58 サラ、メシュリーと養父の元へ
涙が引っ込んだメシュリーは「コホン」と咳払いすると、ちらりとカリクスを見た。
サラを見る目、頭を撫でる手付き、どれをとっても優しいの一言に尽きる。事情があったとはいえこんな男と結婚したがっていたなんて笑えてくる。カリクスがこうなるのは、サラの前だけだというのに。
それもこれもサラの優しさを知った今ならば納得だと、メシュリーはしみじみ思う。
「ねぇ、カリクス。私ずっと貴方に言わなければいけないことがあるわ」
「……何だ、改まって」
キリッとしたアッシュグレーの瞳が向けられると、メシュリーはゆっくりとした動作で頭を下げた。
「おい、どうし──」
「貴方が火傷を負ったのは、そもそも私が護衛も付けずに別荘へ遊びに行ったから。……本当にごめんなさい」
「………………」
「メシュリー様…………」
メシュリーはこのことをずっと謝りたかった。しかし火傷痕が残ったメシュリーはしばらく塞ぎ込んでいて、身体が元気になってからもカリクスに会うと火傷を負ったときの恐怖が蘇りそうでなかなか会えなかったのだ。
年月が経って改めて謝罪をしようと思った矢先、前公爵であるカリクスの父が他界したことでカリクスは多忙になりその機会を逃し、落ち着いたと思ってもカリクスが社交界に出てくることはなかった。
火傷痕のことを噂され、貴族たちに忌み嫌われていることも分かっていたので、罪悪感に苛まれたのは記憶に新しい。
カリクスの人生を最悪の方向に変えてしまったと、メシュリーは合わせる顔が無かった。
「ずっと言えなかったのは私が弱かったからだわ……本当にごめんなさい、本当に……」
しかし以前、サラを心配してお茶会に現れたカリクス。火傷痕は痛々しかったが、その表情に陰りは無かった。
カリクスを変えたのは間違いなく、サラの存在なのだろう。
「頭を上げてくれメシュリー。悪いのはお前じゃなくてお前をつけてきた奴らだ。要らんことまで背負うな。それに私はこの火傷痕を誇りに思っている。これは母が守ってくれた証──サラは勲章と宝物だと言ってくれたな」
カリクスはサラを愛おしそうに見つめて、ふ、と頬を緩める。
「それなら、火傷痕を薄くしたり消すことが出来るようになっても、カリクスはそのままで良いの?」
「ああ。私はこのままで良い。サラも構わないか?」
「勿論ですわ。私はこのままのカリクス様がだいす──。ちち、違います……!! 今のは、その、つい……」
真っ赤な顔を両手で隠すサラ。ちらりと見える耳まで真っ赤になっている。カリクスはそんなサラをさぞかし嬉しそうに見つめ、メシュリーはそのときふと我に返った。
──私は一体何を見せられているんだろう、かと。
「もういいわ。お腹いっぱいよ……。とりあえず本題に入るわね」
「本題……? ですか……?」
何もメシュリーはサラからの手紙のお礼を言うために来たわけではなかった。否、正確にはお礼も言いに来たのだが、一番重要なのはそこではない。
メシュリーは先程までのしおらしい態度とは一転し、王女らしい堂々たる顔付きで言い放つのだった。
「ねえ、カリクス。明日の午後までサラを貸してくれない?」
「は──?」
「え……っ! 私、ですか……?」
察しの良いカリクスでも、メシュリーの意図がぱっとは思い付かない。
サラとカリクスが無言で頭を働かせる中、メシュリーは思わず願いを叶えてあげたくなるような可愛い声でこう続けた。
「今からマグダット子爵の屋敷に行きましょう。それで研究の成果をこの目で見たいの。だから養女となるサラには仲介役として付いてきてほしいのよ。ほら、善は急げと言うでしょう?」
「急過ぎる却下だ」
「何でよ! マグダット子爵には今日行くわよって早馬で連絡させているわ! 宿泊するのに子爵邸から行ける範囲に王家の別邸があるし。既にそこに人の手配もしたし、常に護衛は普段の倍はつけるから安全よ!! サラの優秀さは聞き及んでいるから仕事が回らないと言うなら直ぐに文官を派遣させるわ。何人欲しいか言いなさい! ねぇサラ行きましょう……!! お願いよ……!!」
「え、えっとですね………」
是が非でもといった様子だ。サラは自分が抜けたことにより仕事の迷惑が掛からなければ行っても構わないのだが、如何せん今までの傾向を踏まえるとカリクスが許可するとは思えなかった。
案の定カリクスはダメだの一点張りであり、メシュリーは負けじと痛いところをつく。
「ねぇ、カリクス。貴方がサラを大事に思ってることは嫌というほど伝わるけれど、それにしても過保護過ぎるんじゃない? そもそもまだ婚約の段階でしょう? 貴方にサラの行動を制限する筋合いはないと思うんだけど。ましてや私とサラは友人よ?」
「それは────」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。カリクスは数秒口ごもってから、サラの方に顔を向けた。
「サラ、君はどうしたい」
「私は────」
◆◆◆
メシュリーの行動力は目を瞠るものがあった。1秒でも早く子爵邸に行きたいようで、護衛へ次々に指示を出したり、約束通りすぐさま公爵邸に文官を派遣させたり。
サラが一泊用の荷造りを終えると、それもすぐ馬車の荷台へと積まれ、準備は整ったようだった。
「さて行きましょう! すぐに行きましょう!」
メシュリーは早くというようにサラの手を引っ張ると、カリクスはそれを割って制した。
「先に馬車に乗っていろ。サラと別れの挨拶くらいさせてくれ」
「別れってたったの一日じゃない」
「うるさい」とポツリと呟くカリクスに、メシュリーは渋々といった様子で先に馬車へと乗り込む。
ヴァッシュやセミナ、カツィルといったいつもの面々に「行ってらっしゃいませ」と見送りの言葉をもらったところまでは良かったのだが、そんな皆の前でカリクスはサラをギュッと抱き締めた。
「丸一日会えないと思うと寂しいな」
「カカカ、カリクス様……! 皆がいますからっ」
「じゃがいもと人参と玉ねぎだと思えば良い。気にするな」
「それは無茶では……!?」
力強くぎゅうぎゅうと抱き締めるカリクスは、どうやら離す気は無いらしい。
力で勝てるはずもなく、サラは諦めたようにカリクスの背中に手をやって優しくポンポンと叩く。
「大丈夫です。私の帰る場所は、カリクス様のもとです」
「…………分かった。マグダットによろしく頼む」
「はい、承りました」
逞しい腕から解放され、サラは完全に油断していたらしい。
カリクスの手が再び伸び、自身の後頭部に触れたと気が付いた次の瞬間だった。
「サラ、道中気をつけて」
「行ってきま──」
カリクスとゼロ距離になったかと思えば奪われた唇。間違いなくセミナたちに見られているだろう状況。
サラは唇が離されると、真っ赤な顔で瞳を潤ませて、勢い良く馬車に乗り込んだ。
その姿をカリクスが満足そうに目で追っている様子に、ヴァッシュはほほほと笑いながらぽつりと呟く。
「旦那様の溺愛ぶりもここまで来ると見るものに殺意を与えますな」
「同意ですヴァッシュ。鉄槌を下すならお手伝いしましょう。あのままではサラ様が羞恥心で寝込みます」
「ほっほっほっ」
「えっ、羞恥心で寝込むことってあるんですか!? セミナは物知りですわ!!」
「………………」
「ほっほっほっ」
読了ありがとうございました。
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