53 サラ、今は亡き婚約者の両親にご挨拶を
ウェディングドレスの試着をしてから数日経った頃。
サラは膝下の長さまである黒色のワンピースに身を包んだ。髪の毛は後ろで一つに纏めてもらい、薄く化粧を施して装飾品は付けずにエントランスへ向かう。
見間違えるはずのない漆黒の髪の婚約者を視界に収め、サラは後ろからひょこっと声を掛けた。
「カリクス様、お待たせしました」
「サラ。……行こうか」
「はい」
以前行ったピクニックでの帰り道、サラはカリクスに両親の話を聞いてからずっと弔いたいと思っていた。その思いを口にしたのは昨日のことだ。
サラとカリクスは早めに仕事を終えた今日、公爵邸から馬車で20分程度のところにある教会墓地へと足を運んだのだった。
黒い正装に身を包んだカリクスの隣で、サラは庭師のトムに許可を得て摘んだ花を纏めて花束を作り、それを両手に抱えている。
白い花──クリスマスローズは生前カリクスの母であるセレーナが大層好きだった花らしい。基本的にクリスマス頃の寒い時期に咲くとされているクリスマスローズは、その他の季節に栽培するのは非常に難しいらしい。
トムは前公爵──カリクスの父の代からずっと屋敷の庭師を任せられていて、どうにかその栽培方法を確立したとか。いつでもクリスマスローズが見られるなんて嬉しい、と喜んでいたセレーナの顔が目に浮かぶと、トムは懐かしそうに語っていた。
「サラ、ここだ」
カリクスが立ち止まり、サラもそれに続く。綺麗に管理されている墓前にしゃがみ込み、サラはお花を供えると再び肩を並べた。
「カリクス様は来たのはいつぶりですか?」
「去年のクリスマス以来だな。年は違うが二人共クリスマス付近に亡くなったから」
「そうなのですね…………」
風が吹くたびに、供えたクリスマスローズがふわりと揺れる。
ぱたぱた……と足音が聞こえたので、サラとカリクスは振り返った。
「アーデナー卿」
「司教か」
「お久しぶりでございます。息災で何よりです。その、少し相談があるのですが」
「分かった、行こう。……済まない、すぐに終わるから待っていてくれ。奥にベンチもあるから」
「はい。大丈夫ですので、ごゆっくりしてきてくださいませ」
言いづらそうにしていた司教。おそらく教会の管理費についての相談だろうと察したサラは簡易的な挨拶を済ませて二人の背中を見送った。
まだ婚約者の段階で、領地の教会についてはサラの管轄外なので相応の判断だった。
カリクスの両親の墓前で、一人になったサラは思いを馳せる。
カリクスと出逢ってから、世界が変わったみたいに明るくなったこと、広がったこと。愛を与えられる喜びも、愛を与える尊さも知ったこと。
伯爵邸にいた頃には知り得なかった高度な知識にも触れ、最近では友人も出来たこと。
サラはスッと目を閉じて、祈りを捧げた。
「絶対にカリクス様を幸せにしてみせます……ですからどうか、見守っていてください」
──ズズ……。
足を引きずるような足音に、サラは目をパッと見開き、振り返る。
そこに居たのは目深にハットを被った人物。体格からして男性であることは間違いなく、一目見ただけで高貴な身分だと分かるような衣服を身に纏っている。
ただ、この場においての正装ではないことから、なにかのついでにここに訪れたのか、それとも常識がないのか、どちらなのかは不明だった。
男は左足を引きずりながら、サラの目の前で立ち止まった。
「失礼だが……君はこの二人とはどういう関係だい?」
「えっ、それは──」
初対面で名乗りもせず、いきなり問いかける言葉としてはやや失礼だろう。サラは腹を立てるなんてことはなかったが、直ぐに返答するのは憚られる。
いくら高貴な身分かもしれないとはいえ警戒心を持ったサラ。
口をきゅっと結んだサラに男は口を開く。
「いきなり済まないね……。私は、ここに眠る女性の知り合いでね……。生前良くしてもらったから今日は仕事のついでに挨拶に来たんだ。彼女の好きだった、この花を供えたくて」
「それは──クリスマスローズ……」
「ああ。おや、もうクリスマスローズが供えてあるね。もしかして君が?」
「はい。そうですわ」
「そうかい。……それはありがとう」
顔が見えなくたって分かる。目の前の男性は今、優しく微笑んでいる。
普通ならばこの季節に育たないクリスマスローズをこの場に持ってきているということは、セレーナについて詳しく、かつとても大切に思っているということだ。
サラは警戒心を解いて、ゆっくりとカーテシーを行う。男もそれに習い、ハットを取ると頭を下げた。
流れるような動きに間違いなく貴族であるとサラは悟る。
「私はこのお二人の嫡男である公爵閣下の婚約者──サラ、と申します」
「……! そうか、君が……彼の……」
家名を言わなかったのはファンデットと名乗りたくなかったわけでも、マグダットと名乗って良いのかと迷ったわけでは無かった。
サラはこれでも公爵家に来てからというもの、貴族界隈の殆どの人間を把握している。もちろん顔は見分けられないが、その分年齢や爵位などの情報や、調べられるだけのその人物の癖、もちろんどんな仕事をしているか、本人が周りにどう評価されているかなど。症状の欠点を補うために、サラは頭に叩き込んである。
しかしそんなサラの頭の中の情報に、目の前の男が当てはまるものは無かった。
声の具合から年はおおよそ40〜50歳。細身で左足を引き摺っており、セレーナに詳しいということはそれなりに昔から公爵家と親しい人間の可能性が高い。
(この方は……誰なの……?)
国内で当てはまらないのならば考えられるのは他国の者。
貴族のプライベートには干渉しすぎないこともマナーの一つなので、家名は明かさなくとも構わないだろうという判断だった。
だからサラは相手が名乗らないことにも深く追求しなかった。
「もうすぐ公爵閣下はお戻りになると思いますがどうされますか? お待ちになりますか?」
「──いや、やめておこう。私はこのクリスマスローズを供えに来ただけだからな」
「……そうですか」
サラはすっと身を引いて、男性が花を供える様子をちらりと見る。
かなり慣れた手付きだ。きっと何度も来ては供えているのだろう。知り合いという関係柄にしては行動が伴っていない気がするが、言うべきことではないと口を閉ざす。
失礼かとも思ったが片足が不自由だと立ち上がるのは大変だろうと手を貸すと、ありがとうと言って手を取る男性。
「それでは」と帰ろうとするのでサラがもう一度頭を下げようとすると、男性は何かを思い出したのか、ピタリと動きを止めた。
「人生の先輩として、一つだけアドバイスがあるんだが」
「は、い……?」
「幸せにしようとするだけではだめだ。君も一緒に幸せにならないと、本当の幸せにはなれない」
「……!!」
「では」と今度こそというようにゆっくりとした足取りで帰っていく男性に、サラは背中を見つめながら立ち尽くした。
祈りを聞かれていたことに驚いたというよりは、そのアドバイスをまさにそのとおりだと思ったからだ。
(私も幸せに……カリクス様と一緒に……ずっと幸せでありたい)
新たな祈りを胸に刻むと、こちらに向かって歩いてくる足音にサラは笑みを浮かべる。足音だけで分かるようになるなんて、サラ自身も夢にも思っていなかった。
「カリクス様お帰りなさい」
「ただいま。一人にして済まなかった。変わったことはなかったか?」
「変わったこと、ですか」
──有るにはあった、のだが、サラは言葉に詰まった。
カリクスのことも知っているはずなのに会おうとせず、けれど故人の好きなものをわざわざ供えにきて、初めて会ったサラには的を射たアドバイスを残していった。
不思議な男性のことをなんと伝えれば良いのか──。
「そう、ですね……こんな季節にクリスマスローズを供える方が私たち以外にも居ることには驚きました」
「──クリスマスローズを?」
思い出すようにサラが語る中、カリクスは両親の墓地に供えられているクリスマスローズが持ってきたものよりも格段に増えていることに気付く。
「まさか、な────」
詳細を聞こうと思っていたカリクスだったが、それ以上口を開くことはなかった。
ただ無言でサラの手を絡め取ると、そのままクリスマスローズを見つめていた。
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