64 ローガン、真実を話し始める
ローガンが初めてカリクスを抱き上げたのは、首が座ってから少し後のことだった。
それまでも暇があれば赤子のカリクスを見に来てはいたのだが、あまりにも小さく柔らかいカリクスに触れるのが怖かったのである。
こんなにも可愛い子を産んでくれてありがとうと、何度セレーナに感謝したことだろう。
「赤子のカリクスの手の近くに指を持っていくとぎゅっと握り返されてな……あの感覚は今でも忘れられない。私は二人を心の底から愛していたし、この幸せを守りたかった」
「……それなら、どうして……」
「──カリクスが2歳になった頃、正妃が懐妊してから問題は起こった」
ローガンは今も昔も愛している女性はセレーナだけだと言い切れる。
しかし正室が居る以上、王には夜伽を行う義務があった。正室とは完全なる政略結婚で愛はなかったが、こればかりはどうしようもなかった。
「正妃は元から気が強い女だったが、赤子を身籠ってからはより攻撃的になってな。セレーナがお腹の子を殺すために毒を仕込んだと有りもしない妄言を吐くようにもなった。そのつもりなら正妃が先にカリクスを殺すとも。その攻撃性が直接セレーナやカリクスに向くかと思うと恐ろしくて仕方がなかった。だが妊婦に過度なストレスを与えることも出来ず……。だからセレーナとカリクスには離宮に避難してもらっていた。これが一番安全で、二人を守るには最適だと思った。正妃が出産さえすれば出してやれると……また前みたいに戻れると信じていたんだ」
「そうやって、ちゃんと伝えなかったのですか……?」
サラの問いに、ローガンは俯いて「ああ」と言いながら首を縦に振った。
当時ローガンは正室への対応で手が一杯だった。
出産さえすれば落ち着くと思っていた正室の攻撃性が落ち着くどころか、日々過激になっていったからである。
実際にセレーナとカリクスを秘密裏に暗殺しようと人を雇っていることもあった。ローガンがことが起きる前に気が付き、ことは何も起きずに収束したのだが。
というのも、ここまで正室が二人──というよりも厳密にはカリクスを狙うのには理由があった。
「オルレアンでは正室と側室関係なく、早く産まれた男児が王位継承権第一位になる。どうしても自分の息子を王位に就かせたかった正妃は、カリクスを亡き者にしようとした。そうすれば確実にフィリップが次期王の座を手に入れることができる」
だからこそローガンは正室の動きに目を光らせていなければいけなかった。
どれだけセレーナとカリクスに会いたくても、その間に正室が変な動きをしないとも限らない。二人を守るために、ローガンは二人にほとんど会うことができなかった。
だから代わりにクリスマスローズの花を贈った。春夏秋冬、前に贈った花が枯れる前に新しい花を贈り続けた。
セレーナが大好きだという花を贈れば、ローガンは自身の気持ちが伝わるはずだと、信じ切っていたのだ。
「クリスマスローズは、私はずっと君を愛している。忘れてなんていない。──そう、伝えているつもりだったんだ」
「…………けれど、その気持ちは」
「ああ。今思うと伝わるはずがない。そんなのは私の、独りよがりな願いだ」
カリクスが家庭教師から王族教育を学び始めてからは、正室のカリクスに対する暗殺計画はより綿密で狡猾なものとなった。金銭を渡して使用人を買収したり、又は弱みを握って言うことを聞かせたり、酷いものだった。
フィリップは物覚えが悪く、勉強もサボり気味で続かない。それに比べてカリクスは稀代の天才だと家庭教師がローガンに伝え、正室は偶然にもそれを聞いてしまったことが原因だったと言えるだろう。
優秀な第一王子と不出来な第二王子。王宮の中枢も、国民たちも、どちらを選ぶかなんて火を見るより明らかだったから。
その実状に苛立った正室が次はどんな手を使ってくるか分からないため、ついにローガンは二人のことを口に出すことをしなくなった。
存在を忘れたかのように日々を過ごし、正室も二人のことを忘れてくれれば良いと願った。
「二人の身の安全だけを考えるなら早急にセレーナを側室から妾に戻し、カリクスに与えた王位継承権を無効にすれば良かったのだ。だが私はそれをしなかった。王宮内で二人が亡き者として扱われることに苦言を呈することもなく、寧ろそれで命を狙われないのなら別に構わないと、そう思っていた」
「妾にされなかったのはセレーナ様のお立場が低くなるからですか?」
「勿論それもあるが──あの子が……私とセレーナの子であるカリクスが、いずれ王となりオルレアン王国を率いていく姿を見たかったのかもしれない。だが結果的にセレーナとカリクスはとある雪が降る日に、姿を消した。……そこで私はようやく気が付いたよ。私がしていたことは二人を守っていたのではなく、囲っていただけなのだと。理由もろくに説明せずに、守ってやっていると、幸せにしてやっていると、自分に酔っていただけなんだ。……情けない……情けなさ過ぎて笑えてくるよ」
サラにはローガンの表情は分からないけれど、酷く傷ついた顔をしているのは容易に想像できた。
ローガンのやり方は確かに極端ではあったし、セレーナとカリクスの心を深く傷つけることになったが、そこには確実に愛が存在したというのに。
サラは唇をキュッと噛み締めて、太ももの上に置いた両手の拳に力が入る。
コバルトブルーのドレスに、ぐぐっとシワが寄った。
ローガンは眉尻を下げて、悲しそうに笑う。
「二人が出て行ってから二年後、外交でキシュタリアに訪れたとき、前アーデナー卿が子持ちの平民を妻に娶ったという話を聞いたときはまさかと思ったよ。真実を知りたかった私は、当時この屋敷を一人で見に来たんだ。……そうしたら偶然3人が庭園に出てきてね……カリクスの顔に大きな火傷の痕があることには驚きはしたが、あんなに穏やかに笑えるのかと驚いたよ。時折私が会いに行ったときに見せてくれる顔は、憎しみに染まっていたから。……セレーナは前アーデナー卿に車椅子を押してもらい、そんなセレーナの横に並ぶようにカリクスは歩いていて、3人で仲睦まじく過ごしている姿は──私がなりたかった、家族、そのもの、だった…………」
左手で目頭を押さえるローガンに、サラはふと自身の家族だった人たちのことを思い出す。
──そして、こうも思った。
(カリクス様とオルレアン国王陛下には、私のようになってほしくない。カリクス様がどんな結論を出そうとも二人はきちんと話し合うべきだわ)
サラは立ち上がって、ゆっくりと頭を下げる。
「オルレアン国王陛下。先程の非礼の数々お詫び申し上げます。そして今からのこと──先に謝罪させてください。申し訳ありません」
「……今から……? どういう────」
「後ろを、振り向いて頂けますか?」
「後ろ…………?」
サラにそう告げられたローガンは、ソファに座ったままおもむろに後ろを振り返る。
下座に座っていたために間近にある扉が、薄っすらと開いているのが視界に入った。
その隙間には影が落ちており、ほんの僅かに見える革靴のつま先。なぞるように視線を上に持っていくと、影に溶け込むような漆黒の髪に、ローガンの瞳の奥が揺れる。
「どうして……」と呟くローガンに、サラは立ち上がって大きく息を吸い込んだ。
「カリクス様、出てきてください──」
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