65 サラ、カリクスを信頼している
コツコツと音を立てて室内に入るカリクス。
サラはカリクスに駆け寄ると、眉尻を下げて申し訳無さそうに頭を下げた。
「サラの悪女のような演技はなかなかだったが……。ふ、思い出すと少し笑えてくるな」
「うっ、言わないでくださいませ……!! カリクス様なら全て分かってくれると信じていたのです」
穏やかな空気で話すサラとカリクスに、ローガンは口をぽかんと開ける。
一体今、何が起こっているのか。何故この場にカリクスが登場し、サラはそれをすんなりと受け入れ、ローガンだけが驚いているのか。
「待ってくれ、どうしてカリクスが──。別の部屋で休んでいるはずじゃ……」
「私の婚約者はとても聡明で優しく、嘘をつくのが下手くそ、ということでしょうか」
「どういう、意味だ……」
分からないのも無理はないと、カリクスはふぅ、と小さく息をつく。
説明をしなければ話が進まないだろうと、カリクスは順を追って話をするのだった。
「まず、サラはいくら相手が私と血の繋がりがある者だろうとそう簡単に異性と密室でふたりきりになることはありません。ましてや、自らから進んでそうなりたがるなんて有りえないことを、私は知っています」
「私のことをまだ良く知らないようですね?」と言ってローガンとふたりきりになりたい、と言ったサラの言葉に引っかかりを覚えたカリクス。
その後の間延びしたような話し方は、サラが嘘をついたり誤魔化すときの癖だということをカリクスは知っている。咳払いして自らを律し、自然と話そうとする意識は買うが、正直カリクスにはお見通しだった。
「つまりサラはふたりきりになるつもりも密室にするつもりもないということ。私に部屋の前で待機し、密室を避けるために扉を少し開けておいてほしいという裏返しです。……ですから私は一連の話を全て聞いていました」
古い建物故に、開け締めにはキィ……と音がなる応接室の扉。
密談もすることから、しっかりと閉まるとガチャンと大きな音を立てる構造だということを知らないローガンは、カリクスが扉を締め切っていないことに気が付かなかった。
「彼女の名誉のために言いますが、貴方を下座に座らせたのもわざとですよ。背を向けさせることで扉が開いていることに意識を向かせず、かつ私に貴方の声を聞こえやすくした。というか、サラの非礼は全てわざとです。言動は全て考えがあってのこと。あの悪女の演技は……私も初めて見たので驚きはしましたが」
カリクスはサラの頬を優しく撫でると、そのまま親指と人差指で柔らかな頬をつまむ。
「ふぇっ!?」とどこから出たのか分からないような声を上げたサラ。頬の僅かな赤みは、カリクスからのささやかな仕返しだった。
「サラはどうしても貴方の話を私に聞かせたかったらしい。……サラ、理由を聞いても良いか?」
頬を摘んでいた手を離し、カリクスはサラの柔らかな髪を掬い上げる。指の隙間からパラパラと落ちていくミルクティー色の髪をおぼろげに見つめるカリクスの瞳は、冷静なように見えて疑問も孕んでいる。
サラは長いまつ毛を数回揺らしてから、おもむろに口を開いた。
「以前オルレアン国王陛下と初めてお会いしたのは、先代の公爵様とセレーナ様の墓石の前でした。その時はオルレアン国王陛下がセレーナ様と夫婦だったことは知りませんでしたが……クリスマスローズを供える陛下を見てセレーナ様とただの知り合いではないと確信しました。……クリスマスローズは夏に育てるのが非常に難しい花。この時期は花屋で売っていません。つまり、育てているのか育ててもらっているのか。どちらにせよ、ただの知り合いにすることではありませんわ。深い思い入れがあると思いました。……セレーナ様のことを、とても大切に思っていることも……」
カリクスは無言になり、髪の毛に触れていた手をサラの頬へと誘う。
摘んで赤くなったのと反対の頬に手を伸ばすと、その手はふるふると震えていた。
「何より、故人に向けてカリクス様を幸せにしてみせます、と言った私に対して、陛下はこうおっしゃいました。──幸せにしようとするだけではだめだ。君も一緒に幸せにならないと、本当の幸せにはなれない、と」
「…………っ」
サラはそのとき、胸にツキン……と何かが突き刺さるように感じた。そのとおりだと思ったのである。
ローガンの言葉は、不思議と説得力があった。
「そんなふうにおっしゃるお方が、カリクス様が言うような酷い人だとはどうしても思えませんでした。ですから……出過ぎた真似だとは思いましたが、私は……。申し訳あ──」
「分かった。分かったよ、サラ」
再び謝罪を口にしようとするサラだったが、カリクスの大きな右手で両頬をむに、と優しく挟まれ口を尖らせる。
カリクスはそんなサラの姿に愛おしそうに微笑んでから、ローガンをちらりと見る。
カリクスたちを見る瞳からは、何を考えているかまでは分からなかった。瞳だけで読み取れるほど、カリクスはローガンのことを知らないのだ。
そう、知らない。この事実は大きい。
そして本音をさらけ出されて当時ローガンが何を思っていたのかを知ることもまた、カリクスの心を大きく動かした。
ローガンを見つめるカリクスの瞳は憎しみがなくなったわけではなかったけれど、はっきり感じ取れるほどに穏やかさが滲んでいた。
「母にも同じように、ちゃんと説明してあげてください。言い訳がましくても構いませんから……クリスマスローズを供えるだけでなく、ちゃんと言葉で伝えてください」
「……っ、ああ……」
カリクスはサラの頬から手を離して、自身の左目を覆うようにある火傷痕にそっと触れる。
「……私のこの大きな火傷痕は母が助けてくれた証でもあります。その時に母も火傷を負いましたが、名誉の負傷だときっぱり言い切るくらいに母は強い人でした。貴方が思うよりも、強い人だったんです」
「ああ……っ、済まない……済まなかった……っ」
堰を切るようにボロボロと涙が溢れ出すローガン。
そんなローガンからカリクスはぱっと体ごと背を向けて視線を逸らす。
震える背中に気が付いたサラは、そっとカリクスの手を握り締めた。弱々しく握り返してくる彼が、サラはどうしようもなく愛おしかった。
◆◆◆
次の日になり、サラは正午前になるとヴァッシュに頼まれてカリクスの部屋を訪れた。
朝食を食べに来なかったカリクスは、どうやらずっと自室にこもっているらしい。
「カリクス様、入ってよろしいですか?」
ノックをして、扉の前で声をかける。
昨日、カリクスはローガンに対して少し心を開いたようにサラには見えた。しかし王位につくというのはそう簡単に決断出来るわけではなく、話は今日へと持ち越すこととなった。
ローガンが屋敷に来ると指定した時間まではあと30分程度しかない。
唯一事情を知るヴァッシュは時間に遅れるのではないかと危惧し、サラにカリクスの様子を確認してほしいと頼んだのだった。
「サラ、入って良い」
「……! はい、失礼します」
ハキハキとした声のカリクスにサラはほっと胸をなでおろし、扉を開ける。
視界に入ってきたのは、着替え中のカリクスの姿だった。
「あっ、えっ、申し訳……ありません……っ!」
「許可をしたのは私だから気にせず入ると良い」
「目のやり場に困りますから早く服を着てください……!」
ズボンは履いてあるものの、上半身は何も纏っていないカリクスに、サラは頭がくらくらする。
手に持っているシャツを今から着るところだったのだろうが、それならば着てから声を掛けてくれれば良いものを。
サラは視線をそっと他所に逸して、赤くなった顔を掌で仰ぐ。
普段から鍛えているために薄っすらと割れた腹筋に、隆々しい二の腕と一瞬見えた肩甲骨。戦いで負った古傷さえ彫刻にして残したいと思えるほどに美しい。
カァっと湧き上がる感じたことのない気持ちに、サラはゴックンと喉を鳴らした。
「服は着た。もう見て良いぞ」
「はい、って、え……っ」
視線を戻せば、あまりにも至近距離にいるカリクスにサラは声にならない声を上げると、驚きで足がよろける。
カリクスはそんなサラの右手首を掴んで助けると、いつものように小さく微笑んだ。
「捕まえた」
「あ、あの……!?」
サラの手首を掴んで自身の腕の中へ誘ったカリクスは、サラの腰と後頭部に手を回して力強く抱き締める。
昨日の今日なので思い悩んでいたり元気が無いのでは? と思っていたサラだったが、カリクスの行動自体は普段通りだった。
ほとんど身動きが取れない中、サラは「もう……!」と羞恥とほんの少しの怒りが混ざった声で反応を示す。
「そろそろオルレアン国王陛下が来てしまいますわ……っ! 離してくださいませ……!」
「分かっている。……だから少しだけ充電させてくれ」
「…………!」
声色がワントーン落ちる。抱きしめる腕の力はより強められた。
(そうよね……一世一代の決断だもの……不安にならないはずがないわ…………)
サラは強張っていた体の力を抜いて、カリクスの背中にそっと手を回す。
「その、私にできることならば何でも言ってくださいね」
「──何でも?」
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