57 カリクス、赤い花を散らす
サラの首元にあるネックレスから唇を離すと、カリクスは首筋にふぅ、と生暖かい吐息を送る。
そのまま左手で細い腰を、右手では華奢な肩を抱いて逃さないようにすると、カリクスの首責めは始まったのだった。
「う、うひゃぁぁあ……!! あははっ、待っ、やめ……っ!! ひぃっ……!」
「言わないと止めない」
舐めたり啄んだり、ときおり弱い力で噛み付いたり。
普段では聞くことのできない笑い声を上げるサラは首がとてつもなく弱かった。──擽ったいという理由で。
カリクスはそれを知っているので容赦なく責める。気分がどうこうとかふたりきりだからどうこうではなく、今日はサラに口を割らせるための手段だった。
「ま、待ってええっ!! あははっ! 言いますから……!」
──ピタ。
サラが話すというので、カリクスはサラの首から顔を離す。念の為逃げられないように、腕のホールドはそのままだった。
サラは「ハアハア……」と乱れた息を肩を上下させながら整える。
「その、実は──殿下に求婚、されまして……」
「……!? 求婚、だと」
「お、お断りしましたからね!? 私は……カリクス様を、その……お慕いしていますので、と……。殿下もそうかと仰って……! きちんと分かってくださいました!! それにその、殿下は心を入れ替えてくださったみたいで、もう舞踏会のような非礼はしないと思いますわ」
「だから問題ありませんよ……!」とカリクスを安心させるために言うサラ。
ことの流れは理解できたし、サラがきちんと断ったことも分かる。ダグラムの心の入れ替えについては今後見ていけば分かることだろう。
良い気分の話ではないが、実害はないし、もう大人なのだからこれくらいは広い心で受け入れるべきだ。
それならば良いんだ、と慌てるサラの頭を撫でてやるシーンなのだろうが。
カリクスは歯を噛みしめると、ギリリ……と心地良くない音が部屋に響く。
「気に食わない」
「え……?」
「あの王子──やっぱり処遇は私が決めれば良かったな」
「カリクス様……? そ、そんなに怒らなくとも……」
サラが求婚された件を隠したかったのはやましいところがあるわけではなく、カリクスが嫌な気分になるかもしれないと思ったからだ。
とはいえ、流石にここまで怒りと苛立ちを孕んだ声になるとは思っておらず、サラはカリクスの考えを少しでも理解したくておずおずと頬に手を伸ばそうとした。──しかし。
「……あ、あの、カリクス様……?」
その手は肩を抱いていたカリクスの右手に囚われてしまう。そのままカリクスは再び唇をサラの首筋へと寄せると、ぢゅ、と音を立てて吸い付いた。
「ひゃっ、んん、いたっ……」
チク、吸われているところに電気が走ったような痛みを感じる。サラは味わったことのない種類の痛みに顔を歪めると、満足したのか唇が離れていく。
カリクスはぺろりと舌舐めずりをしながら、サラの首筋のそれをじいっと見つめる。
「何を、なさったのですか……?」
「大丈夫。恋人や夫婦なら皆していることだ」
「は、はぁ……」
明確な答えではなくはぐらかされていることにサラは気が付いたが、声色が明るくなったので口は出さなかった。
それからカリクスは元に戻ったのか終始機嫌が良かったので、サラは首筋にナニをされたのか、という疑問をすっかり忘れたのだった。
◆◆◆
「サラ様、この首の痣どうされたのですか? お薬塗りますか?」
「痣?」
次の朝、遅めの身支度をしているとき、髪の毛を解いていたカツィルが指摘したことが始まりだった。
サラは前夜の出来事を思い出し、あの痛みは痣にまでなっていたのだと知る。
顔を斜めに傾けて鏡に映る首筋を確認すれば、確かに赤い。蚊に刺されたような膨らみはなく、身体をどこかにぶつけたときにできる痣と酷似している。
(痛みはないけれど……不思議な痣ね)
サラは痛みもなく然程気にすることはないだろうと平然としていると、カタンと何かが落ちた音に振り返る。
セミナが手に持っていた髪飾りを落としたらしい。
「大変ー!! 傷付いてなければ良いのですが……」
拾い上げたのはカツィルだ。セミナは目を点にしてぼんやりと立ち尽くしている。
サラは立ち上がってセミナの前で手を振り、名前を呼び掛けた。
するとセミナはカッと目を見開き、ぬぬっとサラに顔を寄せる。
「襲われそうになったら大声ですよと忠告しましたのに何ですこれはいえサラ様を責めるのはお門違いというものヴァッシュに言いつけて旦那様には鉄槌を──」
「待って!? 落ち着いて!? 私はこの通り襲われてないわ……!?」
「そういうことではありません私が言う襲うとは──うん? ちょっと待ってください」
「ええ、待って! そのまま落ち着いてセミナ!」
怒涛の早口の次にはパタンと動きを停止して考え始めるセミナ。
数秒目を閉じて腕組みしてから、考えがまとまったのか普段の通り落ち着いた雰囲気である。
「確かに襲われていたらサラ様が普段通りな訳がありませんね」
「う、うん……?」
「セミナ、サラ様はお力は弱いんだから旦那様に襲われていたら今頃ぺちゃんこよ」
「──何故私が少数派なのか…………」
サラもカツィルも男女間での襲うの意味を理解していないことに、セミナは小さくはぁ、とため息をついた。
定期的にカリクスが哀れになるセミナであった。
身支度が済んでから、サラはカリクスと朝食をとってから執務室へと足を運ぶ。
家臣たちと議論を交えながら仕事にあたっていると、ドタドタと部屋にまで響く足音に、サラは振り返って扉を見た。
ガチャン!! と大きな音を立てながら入ってきたカツィルは、肩で息をしながら「旦那様!!」とカリクスを呼ぶ。
「何だ騒々しい。何かあったのか」
「そ、それが今……急遽……来られまして……」
「誰がだ」
「執事長が対応して……その……!!」
「落ち着け。だから誰が来たんだ」
「殿下が──メシュリー第1王女がいらっしゃいました……!」
カツィルから飛び出した名前に、勢い良く立ち上がったのはサラだった。
そんなサラの様子に、カリクスは一旦仕事を家臣たちに任せてからサラと共に執務室を後にする。
「メシュリー様……!!」
早足に向かいカリクスに続いて応接室に入ると、ガチャン! と大きな音を立てて扉が閉まる。
サラは今日一番の花が開くような笑顔を見せた。突然の訪問に驚いたり不思議に思うより、友人が来てくれたことが嬉しかった。
メシュリーはソファから立ち上がり、その様子をメシュリーの護衛騎士が後ろから見ているようだ。
「サラ! ごめんなさいね急に……いてもたってもいられなくて……! 手紙を読んでその足で来てしまったの……」
メシュリーの手に握られているのはサラが朝一番に書いた手紙である。昨日カリクスが言ったように迅速に届けてくれたらしい。
サラはメシュリーの逸る気持ちが痛いほどに理解できたので、パタパタと駆け足で駆け寄った。
護衛が警戒してサラを制しようとするのを、メシュリーはぱっと手を上げて止める。護衛の男はすっと身を引いて後ろへと戻った。
サラはメシュリーの両手をそっと握り締める。
「お気持ち分かりますわ」
「サラ…………」
「……メシュリー。一応私もいるんだが。あといきなりの訪問はやめてくれ。護衛をつけているとはいえお前は王女だろう」
ハァ、とため息をついたカリクス。
とはいえメシュリーの事情を知っているので、そこまで本気で怒るつもりはないのだが。
何にせよ人払いをしないと出来ない話の内容なので、カリクスはヴァッシュを下がらせる。続いてはメシュリーも護衛たちを下がらせると、三人はソファに腰を下ろした。
「──で、マグダットの薬の件、実験段階ではあるが良かったな。ここまで早く出来たのはサラが夜通しお前のために本を読み、その知識をマグダットに助言したおかげだ。サラに感謝するんだな」
「えっ」
「そ、そこまで凄いことはしてませんわ……!! 私にはこれくらいのことしか出来ませんもの」
謙遜するサラに、ジーンと目頭が熱くなるメシュリー。
近い将来養父になるマグダットに、ただこの件を伝えてくれただけだとメシュリーは思っていた。
実際それだけで十分ありがたいのだが、まさかサラ本人が調べ、尽力してくれているだなんて夢にも思わなかったのだ。酷いことも沢山言ったというのにだ。
「サラ…………」
「はい、メシュリー様」
「うっ、うっ…………」
「メシュリー様!? どうされたのですか!?」
メシュリーの嗚咽に、サラはおろおろと慌てふためく。
カリクスにはメシュリーの泣いている理由が分かったので、隣に座るサラを落ち着かせるようにぽんと頭に手を置いた。
「自分のためにここまでしてくれて嬉しいと、メシュリーは泣いているんだ。つまり嬉し泣きだ、心配しなくて良い」
「そうなのですか…………?」
「そうよぉ!! ここまでしてくれるだなんて思わなかったのよぉ!! サラありがとうぅ!! なんで貴方こんなに良い子なのよぉ!! カリクスには勿体ないわよおお!! うわぁーーん!!」
「最後のは要らないだろ」
読了ありがとうございました。
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