82 サラ、その我儘は聞き入れてもらえない
「そ、それは本当ですか……?」
「ああ。何なら唇に触れてみると良い。口紅は付かないはずだから」
手首を解放されたサラはカリクスの頬に触れる手をおずおずと動かすと、親指で優しく唇に触れる。
今度は人差し指で撫でるようにしてから、程よい弾力の唇にツンツンと触れた。
サラはその指をカリクスの唇からゆっくり離すと、指の腹をじっくりと確認する。
「付いて──ない。じゃあキスは……」
「残念ながら口の近くの頬にはされてしまったが、口ではない。……それでもサラが嫌な思いをすることには変わりはないが──」
カリクスの言葉の途中で、ラベンダー色のハンカチがサラの手からぽとりと落ちる。
それと同時にサラは両腕をカリクスの肩から首にかけて回すと、ギュッと抱き着いた。
「良かった……良かったです……っ」
誤解が解けたようでホッとしたカリクスは、片方の手でサラの後頭部を、もう片方の手で腰を引き寄せる。
普段とは違い少し高い位置にあるサラの頬が、カリクスの額にピタリとくっついた。
そのままの姿勢で温室へ出向くことになったことのあらましを説明し合えば、互いに納得したようだった。
口の近くへのキスに関しては咄嗟に避けた結果だったので、サラは致し方ないことと飲み込む。完全に悪いのはアンジェラなのである。
やや時間はかかったものの状況が理解出来たサラは、涙が完全に引っ込んで冷静さを取り戻した。
だからこそ今の体勢に羞恥心を持つのだが、ガッツリホールドされていることに今更気が付いた。
サラはもじもじと身じろぎなから、トントンと大きな背中を叩いた。
「カリクス様っ、そろそろ離してください……!」
「抱き着いてきたのはサラだろう?」
「っ、降りたいのです……っ!!」
「サラから乗ってきたのに?」
「〜〜っ! それは……!」
「我儘になったものだな。私の婚約者は」
至極嬉しそうな声でそう呟くカリクス。
くつくつと喉を鳴らすカリクスに、サラは少しだけ頬をぷくりと膨らませた。
「笑い事ではありません! って、そういえばまだ口紅が付いたままでは……? 早く拭いてくださいませ……!」
「……それはそうだな。済まない」
配慮が足りなかったと謝るカリクス。しかし先程サラが用意したハンカチは床に落ちてしまっていて直ぐには使えない。
一度サラを膝から下ろして洗いに行けば良いだけの話なのだが、この体勢を自ら手放すのは非常に惜しい。
カリクスはどうしたものかと考えた結果、サラの後頭部に回していた手を解いてそのまま袖で頬を拭ったのだった。
「そっ、そんなことをしてはお召し物が汚れてしまいます……!」
「後でセミナには謝る。ああ、ハンカチのことは言ってくれるなよ。今はサラから離れたくないんだ」
「……っ、もう……!!」
顔を真っ赤にして困りながら怒るサラの表情を直視して欲望を抑えることに躍起になるが、カリクスはどうも頬が緩みニヤニヤしてしまう。声が漏れないように、カリクスはぐっと口を噤んだ。
無言のカリクスの表情を知りたかったサラは指先で男の緩んだ頬にぴと、と触れる。
「もっ、物凄くニヤニヤしていらっしゃいますね……!?」
「いちいちサラの反応が可愛いのが原因だ。それに『カリクス様は私のなのに、私以外とキスなんてしないで』なんて殺し文句を聞いたばかりだ。……気を抜いたらまずいことになる自覚はある。顔がニヤけていることくらいは多めに見てくれ」
「ま、まずいこととは……?」
「分からないか?」
「はい──って、ひゃっ……!」
──その刹那、カリクスの太ももの上に座っていたはずのサラの視界がぐわんと反転する。
肩をぐっと横に押されたかと思えばふかふかのソファに背中を付いており、見下ろしていたはずのカリクスをいつの間にやら見上げる形になっている。
ソファに仰向けで寝転ぶ格好となったサラの上に体重をかけないように跨るカリクスは、ぐいと顔を近付けた。
吐息がかかるような距離で、いつもよりやや低音を響かせる。
「これでも本当に分からないか?」
「……っ!」
これを色気というのだろう。意地悪な声色なのにどこか切なく、余裕そうなのに切羽詰まっているようにも聞こえるカリクスの声に、サラはお腹の奥がキュンと疼いた。
今まで感じたことのない感覚は恐ろしくて、サラは咄嗟に視界を閉ざして首をブンブンと横に振る。
そんなサラにカリクスはより一層肘を曲げて距離を詰めると、鼻と鼻が触れそうになったところでポツリと呟いた。
「サラ、良いことを二つ教えてやろう」
「…………?」
「一つは私の前で無防備に目を瞑らないことだ。……こうやって可愛い口を塞がれても文句は言えないな」
「んんっ」
ふに、と触れる生暖かくて柔らかいそれは、もう感触だけで分かるに決まっている。
サラは恥ずかしいながらも嬉しさが勝って目を閉じたままそれを受け入れる。
カリクスから注がれるキスが嫌なはずがなかった。
サラが抵抗しないのを良いことにカリクスは貪るように唇を合わせた。
一度だけ舌を覗かせて型の良いサラの唇をちろ、と舐めると、サラの体は何事だというようにびくんと跳ねる。
初々しい反応にカリクスは興奮が抑えられなくなりそうだった。最近触れ合えていなかったこともあってか、枷が外れそうになる。
「サラ……可愛い……」
「……っ、んぅ……ふっ……ぁ……」
キスの合間に漏れる吐息さえ興奮材料になり、カリクスはこのままでは本当にまずいと思いながらも止まれない。
ヴァッシュの顔でも頭に思い浮かべようと思っても脳内がサラに支配されていて叶わず、カリクスの大きな節っぽい手がサラの胸元に伸びようとした瞬間。それはいつものようにタイミング良くやってきた。
──コンコン。
「セミナです。入っても宜しいでしょうか」
「「…………!!」」
パッと目を見開いたサラ。同時にカリクスはスッと唇を離すと、数秒目を閉じて自身を落ち着かせてからサラの上から退いた。
それから優しく手を引いてサラを起き上がらせる。頬を潮紅させてハァハァと浅い息を繰り返しているサラの頭に、カリクスはぽんと優しく手を置いた。
「セミナのおかげで助かった」
「……? たすかる……? ですか?」
少し舌足らずな喋り方になるサラもまた可愛らしい。懲りずにそんなことを思ったカリクスだったが、流石にセミナが部屋の前にいることで熱は冷めたらしい。
瞳から獣の荒々しさが姿を消したカリクスは、ふ、と小さく笑った。
「セミナは未来が見えているのかと言うくらいいつも凄いタイミングで現れるな。……主人思いなことだ」
「え……?」
隙間なくキスを食らったサラは頭が働かないのか、未だぼんやりしている。
カリクスはサラの頭に置いた手を動かしてゆっくり撫でると「そういえば」と思い出したようにポツリと呟いた。
「アンジェラと対峙しているとき、君が言ったことを覚えているか」
「……?」
「『カリクス様は私のことを心から愛している』とサラが言っただろう?」
「……!? あっ、あれはそのっ、必死で……っ」
慌てふためくサラに、カリクスは薄っすらと目を細める。
そのまま頭を撫でていた手で今度は顎を掬うと、サラと向き合った。
「──もう一つを、教えてやろう」
「……え、えっと……?」
グレーアッシュの瞳の奥が、一瞬ギラリと光る。
「私がサラを愛しているのは間違いないが──君が思っているよりもずっと、私がサラを愛して止まないということを。……良く覚えておいてくれ」
そんな殺し文句を残して部屋を出ていくカリクス。
代わりに部屋に入ってきたセミナは、その場でへたり込んで両手で顔を隠しているサラに大変驚いたという。
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