80 カリクス、罠を張られる
サラが温室に足を踏み入れたのとほぼ同時に、カリクスも別の入口から温室へと入ってきていた。
手紙の差出人については、フィリップが自ら率先して行動を起こすとは考えづらかったので、おそらく王妃かアンジェラのしわざなのだろう。
身構えながら足を進めると、温室内に設置されたガーデンテーブルとガーデンチェアが視界に入る。
そこで優雅に佇むアメジスト色の髪の毛を見て、カリクスは一層身構えた。
王妃は危険人物ではあるが大方性格を知っているので何をするか考えが読みやすかったが、アンジェラに関してはサラから受けた報告でしか人となりを知らないため、何をしでかすか予想が付きづらかった。
足音で気がついたのか、アンジェラはゆっくりと立ち上がった。
「こうやってきちんと話すのは初めてですわねぇ。はじめまして、と挨拶したほうが良いかしらぁ? カリクス様ぁ?」
「……君に名前を呼ぶ許可を与えた覚えはないが」
「あら、つれませんのねぇ。そんなことおっしゃらずにぃ。うふふっ」
「………………」
サラよりも少し低い声で笑うアンジェラに、カリクスは無言のままその場で立ち止まった。
さぞ愉快そうに話す目の前の女には、何を言ってものらりくらりと躱されるのが目に見えていたから。
「何か話してくださいませぇ。せっかくの逢瀬ですものぉ」
「………………早く本題に入れ」
「酷いですわぁ。私カリクス様とお話してみた──」
「この手紙は何だ。サラに何かするつもりなのか」
無駄話に我慢ならずに話の腰を折ったカリクスの手には、アンジェラと同じ香りが纏った手紙が握られている。
アンジェラは余裕そうな笑みを崩すことなく、真っ赤なヒールをコツコツと鳴らしてカリクスとの距離を縮めた。手を目一杯伸ばせば触れられるほどの距離まで間合いを縮めたアンジェラは、そっとカリクスの左目辺り、火傷痕に手を伸ばす。
細くて長い指先が触れるか触れないかという寸前で、カリクスは手紙を掴んで居ない方の手でアンジェラの手首を掴んだ。
「何のつもりだ」
「勿体ないなぁと思ってぇ。火傷痕なければ見た目は完璧なのにぃ。それにキシュタリアでは一番の剣の使い手だったのでしょぉ? それでオルレアン王国第一王子なんてぇ。サラ様が羨ましいわぁ」
「…………何が言いたい」
話すことに意識を集中していたため、カリクスの手にあった手紙はいつの間にやらアンジェラの空いている方の手で奪われてしまう。
アンジェラは手紙をヒラヒラと弄ぶように揺らしながら、ニンマリと口角を上げた。
「子爵令嬢ごときに貴女の婚約者は荷が重いだろうなぁってぇ。……ふふ、けれどカリクス様じゃあ私の思い通りにならないから、フィリップ様で妥協して差し上げますけどぉ」
「…………」
「けれど……当たり前のようにカリクス様の婚約者の座に収まるサラ様に腹が立ってしまいますわぁ。多少嫌な思いをしても致し方ないと思いませんことぉ?」
ニタァっと笑ってから、緩く掴まれたカリクスの手を振り払うと、奪ったばかりの手紙をビリビリと破っていく。
大方破れると、アンジェラはそれを床にバッと投げ捨てた。
──その時、カリクスはふと過去に思いを馳せる。
あれは、ファンデット家でサラがカリクスとの婚約の解消を求める紙を破り捨てたときのこと。
ひらひらと舞う手紙の中心で優雅にカーテシーを行った美しく気高い婚約者に、カリクスは目を奪われたものだ。
しかし今はどうだろう。醜く笑いながら脅迫文とも取れる手紙を破り捨てるアンジェラに、カリクスは嫌悪感を抱いた。
同時に今後役に立ったかもしれない手紙が散り散りになってしまってどうしたものかと、どこか冷静に考えているくらいか。
表情を大きく変えないカリクスにアンジェラは内心少し苛立ちながらも、その笑みを崩すことはなく口を開いた。
「可哀想なサラ様ですことぉ。今から悲しい思いをするなんてぇ」
手紙が破られたことで『従わなければ貴女の婚約者が悲しむことになるでしょう』という文言が意味を成さなくなった。──実際、手紙はカリクスを誘き寄せるためのものだと理解していたので、その内容を反故にされたからといって、今更カリクスが驚くことはなかったのだが。
「いくらエーデルガント侯爵家の令嬢だろうと、サラに手を出すなら容赦はしない」
「あらまぁ〜怖いですわぁ。ふふ、けれどねカリクス様ぁ、私が直接サラ様に何かすると決まっているわけではありませんのよぉ?」
「……だからなんだ」
王妃に脅迫されて従っているように、アンジェラにも脅迫を受けたラントが何かをする可能性は十分にある。もちろんラント以外だって。
しかしこんな人が大勢いる王宮で、サラに直接害をなすとは思えなかった。
加えてサラに何かあれば疑われるのはアンジェラ、フィリップ、王妃の三人だ。わざわざ自分達の首を絞めるような馬鹿な真似をするとは考えたくなかった。
カリクスはあらゆる可能性を想定し、アンジェラを見据える。
しかしその瞬間、突如後ろから聞こえる聞き慣れた声に、カリクスはバッと振り向いた。
「──カリクス、様……?」
「……! サラ……! 君がどうしてここに──」
突然セミナとともに現れたサラに、油断した、とカリクスは身を捻ってサラの元へ走ろうとする。
十中八九サラがこの場にいるのはアンジェラに仕組まれたからだろう。ともすればこの状況はアンジェラにとっては願ってもいないことで、カリクスは一秒でも早くサラの傍に行かなければと思ったのだが。
──その時だった。
「残念でしたぁ」と呟いたアンジェラはぐいと両手を伸ばすと、力強くカリクスの片腕を掴んだ。
サラに意識を奪われていたカリクスは咄嗟のことにバランスを崩すと、再び身体がアンジェラの方に向く。
少し遅れて顔もアンジェラの方に向き直ると、至近距離のアンジェラにカリクスは頭が追いつかなかった。
「な────」
二つの影が一つに重なり、すぐさまカリクスがアンジェラを引き剥がしたことによりまた影は二つになる。
余りにも突然の出来事であることと、サラの立ち位置から何が起こったのかあまり良く見えなかったのだが、振り向いたカリクスにサラの身体はぴしりと固まった。
「…………っ」
表情を歪めて信じられないと立ち尽くすサラに、セミナが慌てて声をかけるが耳に入ってこない。まるでサラの世界から音が遮断されているようだった。
だというのに、何故か視界だけはクリアに視える。
顔は見分けられないし表情は読めないというのに、カリクスの顔にある赤いオーラのように見える火傷痕ともう一つ──いつもならあるはずのない口元の赤いそれだけは、はっきりと見ることができた。
「サラ……! 違う今のは……!」
慌てて弁明しようとアンジェラの手を振り払うカリクス。
サラの元へ再び行こうとすると、何とも高揚したアンジェラの声が耳に響いた。
「カリクス様ぁ〜? サラ様に私たちがキスをしているところを見られてしまいましたわねぇ? 二人だけの秘密にしようと思っていましたのにぃ」
「貴様……!!」
「そう怒らないでくださいなぁ。カリクス様ほどのお方の婚約者のサラ様ならば分かってくださいますわぁ。ふふふふっ」
乱れた赤いルージュの口元が弧を描き、自身の唇を人差し指でツンツンと触れるアンジェラ。
思惑を理解した頃には時既に遅しというやつで、完全にアンジェラのペースに乗せられていた。
カリクスはサラに駆け寄るが、その表情を窺い知ることは出来ないでいた。俯いていて前髪で表情が隠れているからである。
僅かに震えた華奢な肩に、手を置くことしか出来ないでいると、サラは無言でそんなカリクスの手を振り払った。
サァーっと青ざめた顔になったカリクスは弁明をしようにも、言葉が上手く出てこない。
そのまま俯いたまま、至極楽しそうなアンジェラの元へ一人で歩いていくサラ。
約1メートル程のところまで距離を詰めると、アンジェラは顎を上げてニンマリとほくそ笑んだ。
「サラ様ぁ、カリクス様の心移りを目の当たりにされて可哀想……と言っては失礼かしらぁ? けれど仕方がないですわよねぇ? 人の心は移ろう────」
「それは有りえませんわ。だってカリクス様は…………私のことを愛しているもの」
「は?」
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