63 サラ、不敵な笑みを見せる
「住むところがないと悩む私たちに、父はキシュタリアに来るよう言ってくれた。素性を話しても受け入れてくれて、母は次第に父に惹かれていった。後から聞いた話では、父の一目惚れだったらしいが。……元から弱かった母の身体は劇的には良くならなかったが、毎日笑顔だったし、父は私のことを本当の息子のように思ってくれていたな」
「カリクス様…………」
「サラ、今まで黙っていて済まない。私にとってオルレアンにいた頃のことは終わったことなんだ」
カリクスの声色は穏やかだ。けれど、どこか自嘲気味にも聞こえる。
終わったことだと語るカリクスに、サラは引っかかりを覚えた。
もちろん常日頃から思い悩んでいたわけではないのだろう。多忙なカリクスが、実害が無い状態で常にそのことに目を向ける余裕があるはずがなかった。
だが今、目の前にその過去の人物──実父が現れ、カリクスは再び過去と向き合うことになった。
その胸中を正確に計り知ることは出来ないけれど、サラはあることに気が付いていた。
ローガンは何も不法侵入をしてこのアーデナー邸に足を踏み入れた訳ではない。屋敷も騒ぎになっておらず、お茶が用意されていることからもカリクスが通すよう指示をしたのだろう。
どうしても会いたくなければ、拒否をすることは容易かったはずだというのにだ。
つまり、カリクスは自らの意思でこの場にローガンを引き入れ、会うことを選んだということ。
終わったと称したことにカリクスは時間を使うような人間ではないことをサラは知っているので、カリクスの終わったことという発言が本音ではないことが証明されている。
カリクスは視線をサラからローガンへと移した。ローガンの瞳の奥がゆらりと揺れる。
「それで、もう一度聞きますが、玉座を奪われそうになっている貴方がどうしてここに?」
ローガンは言いづらそうに口ごもり、数回瞬きを繰り返してから口を開いた。
「私は次期国王にカリクス──お前になってほしいと思っている」
「……! 今更何を……貴方が私と母にしたことを忘れたんですか!? 貴方は正室に世継ぎが出来たから私と母のことを離宮に追いやったんでしょう……! 平民の出の側室の子──卑しい血が混じった私のことが邪魔で亡きものとして扱ったのではないのですか……!!」
「……! 違う……私は……そうじゃないんだ……っ、違うんだ……!」
否定を口にするローガンだったが、カリクスの憎しみのこもった瞳にぐっと押し黙った。
一言でも余計なことを話せば牙で噛みちぎられそうなほどの獰猛さを感じ、口を閉ざすとカリクスは「はぁ」と自身を落ち着かせるように大きなため息をついてローガンを見やる。
「そもそも玉座を奪おうとしているのは貴方の大切で仕方がない正室の子でしょう。さっさと明け渡しては?」
「あいつは……フィリップではダメだ。何事も他力本願で直ぐ人のせいにする」
「……自分の息子です。大目に見てはいかがですか」
「それだけなら検討の余地はあった。だが数年前フィリップに婚約者が出来てからあいつはその婚約者の言いなりだ。国の資金を勝手に婚約者のために使ったり、婚約者が理由もなく嫌いだと言った人物に謂れのない罪を被せたり……到底人の上に立つ人間のすることではない。何度叱っても一向に直らず母親は良いと言っただの婚約者のためにしたことなどと……」
人が人に影響を受けるのはよくある話だ。かくいうサラとカリクスもそうだった。違うのは影響を受け良い方向に向かうのか、悪い方向に向かうのかということ。
カリクスの義弟──フィリップはどうやら後者だったらしい。
カリクスは義弟とはいえ一度も顔を合わせたことさえなかったのでいまいち実感が湧かなかったが、話を聞く限りフィリップに王位を譲れないと語るローガンの意思は正しいと感じた。
王の不出来にしわ寄せを食らうのは、いつも民だ。
「最近は私を暗殺しようとまで企てている。それもフィリップの婚約者が言い出したらしい。私が渋っているのが気に食わないのだろう。……正妃もフィリップを王にと昔から強く望んでいるから、その婚約者と結託している。婚約者の家は王家に並ぶほどの力があり……正直こちらからおいそれとは婚約破棄をすることもできない」
「…………それならば貴方が死ぬ寸前まで王位は譲らなければ良い。護衛をつければどうにかなるでしょう。或いは正室の子をいっとき辺境の地にでも追いやり……ときが来たときに呼び戻して王位を継がせれば良いではないですか。辺境の地へ追いやられた王子に呆れてその婚約者から婚約破棄の申し出があるやもしれません。何も直ぐに貴方の命がどうこうなんてことは無いのですから急がずとも────」
刹那、カリクスはローガンの顔を見てぷつんと言葉が途切れる。
わざわざ16年ぶりに会いに訪れ、まだ自身が若いというのにカリクスに王になれという理由、それは。
「私はもう……永くない。もって一年だと言われている」
「………………」
「そのためにキシュタリアに来る前に戴冠式は年明けに行うと伝えてきた。戴冠式は年明けに行うことがならわしなんだが、今年は残り3ヶ月弱しかない。……これを逃せば、私が死んで自動的に王位はフィリップのものだ。……そうなってはオルレアンはおしまいだ」
ふ、とローガンは自嘲気味に笑う。
(あ……今の笑う時の声……カリクス様に似てる……)
俯くカリクスに対して、サラはぎゅっとその手を掴む。
サラの小さな手では包み込むことは出来なかったけれど、カリクスはその温もりを大事そうに握り返した。
「私、は…………」
震えるカリクスの声に、ローガンはゴクリと息を呑む。
「貴方のことが憎くて堪りません。オルレアンの地を踏むのも嫌です。──が、無能な王族のせいで民が苦しむのも嫌です。……ですから少し時間をください」
「ああ。……もちろんだ。私は明日の夕方までこの国にいる。戴冠式までの日にちも短いため、済まないが明日の夕方までに結論を頼む」
「オルレアンを救ってくれ」と懇願するように告げるローガンに、カリクスは何も言わなかった。
しかし否定の言葉も言わないことから、気持ちが揺れているのは明らかだった。
「では今日は帰ってください。裏門に馬車をつけさせます。明日も来るようなら裏門から来てください。ヴァッシュ──執事長に案内させます」
「ああ。了解した」
「サラ、君は疲れているだろう。すぐに支度させるから湯浴みに……って、サラ?」
握り返したはずの小さな手が、するりと離れていく。サラは体の向きを変えて、カリクスの顔を真正面から見つめた。
何か強い意思を感じさせるサラの瞳に、カリクスは少しだけだじろいだ。
サラの整った唇が、まるでスローモーションのようにゆっくりと開く。
「少しだけオルレアン国王陛下とお話したいのですが、良いでしょうか」
「…………理由を聞いても良いか」
サラはくるりと体を反転して、次はローガンを見やる。
薄っすらと目を細め、笑みを浮かべる。僅かに視界に映る美しくも普段の柔らかな笑みとは全く違う不敵な笑みに、カリクスは違和感を持った。
「少しオルレアン王国に興味があるだけですわーー。コッ、コホン!! こんな機会めったにありませんもの。オルレアン国王陛下は宜しいですか?」
「あ、ああ構わんが……」
しかし普段のサラを知らないローガンはそんなサラの変化に気が付くはずもなく、カリクスの婚約者ということもあってコクリと頷く。
サラはありがとうございますと一礼すると、もう一度カリクスに向き直った。
「では、ふたりきりで話したいのでカリクス様はどうぞお部屋でお休みください」
「……それは許可できない。話をするならば私も──」
「カリクス様、私のことをまだ良く知らないようですね? 私はオルレアン国王陛下と二人でーー、コホン! 話がしたいのです。……理解できませんこと?」
言葉の端々に棘があり、不敵な笑みを浮かべたまま。サラの様子は普段とは明らかに違うが、カリクスは敢えてそれを指摘することはなかった。
その代わりにコクリとうなずくと、ドアノブに手を掛ける。
「君の好きにすると良い」
「……ご理解感謝いたします」
──キィ。
カリクスは一人で部屋を後にすると、サラは立ち尽くすローガンに一言もないまま、ボスっとソファへと腰を下ろした。
扉から一番離れている上座──先程までローガンが座っていた席だ。常識的に考えて、その席にサラが座るのは無礼極まりない。
「オルレアン国王陛下もどうぞ? そちらにお座りになってくださいませ」
「…………ああ」
そちら、と右手を向けた先は扉に一番近い下座の席だ。
いきなりの訪問であることと、カリクスの婚約者であることから、ローガンはサラに何も言うことなく言われるがままに腰を下ろした。
しかしローガンは何も言わないだけでサラへの不信感を募らせていた。
墓石の前で会ったときは、サラの貴族としての立ち振る舞いも、家名を言わない警戒心にも見事の一言だった。カリクスの婚約者として心配はいらなさそうだと思っていた。
今日応接室に入ってきた当初もそうだ。優雅なカーテシーに、カリクスを大切そうに見る瞳。カリクスの将来の伴侶として相応しい女性だと思っていたというのに。
蓋を開ければどうだろう。カリクスに対する先程の嫌味ったらしい言い方に、座る席の場所すら知らない教養の低さ。化けの皮が剥がれるとはまさにこのことなのだろうと、ローガンは悲しくなる。
ローガンがサラを見る瞳は、何か靄でもかかったように霞んでいく。
サラはふふ、と笑みを浮かべてから、声高らかにローガンに話しかけた。
「先程カリクス様が話したこと──離宮に追いやったとか、邪魔だから亡きものとして扱った、とか。オルレアン国王陛下は否定されていましたけれど、真実はどうなのですか?」
「……私がそれを君に話すとでも?」
「だって気になってしまって! 私、実は人の不幸話が……大好きーーですわーー、ではなく、大好きなのですわ。日々暇を持て余している私に、どうか話してくださいませ。言いふらしたり仲を取り持ったりはーー、しませんわ」
時々変な話し方をする女性だとローガンは思いながらも、もはやそんなことはどうでも良かった。
息子ふたりともの女を見る目の無さ、そして自分自身の愚かさに、ローガンはやけくそになって口を開いたのだった。
「まず大前提として──私はセレーナとカリクスのことを心から愛していた」
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