある。パトンの実一つあれば四人家族が一週間程食に困らないとまで言われている。
しかし欠点があり、天候や気温の変化に弱いということ。
これをアーデナー家で専門家たちのもと栽培することで欠点部分を回避、及び軽減をさせられれば大量生産も夢ではなく、市場は賑わい領民は潤うだろう。
そしてこのパトンの実栽培計画の責任者はカリクスの婚約者であるサラである。
カリクスが命じたのではなく、家臣たちからの進言でこうなったのだから誰も文句を言う者は居ない。
サラが伯爵家で当たり前だと行っていた仕事、まだ未熟だと思っていた知識と経営手腕は誰が見ても一級品であり、カリクスを含め家臣全員がそれを認めたのだ。
サラは未来の公爵夫人としての能力を、有り余るほどに有していたのだった。
けれどサラ自身はそう認識していない。
サラの根本にあるのは、仕事は出来て当然で、まだ自分は未熟者という考え方だ。家族に刷り込まれた負の遺産のような代物はそう簡単には無くなりはしないのである。
「サラ」
背丈よりはるか上、屋敷の方から名前を呼ばれ、サラは話の途中だったが反射的に振り返る。
二階の北側の窓──場所はカリクスの私室と化している執務室で、窓から少し上半身を乗り出してこちらを見ている人物は。
「カリクス様……!」
「よく分かったな。振り返ったら名乗るつもりだったんだが」
「もう流石にお声で分かりますわ……! それにほら、名乗らなくともカリクス様にはチャームポイントがありますもの」
サラはそう言って自分の左目を指差して、カリクスを見つめながら微笑む。
トクン、と心臓が音をたてて、カリクスはたまらなく愛おしい感情が湧き上がってくる。
「…………美しい」
──その笑顔も、優しい心も、清らかさも、聡明さも、全て、君は尊く美しい。
「何かおっしゃいました……? 遠いので聞こえなくて……」
「いや大丈夫。独り言だから。それよりサラ、一つ提案があるんだが」
「はい、何でしょう?」
「デートしないか?」
◆◆◆
カリクスの誘いにより、アーデナー領地の中でも一際賑わうカルダム地区にやってきたサラは首を右に左にと大きく動かしながら歩いていた。
「サラ、あまり余所見していると」
「きゃっ」
「ほら、言っただろう。前を見て歩け」
「申し訳ありません…………」
前方に倒れそうになったサラは、カリクスがお腹辺りを引き寄せるような形で抱きかかえることで事なきを得る。
サラはお礼を述べてから腕を離してもらうと、右隣にいるカリクスに楽しそうに話し掛けた。
「ふふっ、ところでカリクス様、デートと仰っしゃるからびっくりしましたが、視察に行こうという意味だったのですね」
「………………ほう」
「教えてもらわなければ勘違いするところでしたわ。ありがとう、セミナ」
カリクスは、サラの左隣りにいるセミナをじっと見る。
──これはどういうことだ。
カリクスの目線がそう告げている。
セミナはそれが痛いほど理解できたので、ポーカーフェイスは崩さなかったが額には汗がじんわりと滲んだ。
出来れば後で雷を落とされることは避けたかったのだが、もはやどうしようもなかった。
──話は少し遡る。これはカリクスがデートに誘った直後、町であまり目立たないような服装に着替えようと、サラとセミナが自室に戻ったときのことだ。
「ねぇ、セミナ。カリクス様はデートって言っていたけれど、あれは間違っていないかしら?」
「はい?」
いや全く間違っていません、と声を大にして言いたかったセミナだったが、サラがこう思う理由も聞こうと言葉を飲み込む。
サラはお忍び用のワンピースを選びながら、ふぅ、と息をついた。
「だって……デートって恋人とか夫婦とか、お互いを好きな者同士がすることでしょう? あとはそうね、想い人を誘うなんてこともあるみたいだけれど、私たちは政略的に今の状況にあるんだもの。ありえないし………」
「…………なるほど。確かにそこからですよね」
「…………? そこから?」
何のこと? と小首を傾げるサラに、セミナはどうしたものかと頭を捻る。
旦那様がサラ様のことをお好きだから誘ったのでは? と言ってしまえば一番わかり易い気がするのだが、セミナは決して無神経ではないのでそれは言えなかった。
ともすれば言える言葉は限られてくる。
サラが悩むことなくデートに向えるようになる言葉で、カリクスの真意は伝えないような、そんな便利な言葉──。
「視察」
「え?」
「視察に……行こうとお誘いしたのではないですか? サラ様はアーデナー家に来てからまだ町を見ておられませんし、最近ではお仕事に携わっておられますから、見ておいても損はないと──」
「そういうことだったのね……! 流石セミナだわ! 私ったら言葉通り受け取ってしまって……恥ずかしいわ」
赤くなった顔を冷ますように両手でハタハタと手を振るサラに、セミナは背中側に引いた手の拳にギュッと力を込める。
サラにとっての名目はデートから視察に変わってしまったが、二人で町に出かけるということには変わりないので及第点のはず。
良い仕事をした、とセミナは思ったのだが。
「それならセミナも準備をしないとね! あっ、どうせなら……服は私に選ばせてほしいの。セミナのお仕着せ姿しか見たことがないから沢山試着してから決めましょうね? それに髪型も! 髪の毛結うの得意だから任せて! ショートヘアでもハーフアップならできると思うわ! ふふっ、楽しみね」
「…………サ、サラ様、その、この視察はカリクス様と二人で……その」
そもそもカリクスはデートだと思っているのだ。
そこに私が付いていったりしたら──セミナはそう考えて、断固として拒否をしなければと思うのだけれど。
「じゃあ……セミナは来れないの……? 絶対……?」
「………………。いえ、お供いたします」
「本当……!? とても嬉しいわ……!」
「はい。私もですサラ様」
アーデナー家に来た頃は何をするにも遠慮がちだったサラがこう言ってくるのだ。
サラの専属メイドとして、セミナは後日カリクスに雷を落とされることを選んだのだった。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……! セミナ最高結構好きよ! という方もぜひ!