75 カリクス、口を開けてと言う
お茶会当日の夜、カリクスの部屋にはサラが訪れて今日のことについて話をしていた。
アンジェラについてはゲスの一言だったが、サラの毅然とした態度にカリクスはご満悦のようだ。
カリクスの質問に、サラは俯いてから答える。
「……お茶会とは主催者側が招いた相手を美味しいお茶でもてなすもの。私は今日一杯もお茶を頂いていませんので、お茶会が何たるかをお勉強なさっては? と……」
「ふっ、はははっ、君がそこまで言うなんて珍しい。良く言った。……サラは何一つ間違っていないだろう? だから顔を上げるんだ」
ゆっくりとした動きで顔を上げるサラ。眉尻を下げて言い過ぎたという顔をしていた。
カリクスは人払いをしているために周りのことを一切気にすることなく、そんなサラをぎゅうっと抱き締めた。
サラの形の良い後頭部を優しく撫でながら、小さくて可愛らしい耳へと薄い唇を寄せる。
「それだけ腹がたったんだろう? フィリップの婚約者の行動は容認出来るものではないからな。気にする必要はない」
「そう……でしょうか…………」
まだ気にしている様子のサラに、カリクスは困ったように笑う。
「……床まで拭くことになったんだろう? そこに関しては何も思わないのか」
「それは何も思いませんわ。ティアとマイアーに火の粉が掛からないのならばそれくらい朝飯前です。床拭きは慣れっこですので!」
何故か床拭きに関しては少し誇らしげに話すサラに、カリクスはふっ、と息が漏れる。
いつもの柔らかな笑い方だと、サラにはすぐに分かった。
「どうして笑うのですか……?」
「いや、やっぱりサラは可愛いなと思ってな」
「……っ、カリクス様の可愛い基準が低過ぎるのですわ……!」
「君が常に可愛いだけだと思うが」
「!?」
全身が真っ赤になるサラを一度強く抱きしめて耳に触れるだけのキスを落とすと、カリクスは腕を解いて立ち上がる。
まさかこれで終わるとは思っていなかったサラは、咄嗟に「もう終わりですか……?」と疑問の声を上げた。
カリクスはサラの反応に驚いて自身の口元に手をやると、サラは自身の発言の意味を瞬時に理解したのか、ぐわっと顔に血が集まった。
「足りなかったか……?」
「ちちち、違いますわ……っ! 今のはその……! えっと……! ……あ! そうでした! もう一つ大事な話があるのです……!」
「話を逸らすつもりか」
「ごっ、ご容赦くださいませ……!! って、待ってください!! どうして屈んで──んんーっ」
一度立ち上がったカリクスはぐいと腰を折ると、ソファに座るサラの顎をすくって唇を落とす。
それは角度を変えながらしばらく続き、サラは息が絶え絶えの中弱々しい力でカリクスの胸を叩いた。
カリクスは唇を離すと切なげに「ハァ」と一息ついて、サラの唇を親指でそっと撫でた。
カリクスの口からちらりと赤い舌が覗く。
「口、開けて」
「くちっ……?」
「もう終わりかだなんて言えないくらい満足させる」
「!? けっ、結構ですわ……!!」
サラの脳内で警鐘が鳴り響く。口を開けてどうなるかなんて分からなかったが、従ってはいけない気がした。
(ここは……! 毅然とした態度で……っ!)
やや潤々とした瞳でカリクスを鋭く見ながら自分の口を両手で隠すサラに対して、カリクスは込み上げてくる加虐心を必死に抑え込む。
サラがどういうつもりかは分からなかったが、その瞳は煽っているとしか思えなかった。
しかし相手はサラである。そんなわけがないことはカリクスは重々分かっているつもりだ。
「…………分かった」
余裕のないカリクスはぶっきらぼうな声色で答える。
自身を落ち着かせるために背筋をピンと伸ばして大きく息を吸い込んだカリクスは、ふぅと大きく息を吐きながら直ぐ傍のテーブルに置いてある手紙を手に取った。
それを持ってサラの隣に腰掛けるが、いつもより少し離れた位置に座ったのはカリクスが自分自身を戒めるためだった。
「サラ、話は変わるがこれを」
「は、はい。えっと、これは……?」
「マグダットから私とサラ宛に届いた手紙だ。マグダットが私の名前も書いているからラントが私の方にこれを持ってきてな。中は既に確認させてもらった」
「私の大事な用というのも手紙のことなのです! メシュリー様から返信が来ました。……私も中身を読んで……その、お伝えしたいことがあって……」
情報共有は大事なことだ。サラは改めて手紙を開くと、その伝えたいことを述べ始めた。
「まずは教皇様と枢機卿様については、現在キシュタリアの教会関連の公務を担当しているので、オルレアンの教会のことも伝手があるから調べられると。詳細は少し待ってとのことでした」
「メシュリーがそう言うなら待つ他ないな。こちらは教皇の症状は毒の可能性が高いと書いてある。直接見なければわからないが植物由来の毒が原因ならば解毒も出来るかもしれないからと。折を見て一度教皇に会いに行く、とも」
快く引き受けてくれた二人にサラは感謝しながら、一度読んだ手紙に再び目を通す。
(この内容は……伝えても良いのかしら……)
サラ宛の手紙ではあるが、吉報ならば伝えても良いだろうか。
サラは手紙をじーっと見ながら迷う。
一方でカリクスもマグダットからの手紙を見返して、ポツリと呟いた。
「さっきも言ったが、これはサラと私宛の手紙だ。君には知る権利がある」
「……? 何か特別なことが書かれているのですか?」
「ああ。あいつの人生を揺るがすような──」
「えっ……!? それってもしかして──」
何やら覚えがあるというサラの言葉に、カリクスは「まさか……」と呟く。
二人は各々手に持っている手紙をもう一度確認してから、示し合わせたように口を開いた。
「「私の(僕の)粘り勝ちで(粘り負けで)婚約することになりました」」
「「…………!?」」
言葉を発したと同時に驚いたサラとカリクスの目は、何度かパチパチと瞬きを繰り返す。
「養父様は粘り負けでと書いてあったんですか……!?」
「メシュリーの粘り勝ち──なるほど」
サラはマグダットの手紙の文言に驚嘆の声をあげる。
反対にカリクスは納得の表情を見せると、隣に座るサラの頭をぽんと撫でた。
「大丈夫。マグダットは仕方無しに婚約するような男じゃない。照れ隠しだろ」
「な、なるほど……! それなら安心ですわ! メシュリー様の喜ぶ顔が目に浮かびます」
「マグダットは想像できないな。本当にあいつとメシュリーが──。まあ、私としては願ってもない話だが。……そろそろキシュタリア王家に預けた元アーデナー領地がマグダットに譲渡される頃だろう。現マグダット領に元ファンデット領、そして新たに元アーデナー領の領主を務めるのは大変だろうが……メシュリーが婚約者になり後に結婚するなら、これで実務の問題は一切要らなくなった」
カリクスはほっと胸を撫で下ろした。
サラ程とはいかないが、カリクスもオルレアンでの新たな生活に頭を悩ませていた。
手腕はあれど古株にしか認知されていない名前、公爵とはまた違った対他国が事案が多いことへの戸惑い、王宮内の派閥を知ることや味方をつけること。代理争いについてはさほど心配はしていないが、サラが無理をしないかは心配だった。
だからこそ元アーデナー領の不安材料が減るのは素直に喜ばしい。
サラもメシュリーの恋が叶ったことと、元アーデナー領の不安材料が一つ無くなったことに嬉しさが込み上げて、ふふっと笑みを零す。
つられるようにして柔らかく微笑むカリクスに、サラは「あ!」と思い出したように声を上げた。
「もう一つご報告が。メシュリー様が婚約するにあたって少し忙しくなるようで、アンジェラ様の情報についてはとある方に任せると……」
「……とある、ね。…………分かった」
名前を伏せるのはサラが伝えることを見越してのカリクスへの配慮なのか。
それでも何となく予想がついてしまったカリクスは口を閉ざす。
わざわざサラの前であの男の名前は出したくなかった。
◆◆◆
一方その頃。
急遽王妃に呼び出されたアンジェラは、ソファにふんぞり返って座る王妃の前のソファに腰掛けた。
ハァ、と全く隠すつもりのない王妃のため息に、アンジェラはギリリと奥歯を噛みしめる。
「それで? 一応聞くけれど……サラさんには格の違いとやらは見せられたのかしら?」
読了ありがとうございました。
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