72 ローガン、美しき思い出を伝える
オルレアンに来てから三日目の正午、サラはとあることを考えながらセミナと王宮内を歩いていた。
「サラ様、少しは休憩されては?」
「大丈夫よセミナ。王宮内の人々のことを早く覚えたいの」
サラは昨日メシュリーとマグダットに向けて手紙を書いた。
あとは返信を待つだけのサラは、昨日のうちに王宮内をだいたい把握し、次はこの国の人を知ろうと思ったのだった。
王位継承権代理争いが終わるまでは王宮の外に出てはいけないと事前に言われていたので、民の気持ちに触れたいと特に使用人たちには積極的に話しかけた。
もちろん、サラは既に宰相や王の家臣たちにも一通り挨拶を終えている。面倒ではあるが貴族というのは挨拶をするにも順番というものが大切だった。
性急に取り寄せてもらった王宮で働く人物たちの名前や職場が書かれた資料に目を通したサラは、セミナに顔を確認してもらい挨拶をしていったのである。数は多かったが、ほとんどの人の名前と職場に、声や仕草を結びつけることが出来た。
顔が見分けられないというのは大勢の人を覚えることに対して非常に不利ではあったものの、サラの人を見て覚える力はどんどんと向上していた。
そして話は冒頭に戻る。
行く人行く人に声をかけ、名前を聞いたり世間話をするサラ。
その瞬間はもちろん目の前の人のことを考えているのだが、会話が終わるたびにとあること──アンジェラからの手紙を思い出してしまう。
手紙には一度一緒にお茶でもどうだろうかという誘い文句が書かれていた。文書では尋ねている割に日時と場所を既に指定してあることから、アンジェラの性格の一端が窺えそうだ。
相手の出方を知るチャンスと思えばこれ以上ない機会なので、サラは了承の旨を記した手紙をカツィルに届けさせたのは今朝のことだ。
サラは手紙に意識を囚われてはた、と足を止めた。
セミナは心配そうにサラの顔を覗き込む。
「差し出がましいようですが、今日で既に王宮の大多数の方への挨拶は終わりました。お疲れのようですから一度部屋へ戻りましょうというかそうしてくれなければ私がサラ様を担いで部屋へと強制連行をする所存で」
「わ、分かったわ……! 分かったから!! 心配かけてごめんね……?」
息をつかずに早口で捲し立てるセミナだが、その言葉に乗せられた心配や優しさにサラは胸がいっぱいになる。
王宮の渡り廊下の真ん中で、サラはふふ、とセミナに向かって微笑んだ。
あまりにも嬉しそうに笑うサラに、セミナは心臓を撃ち抜かれたように「うう」と唸りながら胸の辺りへ手を持っていくと、向かい合うサラの後方からこちらに歩いてくる人物にぎょっとした。
セミナが珍しく慌ててパクパクと口パクをすると、端によって頭を下げる。
「へ、い、か」と言っていることを即座に理解したサラは、素早く振り返るとセミナ同様端により、頭を下げたのだった。
「おや、サラさんじゃないか。まさか使用人たち全員にも挨拶に回っているのか? ああ、ここでの固っ苦しい挨拶は別にいい」
フランクに話しかけてくるローガンに対し、サラは恒例の挨拶を述べようとするが、しなくても良いと言われてしまったので「こんにちは」と挨拶をするだけに留める。
お供に先に行っていてくれと伝えたローガンは、サラを見てからちらりとセミナに視線を移した。
「悪いが君も席を外してくれるかい?」
「……かしこまりました」
いくらサラを休ませたいとはいえ、国王に逆らっては主人であるサラの評価に関わる。
セミナはサラとローガンに対して丁寧にお辞儀をすると、渡り廊下を歩いていったのだった。
「そういえば君は時間は大丈夫か?」
「はい、もちろんです」
「それなら良かった。慣れない環境だろうから無理をしていないか心配でね」
お供とセミナに席を外させたので何かただならぬことでもあったのかと思いきや、掛けられた労りの言葉にサラは深く頭を下げる。
お礼を伝えれば、ローガンはふ、と小さく笑った。やはり笑いがカリクスと良く似ている。
「君が王宮中で挨拶回りをしていることは聞き及んでいる。仕事柄どういう意図があるのかと警戒する者もいたが、最終的には皆感心していたよ。この国を知るためにまず人を知ろうとしてくれているんだろう? 国王として礼を言う」
「……! 勿体ないお言葉ですわ」
もはやこれ以上ないくらいの言葉である。サラは当然のことと思ってしていることだったので、予想外の褒め言葉に身体が熱くなった。
ローガンの髪の毛が漆黒でカリクスを連想させたから、というのもなきにしもあらずだ。
サラは気恥ずかしくなったので、顔の火照りが取れないうちに咄嗟に話を変える。
「そそ、そういえばオルレアン王国では花嫁が近しい人のドレスを譲り受けると幸せになれるという話があるとか……!」
「良く知っているな」
サラは脳内でメシュリーに感謝した。
サラは人見知りではないものの、流石に婚約者の父で一国の王であるローガンと話す内容が次々に湧いてくるほど話し上手でもなかったからだ。
ローガンは腕組みをして思い出すような素振りをすると、愛おしいものを懐かしむように頬を緩める。
「実はセレーナは身寄りのない女性でな、既に正室もいたものだから誰のドレスも譲り受けることが出来なかった。だから私と彼女で意見を言い合ってドレスを特注したんだが──今思い出しても、あの姿は世界で一番美しかった」
色褪せない思い出は誰にでも存在する。
ローガンにとってセレーナのウエディングドレス姿はまさにそうなのだろう。その見目だけでなく、それまでの過程も全てローガンにとって大切な思い出なのである。
「素敵ですね」
「ありがとう。そのドレスは一応残してはあるんだが──」
「え……っ!? セレーナ様が着たウエディングドレスが残っているのですか……?」
「ああ。王宮に入るとき離宮は見たか? 昔セレーナとカリクスが暮らしていたところだ。あそこは二人がいなくなってから誰も住んではいないが定期的に清掃させていてな……。それこそセレーナとカリクスが主に暮らしていた部屋は出来るだけそのまま残してある。ドレスもその部屋にしまってある」
「離宮は王妃陛下の管轄ではないのですか?」
「ああ。離宮だけは私の管理下においてある。せめて二人が暮らした場所くらいは守りたくてな」
離宮のある方角を見ながらそう語るローガンの瞳は優しい。
サラには声色だけでも十分にそれは伝わり、ジーンと胸に来るものがあった。
この事実をカリクスにも知ってほしいと思うものの、自分から伝えるのもどうかとサラは思い悩む。
かと言っていくらわだかまりが解けたとはいえ、二人の仲は未だ気まずい。どちらかがアクションを起こさなければ二人が仲良く話している姿はサラには想像できなかった。
父親と息子なんてそういうものなのかもしれないし、口出しするようなことではないのだけれど。
(出過ぎた真似はするべきじゃないわ……カリクス様がオルレアンに来ると決めたことだって生半可な覚悟じゃないんだもの。親子の問題はゆっくり、ゆっくり解決していけば……)
そこでふとサラは思い出す。公にはなっていないが、ローガンの先が永くないことを。
サラは一度俯いてから、再びローガンに向き直した。
「今度カリクス様が育った離宮をこの目で見たいのです。許可はいただけますか?」
「ああ、それはもちろん」
「それともう一つ。……陛下、私が代理争いに勝利し、このオルレアンでカリクス様と祝言を挙げることが出来るなら、そのときは──」
優しげな印象は崩さぬまま、瞳には強い意志という名の炎が揺らぐ。
サラの言葉に、ローガンは嬉しそうに深く頷いた。
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