8 サラ、能力を認められる
ザワザワと執務室内が騒がしくなる。
表情も読めないサラは皆がどんな顔をしているのか分からなかったが、肌にチクチクと突き刺さるような鋭い目線を向けられていることは分かった。
「サラ、カリクスだ。少し良いか」
「はっ、はい……!」
人が多いときや周りが賑やかな時は、名乗ってから声をかけるカリクス。その姿に事前にサラの事情を聞かされていた家臣たちは、本当に人の見分けがつかないことを実感する。
椅子から降りたカリクスはサラの前で立ち止まり、じっと彼女を見つめた。
「君は領主代行をしていたのか?」
「はい……!?」
カリクスの発言により一際騒がしくなった執務室内で「そうか」「だからか」「なるほど」と揃ってぶつくさと頷く家臣たち。
サラは大きく頭を振りながら両手を胸の前でブンブン振って拒絶の意を表した。
「そんなわけないじゃないですか……!」
「そう、だよな。済まない。……だがそれなら一体どうやってその知識と経営術を学んだんだ?」
「え? それは、普通に……ファンデッド家の領地経営のお手伝いをしていただけですが……」
「手伝い……具体的には何を?」
「領地経営での金銭面の精算や諸々の管理、他の領地と差別化を図るために調べ物をしたり、その情報の一部は商人に渡して経済を回した方が良いと父に助言をしたり……人材の確保は父がしていたので、その辺りは経験がないのですが……」
「…………サラ、それは」
「分かっています……! こんなこと誰でも出来ることなんですよね……!? 自分が凄いだなんて本当にこれっぽっちも思っていま」
「サラ、分かったから落ち着くんだ」
ぽん、と頭に手を置かれる。そのまま優しく何度も撫でられ、その手はするりと頬に触れる。
サラはいきなりのことにピクリと小さく身体を揺らしたが、その後は石像のように固まってしまう。
するとサラの右手はカリクスの空いている方の左手に絡め取られるやいなや、彼の頬へと誘われた。
キュッと力が込められている頬にサラは口角が上がっていることを確信して、まるでイタズラに引っかかった子供のような瞳で、カリクスを見つめた。
「カリクス様……笑ってますわね」
「ああ。あまりにもサラが固まってたから、つい」
「私で遊ぶのはおやめください……!!」
「そう怒るな。可愛い顔が台無しだぞ」
「今日のカリクス様は冗談が好きなのですね……」
──え? 私たちは一体何を見せられているのだろうか?
一人として声には出さなかったが、家臣全員がもれなくそう思っていた。
カリクスにそもそも結婚を、と求めたのは使用人たちだけでなく、家臣たちもだ。アーデナー家をより繁栄させるためには体裁もあるし、支えてくれる妻の存在は大きいはずだと。
しかし、それにしたってこれは。
基本的には温厚だが仕事に関しては厳しいカリクスが最近現れた未来の妻(現婚約者)に向かって、こちらが照れるくらいにデレデレしているのだ。
家臣たちは正直見ていられない。しかしカリクスたちから目線を逸らそうにも、他の家臣たちと気まずい目線がかち合ってこれもまた気まずい。
どうしたものだ……と頭を悩ませる家臣たちだったが、そこに救世主が現れるのだった。
「失礼致します。……なんですかなこの空気は」
「「ヴァッシュさんんんん!!!」」
その時ようやくカリクスはサラから手を離し、大声を上げた家臣たちにギロリと鋭い視線を向ける。
「お前たち煩いぞ。もう少し静かにしろ」
「「もっ、申し訳ありません……!!」」
まさに『悪人公爵』の名は伊達ではない、氷のような瞳とズシンとくるほどの低い声。
サラには表情は分からないものの、その分威圧感があるのはひしひしと伝わり、黒目をキョロキョロとさせた。
この屋敷に来てからカリクスの噂とは正反対の気遣いが出来て優しい部分ばかりを見ていたサラには、どう反応すれば良いのか分からなかった。
「サラ」
一転して優しい声を頭上からかけられる。
サラはおずおずとした様子でカリクスに視線を向けた。
「済まない。怒っていないから大丈夫」
「本当……ですか?」
「本当。怒ってないけど残念だと思っただけだ」
「残念、とは何がですか?」
サラの疑問に対して、カリクスは苦笑をして「何でもないよ」とだけ答えるとヴァッシュの元へ歩いて行った。
それからカリクスとヴァッシュは話があるからと執務室を出ていったので、また通常業務が始まるはずだったのだが。
役に立たないと思っていた伯爵令嬢の思わぬ知識と経験に、家臣たちはこぞってサラに話し掛けたのだった。
「サラ様!! 私はカムナと申します! ファンデッド領地での輸入ルートについて」
「お前ずるいぞ! 私はジスクアートと申します!
今後のパトンの実の栽培について詳細を」
「サラ様サラ様……! フィーダーと申します! 領地経営全体の概算を出すのに詰まっていて、お手伝いいただき」
「ずるいぞ!! サラ様私は──」
「少し待ってください皆さん……! 落ち着いてください……!」
(たったあれだけのことでどうしてこんなに。伯爵令嬢なら領地経営くらい出来て当然だと教えられてきたからてっきりその程度かと馬鹿にされると思っていたのに……。って、あれ? そういえばミナリーは経営に携わって無かったわね……。お父様は今頃お一人でお仕事をしているのかしら。ううん、お母様もきっと手伝っているはず……。領民たちの生活は大丈夫……よね?)
何故かファンデッド領地のことを考えると、酷く心臓がドクリドクリと騒ぐ。
サラは深呼吸してそれを落ち着かせてから、時間をかけて一人ひとり、家臣たちと向き合い始めるのだった。
◆◆◆
一方その頃ファンデッド伯爵家では。
「見ろ二人共! アーデナー家から早速援助金が届いたぞ!」
「本当……!? ミナリーにも見せて!」
「貴方、私にも見せてくださいな」
とあるメイドは金銭に群がり厭らしい笑みを浮かべる三人を、部屋の端から横目で見ていた。
3人の目があったために大っぴらには出来なかったが、そのメイド──カツィルは優しくて頑張り屋で聡明なサラのことが大好きだったので、彼女が身代わりになったおかげで届いた金銭には目を背けたくなる。それに群がる3人に対しては嫌悪感しか浮かばず、雇用主に対してとは思えない冷めた瞳しか出来なかった。
「こりゃあ凄い……! ひと月の利益とおよそ同額の金だ!!」
「すごーーい!! ねっねっ、お父様! ミナリー新しいドレスが欲しいな」
「私は今度招待されているお茶会に新しいジュエリーを付けていきたいわ。ね? 良いでしょう?」
「がっはっは!! これだけの大金だ!! お前たちの欲しい物くらい好きに買いなさい」
カツィルの手にぐぐぐと力が入る。
数日前、サラは突如としてミナリーの代わりに嫁ぐよう言われ、それを引き受けた。
それをカツィルは給仕をしながら聞いていたのだ。──政略結婚の理由として領地経営のことを挙げていたことも。
だというのに、援助金が届いたら直ぐにこれだ。自分達の欲望のために、犠牲になったサラのことなんて頭の隅にも無いかというように振る舞うのだ。
そんなの、あの『悪人公爵』の元に身体一つで嫁いでいったサラが可哀想じゃないか。
それでもカツィルは下級メイドだ。そうそう簡単に雇用先が見つかる訳ではない。ここで声を上げて、仕事を失うわけにはいかなかった。
──けれど叶うのならば。
「しかし事前の話より金額が多いな……もしやあのブサイク、床上手なんじゃないか?」
「嫌ですわ貴方ったら! お、げ、ひ、ん! けれど人には一つくらい才能は有るものですから、あの穀潰しにも殿方を喜ばせる才能があったことは誉れでしょう」
「やだ〜不潔だわ! ミナリーは絶対あんな噂の公爵様は嫌だもの。代わってもらって正解ね」
幸せになって欲しいと、心の底から願った。
こんな最低な家族のことなんて忘れて、どうか、どうか、ささやかでも幸せな生活を送っていてほしいと。
「ゲスが…………」
誰にも聞こえない程の微かな声で、カツィルはそう呟く。
これからこんな光景をずっと見続けるくらいなら、田舎で畑を手伝いながら生きる方が良いかもしれない。
カツィルは本気でそう思って、そしてもう一つ願った。
こんな家、早く潰れてしまえば良いのに、と。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!
早く伯爵家のザマァが見たいよ! という方もぜひぜひ〜!