87 アンジェラ、策を練る
久しぶりということもあって話足りない二人ではあったが、終わりを切り出したのはカリクスだった。
マグダットはコクリと頷くと立ち上がり二人でバーの外に出ると、カリクスは店の前で護衛をしてくれていた騎士たちに声をかける。
「ご苦労だった。あれを用意してくれ」
──あれとは何だろう? マグダットは疑問に思ったが深く追求しないでいると、騎士が二人がかりで何かを運んでくる。
屈強な男たちが大きな麻布を引きずっているので、中身はかなり重いのだろう。
カリクスは再び騎士たちを労る言葉を掛けると、念の為にその麻布の中身を確認する。
満足そうにこくりと頷いたカリクスは、掌を上に向けて人差し指をくいくいと動かし、マグダットにこちらに来るよう指示を出した。
マグダットは小走りで麻布の近くまで行くと、大きく開いたその中身を確認し目を見開いた。
「こ、これってオルレアンでしか取れないはずの!!」
「礼だ。サラが興味深いと言っていたからお前にも──」
「メーティーに目を付けるなんて流石サラさんだ!! ずっとメーティーを直に見てみたかったけれど機会に恵まれなくて……まさか今見られるなんて!! しかもこんなに大量に……!! これは腕がなるぞぉ!!」
「………それは良かったな」
大好きで堪らない植物を目の前に、マグダットは目をキラキラとさせた。
好きなもの──植物について語るときに饒舌になるのは昔からのことだ。メシュリーのことを話すときにも饒舌になっていたことを思い出したカリクスは、ふ、と優しく笑う。
「早くキシュタリアに戻って、メシュリーにもこの喜びを伝えたいな……」
愛おしそうにそう呟いたマグダットに、カリクスは無性にサラに会いたくなった。
◆◆◆
その日の夜。アンジェラの自室にて。
「いやはやいやはや、本当にアンジェラは悪い子だ」
有名な絵画が壁にいくつもかけられており、床には高級な絨毯、テーブルには所々に宝石が使われている。まさに貴族が己の金銭欲を満たすための部屋と言えるだろう。
そんなアンジェラの部屋の四人がけソファには部屋の主のアンジェラが座っている。
その隣には状況を読み込めていない王妃、向かい側に座って厭らしく笑うのは。
「枢機卿様には言われたくありませんわぁ」
──枢機卿。王位継承権代理争いの全権を持っている聖職者である。
小太りなこの男は本来、王位継承権代理争いが終わるまではアンジェラやサラと個人的に会うことは許されていなかった。
公平を期すためにはそれは当然のことだったのだが、それは枢機卿が聖職者としてまともならばの話である。
アンジェラたちのやり取り、それ以前にそもそもこの場に枢機卿がいることに、王妃は顎に手をやって考える素振りを見せてから、疑問を口にする。
「お二人はどういうご関係ですの?」
「お義母様には言っていませんでしたねぇ。実は私と枢機卿様は遠縁の親戚なのですぅ。それで今回の代理争いに私が特別に審判者に推薦しましたのぉ」
「? 教皇様が病気で床に伏せていらっしゃるから代理で来たと言っていなかったかしら?」
「やだぁお義母様ぁ、教皇様は不幸な出来事が起こったと枢機卿様が言ってらしたじゃありませんかぁ」
「!? まさか……」
ハッとした王妃。何かしらを悟ったようで「恐ろしい子ね」とアンジェラに向かって呟く。
「教皇様に毒を盛るのは簡単でしたわねぇ。なんせ枢機卿様が毒の手配も料理に混ぜることも担ってくれたのですものぉ」
「そうすればアンジェラが私を代理争いの審判者に推すからと、君が提案してきたんだろう? しかしまあ、教皇が床に伏せていて審判者を務めたのが私となれば、次期教皇の座は決まったようなものだ。今日の昼間教皇の元へ来客が来ていたみたいだが、医者でもどうにもならない毒だ。気にすることはないだろう」
アンジェラのグラスと枢機卿のグラスが斜めに傾き、キン……と音を鳴らす。
二人は同時にグラスを口につけて喉を潤すと、空っぽになったグラスをテーブルに雑に置いた。
血は争えないというが、アンジェラと枢機卿の地位と名誉に対する執着に、王妃は恐ろしささえ感じる。
疲れた、と言って自室で眠っているフィリップを玉座に就かせることことが出来ると思えば嬉しい限りではあるのだが。
「それはそうと、お義母様もフィリップ様のために凄いですわよねぇ。サラに毒を盛ろうとするなんてぇ。しかもぉ、その罪を家族を人質に取られたラントに被らせようとするんだから感服致しますわぁ」
「ほお。それは凄い。しかしサラ・マグダットが死んだとの報せは届いておりませんなぁ」
「……執事が失敗しましたのよ。愚図はこれだから困るわ。しかもその毒を無くしただなんて言うのよ? 扇子叩いてやったわよ」
つまりそれは自らの失敗と同義だろう。アンジェラはふふ、と笑みを浮かべて空になったグラスにワインを注ぐ。
そもそも直接サラの命を狙うなんて馬鹿げているのだ。いくら全てがうまく行ってラントに罪を着せることが出来たとしても、あのカリクスがそのままにしておくとはアンジェラには思えなかった。
フィリップとは違いカリクスは頭が回る。必ずラントを調べて王妃が操っていたことに辿り着く。
そうすれば、たとえこの件にアンジェラが関わっていないとしても難癖をつけられる可能性があるし、無事に王妃になれたとしても障害が多くなる。
「まあまあ、けれどほらぁ。その愚図も代わりに有益な情報を持ってきたじゃないですかぁ!」
アンジェラは王位継承権代理争いで、現国王や家臣たちの前でサラに勝たなければならないのだ。力の差を示し、全員に王妃に相応しいのはアンジェラだと認めさせなければならない。
この国一番の女性という圧倒的な地位と名誉を、アンジェラは余すことなく自分のものにしなければ気が済まなかった。
「有益な情報? 何だいそれは」
枢機卿がアンジェラに尋ねる。
ニタァと口角を上げて目を細めたアンジェラは、再びグラスを口につけるとワインを飲み干した。
「サラは人の顔が見分けられないみたいですのぉ」
「……? 見分けられない?」
「そうですわよねお義母様ぁ?」
「ええ。普段は声や服装なんかで見分けているらしいわよぉ。詳しい事情は分からないけれど、これを上手く利用すれば代理争いは有利になるのではなくて?」
代理争いで何をするかは公言していない。というよりは厳密にはまだ決まっていなかった。
サラが何が苦手で、何なら確実にアンジェラが勝てるのかを調べてから決める心積もりだったからである。
しかしサラのことを調べる度に、何をしても勝てないという事実が浮き彫りになる。
淑女としての教養、王妃となるための国に対する理解の高さはもちろんのこと、使用人たちから悪い噂は一切聞かず、最近では王宮内でサラが代理争いに勝利することを望んでいる、という声を多く耳にするようになったアンジェラは焦っていた。
しかしそんなときサラの弱点を知ることが出来たのはまさに青天の霹靂だった。
アンジェラは何かを思いついたのか「あ!」と言いながら目を見開く。
「枢機卿様ぁ、お義母様ぁ。こういうのはいかがでしょう? ──────これなら確実に勝てますわぁ?」
「アンジェラさん……やっぱり貴方をフィリップの妻にと推薦して正解だわ」
「これで次の王妃は君だよアンジェラ。そしてフィリップ殿下は国王に、王妃陛下は王太后に、私は教皇になれる」
これで名実共に運命共同体だと言い出したのは誰からだっただろう。
三人はその後浴びるように酒を楽しみながら、自分たちの輝かしい未来に酔いしれた。




