71 カリクス、見守ると決めた
別にサラはフィリップに対して個人的な恨みはなかった。
カリクスの過去に関してはフィリップの母親が主な問題だったことは分かっていたからだ。
ローガンの話から王としては不適格だとは思っているものの、だから個人的にどうこうという感情はなかったのだが。
「そんな顔で民の前に出たら民が怖がって腰を抜かすよ……! 僕に任せて義兄さんはキシュタリアへ帰ったらどうだい? 僕が王になったほうがオルレアンの為だってお母様がいつも言ってるしさ」
(何て酷いことを……しかも、ママ……?)
いくら第二王子とはいえ些か失礼すぎる。
カリクスのことを侮辱され、怒りがこみ上げてくるサラは咄嗟に一歩前に出ようとするが、その肩を掴んだのは他でもないカリクスだった。
放っておけと言わんばかりに首を横に振るカリクスに、サラはグッと堪える。
するとコツコツとヒールの音を立てて近付いてくる王妃。真っ赤なドレスがひらりと揺れる。
「そうよカリクス。私は貴方とそちらのサラさんの為に言ってるのよ? 王位継承権代理争いで恥をかいたら可哀想だもの」
真っ赤なルージュを引いた艶のある唇が、何とも楽しそうに開く。嫌味を言うのは言い慣れているらしい。
しかしカリクスは余裕そうな表情で口角を少し上げると、サラの掴んでいた肩をグッと引き寄せた。
「──ご心配なく。私の婚約者が負けることは万が一にもありませんので」
「なっ、なんですって……!!」
「ああ、あと、一国の王子が22歳にもなってママと呼ぶのは斬新ですね。面白い教育に感服しますよ。それと、私の婚約者に素敵な部屋を用意してくれてありがとうございます。とても快適ですよ。詳細は後で執事に聞いてみては?」
皮肉たっぷりにそう言って、サラの肩を抱いて歩いていく。失礼かとも思ったが、サラは案外悪い気はしなかった。
フィリップの悪口と汚部屋を用意したことに全く堪えていないことに王妃は鬼の形相を見せた。
去っていく二人の後ろからは王妃の「キィ〜〜!!」と発狂する声や「ママ怖かったよぉ」と甘えたフィリップの声が聞こえる。
サラは苦笑いでカリクスは鼻で笑ったのだが、何も言わずにフィリップの隣で立っていただけのアンジェラが二人は気がかりだった。
二人はそのままサラの自室へ行くと、セミナとカツィルが笑顔で出迎えてくれた。
サラは肩の力をフッと抜いて「ただいま」と緩んだ笑顔を見せる。
そんなサラと普段とあまり変わらない様子のカリクスにお茶を出したセミナとカツィルは、ゆっくりとサラの後方へと控えた。
「サラ、あちらの婚約者……アンジェラ・エーデルガントについてどう思う?」
おもむろにそう尋ねてきたカリクスに、顎に手をやって考える素振りをするサラ。うーんと唸って出た答えは、カリクスと同じものだった。
「国王陛下に事前に聞いていた話ほど、アンジェラ様が傲慢や我儘には見えませんでした。こちらの様子を黙って観察しているのかなぁと思ったのですが……」
「ああ、彼女は大した反応は見せずに笑顔のままこちらを見ていたよ。フィリップと王妃よりあの婚約者の方が曲者だな。サラが直接戦う相手でもある。ここは私が調べて──」
「カリクス様、そのことなのですか」
言葉を遮るように話し出したサラに、カリクスは珍しいものだとぽかんと口を開けた。
「王位継承権代理争いについては、出来るだけカリクス様を頼らずに挑みたいのです。この先、王となったカリクス様の負担にだけはなりたくありません……私が自分で勝たないと、きっと意味がないのですわ……っ」
「……サラ…………」
胸を張ってカリクスの隣に立ちたい。この考えはいつだって変わらない。
だからこそサラはカリクスの手助けを断ったのだが、オルレアンに来たばかりのサラが決戦の日までに出来ることは正直少なかった。土地勘もなく、何かを調べるにしても伝手がない。
サラはそれを誰よりも理解しているので、カリクスに頼らないとは言ったものの、誰にも頼らないとは言わなかった。
「と、強がってはみたのですが私一人では無理なことは分かっています。アンジェラ様の件は、私からメシュリー様にお願いしようと思います。王女のメシュリー様なら、他国の侯爵家の人間の情報も手に入ると思いますし」
「……ふ、そうだな。分かった。他の者を頼って無理をしないなら私は今回は見守ることにしよう」
「……えへへ、ありがとうございますカリクス様。あ、あと、一つ話がありまして……」
かちゃり、とティーカップを掴むと、カリクスは紅茶を飲んで口を潤す。
「枢機卿様が話されていた教皇様の件が少し引っかかります。、不幸な出来事で床に伏せているという言い方。普通病気や怪我と言いませんか? 加えて息もしづらそうで唇も真っ青、というのが本当ならば、毒の可能性があるのではないかと。事が約2週間前というのも気掛かりです。オルレアン陛下が宰相様や家臣たちにカリクス様と私がオルレアンに来ることを事前に知らせる、との旨の手紙が届いた頃です。……あまり考えたくありませんが……もしかしたら、この王位継承権代理争いを有利に進めるために誰かが意図的に教皇様に毒を盛り、代わりに自分たちの息がかかった枢機卿様を推薦したのかもしれません」
サラの疑問、そしてそこからの仮定にカリクスはコクリと頷く。
それがフィリップなのか王妃なのかアンジェラなのか、それとも結託してなのか、その他の人物なのかは分からない。──そもそも何の証拠もなく仮定に仮定を重ねた今の段階で、それは議論しても時間の無駄だ。
「ですからメシュリー様にはもう一つ、教皇様と枢機卿様についても調べてもらうつもりです。毒については専門分野ではないでしょうが、植物にも精通している養父様に聞いてみます。植物由来の毒が原因ならばいくつか見当がつくでしょうし、解毒薬も作れるかもしれません」
さも当然のようにサラは話しているが、あの短い時間でここまで考えていたのかと思うとカリクスは凄いと思うと同時に背筋がゾクリとも粟立った。
サラが優秀であることは知っていたつもりだったが、家族のしがらみから解放されてからというもの、日に日に才覚が増してきている。
まさに才女という言葉はサラにこそ相応しい。
おそらくサラには人の上に立つ素質が元より備わっていたのだろう。ときおり見せる人を圧倒するようなオーラや空気がそれを物語っている。
しかしサラにはそれだけでなく、自身の能力を向上させることに弛まぬ努力をするだけの気質と、自身に足りないものを理解し、相手の能力を見越して采配する資質も備わっていた。
カリクスは目の前の婚約者を見て、ふ、と小さく笑う。
「末恐ろしいな、君は」
「えっ、私何かおかしなこと言いましたか……?」
「いいや。そういうところもまた才能だな」
「…………?」
「そんなサラに一つだけ助言があるんだが。……助言もだめか?」
そう言ってカリクスは、静かに立ち上がってサラの隣に座り直す。
ぶんぶんと頭を振るサラの手を取って指を絡めた。
「顔が見分けられないことはこの部屋にいる者以外には言わないほうが良い。誰が敵で何をしてくるか分からない内は弱みは見せないに越したのとはないからな」
「はい。分かりましたわ。…………えっと、その手はいつまで、その…………」
「ん? 明日からは私も第一王子としての公務がある。だから今のうちに充電をしようと思ってな」
「充電」
「本当はもっとしたいことがあるが──おいセミナ殺気を飛ばすな」
こうしてサラはカリクスをオルレアンの王にするため、動き始めた。
今日は王宮内を把握し、明日は人を把握するために挨拶に回ろう。サラはそんなことを頭の片隅で思いながら、今はこの穏やかなひとときを楽しむことにする。
しかしそんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
サラの部屋へ、アンジェラからの手紙が届けられたからである。
読了ありがとうございました。
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