83 カリクス、フィリップにため息をつく
サラの部屋から出たカリクスは自室で顔を洗ってから、執務室に戻ろうとしているところだった。
もう少しサラとの余韻に浸っていたかったが、一国の王になろうとしているものがずっと煩悩に振り回されていては国の行く末に関わる。
民に後ろ指を指されるような王にはなりたくなかった。
左の宮殿から中央の宮殿へ移動すると、聞き覚えのある男たちの訴えるような声が聞こえる。
何事だろうかと疑問を持ったカリクスは、声の主たちのところ──フィリップの自室の前まで足早に向かった。
「お前たち、一体何があった」
「カリクス殿下……!」
「そ、それが……その、ですね……」
よくよく顔を見れば二人の男はフィリップの側近たちだった。仕事は優秀で素行にも問題はなく、フィリップの王子としての仕事を全て請け負っている被害者とも言えるだろうか。
あまり寝られていないのか、二人の目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。
そんな二人がフィリップの部屋の前で何か困ったように訴えているということは、側近たちだけでは解決出来ないトラブルが起きたからなのだろう。
カリクスは王家に生まれた者として申し訳なかった。
フィリップの側近たちはいつも過度に苦労を強いられている。全てはフィリップが側近たちに仕事を丸投げしているからだ。
それでも側近たちが働くのはフィリップに魅力を感じているからではなく、偏に民を思ってのこと。
カリクスは立場関係なく頭が下がる思いだった。
「お前たちに苦労をかけて済まない。王位継承代理争い中のため敵対派閥なんだろうが、何があったか教えてくれないか。私でできることなら対処しよう」
「殿下……なんてお優しい……」
「普通だろ。お前たちは疲れすぎて基準がおかしい。今日は仕事を切り上げて早く寝ろ」
「うううっ、お優しい……優しすぎる……!」
これは相当精神的にも参っているらしい。フィリップの側近たちとはいえ大事な民だ。
放っておけるはずがないと、カリクスはもう一度何があったのか尋ねると、側近の一人がおずおずと口を開く。
「それが、アレクサンドリア帝国とのことで少々……いえ、かなりの問題が起こりまして……」
「……あの国の案件は確かフィリップの担当だったな。して、何があった」
アレクサンドリア帝国はオルレアン王国の隣にあり、アレクサンドリア皇帝が治める国である。
乾燥が激しい地帯で一年通して暑いのが特徴だろうか。男性は貞操観念が低く、女性は義理堅い者が多いという話も良く耳にする。
アレクサンドリア帝国についてカリクスが考えていると、側近の一人は頭をガシガシと掻きながら「実は……」と声を漏らした。
「外交問題に発展しそうでして……」
「何……? まさか貿易品を用意出来ていないとかそういうことか。いや流石にいくらフィリップでも……お前たちが用意した書類に判を押すだけ──」
「押すだけ……なんですが……」
「押していないのかあの馬鹿は……!」
年を明けて直ぐ、戴冠式の直後にアレクサンドリアとの新たな貿易が始まるのはカリクスも聞き及んでいる。オルレアンからは上質な絹を貿易品の目玉にするのである。
しかし上質な絹を大量に用意するにはそれなりに時間がかかる。
そのために早めに準備に取り掛かるようローガンがフィリップにきつく命じていた、という話もカリクスの耳には届いていた。
「当人のフィリップは部屋の中か?」
「は、はい! 何度お呼びしても出て来てくださらなくて……いつも鍵は掛けないお方ですので入ろうと思えば入れるのですが我々の立場では……」
「わかった。なら私が話をしてこよう。お前たちは急ぎの仕事だけ終えたら休め。これは命令だ」
「「でっ、殿下ぁ〜!!!」」
拝むような二人に一瞥をくれてから扉の前に立つカリクス。
そのままノックをするが「煩い!!」なんて言葉が返ってくるので、カリクスは元気ならば遠慮は要らないだろうと扉を開けた。
ソファに横になってゴロゴロとしていたフィリップは許可せず入ってくるとは夢にも思っていなかったのか、バッと起き上がって驚いた表情を見せる。
「なっ、何でここに義兄さんが!? いきなり入るなんて無礼じゃないか……!! まともな教育を受けていないのかい……!?」
「教育や常識云々に関してお前に言われる筋合いはない。アレクサンドリア帝国との貿易品の件、どうなっている」
「そっ、それはぁ…………」
本題に入ると威勢を無くしたフィリップ。もじもじとしながら目がキョロキョロと泳いでいる。
流石に完全に頭から抜けていたというわけでは無いらしい。
「現時点ではアレクサンドリアのことは私に権限はない。書類は出来ているんだからさっさと判を押せ。仕事が出来ないにしてもせめて側近たちに迷惑を掛けるな」
「なっ、なんだよそこまで言わなくたって良いじゃないか!! 僕にだって判を押していないちゃんとした理由があるんだ!!」
「理由?」
単に忘れていただけではないのか。カリクスはじっとフィリップの目を見やる。
「お母様が絹よりも宝石のほうが良いと言ったんだ……!」
「オルレアンでは鉱石があまり採れないことを知らないのか。宝石に加工するにしても輸出する余裕はない」
「っ、アッ、アンジェラは絹よりも高級な毛皮の方が良いって……!」
「暑い地域に毛皮の需要があると本気で思っているのか。少しは頭を使え」
呆れた、とカリクスから深いため息が溢れた。
人に言われたことを考えもせず調べることもしないだなんてどうかしている。
カリクスは腕を組んで入口付近の壁へともたれ掛かると、もう一度大きくため息をついた。
「なっ、何だよさっきから偉そうに……!! 平民の女の子供のくせに……!!」
「だからなんだ。むしろお前には生まれしか誇れるものが無いのか。可哀想にな」
「……なにぃ〜!!!」
図星をつかれて怒る姿はまるで子供だ。カリクスは前から思っていたが、フィリップは図体が大きくなっただけのただの子供だった。
否、他力本願で反省もしないところを見ると子供と例えるのも申し訳ないくらいである。
これならばまだ自分でどうにかしようとするダグラムのほうがマシなのでは? と考えたところで、どっちもどっちだという結論に辿り着いた。
眉をつり上げるフィリップに、カリクスは冷たい眼差しを浴びせる。
「とにかくさっさと判を押せ。それがお前に唯一出来ることだ。良いな」
「ぐっ」
ここまで念押しすれば流石のフィリップでも大丈夫だろう。
カリクスはドアノブに手を掛けると「待つんだ!」と制止するよう声を掛けられたので動きを止める。
そろりと目線だけを寄越せば、その鋭さにフィリップは身を竦ませた。
「調子に乗るのも今のうちだぞ!! 代理争いは絶対にアンジェラが勝つんだもん!!」
「もんはやめろ気持ち悪い。まあそれは置いておいて、婚約者を信頼しているんだな。意外だ」
基本的にフィリップは自分のことしか考えていない。いや、自分のこともろくに考えられていない。
そんなフィリップに婚約者を信頼するだなんて感情があったことにカリクスは素直に驚いた。のだが。
「信頼? 何を言っているんだ? 信頼も何もアンジェラは侯爵家の娘で義兄さんの婚約者は子爵家の娘だろう? どうしてそんなに下の爵位の娘に…………。まあ、確かに見た目は良いから夜伽の相手にならうってつけかもしれな──」
──ドンッ!!!
「ヒィッ!!!」
フィリップの言葉を遮ったのは、拳で壁を叩いた音だった。
カリクスの手の甲から、つぅ……と血が流れ、ぽたりと落ちて床を汚す。
「私のことは別に何と言おうが構わないが──次にサラのことを貶してみろ。命はない」
「ヒィィィッ…………!!!!」
フィリップは凄みのあるカリクスの表情にその場にぺたりとへたり込む。
そんな憐れなフィリップを横目にカリクスは再びドアノブに手を掛けると、冷たく言い放った。
「サラをあまり舐めるなよ」
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