85 ラント、苦渋の決断をする
サラの体調が悪いとラントが知ったのは、正午前のことだった。
疲労から来る高熱というのが医者の見立てらしい。
移るようなものではなく特に隔離処置させるようなことはなかったので、ラントはサラの自室に自由に入ることが出来たのだが。
「サラ様は高熱で汗をよくかくため頻繁に着替えます。今のところラントの仕事はありませんからカリクス様を手伝っては?」
なにか手伝おうと思ったがセミナに門前払いを食らい、ラントはトボトボと廊下を歩いていた。理由が理由なので致し方ないことは分かっているのだが、何だか寂しいような感情も芽生えてくる。
(寂しい? どうしてだ? ただの監視対象、なのに)
二週間と少しではあるが、ラントは主としてのサラに心が惹かれ始めていた。
部屋に案内したときも、その後綺麗になった部屋に案内したときも、アンジェラとのお茶会のときも、手首の痣を見られてしまったときも、サラは優しかった。命じられて温室へ行くよう促したことも、お咎めなしだったのは記憶に新しい。
サラは言葉で圧力を掛けてこようとしない。使用人だから何をしても良いと暴力をふるうこともなく、分け隔てなく優しく接してくれる。
さも当たり前のようにそうしているけれど、それは貴族にとっての当たり前とは掛け離れているのだ。
(そうか……サラ様の力に……なりたいんだ……)
王妃に脅されているラントには、それは芽生えてはいけない感情だった。主のために何かしたいと思っても、ラントは家族の身の安全のためにサラを裏切らなければならないからである。
胸がズキズキと痛くなるほど心苦しいけれど、ラントには家族を見捨てることは出来なかった。ラントは自嘲気味に笑ってから、扉をノックする。
──コンコン。
「王妃陛下、しちゅれ……失礼いたします」
ラントは重たい足取りで王妃の部屋を訪れた。
アンジェラもいつものようにソファにふんぞり返って座っていて、ラントに興味の欠片もなさそうだった。
ピシッと何気なく扇子を閉じる王妃に、ラントは氷水に入ったように身体をギュッと縮こませる。
「そ、その、報告があって参りまち、ました……」
「何かしら? 良い報告なのでしょうね?」
「その…………サラ様が……疲労による高熱との、ことでしゅ、す……」
「……! あら〜そうなの。ふ〜ん?」
ニンマリと笑う王妃の表情はまさに悪女そのものだ。その笑みの矛先がサラに向くことに申し訳ないとは思うものの、隠し事をして矛先が家族に向くことだけはラントは避けなければならなかった。
「ねぇ、ラント、一つ頼みがあるのだけれど」
揺りかごのようになっている椅子から立ち上がった王妃は、軽い足取りで部屋の奥に進む。
棚の上段、その一番上にある小さな包みを手に取ると、ラントの前まで歩いてきたのだった。
アンジェラも何をするのだろうと気になるのか、前のめりになって王妃の動向を窺う。
「さ、これを受け取りなさい」
「…………?」
ラントは両手のひらを上に向けると、そこに載せられた包みをじっと見つめた。
「こ、これは……?」
「ふふ、劇薬よ。これをあのサラの飲み物に入れなさい。無味無臭だから心配はいらな──」
「ち、ちょっと待ってください……!!」
ラントは執事としては新米であるが、何も無知な子供ではない。
攻撃的でサラを排除したがっている王妃が何をさせようとしているか、この包みの中が何なのかなんて大方の予想がついた。
「これだけはご勘弁を……! でっ、できま──」
「お前に口答えする権利なんてないのよ!!!」
──バシンッ!!
「ゔぅ……!!!」
いつもならば周りにバレないように手首を扇子でぶたれるのだが、どうやら王妃は口答えをしたラントに我慢ならなかったらしい。
左頬を真っ赤になるくらいに思い切り扇子で叩いた王妃は、まるで悪魔のように微笑んでラントの両手に中にある包みを指差した。
「命令よ。包みを飲ませてきなさい。心配いらないわ。直ぐに終わるもの。高熱にやられて急変したと皆疑わないでしょう。……出来なければ──」
「……っ」
「頼んだわね、ラント」
ラントは苦渋の決断を迫られていた。
今日に限っては折檻の痛みなんて大したことないと思うくらいに、心臓が悲鳴をあげたのだった。
◆◆◆
「サラ様、少しは食べられそうですか?」
「う、ん、セミナありがとう…………」
夕食の時間になり、ラントは給仕の手伝いをさせてほしいと頼み込んでサラの部屋へと入った。
着替えが済んだばかりなのでしばらくは構わないだろうと許可をしたのはセミナである。
「ラント、スープをサラ様にお願いします」
「は、はひっ」
細かくした野菜が入ったスープをトレーに乗せてベッドサイドに運んでいく。
サラは顔を真っ赤にして辛そうではあったが、一応起き上がるくらいは出来るみたいだった。
どうぞ、とスープを置くと、サラはジッとラントの顔を見つめた。
「あら……ラント、何だか左頬が赤い……? 怪我でもしたの……? 大丈夫……?」
「…………」
まただ。またサラは優しい。
自身の体調が悪いときでも労りの言葉をくれるサラにラントが反応出来ないでいると、サラは小首を傾げる。
同時にセミナはサラの着替えが入ったカゴを持ち上げた。サラの肌着も入っているため、セミナがランドリールームに持っていくのである。
「ラント、すみませんが10分ほど留守にします。サラ様のこと頼みますよ。あとお医者様からおすすめにと教えてただいたお茶があります。お出しして下さい」
「わかりまち、した……!!」
パタンと扉が閉まりふたりきりになった部屋で、ラントはゴクリと固唾を呑んだ。
(やるなら今しかない……今しか……)
サラはぼんやりしながらスープを飲んでいる。 今のうちに包みの中身をお茶に入れてしまえば、全てが終わる。
第一王子──カリクスの婚約者が急死を遂げたとあれば、状況的に真っ先に疑われるのはラントだろう。おそらく王妃の言う頼むとは、罰を受けるところまでが入っていることにラントは気が付いていた。
言うまでもなくサラに害をなす──それも殺したとなれば死刑は免れないだろう。
「…………っ」
ラントはハァハァと過呼吸になりそうになりながら、燕尾服のジャケットの内ポケットから白い包みを取り出す。家族を守るにはこれしかなかった。
──しかし、その瞬間。
ラントは緊張からか手を滑らすと、包みが床にぽとりと落ちる。
まずいと思ったラントは慌ててそれを拾ったのだが。
「ラント、今落としたのは何なの……?」
「……! こっ、これは……」
どうやらサラの視界に入ってしまったらしい。
ラントは顔が真っ青になって全身がブルブル震える中で、どういい訳をしようかと考えているとおもむろにサラが口を開いた。
「今から言うのは全て独り言なのだけれど……オルレアンの法律を記す本に書いてあったの」
「…………?」
「貴族に手を掛けた平民はね……自分だけじゃなくて……家族もろとも罪に問われるみたい」
「…………!!」
「もちろん、絶対とは言い切れないのだけどね」
独り言と称してどうして今、ここでそんな話をするのか。決まっている。
──ラントが何をしようとしたのか、サラは気付いているのである。ラントは全身の毛穴から冷や汗が吹き出した。
「サ、サラ様……っ、その……っ」
動揺で上手い言い訳も謝罪も口にすることも出来ない。
ラントがガクガクと唇を震わせて後退りをすると、サラはスプーンを音を立てないように丁寧に置いた。
「これも独り言よ。……私はね、人の顔が見分けられないの。表情も読めない。例えば髪の毛や体格、服装、声なんかでいつも判断しているわ」
「…………!!」
「このことをアンジェラ様たちに知られたら、困ってしまうわね……」
ちらり、とサラが時計に視線を移す。
ラントもつられて時計を見れば、セミナが戻ってくる10分後になろうとしていたのだった。
「たくさん独り言を聞かせてしまってごめんなさいね……。そろそろセミナが戻ってくると思うから、もう行きなさい」
「畏まりました……! 失礼致しましゅ、す……!」
いつもならば休んでというサラには珍しい行きなさいという言葉。ラントはその言葉の意図に気がつくと、足早にその場を後にした。
サラは身体が熱で侵される中、ポツリと呟く。
「ラントにここまでさせるなんて……許せない」
一人きりになった自室で、サラの怒りを含んだ声が静かに響いた。
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