88 サラ、リハビリを求めます
サラの体調が全快したのは12月24日──王位継承権代理争いの前日だった。
午前中には全快との旨を王宮内の人間に伝え周り、皆がサラの元気な姿に喜んだ。
本当は軽く挨拶をするだけのつもりだったのが、皆が一様に「心配していました」「無理はしないでください」「元気になられて良かったです」と伝えてくれるので、サラはそのたびに足を止めて対話し、笑顔を見せた。
仕事はできるが無口な宰相──今後カリクスの右腕となるだろう無口で強面な彼もサラに労りの言葉をかけたときは、サラも含め周りも大層驚いたものだった。
そんなこんなで時間は過ぎていき、もう既に空は赤く染まり始めている。
明日に備えて部屋でゆっくりしようかとサラがソファに腰を下ろしたのとほぼ同時に、扉からコンコンとノックの音が聞こえたのだった。
「サラ様!! カツィル無事帰還致しました!!!」
「煩いですよカツィル」
「し、辛辣〜!! セミナの辛辣な言葉も久しぶりに聞くと懐かしくて嬉しいものです!!」
「カツィル……! お帰りなさい……!」
サラは立ち上がりカツィルに駆け寄ると、ギュッと抱き着いた。
「わわっ」と驚きながらも笑顔のカツィルに、サラも弾けんばかりの笑顔を見せる。
「サラ様は体調を崩しておられたそうですが、もう大丈夫ですか?」
「ええ、もう元気いっぱいよ! カツィルの顔を見たらもっと元気になってきたわ」
「それは嬉しいです……!」
カリクス様がこの状況を見たら羨ましそうな顔をするんだろうな、とセミナはしみじみ思いながらお茶の準備を始める。
いつもはサラにだけだが、今日くらいはカツィルにもと二つティーカップを準備する。
セミナの優しさに気が付いたサラはカツィルをソファに座るように促した。
「失礼致します、って私にもお茶が!? セミナどうしたんですか!? 私が居ない間に何が……!?」
「今日の夜は私の寝言で寝られないと思いなさい」
「セミナごめんなさい!!!」
「ふふ、仲良しね」
体調も戻り、カツィルも戻り、何だか日常が戻ってきた気がする。
このままこの穏やかな空気を楽しんでいたいと思うものの、サラは明日に向けて目を背けるわけにはいかない。
セミナの入れてくれたお茶の鼻孔をくすぐる良い香りにホッと一息をついてから、サラはティーカップを丁寧に置いた。
「……一応確認だけれど。……貴方が笑顔で帰ってきたということは無事だったと考えて良いのよね?」
サラの心配を孕む瞳に、カツィルは花がパッと咲くような満面の笑みを見せる。
「はい! 問題ありません! 距離があったために時間はかかりましたが、全てはサラ様の言うとおりに」
「そう……良かった……っ、カツィル本当にお疲れ様。ありがとう」
安心から吐息が漏れるサラ。
話を聞いていたセミナも安堵したのか薄っすらと少し笑っているようにも見える。
(これで一つ懸念は消えたわ……明日……明日になれば苦しみから解放してあげられる……)
サラはゴクリとお茶を飲み干すと、セミナにも座ってもらって女子三人で語らい合った。
日常的なことも、オルレアンで最近流行っているらしいおしゃれなお店のことも。
──そして、明日の王位継承権代理争いでのことも。
夕食を終えて自室にて。
仕事が終わらなかったカリクスが夕食に来ることはなく、サラは一人部屋で寛いでいた。
本来ならばカツィルとセミナが部屋にいてくれるのだが、カツィルは戻ってきたばかりで疲れているだろうし、セミナはカツィルがいない間働き詰めだったので早めに下がらせたのだった。
(本でも読もうかしら…………)
手に取ったのは双子について詳しく書かれている本。療養中に読んでいたものだ。
理由もなく双子は不吉だとばかり書かれていて、唯一興味深かったものは利き手についての記述だ。
左利きのものが多い、という実験データが載っていたことくらいである。
──コンコン。
「はい、どうぞ」
パタンと本を閉じた瞬間にノックをされ、聞き慣れた足音に、サラはすぐさま扉の方へ視線を移した。
「カリクス様……」
「まともに会うのは三日……いや、四日ぶりだな。三日前はサラの可愛い寝顔を見れたから私は役得だったが」
「……!! ま、またそういうことを……っ!」
サラが普段よりも休養に時間を当てていたこととカリクスが多忙だったことから、話すのは四日ぶりだ。
サラは久しぶりのカリクスにいつもより心躍っているのか、ゆっくり話すために直ぐにお茶の準備を始める。
手慣れた動きではあるが、いつもより動作が格段に早い。
サラの心情を察したカリクスは、サラの近くまで歩いて隣でピタリと立ち止まった。
「……? どうされました?」
「手伝おう。私も早くサラと話したい」
「……! ばっ、バレて……っ」
「あまり可愛いことをしてくれるな。話すだけで済まなくなる」
「…………!?」
照れて使い物にならなくなったサラを「はは」と笑ったカリクス。
何をやらせても器用にこなすカリクスは丁寧に紅茶の準備を済ませるとテーブルに運び、サラをエスコートしてソファへと腰を下ろした。
カリクスは自身の膝の上に座らそうとしたが、断固として拒否されたのは言うまでもない。
流石のサラもその体勢になれば、カリクスに流されてまともに話せないことくらいは容易に想像が出来たのだった。
残念そうにするカリクスだったが、肩と肩が触れ合うくらいの至近距離に座ることは容認してもらったので満足そうである。
甘ったるい雰囲気を醸し出すカリクスに対して、サラは「あ、あ、あ、あの!!」と緊張した声色で話を切り出した。
「その、最近は忙しかったのですか……?」
「ああ。会いに来れなくて済まない。サラはもう完全復帰だと聞いたが……無理はしていないか」
「はい……! ご心配にはおよびませんわ……!」
「ふ、そうか。代理争い当日は事が始まるまでは会えない決まりがあるみたいでな。今夜しか話せないから元気な姿が見れて良かった」
そう言ってカリクスはサラの頭を優しく撫でる。
いつもなら気持ち良さそうにうっとりと目を細めるサラなのだが、今日に限っては違っていた。
「あっ、あ……っ」
「……!」
もうこれ以上にはならないというくらいに顔を赤くするサラ。恥ずかしさで目は潤み、緊張からか吐き出される声は吐息混じりで色っぽい。
カリクスはサラの予想外の反応に、ドクンと心臓が高鳴る。
それでも冷静なふりをして、頭を撫でていた手で髪の毛を掬うと、それを自身の口へと持っていき、ちゅ、と軽く口付けを落とした。
「サラ、可愛い」
「……まっ、待ってくださ、い、今日は、だめです……! 久しぶりなのでリハビリが……っ、リハビリがいります!」
「リハビリ」
──頭を撫でたり髪の毛へのキスでこれならかなり重度では? カリクスにはそう思えてならない。
最近ようやく少しずつサラも慣れてきていたというのに、まさかスタート地点に戻るとは思っていなかった。そりゃあ膝の上に座るだなんて無理な話である。
熱が出て沢山汗をかいたらしいので、その中に恋愛経験値も含まれていたのかもしれない。
とはいえ致し方ない。初な反応もそれはまた可愛いので、カリクスはとりあえず話を済ませることにした。
「それなら先にこれを渡そう」
「もしかしてこれって、養父様からの……?」
テーブルに出されたシンプルな封筒。サラは手にとって差出人を確認すると、プラン・マグダットと書かれている。
マグダットが三日前にオルレアンに訪れ、カリクスが会いに行ったということはセミナから聞いていたので大きな驚きはなかった。
「サラが知りたがっていたことはそこに書いてある。明日の切り札にもなるだろうから後で読んでおいてくれ」
「はい……! ありがとうございます」
「ああ、それと。マグダットが陞爵した。今やあいつは公爵だ。メシュリーのおかげで仕事もどうにか回せているらしい」
「一安心ですわ……。ヴァッシュさん含め皆がこれで安心できます」
「……そうだな。──あと最後に、アンジェラについて調べているとある人についてだが──心配はいらない、どうにかする、だそうだ」
「そ、そうですか…………」
未だその人が誰か見当もついていないサラは、あまりにも抽象的な発言に不安が募るが信じるしかない。
あのメシュリーが頼み事をした相手なのだから、きっと明日になれば書面が届くに違いないだろう。今はそう信じることしか出来なかった。
カリクスは隣でジッと考え込むサラの顔をグイと覗き込む。とある人の見当が付いているカリクスは、サラがその人物のことを考えていると思うと気に食わなかった。ふたりきりの今、愛しの婚約者が他所の男について考えているだなんて良い気分ではない。
いきなりのことに驚いたサラが反対側に逃げようとするので、カリクスは瞬時にサラの手首を掴んだ。
「少しずつリハビリに付き合ってやりたい気持ちもあるが……やはりここは強硬手段に出ようか」




