61 カリクス、その事実を認めたくない
何か鈍器のようなものを振り下ろされたのかと錯覚するくらいに、ガンガンと頭が痛む。
ヴァッシュの言葉がきちんと理解出来ている証拠だ。
けれど受け入れたくないと身体が拒絶するのも事実で、カリクスは立ち尽くしたまま力一杯拳をぎゅうっと握り締める。
「急な訪問ですし、お帰りいただきましょう。いくらあのお方でもこれは──」
「いや、待て」
咄嗟に出た言葉に、カリクスは自分自身にハッとする。
世界で一番会いたくない人物から逃げても良いと言われて、何故それを良しとしないのか。
(私は……過去に囚われているのか)
カリクスはサラと出会い、彼女が家族に対して執着を持っていたことを知っている。そのせいで前に進めないことも、がんじがらめになって苦しんでいたことも傍で見てきた。
愛を渇望する故の執着は、見ていて悲しさを覚えたものだ。
(いや……私は違う。もう16年も経つんだ。もうあの人のことなど──)
境遇も違う。立場も違う。カリクスには過去を断ち切る時間はいくらでもあった。周りに愛してくれる人も居た。
なのにどうしてこんなにも、心がざわつくのか。
(まさか私も──いや、この期に及んでまさか)
カリクスはギリ……と奥歯を噛み締める。
理由なんて今はどうでも良い。ただ脳内をあの人に支配されているという事実が、カリクスには腹立たしくて仕方がない。
──カリクスは今、大きな決断に迫られていた。
「ヴァッシュ。────してくれ」
「……かしこまりました旦那様」
30分ほど自室で一人こもったカリクスは、重たい足取りで応接室に向かい、ガチャリと扉を開けた。
既に席についている男の前には、ヴァッシュが用意したお茶が一つ置かれている。中身は綺麗に飲み干されており、毒見もいない状況でやることとは思えなかった。
久々の再会に緊張でもしているのか。カリクスはそんなことを頭の片隅に思いながら、男の向かいの席に腰を下ろす。
お互い目を合わせることはおろか、顔を見ようともせず空気は重々しい。
男を通すように指示をしたのは自分だというのに、もう既にカリクスは後悔していた。
気まずい雰囲気、重たい空気。同じ空間にいるだけで蘇る昔の忌々しい記憶、母親が泣いている声──無力な自分。
沈黙を切るように、口を開いたのはカリクスの父と名乗る男だった。
「久しいな、カリクス。会ってくれるとは思わなかった」
「…………いきなり来ておいてよく言いますね」
カリクスはふぅ、と小さく息を吐いて、スラリとした長い足を組み替える。
カリクスの目線の先にあるのは男の顔から下だ。約16年前の記憶では、もう少し体格が良かった覚えがある。
歳をとったからなのか、病気でもしたのか、それとも己の立場を憂いてか。
「本題に入ります。貴方がここに来たのは玉座を奪われそうになっているから、でしょう?」
「……何故それを知っている」
「キシュタリア陛下と父は昔から交流があり、私の素性を知っています。父が亡くなってからも気にかけてくださり、オルレアンの内政がごたついていることは最近聞きました。……それで、アーデナーの力が欲しいから来たんですか? 国外の有力者に声をかけて回って力を取り戻そうと──」
「違う! …………違うんだ。私は…………」
否定するようにぶんぶんと首を振る男。会話をしてから初めて言葉に感情が乗った瞬間だった。
男はズボンをぐしゃりと掴むと、右脚を支えにしてゆっくりと立ち上がる。
その時ようやく16年ぶりに二人の目線が絡み合った。
「私は……カリクスお前に────」
──コンコン。
男の言葉を遮るように響くノックの音に、二人は同時に扉を見た。特にカリクスに至ってはヴァッシュに人払いを命じてあったので、どこのどいつだと苛立ちを隠せない。
ヴァッシュだとしてもタイミングが悪すぎるため一言言ってやろうかと扉を勢いよく開けると、目の前の人物にカリクスはパチパチと瞬きを繰り返した。
頭一つ分低い位置にあるミルクティー色は、会いたくて仕方がなかった婚約者のものだ。
「た、ただいま戻りました……! ヴァッシュさんに応接室に行くよう言われて……その、大丈夫、でした?」
「……ああ。君ならいいんだ。…………おかえりサラ……サラ……っ」
「? どうされました……? 大丈夫ですか?」
救いを求めるような声で名前を2度も呼ばれ、ぐっと肩を掴まれる。
ほんの少し震えるカリクスの手に、サラは部屋の奥で立ち尽くす来客をちらりと見た。
帰宅直後、ヴァッシュに「旦那様の傍にいてあげてください」とだけ言われたときには何事かと思ったが、カリクスの様子がおかしいのはこの来客男性によるところが大きいのだろう。
サラは表情には出さなかったが警戒心を持ち、部屋の中に入ると扉を優しく閉める。
するとこちらに向かってズズ……と歩いてくる男性。カリクスが横に退いてくれたので、サラは真正面にその人を見る。左足を引き摺るような独特な歩き方と、その足音にサラは既視感を覚えた。
(あれ……? この方……どこかで……)
顔が見分けられないサラは歩き方や体格、または声で人を判断する力に長けている。特に伯爵邸を出てから沢山の人と関わるようになってから、その能力は格段に向上した。
無意識に相手を観察してしまう部分と、意識的に相手を観察し、失礼のないように覚えようとする部分。どちらもサラが日常生活を送る上で欠かせないものだ。
今回はそのどちらで目の前の男性に既視感を覚えたのか。そんなふうに考えていると、サラの頭にとある花の記憶が舞い込んでくる。
(そうよ、この男性は────)
サラはドレスを摘んで膝を曲げてゆっくり頭を下げる。洗練されたカーテシーを行うと、口を開いた。
「私はアーデナー公爵閣下の婚約者──サラ・マグダットと申します。今回はお名前、お聞かせ願えますか?」
「今回は……? サラ、どういうことだ」
カリクスの瞳が揺れる。どう考えても初対面なはずだというのに。
口振りから察するに、面識はあると考えて間違いないようで、カリクスはバッと男性を見る。
「この前ぶりだねお嬢さん……いや、サラさんと呼んで良いかな。前回は名乗らなくて失礼した」
「私も家名を名乗りませんでしたのでおあいこですわ」
「っ、ちょっと待ってくれ、一体いつ──」
「以前、カリクス様のご両親のお墓参りに伺った際に偶然お会いしまして」
それは約2週間前、サラと共に両親のお墓参りに行ったときのこと。
夏場にそぐわない冬の花──クリスマスローズを供えた、カリクスとサラ以外の人物がいたという事実。
あのときはそんなはずはないとカリクスは思考を停止した。ただ、その事実を受け入れ難かっただけなのかもしれないけれど。
カリクスは信じられないというような目で、男の瞳をしっかりと見る。
幼少期の記憶に残る厳しく冷たい目付きとは正反対の、慈愛に満ちた優しい瞳だった。
「どうして……どうして貴方が、クリスマスローズを……母さんが大好きだった花を…………。それにその目……その目は何だ……!! どうして今更……っ、 私と母さんに何をしたか覚えているのか……!!」
「カリクス様……! 落ち着いてください!! 一体どうしたと言うのですか……! この方はカリクス様の何なのですか……っ!?」
声を荒げるカリクスの片腕に、サラはぎゅっとしがみついた。
突然のことに驚いたカリクスは少しだけ冷静さを取り戻すと、肩を上下させながら「フーフー」と大きく呼吸を繰り返す。
そんな様子のカリクスに対し、男性は眉尻を下げて控えめに笑って見せる。
サラを怖がらせないようにとの配慮だった。
「話の前に……まずサラさんに自己紹介をしなければならないな」
男性はぽつりとそう呟いて、サラからカリクスへと視線を移した。
「私はそこにいるカリクスの父親であり、オルレアン王国、現国王──ローガン・オルレアンだ」
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