69 サラ、あのときの境遇よりマシです
カツィルの絶叫ともとれる声に、過剰なまでにびくりと反応したのは執事のラントだった。驚いているというよりは、身体をガタガタと震わせて怯えているように見える。
サラはそんなラントに一瞥をくれてから、一体何事かと部屋の中を見る。
「まあ……これは……」
カツィルに続いて部屋の中に足を踏み入れたサラ。その後にカリクスとセミナ、最後にラントが続く。
一様に驚いたような表情を見せていたが、唯一ラントだけは気まずそうに目をキョロキョロとさせている。
先程までの挙動不審とは少し違う態度を視界の端に捉えたカリクスはラントを見て、はぁ、と小さくため息をついた。おおよその察しがついたらしい。
サラは首を上下左右に動かして部屋を隅々まで観察すると「あ!」と何かを思い出したように声を上げた。
「なんだか屋根裏部屋での生活を思い出すわ……!」
「はい?」
間の抜けたような声を出したのはセミナである。
家具のほとんどは昔のもので傷が付き壊れていて、カーテンは破れ、シミまでついている。部屋の隅には蜘蛛の巣が張られていて、テーブルの上に散り積もったびっしりの埃。
部屋は数年放置されており、家具に至っては使えなくなった不良品をわざわざ置いてあるという印象だった。
誰かを泊める前提ではないことは明々白々であり、呆れた様子のカリクスの代わりに、セミナがラントに苦言を呈した。
「これはどういうことです? 部屋を間違えたのではないのなら──サラ様を侮辱しているとみなしますよ」
「そ、そう言われましても……! 私はただ王妃陛下にこの部屋に案内するよう指示されただけでしゅ、……すっ! 気に入らないのならばお帰り頂いて結構だと、言伝を預かっており、ま……す……ヒィッ!!」
目だけで人を殺せそうなくらいのセミナに、ラントは恐怖し尻餅をついた。
カツィルはどうしましょう!! と焦っていて、カリクスは相変わらず呆れた様子だ。もしかしたらカリクスはこのような状況になるかもと予想していたのかもしれないが、セミナは怒りが収まらなかった。
セミナはあいも変わらずラントを睨み続け、ゆっくりと距離を詰める。
トン、と肩に手を置かれたので振り返れば、穏やかに笑っているサラだった。
「大丈夫よセミナ。伯爵邸にいた頃はもっと狭い部屋だったしベッドもなかったわ。この部屋はお掃除すれば使えそうだし、少しボロいけれど家具も揃ってるわ! ふふ、あの頃に比べたら全然マシだわ」
まさかそこまで酷い環境だったとは、と驚きを隠せないセミナ。
カリクスもそこまで詳細には知らなかったようで、呆れた表情から一転して顔に怒りが浮かぶ。
当時同じ屋敷にいたカツィルは唯一その事実を知っていたので「確かに……いや、確かにじゃないわよね!?」と大きな独り言を話していた。
「この部屋しか用意がないのならば仕方がないもの。ラントを責めては可哀想よ」
優しい声色でそう言うサラ。しかし次の瞬間、カリクスに対して含みのある表情を向ける。
「きっと王妃陛下には何か考えがあるのでしょう」
サラの言葉と表情にカリクスは2、3度瞬きをしてから、ふ、と小さく笑う。
他の三人にはサラたちの考えが理解できなかったところで、次に口を開いたのはカリクスである。
「掃除をするにしても明日の朝からだな。おそらく王妃陛下の考えを察するに私の部屋は綺麗だろうから──サラ、今日は私の部屋に泊まるか?」
「えっ……!?」
「ご冗談も程々になさらないとヴァッシュに一筆書くことになりますが。ああ可哀想なヴァッシュ。信じたカリクス様に裏切られてああ可哀想なヴァッシュ」
「何故2回も言う」
「サラ様、どうか今日のところは私たちの部屋へいらしてください」
「やったー!! サラ様!! 今日は沢山お話しましょうねっ!」
「ふふ、そうねカツィル。セミナもよろしくね」
キャッキャと楽しそうにする女性陣──主にサラを見てラントの表情は何とも言えないものになる。
決してカリクスを哀れに思ったからの表情ではない。大事なことなので2回言おう。哀れに思ったわけではない。
カリクスは大きく表情を崩すことなく、冗談はさておきとさらっと言うと、セミナとカツィルには先に右側の宮殿に向かうよう指示をする。
ぽつんと立ち尽くしたラントを呼べば、カリクスの元へと小走りで駆け寄ってきた。手を出して自室の部屋の鍵を受け取ったカリクスは自室の場所を聞くと、それをポケットへとしまう。
「お前には今から働いてもらう」
「と、言いますと、なっ、にゃにを……?」
「本当に良く噛むやつだな。……まあ良い。仕事は────」
セミナとカツィルは荷解きのために一旦自室へ、ラントはカリクスにとある仕事を任せられる中、サラはカリクスの部屋で寛いでいた。
セミナたちの荷解きが終わるまでの時間、ゆっくり過ごせるのはカリクスの部屋しかなかったからである。因みにセミナは若干心配そうではあったが、そこは致し方ないだろうと足早に自室へ向かっていった。
「カリクス様の仰るとおり、この部屋は清掃も行き届いていますし立派な造りですわね……」
「むしろこれが普通なんだがな」
あまり細かく見てはカリクスに失礼かと思いながらも、サラはキョロキョロと室内を見渡す。
扉のサッシにも汚れ一つないことから、この部屋の清掃が行き届いていて使用人が優秀であることが窺えるし、家具にも目立った傷はなく、サラの部屋とは明らかに違う。
ここから分ることはつまり、サラの部屋だけ意図的に酷い有様になっていたということ。
サラはくるりとドレスを靡かせるようにしてカリクスの方を向くと、困ったように笑って見せる。
「やはり、これは嫌がらせ……ですよね?」
「ああ。おそらくフィリップの母親、王妃陛下の指示だろう。私の部屋には何もしないことで最悪部屋は一つで良いと思っていたとかなんとか言って言い逃れするつもりだろうな」
政は基本的には王が行うが、王宮内の管理を行うのは王妃の仕事である。
王や王子たちが暮らす宮殿ではなく、客人を迎える宮殿に通すよう指示をしたのも、経験の浅いラントを執事にしてサラとカリクスにあてがったのも、サラの部屋の場所を指示したのも全て王妃だ。これで王妃が関係ないと思うほうがおかしい。
「何かしてくるとは思っていたが、初日からこれとはな。相当サラを帰らせたいんだろう。サラさえいなくなれば王位継承権代理争い自体がなくなってあいつらの狙い通りだ。ま、別に無礼を働かれようが執事が新米だろうが部屋が汚かろうが、私の婚約者には何の心配もいらないみたいだが」
「あはは……もしかしたら蝶よ花よと育てられたご令嬢ならば嫌な気持ちになることもあるかもしれませんね」
第一王子とその婚約者だというのに客人扱いという非礼、適当に見繕ったような執事、平民でさえもう少しまともな部屋であろう汚部屋。
壮絶な人生を送ってきたサラにとってはどれも取るに取らないことばかりだ。
へらっと笑うサラに、カリクスはソファからゆっくりと立ち上がると距離を詰める。
「けれど一つ懸念が……その、ラントのことなのですが……」
「ああ、そうだな。おそらくあの男は新米の執事というだけでなく、王妃陛下の息がかかっている。サラも当然気付いていたんだろう?」
「はい。カツィルが部屋を見て驚いたとき、ラントは異常なくらい身体を強張らせていました。初めは大声が苦手なのかと思いましたが、その後の反応から察するに部屋が酷い有様だということを知っていたから、無意識にバレないように体が強張ったのでしょう。もしかしたらラントがあの部屋を作り上げた本人の可能性もありますね」
ピタリとサラの目の前で足を止めたカリクス。
サラの頬をすりすりと撫でるカリクスの手付きは、壊れ物を扱うかのようだ。
「流石サラだな。ラントは部屋を見ても驚かずに挙動不審な態度だった。あれは確実に分かっていた顔だ」
話す内容は真面目なものだというのに、カリクスの手付きはどんどん過激になっていく。
頬に優しく触れていたはずの手は、いつの間にやら耳を擽るように撫でている。
サラのぴく、と反応する身体に、カリクスは恍惚の表情を浮かべた。
「っ、そ、それで、ラントに頼んだ仕事って……っ」
「明日になれば分かる。……もうこの話はしまいだ。二人のときに別の男の名ばかり聞くのは不快だ」
「〜〜っ!! カリクス様はいつも──」
「もう黙っていろ」
「んんっ」
かぷ、と食べられるように奪われた唇。話していた途中だったことから口が半開きだったサラの唇を啄むカリクス。
サラはそろそろ離れてほしいと胸辺りをどんどんと叩くが、カリクスの両手がサラの側頭部を包み込むようにして逃さない。
「っ、ふ……んっ」
いっぱいいっぱいのサラは鼻で息をすることを忘れたのか酸欠気味になって涙目になる中、コンコンと聞こえるノックの音にカリクスがゆっくりと唇と手を離す。
どうやら理性は残っているらしい。
はあはあと息が絶え絶えのサラの濡れた唇を、カリクスが親指で優しく拭う。
「……カリクス、様……っ?」
「…………済まない」
「えっ、あの……」
「……おそらくセミナかカツィルが迎えに来たんだろう。早く行ってやると良い」
「わ、分かりました……っ、おやすみなさい、カリクス様」
パタパタと小走り部屋を出ていくサラに、おやすみ、と出来るだけ冷静に言うカリクス。
頭をガシガシとかいて、天を仰いだ。
「今のは危なかった──」
そんな切なげなカリクスの声だけが、部屋に響いた。
読了ありがとうございました。
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