79 カリクス、煩悩と戦う
新作短編を投稿しました。
下にリンクを貼ってあるので良ければ読んでみてくださいね。
次の日、早朝から公務に励むカリクスは中々仕事に手が付けられないでいた。
コトン、と優しく筆を置くと、誰も居ない執務室で深く椅子に凭れかかる。
昨日、サラからラントについての詳細を聞いたときは驚きよりもやはりという気持ちが強かった。王妃がフィリップのことになると手段を選ばないところは昔から変わらないらしい。
ラントが王妃と繋がっていることには初日から気が付いていたので手を打とうと思えば打つことは出来たが、しなかったのはそのほうが都合が良かったからだ。
ラントが王妃の手先だとこちら側が実は知っているという事実がアドバンテージになると思ったからである。
けれど悲しそうにラントについて話すサラを見て、カリクスは罪悪感に苛まれた。打算よりもサラの気持ちを考えるべきだったというのに。
(ダメだ、仕事にならん)
折角早く起きて仕事をしようにも集中出来なければ意味がない。ラントの件ももちろんだが、カリクスにももう一つ悩みがあった。
「……散歩でもするか」
ギシ……と椅子が軋むのと同時に立ち上がったカリクスは執務室よりも幾分か寒い廊下をゆっくりとした足取りで歩き出した。
風がないため外よりはマシなのだろうが、冷気が王宮内に入ってきていて部屋が恋しくなる。
(……まあ、煩悩を消すにはこれくらいのほうが都合が良いか)
カリクスのもう一つの悩み──それはサラと触れ合う時間が中々取れないことだった。
最近のカリクスとサラはこのオルレアンでの立場を築くために別々で動いているため、ゆっくりと過ごす時間が取れなかった。
アーデナー公爵家にいた頃は忙しくとも同じ執務室にいることが多かったので休憩時間に話すことが出来たのだが、最近顔を合わせるのは朝食のときくらいだ。
カリクスは夜遅くまで仕事をしているので一緒に夕飯を取ることさえままならず、部屋に会いに行っても少し話したらお暇する日々が続いていたのだった。
──つまるところカリクスはサラが不足していた。
もっと顔を見たいしゆっくり話したいという可愛らしい欲求もあったが、それだけでは物足りないくらいには欲求不満だと言っても良い。
カリクスの脳内は基本的に煩悩にまみれていた。
(あー……抱きしめたい。キスをしてその反応が見たい。その後は……ってダメだ。こんな気持ちでもしふたりきりになんてなったら押し倒す自信しかない。我ながらサラのことになると思考が猿並みだな)
カリクスとしてはここまで我慢した自分を褒めてやりたいくらいだ。
しかし王位継承権代理争いに勝利し年明けの戴冠式を終えれば、直ぐに結婚式が待っている。初夜はもうすぐそこまで来ていると思えば、もうひと踏ん張り出来るというものだ。
(……少し頭が冴えてきた。ラントの件もサラは考えがあると言っていたから問題ないだろう。──サラのことはもう少しの我慢だ)
頭がスッキリしたカリクスは来た道を戻ると、執務室の扉を開けた。すると先程まではいなかった家臣たちが数人席についており、カリクスは挨拶をしながら自身の椅子に腰掛ける。
そのまま仕事に向き合い集中していると、しばらく経ってから家臣の一人が勢い良く席を立った。
「殿下、伝えるのが遅くなって申し訳ありません! とある手紙を預かっているのを忘れておりました!」
「……しっかりしてくれ。どれだ」
「こちらです!」
そうして手渡された手紙から甘ったるい香りが纏っている。
サラから香る花のようなふんわりと香る甘いものではなく、鼻をつまみたくなるぐらいの甘すぎる香りに、カリクスは顔を歪めた。
「これは誰が置いていった」
「…………。し、使用人です……」
すっかり名前を聞くのを忘れたという顔を見せる家臣に、名前くらい聞いておけ、と思うだけに留めたカリクス。
ハァ、とため息をついてから差出人の名前がないことに不信感を持ちながらもナイフを使って封筒を切ると、そこには一枚の便箋が入っている。
ぺらりと開いて中身を見た瞬間、カリクスのアッシュグレーの瞳が破れるように大きく瞠った。
「サラが────」
「……? 殿下どうされました?」
壁にかけてある時計をすぐさま確認したカリクスはギキと奥歯を噛み締めた。
「時間がない……済まないが私は行くところがある……!」
「でっ、殿下どちらに……!?」
カリクスは手紙を掴んだまま、指定された場所──現在暮らしている左の宮殿の中庭へと急ぎ足を運んだ。
『本日午前10時に左の宮殿の中庭、その一角にある温室へお越しください。従わなければ貴女の婚約者が悲しむことになるでしょう』
そんな内容の手紙が、カリクスの手の中でぐしゃりと音を立てた。
◆◆◆
その頃一方では。
比較的軽い足取りのサラに対して、セミナは半分呆れたようにしながらも、鋭い目で周りをチラチラと見ながら歩いていた。
「セミナ! 教えてもらった温室が見えてきたわ」
「サラ様、楽しみすぎです。何かあるかもしれませんから警戒を…………。ハァ……行ってみますか?」
「ええ。せっかくだもの。ラントがあそこまで言うのだから」
今朝、身支度を終えてからサラが自室でオルレアンの特産物について勉強をしているときのことだった。
いつにもまして挙動不審な様子のラントが部屋に入ってくると、唐突にこう言ったのである。
──中庭の奥に温室がありましゅ! ……す! そ、そこで今日10時から、面白いものが見りゃれ……られますっ! 絶対に行ってくだしゃい……!
おそらく王妃、それかフィリップやアンジェラといったサラと敵対する人物の誰かに言わされているのだろうということは手にとるように分かったサラ。
従わなければラントが酷い目に合わされるかもしれないと思ったサラは「必ず行くわ」と返答した。
ホッと胸を撫で下ろすラントに、予想が当たっているのだろうと確信を持ったのは記憶に新しい。
そして現在、サラはセミナを連れてラントが言うように温室の近くまでやってきていた。
面白いものが見られるなんて余りにも抽象的なラントの表現を思い出し、サラはクスリと笑ってしまう。
普通騙して誘導したいのならば、それらしい嘘を付けば良いのだ。しかしそれができない辺り、ラントは素直なのだろう。
サラは温室のほど近くで立ち止まると、その佇まいに目を瞠る。
「凄いわね……小さな森が現れたみたい」
ガラス張りになった温室の中にはサラの知らない植物が溢れている。
所々に色とりどりの花が咲いていて、樹木には図鑑でしか見たことのないような果実がなっていた。
その中でもサラは存在感の薄い黄色の果実に目を奪われる。大体サラの手のひらの大きさくらいの丸い果実だった。
「あの果実は確か……。オルレアンでしか採れないメーティーじゃないかしら?」
「メーティー?」
聞き覚えがないのかきょとんとするセミナ。
サラは今日オルレアンの特産物について読んだ本に書かれてあった内容を簡潔に説明した。
「メーティーは果実の中に蜜のようなものが入っていてね、紅茶に入れたりお菓子に入れて楽しむことができるらしいの」
「つまりはお砂糖のような役目ということですか」
「そうね。けれどその実は甘みよりも保湿力に優れているとかいてある論文が存在したわ。今度調べてみたいのよね……」
ふむ、と顎に手をやってキラキラした目で語るサラとは反対に、セミナは相変わらず辺りをキョロキョロと見ては警戒する。ラントの口ぶりから察するに何か仕掛けられていてもおかしくはないからである。
セミナの表情が分からないのでどうしたのだろうと疑問を持ったサラ。
キョロキョロと顔を動かしているセミナの姿に何となく察したようで、サラはポツリと呟いた。
「この前カリクス様が言っていたみたいに、専属の女性騎士を付けたほうが良いかしら……」
「御身のためはそのほうが間違いありませんね。まだしばらく男性騎士の選別には時間がかかりそうですし」
「思っていたよりも時間がかかるものなのね」
「……。騎士とはいえ男性が常にサラ様のお傍にいることになるのです。カリクス様もおいそれとは決められないのでしょう」
「……な、なるほど。オルレアンには女性騎士の制度がないから、代理争いが済んだら提言しようかしら……」
「それが良うございます。男性騎士ですとカリクス様の心配のタネが無くなりませんので」
「………………」
読了ありがとうございました。
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