39 サラ、ダンスのレッスンに協力者現る
穏やかで朗らかなランチとなるはずだったというのに、この空気はどうしたら良いのだろう。
セミナは後ろに控えながら、俯くサラと頭を抱えるミシェルの食事風景を見つめる。
これだけ重々しい空気でも丹精込めて作られた料理に感謝し、残すことなくきちんと食べているので二人は似た者同士なのだろうか。セミナは頭の片隅でそんなことを思った。
「まあ、人には得手不得手が必ずありますから……」
メイン料理に差し掛かった頃、励ましの言葉をかけたミシェルに、サラは顔をあげることができない。
サラはこれでも昔からそれなりに何でもできた。努力無しで、一度見ただけで、という天才ではなかったが、本人の高いポテンシャルと努力によって神童と呼ぶに相応しかったとミシェルは声を大にして言いたい。
だからこそ今回のダンスもすんなりと出来るようになるとミシェルは思っていたのだが。
これに関しては致し方ないのでミシェルは今後長い目で見てゆっくり教えていけば良いかと思っている。むしろ今までのサラが出来すぎだったのだ。少し苦手なことがある方が可愛らしいじゃないか。
「ミシェル先生……だめな生徒で申し訳ありません……。私もまさかここまで出来ないとは……」
「仕方がありません。少しずつ練習すれば必ず踊れるようになりますからね。──それで、サラ様。お聞きしたいことがあるのですが」
未だ落ち込んでいるサラが何ですか? と聞き返すと、ミシェルは疑問をぶつける。
「何故ここ数年社交場に出ていなかったのです……? ダンスが出来ないことを知ったのは今日が初めての様子ですからダンスが理由では無いでしょうし、もしかして伯爵が何か──」
実の父親のサラに対する態度の違和感に気がついていたミシェルがそう言うと、サラは僅かに苦笑を見せる。
「気分の良い話ではないですが……」と前置きしてからことのあらましを説明すれば、ミシェルは拳をギュッと握り締めて顔を歪めた。
「それは……大変でしたわね……私が家庭教師の任が終了してからそんなことがあったなんて」
「大変ではありましたが……今はもう済んだことです。この屋敷で皆と、カリクス様と過ごす日々は幸せで怖いくらいですわ」
「私は今、胸を張って幸せだと言えます」そう言うサラに、何だかミシェルは込み上がってくるものを必死に抑える。
事情を説明してくれる中で顔が見分けられないと打ち明けてくれたサラに対し、無言でいることは不安を与えてしまうだろう。
何かを話さなければと思うが、自分が想像していたよりも何倍も大変な目にあっていた教え子が今幸せだと語る姿に、ミシェルは言葉が出てこない。
「先生、失礼しますね」
サラはそう言って、ミシェルの頬に手を伸ばす。
ミシェルはいきなりのことで驚いたが、サラには何か意図があるのだろうとされるがままで待っていた。
「良かった……泣いていなくて。先生はお優しい方なので、心配で……」
「サラ様…………」
「申し訳ありません……いきなり……表情も読めないのです」
「いいえ。大丈夫……大丈夫ですわ」
サラの手が離れていくのと同時に、ミシェルは頭を振る。優しいのは貴方の方だと、ポツリと呟いた。
それから午後も再びダンスのレッスンを行うことになり、サラはミシェルの手本をじっと見る。
ターンの仕方、どこで手を挙げるか足はどの角度が良いのか、踊りの流れなどは全て覚えられた。だが実際に踊ると体がかくかくして余計なところに力が入り、ミシェルと同じダンスとは思えないクオリティになってしまう。
「どうしましょう……これじゃあ笑い者に………」
宮廷で行なわれる舞踏会まであと一ヶ月、執務をこなして参列者の情報を頭に入れ、そしてダンスを人に見せられる程度のクオリティにすること。
サラは自分に出来るのかと不安に駆られ無意識にため息をつくと、パタンと扉が開いた。
「サラ、苦労しているみたいだな」
「カリクス様……! どうしてここに……」
(今日は一日執務室に籠もると朝食時に言っていたはず……。何かあったのかしら)
突然現れたカリクスの声は少し元気がないように聞こえる。
ファンデッド領地を買い取るに当たっての情報収集や書類の作成、その後の人の確保もあるため、疲れているのか。
(それに昨日のあの手紙……カリクス様は変なイタズラだと平然としていたけれど、もしかしたら気にしていらっしゃるのかも……)
コツコツと近づいてくるカリクスに、サラは心配そうな表情を見せる。
カリクスはふ、と小さく笑うとサラの手を取ってするりと自身の頬へと誘った。
「サラの顔を見たら元気が出た。ほら、これが証拠だ」
「……っ、そ、それは良うございました……?」
「はは、なぜ疑問形? やはり疲れたときにはサラに会うのが一番だ」
頬に誘われた手が離されたと思うと、次は頭を優しく撫でられる。
サラは気持ち良さそうに目を細めた。
「あ、あのーーサラ様、それとアーデナー卿」
後ろからミシェルに声を掛けられ、サラはハッとして数歩後ろに下がると彼の手から離れる。恥ずかしながら完全に自分たちの世界に浸っていた。
両想いと分かってから、サラはカリクスの傍にいると幸せすぎて周りが見えなくなるときがある。甘やかされて体がふにゃふにゃとろとろになって溶けていくような、そんな感覚が堪らなく癖になるのだ。
カリクスは手を腰辺りに戻してから、ミシェルに視線を向ける。
「申し訳ないミセス・ミシェル。レッスンの邪魔をしたな」
「いえ、そうではないのです。……むしろご協力いただきたいのです」
「協力──?」
◆◆◆
ダンスができるほど広い部屋で、休憩用に用意された椅子に腰掛けるカリクス。
──サラは、というと。
「も、無理です……限界です……っ」
「ダメだろうサラ。私はミセス・ミシェルから頼まれたんだから暴れないでくれ」
「〜〜っ」
約20分前のことである。仕事の隙間にサラに会いに来たカリクスはミシェルから協力を頼まれた。
どうやらサラのダンスの下手くそさは、緊張により動きが固くなっていることが主な原因らしい。
カリクスは実際サラがダンスをしているところを見ていないが、ミシェルとサラの様子を見れば上手く行っていないことは歴然で、サラの緊張をほぐすべく頼みを引き受けたのだが。
「カリクス様っ、もう降ろしてください……!」
それならふたりきりにしてくれ、というカリクスに疑問を持たなかった訳ではないが、それにしたっていきなり膝の上に乗せられるとはサラは思わなかった。
何度拒絶をしても応じてもらえず、ついにはサラは半泣き状態だった。向かい合う形ならば半泣きでは済まなかっただろう。
「緊張をほぐすにはリラックスが大事だ。ほら、私にもたれ掛かるといい」
「出来ませんわそんなこと……っ! 今日のカリクス様は意地悪です……!!」
まさかここまで言っても降ろしてもらえないとは思っていなかったサラは、ついに声を荒げる。
けれど熟した苺と同じくらい真っ赤な顔で言われても効果はなく、カリクスはくすくすと笑うばかりだ。
その吐息も微かに耳に掛かり、サラは体温が上昇するのが分かる。
腹部にギュッと回された両腕は自分のものとは違い、血管の浮き出た鍛えられたもので、何だか見ていると本当に熱が出そうだ。
そもそもカリクスが腕まくりしている姿を殆ど見たことがなかったサラはそれだけでドキドキだというのに──この現状にリラックス出来るはずがなかった。
「逆効果ですわ……っ、こここ、こんなふうにカリクス様に触れられたらドキドキして緊張してしまいます……っ」
これは素直に言おう、包み隠さず本音で言えばきっと離してくれるだろう。
サラは必死にカリクスに訴えると、腹部に回された腕の力が一瞬弱まる。
(これはチャンスでは……?)
サラは逃げ出そうと前のめりになる。
だがそれは虚しくも、再び腕に力を込められたため叶わなかった。
「カリクスさ、ひゃあ……っ」
「サラ……」
──瞬間、切なそうなカリクスの声が聞こえたかと思うと、ダンスの練習のために髪をアップにしていたサラの項に柔らかい何かが触れる。
ツン、ツン、と確かめるようにそれは触れると、はむはむと啄むように動きを変えた。
それがカリクスの唇だと気付くのには、それほど時間はかからなかった。
読了ありがとうございました。
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