59 メシュリー、マグダットと顔を合わせる
景色が少しずつ移り行く。
馬車に揺られて暫く、メシュリーはソワソワと落ち着かない様子だった。長年の悩みが解消されるかもしれない代物を見に行くのだから、それは当然の反応だろうとサラは思っていたのだけれど。
「ねぇ、サラ」
「はい」
「その、その…………」
「…………どうかされましたか?」
何か言いづらそうにして俯いているメシュリーに、サラはどうしたのだろうと小首を傾げる。
「あ〜」「う〜」と唸り声をあげたメシュリーは、自身の太ももを一度叩いて喝を入れるとサラに向き直った。
「一度しか言わないわ……!」
「へっ!? あ、はい……!」
「自分可愛さにカリクスと別れてなんて言ってごめんなさい……! なんの苦労もしてないなんて酷いことを言ってごめんなさい……っ!!」
「……! メシュリー様…………」
正直な話、サラはその話をすっかり忘れていたくらいだった。
メシュリーという女性がどれだけ身体のことを悩み苦しんできたのか、今回の薬の件で少しでも救われてほしいと、そんなことばかりを思っていたから。
王女のメシュリーは簡単に謝ることもできない身分だろうに、こうも素直に頭を下げられたら。
サラは穏やかな笑みを浮かべて、メシュリーに「頭を上げてくださいませ」と柔らかな声色で言うのだった。
「しかと謝罪は受け取りました。この話はもうおしまいですわ」
「……ありがとう」
「それに私たち、もうお友達ですもの……!! うふふ、お友達……なんていい響きなんでしょう……! メシュリー様とお友達……お友達……!!」
「何度も言わなくて良いわよ!! 小っ恥ずかしいわね!」
怒った口調ではあるが、恥ずかしさを孕む声色にサラはどうも口元が緩んでしまう。
そういえば、と話を切り替えたのはメシュリーだった。
「ダグラムの件もありがとう。お母様から聞いたわ」
「いえ、大したことはしていませんわ……!」
「謙虚ね。ああ、そうそう。ダグラムといえば、あの子カリクスをオルレアンのスパイだのなんだの言ってたじゃない? そのオルレアンの国王が少し前からキシュタリアに数週間長期滞在しているの知ってた? もちろん外交でね」
「知りませんでした……! アーデナー家はオルレアンと交流がなくて」
「そうよね」
オルレアン王国。キシュタリアよりも国土は大きく人口も多く、世界でも有数の大国である。
国王の一人息子がそろそろ代替わりをするのではという噂を、サラは聞いたことがあった。
「そのオルレアンだけど、とある言い伝えがあるのよ」
「と、言いますと……?」
「結婚式のときのドレスなんだけど、母親だったり姉だったり、近しい人が着たドレスを着ると幸せになれるって言われているらしいの。サイズなんかは手直しするらしいけど、私は嫌だわ……一生に一度なんだから新品の私だけのドレスが良いもの」
「うふふ、メシュリー様のドレス姿楽しみですねぇ」
「私は暫く予定ないけどね」
ウエディングドレスは比較的上半身の露出が多いデザインだ。
今まで火傷痕のことで無条件に考えないようにしてきたメシュリーだったが、口に出すと現実味が増してくる。こうなれたのもサラが力になってくれたおかげだった。──見せる相手はいないのだが。
「カリクス、サラのウエディングドレス姿を見たら天使だの妖精だの言うんじゃない? 流石にそこまでは言わないかしら」
「…………。あはははは」
もう既に言われた、と言いづらかったサラは乾いた笑みを溢した。
◆◆◆
マグダット邸に到着したのは夕方だった。
一度王都で降りて昼食をとっていたので予定より遅くなってしまったのである。
サラはメシュリーと共に馬車を降りると、5人もの護衛を引き連れて屋敷へと足を踏み入れる。
相変わらず一人で切り盛りしているらしいグルーヴに応接室に案内されるのだろうと思っていたサラだったが、案内されたのは屋敷の外にある植物園だった。
「こちらになります。申し訳ありませんが私は夕食時の支度がありますのでこちらで失礼します。ごゆっくりなさってください」
「グルーヴさん、ありがとうございます」
一礼して下がるグルーヴにお礼を言ってから、サラはガラス張りになっている植物園へと足を踏み入れた。
屋敷よりも立派なそこは、マグダットの植物博士の名が伊達ではないことを証明していた。
「どこにいるのかしら……」
「あ、メシュリー様あちらに……!」
緑あふれる植物園の中の一画にあるやたらと機械が置いてあるスペースがある。
そこにあるもじゃもじゃした髪の毛。うつ伏せになって倒れている姿を目にしたサラは慌てて駆け寄って、トントンと肩を叩いた。
「養父様……!! 大丈夫ですか!?」
「うっ……サラ、さ……ん……」
「まさか実験に失敗して怪我でも──」
──ぐぅ~。
「えっ」
「お腹が……空きました…………」
そこでマグダットは力尽きた。原因は実験に夢中になりすぎた故に食事を抜いていたことが原因だった。
「す、すみませんサラさん……ご迷惑を……殿下も……ぶつぶつ……すみません」
あれから護衛の者に頼んでマグダットを屋敷まで運んでもらうと、グルーヴは「またですか」と言いながら慣れた手付きで食事をマグダットの口元へ運んだ。
すると良い匂いにつられてマグダットは目を覚まし、なりふり構わず料理を口にかきこんだのがついさっきだ。
仕事ができるグルーヴはサラたちの分の食事ももちろん用意しており、少し早い時間だが全員が食べ終えると応接室に移った。
メシュリーは護衛たちを部屋の前と屋敷の前に各々配置すると、サラの隣に腰を下ろして目の前のマグダットに声を掛けた。
「マグダット子爵、この度は急な訪問申し訳ありません。受け入れていただいたこと感謝いたします」
「い、いえ……その……遠いところに殿下のような方が………よよよよ、ようこそぉ……」
「養父様落ち着いてください……! 大丈夫ですから! メシュリー様はお優しいですから!!」
ぶつぶつと何かを言いながら挙動不審な態度をとるマグダットを見て、メシュリーは「この方が本当にマグダット子爵なのよね?」とサラにこそこそと耳打ちするので、サラは大きく頷く。
メシュリーはどうやらマグダットの性格を熟知まではしていなかったらしい。
「で、では……ぶつぶつ……早速研究結果……の、前にサラさん…………一つ報告があるん、だけど……」
「はい、何でしょう?」
「僕と君の養子縁組が正式に受理されたよ……ぶつぶつ……こんな早期のタイミングは……特例だけど、カリクスが根回ししたのかもしれないね」
「まあ……! そうなのですね……カリクス様が……それは、有りえますね…………」
これで胸を張ってマグダットを名乗れる。
両親と妹の罰が確定した時点で、カリクスが国の中枢に養子縁組の受理を急がせたのは想像に容易かった。
「そ、それじゃあ改めて……ぶつぶつ……研究の成果なんだけど、これを」
透明な丸い瓶をすっとテーブルの上に置いたマグダット。
瓶の中には乳白色のクリームのようなものが入っており、メシュリーは手に取ると手首をくるくると動かして観察する。サラも隣から覗き込んだ。
「これは何の植物から出来ているのです? マグダット子爵」
「よっ、よくぞ聞いてくれました!! これはアルエという植物を一度乾燥させてから粉末状にしてその中にドグットという樹の実を混ぜ合わせてそこに塩と──それで混ぜて──そしたら熱を加えて──その後は──」
「す、凄いですわ養父様!! まさかそんな方法があったなんて……!!」
「何を言ってるんだサラさん……!! 君が送ってくれた手紙にアルエの使い方について僕が知らない別の角度の意見があったからこそ生まれた結果なんだ!! これは!! 君の成果でもあるんだ!!」
まるで何かが憑依したみたいだ。先程とは全く別人のように植物のことを語るマグダットに、メシュリーは目を奪われた。
正直最初は男のくせにイジイジしていて、ぶつぶつ言っていてどうかと思っていた。髪の毛は爆発していて身なりは整えていないし、眼鏡はダサいし。本当にこの人がマグダット子爵なのか、この人に任せて大丈夫なのかと疑ったくらいだったというのに。
子供のように目をキラキラさせ、夢見る少年のような姿に、メシュリーの胸はトクンと高鳴る。
メシュリーはハッとして、ブンブンと頭を振った。
「ちちち、違うわ……! 違う……違うわ……!!」
「メシュリー様どうしました……!?」
「ゔっ、ゔん!! 何でもないわ……! それで、マグダット子爵、この薬の効果を知りたいのだけれど……! 効果はあるのでしょう!? どうそれを証明したのかしら!?」
成分や製法も大事だが、何より重要なのはその効果だ。
メシュリーの問いに、マグダットはおもむろに自身の服の袖を捲り上げる。
両手とも捲りあげると、露わになった前腕をずずと前に差し出す。
左手にある見慣れた赤色に、サラとメシュリーは大きく目を見開いた。
メシュリーは唇を震わせながら、マグダットの左前腕を指さした。
「そ、それって……っ」
「右手は火傷をしてから3日放置し、薬を3日間使い続けて綺麗になりました。左手は火傷してから2週間以上放置しつい先日薬を塗り始めたものです。まだ痕はありますが……格段に薄くなっています。これらから考えられるのは──」
「ちょ、ちょっとお待ちになって……! 子爵は……この実験のために自ら火傷を負ったというの……? それにその左手の方に至っては、まだ薬が出来上がってもいなかったはずじゃあ──」
信じられないといった表情のメシュリー。
いくら植物の研究が好きだと言っても、ここまでするだなんて。
火傷の瞬間の痛み、その後しばらく続く苦痛を良く知っているメシュリーは顔を歪める。
作るだけ作って、メシュリーを実験体にして効果を観察する方法があったはずだ。メシュリーは喜んで身体を差し出しただろう。
マグダットが自身の腕を実験体にする必要なんて無かったはずなのだ。
──しかしマグダットは、当たり前かのように言ってのける。
「今まで辛い思いをしてきた殿下に、効果の立証されていないものを献上するわけにはいきません。僕の腕の火傷くらい、どうってことありませんし、これが僕の──植物を扱う者のポリシーです」
──────トゥンク。
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