41 サラ、カリクスとデートに行く
「レッスンは卒業ですわ」と太鼓判を押されたのは、ミシェルにダンスを教わり始めてから2週間後のことだった。
サラはあれからめきめきとダンスの質が上がっていった。
それはもうミシェルの予想を遥かに超えて、つい2週間前にセミナに召喚とまで言われたものとは全く別もの──誰が見ても見惚れるほどのクオリティになっていた。
「と、いうわけで明日は一日予定が空きましたよサラ様!! どうされますか?」
レッスンが前倒しで終わったので突如空いた予定。仕事に明け暮れようかと思っていたが、セミナに確認するとどうやら今急ぎのものはないらしい。
うきうきとした様子でカツィルが尋ねてくるので、サラはどうしようかと頭を悩ませる。
「サラ様、ちなみに旦那様は明日、午後から空きがあるようですが」
「えっ、本当?」
素早く手帳を確認したセミナは「間違いありません」と力強く言ってのける。何だか圧が凄い。
最近忙しかったカリクスもようやく一息つけるのかと安堵したのも束の間、カツィルは満面の笑みでさも当たり前のように言ってみせた。
「では明日はお二人でデートですね!」
◆◆◆
次の日の午後。
「まさか君からデートに誘われる日が来るとは夢にも思わなかった……」
カツィルに言われたので勇気を出してカリクスをデートに誘ったのは昨夜の夕食のときのことだ。口をあんぐりと開けて驚かれたのは記憶に新しい。
表情が見えないサラは「旦那様が驚いて大口を開けております」とセミナに懇切丁寧に説明されたときは想像して笑ってしまいそうだった。
「その、デートと言ってもお買い物に付き合っていただきたいだけなのですが……」
「それを世間ではデートと言うんだろ。さあ早く行こう。──セミナ、カツィル、それとヴァッシュ、留守は頼んだぞ」
「「「行ってらっしゃいませ」」」
つまるところ、付いて来るなよという念押しである。
サラにはその意図が分からなかったが、久々に街に出かけられることと、カリクスとゆっくり過ごせることに胸が高鳴る。
流石に今回はデートという言葉に、サラは疑問を持たなかった。
馬車に揺られているといつの間にか王都に着いていた。
以前はアーデナー領を視察という形で回ったが、今回は舞踏会で貴族たちの話に遅れないように、という理由もあって王都を選んだのだった。貴族たちというのは流行り、最先端というものに詳しいのである。
「わぁ……凄いですわ……」
カリクスに手を差し出されて馬車を降りれば、そこにはまるで異世界が広がっているみたいだ。
数ヶ月前まで伯爵邸に引きこもっていたサラからしてみればアーデナー領の街を見るのも夢のようだったが、王都はまさに別次元だ。
商売人の数も街を行き交う人の数も、商品の種類も舗装された道路におしゃれな街並みも、全てが新鮮だった。
「カリクス様っ、どのお店を見ましょう……!?」
「君が好きなところに行くと良い。付き合うよ」
「ありがとうございます……! けれど、それでカリクス様は楽しいのですか……? 私ばかり良い思いをしている気が……」
「ん? 私はサラが子供みたいにころころ表情を変えて喜んでいる姿を見られて役得だから問題ない」
「ま、またカリクス様は……そういう、ことを……」
こう思い返すと、カリクスは出会ってすぐからベタベタに甘やかしてくる気がする。今更ながらそんなことを感じたサラだったが、口に出すのもそれはそれで恥ずかしく、心に留めた。
「ああ、だが──」
なにか思い出したように言うカリクス。サラはツン、と触れた指先に意識を奪われる。
「いくら楽しくてもこの手は離さないように。迷子になられたら困るからな」
「そこまでご心配なさらなくても大丈夫、ですわ……っ」
「どうだか。……とりあえず行こう。時間が勿体ない。せっかくサラから誘ってくれたデートだからな」
「また……そういう……!!」
ややグイと引っ張られ、サラの薄ピンクのワンピースがひらりと靡く。ミルクティー色の髪の毛はハーフアップに結われていて、カリクス曰くまるで妖精のよう、らしい。
おそらく何を着ていてもそう変わらない結論に至るのだが。両想いだと分かってからはそれがより顕著だというだけで。
──閑話休題。
「カリクス様……キラキラでヒラヒラですね……」
「ドレスだからな」
サラは町一番と評判のドレスショップに入ると感嘆の声を上げる。
普段も公爵邸に来てくれる仕立て屋の一流のドレスは見ているし、もちろん着用して素晴らしさは実感しているのだが、こうも数が揃うと圧巻だった。
店主はサラたちを見るとドレスを買ってもらいたいがためにごまをするようにして近づいてくるのだが、サラのドレスを見る様子に目を見開いた。
「この生地はマギラ帝国からの輸入品ですわね……こちらのレースは確かご令嬢たちの間で大人気だとか……あ、この青いドレスのデザインはエスペリオ国伝統のもの……実際見るのは初めてですわ」
「お、お客様お詳しいですね……!!」
「ありがとうございます。少しばかり勉強しただけですわ」
「サラは偉いな」
「そんな……! 私はこういうものには疎いですから、少しでも勉強して手で触れて、知識をきちんと落とし込まないと。……あら?」
サラはエメラルドグリーンのドレスの装飾を見ると、ピタリと手を止める。
努力をし続けることを当たり前のように出来るのは凄いんだが、とカリクスは思いながら表情を緩める。努力を惜しまないところがまた、サラの魅力の一つだった。
しかしそんなとき、パッと店主の表情が変わる。
「……貴方様は……!」
カリクスがサラの方に身体を向けたことで、店主の視界にカリクスの火傷が映ったらしい。
「あ、悪人公爵……!? ヒィ……! どうかご容赦を……!」
まるで化け物を見るような目でカリクスを見る店主。サラには声だけで想像は容易い。
今までカリクスの前でここまでおぞましいという感情を向けた者を直接見たことはなかったサラは、悲しみと怒りのようなものが混ざりあった感情がこみ上げる。
ただ顔に火傷があるだけで赤の他人に恐怖の対象にされて、自分だったらどう思うかと、どうして考えないのだろう。
カリクスはまたか……といった様子で慣れているみたいだったが、これは慣れて良いことではないと思った。サラは、カリクスが傷付くことに慣れてしまうのが嫌だった。
自分を救ってくれたように、悲しかった気持ちや苦しかった気持ちを溶かしてくれたように、サラはカリクスを──。
「ねぇ、このエメラルドグリーンのドレスなのだけれど──」
いつもより数段低いサラの声が、恐怖する店主の耳に届く。
店主はカリクスを警戒し、そして怯えながらも、サラに視線をよこした。
「な、何でしょう…………?」
「散りばめられている宝石だけど、これ偽物よね」
「!? そ、そんなはずは……!」
「見たらわかるわ、輝きが鈍いもの。鑑定人に見てもらったほうが良いわね。ああ、そうそう。貴方──人の顔を見るくらいなら商品をきちんと見た方が良いと思うわ」
「ぐぬぬ………っ」
威圧感は意図的に出してはいない。ただ冷静に、声の抑揚はできる限りなくして、相手の目をじっと見つめる。そこに皮肉を込めれば相手は表情を歪め、ことがうまく進む。
昔読んだ本に書いてあった交渉を上手く進める方法を覚えていたサラはそれを実行する。
店主の声色により思っていたより上手くいったみたいだが、サラの心は晴れなかった。
サラは別に相手の悔しがる姿を見たいわけではなかった。ただ、さも当たり前のように恐怖の対象として扱うことがどれだけカリクスを傷付けるのかを、知っていて欲しかっただけだ。
サラは普段通りの柔和な表情に戻ると、コツコツと音を立てて、店主と距離を縮める。
「ごめんなさい。意地悪な言い方をしましたね」
「あ、いや……その……」
本当に同じ女性なのかと疑いたくなるほどの変わりように、店主は驚く。
声を荒げるわけでも、表情を歪めるわけでもなかったというのに、この纏うオーラの違いに、店主は息を呑んだ。
「カリクス様は火傷がありますが、とてもお優しくて素晴らしいお方です。むやみに人を傷付けたりもしません。ここに来てから、何か無作法がありましたか?」
「いえ……それは…………。お客様に対して無作法を働いたのは私の方でございます……。申し訳ありません」
頭を下げる店主の姿に、サラはちらりとカリクスを見る。
カリクスは苦笑しながら、ぽんと店主の肩に手を置いた。
「謝罪は十分だ。気にしなくて良い」
「なんと慈悲深いお方だ……ありがとうございます……!」
深いお辞儀に、カリクスは「大丈夫だから」と繰り返す。しかしその声は何だか少し嬉しそうにも聞こえる。
「お詫びにとっておきのものを取ってきます!!」と店主が店の奥に入っていったのを確認するとカリクスはスッとサラの頬へと手を伸ばす。
きゅっ、と柔らかい頬を摘んだ。
「慣れていると言っただろう?」
「慣れて良いことではありません……っ! カリクス様はとっても素敵な方なのだと、私はこの世界の全員に知ってもらいたいですわ……!」
「世界。それはまた大事だな」
手を離し、はは、とカリクスは声を上げる。サラもつられるようにしてふふふと笑うと、カリクスは先程話題に上がった疑惑のドレスに手をかける。
「話は変わるが──このドレスの宝石が偽物だとよく分かったな」
「以前宝石商に詳しく教えていただきまして、これは一目瞭然だったので分かりました。精巧な模倣品なら分かりません」
謙遜していたが、カリクスは十分に凄いとよしよしと頭を撫でると、サラは嬉しそうに「えへへ」と少し得意げだ。
少しずつ自分の能力を素直に認められるようになったサラが、カリクスはどうしようもなく嬉しかった。
読了ありがとうございました。
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