78 ラント、王妃に従う理由とは
それはラントから目を離さないでほしいとカツィルに頼んでから三日目のことだった。
12月16日の正午前、サラが自室で勉強に勤しんでいたときのこと。
──バタンッ!!!
「サラ様……! ラントが王妃陛下と接触しました……!! それで……っ、それで……!!」
形振り構わず現れたカツィルに、只ならぬ気迫を感じたセミナはピタリと動きを止めた。
落ち着くよう言おうかとも思ったが、サラは極めて冷静だったのでセミナが口を出すことはなかった。事前にカツィルがラントを監視することを聞いていたことも大きい。
サラはパタンと本を閉じると、いつもより少し低い声で問いかけた。
「カツィル、落ち着いて話して。一体何があったの?」
「それが────」
──少し時間を遡る。
それは午前中、カツィルがラントを尾行していたときに起こった。
サラから指令を受けてからというもの、サラの世話は基本的にセミナの役目だ。
セミナにもしっかり役目を果たしなさいと言われたカツィルは、できる限りラントと行動を共にするか、それが不自然なときは隠れてこっそりと動向を窺った。
(ふむふむ……今日もサラ様の朝食が済んだらカトラリーの数を確認して……と)
まるでスパイのように柱に隠れ、息を殺す。
ラントについて分かったことといえば、相変わらず良く噛むことと腰が低いこと。
もう一つは執事として有能だということ。ヴァッシュに比べれば見劣りはするものの、経験年数が全然違うためある程度は致し方ない。サラに用意された汚部屋をぱぱっと綺麗にしたと聞いたときは、目を瞠ったものだ。
(終わったら次はカリクス様の仕事の補佐よね……って、ん?)
ラントがカリクスの仕事場がある中央の宮殿へ向かおうとしていたときのことだった。
この時間は多くの使用人は持ち場があり、家臣たちはすでに入場している時間のためあまり宮殿内をうろつくものはいない。
そんな中でコツコツと聞こえるヒールの音──王妃の侍女と思われる女がラントに接触を図った。
何かを耳打ちされたラントは足早に走り去っていくので、カツィルもバレないように気をつけながら急いで追い掛ける。
ラントが足を踏み入れたのは、王妃専用の執務室だった。
(サラ様が言っていたとおりだわ……ラントが王妃陛下と本当に接点があるだなんて……)
驚きを隠せないカツィルは何度か瞬きを繰り返してから、ラントが王妃専用の執務室に入ったことを確認してから扉の前に立った。
幸いにも先程の侍女は違う方向に歩いて行き、通路には誰もいないのでカツィルはピタリと扉に耳をくっつけて聞き耳を立てた。
「申し訳ありません王妃陛下…………」
「まだ何も掴んでこないなんてお前は無能ね!!」
(これは王妃陛下の声かしら……? 何に対して怒っているの……?)
状況が理解できないカツィルだったが次の瞬間、バシンッ!! と扉の外からでも聞こえる音に肩をビクつかせた。
何かが肌を打ったような、そんな音だった。その瞬間、嫌でもあの痣がどのようにできたのか理解する。
「もっ、申しわけっ、う……っ!!」
「さっさとあの小娘の弱みを掴んで来なさい!! それができなければお前の家族もこうやって痛めつけるわよ……!!」
「そ、それだけは……っ」
(な、なんてこと……っ)
カツィルはあまりの出来事にズズズとその場にへたり込んだ。
アンジェラも非道な行いをしていたが、王妃も良い勝負だった。
自分より地位の低い人間をまるで人と思っていない扱いに、カツィルは背筋がゾクリと凍る。指先まで氷に覆われたみたいだった。
それでもカツィルは自身の体にムチを打って立ち上がると、その場から静かに走り出した。
一刻も早くこのことをサラに伝えなければと、ただ必死だった。
──そうして話は冒頭に戻る。
聞いたもの全てを話し終えたカツィルに、サラは「ごめんね」と呟いた。
サラが苦虫を噛み潰したような表情を前面に表しているなんて珍しかった。
「カツィルも気分が悪いわよね……ごめんね……嫌な役目を任せてしまって」
「それは良いのです……! けれどラントが……!」
どうにか助けてあげたいという気持ちが募ったカツィルの叫びは心に響く。
サラはこくりと頷くと、スッとセミナに視線を移した。
「セミナ、例のものを」
「はい。こちらに」
セミナがサラに手渡したのは何かの資料のようだ。カツィルはそれをペラペラと捲るサラをじっと見つめる。
「カツィル、これを見てくれる?」
「これは……オルレアンの町の、どこです……? 誰かの家ですか?」
「ええ、ラントの実家よ」
「…………!!」
渡された資料はオルレアンの街の一部が抜粋された地図だった。分かりやすく丸が記されている部分の家がラントの実家だという。
何故これが今ここにあるのか、この地図の意図は何なのか理解できなかったカツィルは「え? え?」と困惑していた。
サラはそんなカツィルに落ち着いてほしいために、できる限り穏やかな声色で説明を始めた。
「カツィルにラントの監視を頼んだときから、色々な可能性を考えていたの。誰かを人質にとられて王妃陛下に従うしかないことも」
「…………!!」
「だから事前にセミナにラントのことを調べてもらったわ。家族構成や出身地、 職歴、色々ね。そうしたらラントの弱みになりそうなのは実家にいる家族だと分かったの」
カツィルは口をぽかんと開けて、サラを見やる。
カツィルはサラが優秀なことをカリクスよりも早くに知っていた。
淑女としての教養も、ずば抜けた領地経営の手腕も、学ぶことを欠かさない勤勉なところも。
けれど、それと同時にサラが精神的に弱い部分があることも知っていたつもりだ。
もちろん、優し過ぎるゆえの弊害でもある。
だというのに最近のサラはどうだろうか。
ラントの不自然な痣から王妃と何か有るのではという想像を働かせ、それを仮定して事前に調べあげている。それをカツィルに確認させ、仮定から事実へと昇華させた。
王妃の裏側を、サラは暴いてみせたのだ。
そして先日のお茶会では、アンジェラからティアとマイアーを助けてみせた。
自身を裏切っているラントに対して働きかけること、アンジェラ付きの使用人を庇うことも、根っから優しい性格だということに変わりがない証明だ。だとしたら一体何が。
──もしかしたら、変わったのは人の汚い部分にも向き合う覚悟の強さではないか。
ファンデット家で仕えてきたときとは段違いに精神的に強くなって成長したサラに、カツィルは何だか涙が溢れそうになった。
カツィルの中では未だにサラは弱々しいという印象が残っていたのだが、今この時を以て撤回しなければならない。
あの頃の弱いサラは、もういないのだ。
「それでねカツィル、貴方にはまた頼みたいことがあるの」
「はい……!! 何なりと仰ってください!! 私は一生サラ様についていきますので!!」
「え……? う、うん? ありがとう……?」
「それで私は何をすれば?」
「ええ。この印の場所、ラントの実家へ急ぎ向かってほしいのだけれど──」
サラの言葉にカツィルは力強く頷くと、急ぎ身支度と念の為の荷造りをし始める。
ささっと隣で手伝ってくれるセミナにカツィルがお礼を言うと、基本的に無表情のセミナが僅かに微笑む。
「優秀過ぎる主人を持つと大変よね」とセミナが誇らしげに呟いた。
読了ありがとうございました。
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