55 サラ、発破をかける
サラの問いに、ダグラムは直ぐには答えられなかった。
落ち着け、落ち着けと深呼吸を繰り返し震えが収まると、ダグラムは捲し立てるように叫ぶ。
「そ、そんなの決まっているだろう! 王族というのは生まれ落ちた瞬間から民に愛され、民に必要とされる存在だ!! だから王子の私は偉いんだ!!」
濁りのない眼でそういうダグラム。苦し紛れでもその場しのぎでもなく、本気でそう思っていると伝わる声色に、サラは眉尻を下げる。
(こんな考え方だから……あんなことが言えるのね)
サラは拳をギュッと握り締めて、ローゼ色の口紅を引いた唇が小さく震えた。
「恐れながら申し上げます。これは私の持論ですが、民が無条件に愛し、必要とするのは殿下が赤子のときだけですわ。それからは生活を豊かにしてくれる人物なのか、民は見定めているのです。国の為にならない王族など民からすると不要ですわ」
「不要だと!? 貴様……!王家を侮辱しているのか……! 許さんぞ!!」
「その王家の格を下げているのが殿下──貴方様だと、まだ気が付きませんか?」
「!? な、にを…………馬鹿なことを……っ!」
ダグラムはキッとサラを睨み付ける。
サラには表情は分からなかったけれど、大方声色から察するに、その表情に凄みがないことは想像できた。
まるで注意された内容が納得出来ずに怒り散らす子供のようだと、サラは思った。
「先程殿下はフットマンの仕事を誰でもできる仕事と言いましたが。現に殿下はまともにこなせていないのにどうしてそのように言えるのですか?」
「そ、それは……私、には必要のない仕事で……」
「貴方様が快適な生活をおくれるのは、殿下曰く誰でもできる仕事と言われた者たちのおかげだということ、まだ分かりませんか?」
「そ、それは…………」
サラは今、心の底からこの場に公爵邸の使用人が居なくて良かったと思っている。
誇りを持って支えてくれている彼ら彼女らを馬鹿にするような言葉を、聞かせずに済んだからだ。
サラにとって公爵邸の皆は家族のような存在──だから、ダグラムの言葉は許せなかった。
「それと、フットマンとして扱われることに納得いかないようですが。本来、舞踏会での殿下の行いはもっと重たい罪に問われてもおかしくないのです。しかし両陛下は殿下のこれからを守るためにこのような処遇にしたのではないでしょうか。……因みに、両陛下の裁量で構わないと仰ったのはカリクス様です。カリクス様がお優しいから、殿下は今こうしていられるのです。そんな方に……そんな、カリクス様に──」
醜い火傷痕だと言い放ったダグラムは何も特別におかしな感覚を持っているわけではないのかもしれない。火傷痕を恐ろしいと言い、忌み嫌う者だっているのは事実だ。
それでもサラは、悲しくて堪らない。火傷痕を大切なものだからと語るカリクスの思いが土足で踏みにじられて正気でいられるはずがなかった。
気にしていないと慣れたように言うカリクスを思い出し、目の前の男に怒りがふつふつと沸いてくる。
感情のまま、この怒りをダグラムにぶつけてしまおうか。
そんなふうに、一瞬短絡的な考えになったのだけれど。
「……………っ」
視界に入ったキラリと光るネックレス。舞踏会の前夜にカリクスがくれたそれを見て、サラはふと我に返った。
(落ち着きましょう……怒りをぶつけるだけでは何も生まれないわ)
サラは舞踏会の日のダグラムに、一つだけ感心したことがあった。
それはサラがカリクスに騙されていると思い、救おうとした行動だったということ。
もちろん全てがダグラムの勘違いで、人のためだという免罪符があれば何をしても良いというわけではないことも分かっている。サラがそうしてほしいと頼んだわけでもなければ、もしそうだとしてもやりようはいくらでもある。
おそらくダグラムには、カリクスを告発すればサラと親密になれるかもしれないという計算だってあっただろう。
それでもサラからしてみれば、自身の両親と妹よりは救いがあると思った。今ならばまだ奈落の道へ向かう前に引き返せるのではないかと、そんな確信があったのだ。
「殿下、遅ればせながら──先程の求婚の件、お返事申し上げます」
「……あ、ああ…………」
美しく洗練されたカーテシー。
ダグラムはゴクリと喉を鳴らした。
「謹んでお断り申し上げます。私はカリクス・アーデナー公爵閣下を心からお慕い申しております。しかし殿下には、誰かを思い行動するという素晴らしい長所がございます。もちろん、独りよがりになってはいけません。これから両陛下や兄姉殿下からたくさんの事を学ばれてください。民はいつでも殿下の行いを見ていることを自覚してください。民から愛されるお方になってください。──どうか殿下には……この求婚を断ったことを私が後悔してしまうほどに、立派なお方になっていただきたく存じます」
「………………。あ、ああ……」
文句の一つも垂れず、馬鹿にするなと怒りを撒き散らすこともなく、サラの言葉を受け入れたダグラムに、少し遠くから見ていた王妃は目を見開く。
今まで国王と王妃は、ダグラムを放任してきた。
もちろん愛情はあったが、公務で忙しく、兄と姉が優秀で手がかからなかった為に、ダグラムの問題行動を叱ることはあっても意見を聞いたり、何がいけなかったのか丁寧に説明することはあまりなかった。
そうして今、それは間違いだったのだと王妃は悟る。
ダグラムの目を見ればそれは一目瞭然だ。その目は自らを律し、そしてこれからの未来を見据えて輝いている。
ダグラムは真正面から自身を見てくれる人間を心から渇望していたのだ。
ダグラムは意を決したように立ち上がって自身の衣服の乱れを整えると、王妃に向かって一礼し、それからサラにも一礼して見せる。
「私のせいでお茶が冷めてしまいました。わる……申し訳ございません。直ぐに入れてや……ではなく、直ぐに入れ直して参ります」
フットマンの教育を受けていないダグラムのカップを掴む手は覚束ない。カチャカチャと音を立ててしまっているし、一瞬でも気を抜けば冷めた紅茶は溢れてしまいそうだ。
しかしそこには真摯に仕事に取り組むダグラムの姿があった。
王妃は、ダグラムの緊張している手にそっと触れた。
「ありがとうダグラム。頼むわね」
「は、はい……! そ、それと風が少し強いので、何か掛けるものを持って、きます……!」
「ええ、気が利くのね。……ありがとう」
嬉しそうに笑うダグラムに、サラは表情が分からずともつられて頬が緩んでしまいそうになる。
生まれ変わったような表情をしているダグラムに、王妃の瞳がキラリと光った。
ダグラムが羽織を取りに行っている最中、サラは再び王妃の向かいの席に腰を下ろした。
「出過ぎた真似を致しました」と言いながらそのまま深く頭を下げ、王妃の言葉を待つ。
「あらどうして謝るの? サラちゃんは何一つ間違ったことを言ってないわ? それにね、これでも歳を取ってるから分かるのよね……途中からダグラムに発破をかけてくれたんでしょう? あの子を見限らないでくれてどうもありがとう」
叱責を受けるどころか感謝までされてしまい、サラは何だか居心地が悪い。
しかし相手は王妃。この感謝は受け取らなければ失礼にあたるので、サラは「お役に立てて光栄です」と言葉を述べると、王妃はサラを見てそれはもう満面に笑みを浮かべた。
「貴方がアーデナー卿の婚約者じゃなければ、どんな手を使ってでもダグラムの婚約者になってもらっていたかもしれないわね!」
「えっ」
「うふふ、あの子にはサラちゃんみたいな子がお似合いだと思ったんだけれど……アーデナー卿の婚約者だもの、仕方がないわね。いくら私でも彼を敵に回すなんて命知らずなことしないわ〜」
「……あ、あははは…………」
苦笑いをするサラをじっと見つめながら、王妃は王都でのサラの様子に思いを馳せる。
あのときのサラは突如、纏う空気を変えたように見えた。逆らうことが出来ない、崇高な存在だと思わせるようなそれに王妃は気が付き、そして驚いたものだ。
サラ本人が意図的にしているのか、それとも無意識なのか。
サラの家系を遡って調べても、王族や後に救世主と呼ばれるような偉大な存在の血筋は一切入っていなかった。
つまりは血ではない──サラ本人の才能か、境遇によって培われたのか、カリクスの存在によって蝶へと昇華したものなのか。もしくはその全てか。
「個人的には、アーデナー卿よりもサラちゃんを敵に回したくないわね」
「え……? 申し訳ありません王妃陛下、何かおっしゃいましたか……?」
「何でもないわ! さ、お茶会の続きを楽しみましょう?」
王族教育で必ず全員が読む書物の中に『世界に名を轟かす名君──王の隣には、同じく妙妙たる素質を持った王妃がいる』という文言がある。
王妃はそれを思い出し、サラのこれからの人生に出来る限り平穏があらんことを、と祈った。
読了ありがとうございました。
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サラ格好良いぞ!! という方も是非是非!!




