38 サラ、ダンスが出来ない
第二章始まりました。またよろしくお願いします。
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「秘密ですか……ほっほっほ、なんとも抽象的で魅力的な響きですな」
「脅迫文に魅力なんてあるか」
あれからカリクスはサラから手紙を受け取ると「変なイタズラもあるものだ」と真に受けることはしなかった。
サラは当初おろおろしていたが、カリクスの歴然とした態度に安堵したのか、徐々にいつもどおりに戻っていった。
そうしてその後は、社交界デビューに向けての準備の話を進め、それが済むとカリクスは足早にサラの部屋を出て執務室へ向かう。
すぐさまヴァッシュを呼び出してことのあらましを説明すれば、あまりにも呑気な執事にカリクスは呆れ気味だ。
「して、送り主に心当たりはおありで?」
「ない。この秘密とやらがもしあのことならば、国内で知っているのはこの国の両陛下とお前くらいだ」
「そうでございますね……ふむ、この老いぼれではございませんよ?」
「茶化すな。両陛下もこんなことをするメリットがないし、誰かが適当にサラに送ったのなら私になにか恨みでもあるのか──」
考えても仕方がない。分からないことが多すぎて仮説が仮説を生むだけだ。
カリクスは腕組みを解いてふぅ、と肩の力を抜く。
そろそろヴァッシュも終業にしないと雇用主としての面目が立たないので「もう下がれ」と言ってカリクスは手元の手紙をもう一度見やる。それ程特徴がない文字に、分かるはずがなかった。
「あ、旦那様」
出ていこうとした最中思い出したのか、扉を半分開けた状態でカリクスに声を掛けるヴァッシュ。顔だけを主に向けて、にっこりと微笑む。
「分かっておいでだと思いますが、結婚するまで初夜は我慢ですぞ、が、ま、ん」
「…………言われなくても分かって、いる……」
「最後の方が聞こえませんな?」
「分かっていると言っている! ……そういえば、近々サラがダンスを習いたいらしい。適当に見繕っておけ」
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
──バタン。
今度こそ扉が閉まり、カリクスは一人になった部屋で頭を抱えた。
頭に浮かぶのは、昨夜泣きじゃくったサラの姿だ。
「何も起こってくれるなよ──」
家族との問題に向き合ったサラは、ようやく平穏を手に入れたのだ。この平穏をどうしても守りたいと、カリクスは強く願った。
◆◆◆
公爵家に帰ってきてから二週間後のことだった。
完全に怪我が治ったサラはいつもどおり仕事に精を出していた。
パトンの実の件はマグダットに任せておけば安心だろうし、家臣たちは皆優秀だ。何よりカリクスの手腕は目に見張るものがあり、サラは見習うところが多かった。仕事は目に見えて成果が出て、領民の生活の質に直結するのでサラはやり甲斐を感じていた。
しかしサラはカリクスと両想いになってからというもの、一つの問題にぶち当たっていた。
結婚をして公爵夫人となった際の、人脈が皆無ということである。
貴族とは爵位やら金やらが目に物を言う世界だが、それと同じくらい大切なのは人との関わり──人脈だ。
それこそ新しい商品を開発するにしても、それを広めるにしても、何をするにしても人脈は欠かせない。
安定した領地経営、民を豊かにするために必要なのは人脈、そしてそれをするのは公爵夫人となるサラ──妻の務めでもある。
「サラ様、ダンスの先生がいらっしゃいました」
今まで顔が見分けられないことを理由に逃げてきた社交界だが、結婚をするためにまず社交界デビューを無事成功させなければならない。欲を言えば他を圧倒して存在感を出し、アーデナー家は万全であるという姿を見せなければいけない。
いきなり人脈が作れなくても、サラの印象が良ければそれはやりやすくなるし、カリクスの株も上げることになるのだ。
「ええ、お通しして」
そのためにまず社交界デビューの際、問題なくダンスを踊り切ること。
「サラ様、こちらが──」
セミナと共に現れた婦人に挨拶をすべく、サラはゆっくりと立ち上がりカーテシーで出迎える。
しかし返ってきたのはお決まりの挨拶ではなく。
「お久しぶりですね。サラお嬢様。──いえ、今はもうサラ様とお呼びしたほうがよろしいかしら」
「その声は……もしかしてミシェル先生……?」
女性の中では少し低めの芯が通った声。伯爵邸にいた頃、サラにマナーと教養を叩き込んでくれたのは彼女だった。
「ミシェル先生……! お会いしたかったです……!」
サラは挨拶も程々に小走りでミシェルのところに向かうと、ぎゅっと抱き着いた。
当時殺伐とした家族関係にサラの心が少しずつ磨り減っている中、彼女が来た際の学びの時間はとても楽しかったのだ。
「おやおや、アーデナー卿の婚約者になったと聞きましたが、この様子では心配ですわねぇ」
「今日だけ、今日だけですわ……! 再会の嬉しさを存分に味わいたいのです……っ!」
「ふふ、私も会いたかったですわサラ様。貴方ほど優秀な生徒は類を見ない。……どれだけ私が貴方に教えることに楽しさを覚えていたか」
ミシェルもサラの背中に手を回し、ミシェルを連れてきたセミナは僅かに表情を緩める。
そしてサラと一緒にミシェルの到着を待っていたカツィルといえば。
「良かったですぅ……うぐっ、良かったですねぇサラさまぁ……!」
「カツィル、早くその目と鼻と口から出ている水を拭きなさい。床が汚れます」
「はいいい…………!!」
セミナとは反対で感情の起伏が激しいカツィルは、ハンカチでは拭ききれないほどに様々な液体を出している。
伯爵邸にいた頃、ミシェルが来る日を心待ちにしていたサラを知っているカツィルは、それを思い出して感情の高ぶりが抑えられなかったのだ。
セミナは昨夜ヴァッシュからサラの生い立ちについての詳細を聞かされていたので、カツィルの反応も分からなくは無いのだが。
「カツィルは一旦顔を洗って来なさい。サラ様、ミシェル先生をランチにお誘いしてはどうでしょう? その時に積もる話をされては」
「それはいい考えね! 先生如何です……?」
「ご迷惑でないなら是非」
それなら、とテキパキと部屋の隅に控えるメイド達に指示を送るセミナを横目に見てから、サラはミシェルから数歩離れて遅ればせならば、と洗練されたカーテシーをして見せる。
文句なしの出来に、ミシェルはほぉ、と感嘆の声をもらす。
「素晴らしいですわサラ様。貴方ほど優秀な生徒の噂がなぜ社交界で響いていないのかほとほと疑問です」
「そ、それは…………」
「──事情があるようですね。少し思い当たることはありますが……まあ、それは一旦置いておいて」
今回ミシェルが招集されたのはダンスのレッスンだ。普通貴族の娘ならば18歳になってから根を詰めてダンスを練習することなどあまりない機会ではある。既にレッスンは終了し、社交界デビューも済ませ、得意不得意は別としてある程度踊れるのが当たり前であった。
しかしサラにその当たり前は当てはまらなかった。
ファンデッド伯爵は仕事を手伝わせるためにサラに教養を学ばせたが、ダンスに関しては一切触れなかった。まだ幼いときは社交場に出ていたサラに、伯爵家として恥さらしにならぬようにマナーは学ばせたものの、ダンスなんてサラの未来に必要ないと決めつけていたのである。
当時からダンスも教えるべきだと懇願していたミシェルは、そんな伯爵のことを嫌っていた。若い芽を、持て余す才能を伸ばさないことはもはや罪だと思っていたから。
しかしこうして、数年後再びサラと出会い、今度はダンスを教える機会をもらったミシェルは胸が躍る。
まさに神童と呼ぶに相応しかったサラは、きっとダンスでもその才能を発揮し────。
「きゃぁぁ……っ! あたっ……! へっ……!?」
まずは基本のステップから教えたのだが、ターンをすればくるくると回ると止まることを知らず、腕を上げればカクカクとロボットのような動きに、ステップに関しては足がもたついてコケている時間の方が長い。
その姿はもはやダンスではない。踊り狂う──いや、狂う、の表現が一番しっくりとくるかもしれない。
「サラ様、おいたわしや……」
セミナがポツリと呟き、珍しく眉尻を下げる。
──サラは壊滅的にダンスが苦手だった。
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