37 サラ、その柔らかさを知る
マグダット領から道のり半分というところで「そういえば」とサラが話を切り出す。
カリクスはそれを穏やかな表情で待った。
サラは一度唇をきゅっと結んでから、遠慮気味に口を開く。
「結婚を先延ばしにしていた件ですが……お聞きしてもよろしいでしょうか……?」
舗装された王都の通りを馬車に乗りながら進む。
あまり大きく揺れないからか、カリクスはこのタイミングで立ち上がった。天井に頭がぶつからないように腰を折りながら大きく一歩進み、ストンとサラの隣に腰を下ろす。
「ここで話したい。良いか」
「は、はい……っ、もちろんですわ」
隣に座るやいなや、カリクスはサラの左手を絡みとる。
小指から順々に指間に絡み合わせれば、サラの頬はぽっと色づいた。
「照れてるのか、可愛い」
「……っ、カリクス様はいつも急ですわ……」
「急じゃなければ良いのか? それは良いことを聞いた」
「〜〜っ、私だってたまには……!」
負けじとサラは囚われていない右手をずいと伸ばすと、カリクスの左頬に触れた。
僅かにザラリとした火傷痕に触れてしまい、咄嗟に手を引っ込める。
「申し訳ありません……! その、痛くはなかったですか……?」
「ああ、もう完全に皮膚の一部だから大丈夫。気にしないでくれ」
なるほど、痛みはないらしい。それなら、とサラがもう一度カリクスの左頬の上部に手を伸ばし、優しく指の腹でそれに触れる。
意図的に触れられたカリクスは、驚いてぽかんと目と口を開いた。
「サラ……?」
治療のとき以外は殆ど誰も触れたことがないカリクスの火傷痕を、サラはまるで宝物のように優しく触れる。
親指で、人差し指で、感触を確かめるようにしてから、それは無意識の行動だった。
サラは少しだけ尻を浮かすと、自身の顔をカリクスの顔に寄せ、彼の火傷痕にほんの少しだけ唇が触れる。
──ガタンッ。
王都の割に大きく揺れたことでサラはハッと現実世界に戻ってきたように、自身の行動を理解するとバッと顔を引っ込めた。申し訳無さそうに俯き、ポツリと呟く。
「あ、あの……っ、申し訳ありま」
「────好きだ」
バッと、サラは顔を上げる。え……と蚊が鳴くような声が漏れた。
「済まない。本当は馬車で言うようなことじゃないんだが──君に触れられて我慢出来なかった」
「……っ、え、と…………」
「婚姻を遅らせたのは、お互いが想い合った形で夫婦になりたかったからだ。私は誰でも良くてサラと結婚するんじゃない。サラとだから……結婚したい。出来れば君にも同じように思ってほしくて期間を設けた」
囚われていた左手に、痛いくらいに力が込められる。
同時にサラの心臓もぎゅっと囚われたみたいに痛い。鼓動の速さの影響か、全身に血液が流れて指先まで熱くなった。
「もう一度言う。サラ、好きだ。私の妻になってほしい」
「か、りくす……さま……っ」
「返事はいつでも──」
大丈夫だと言おうとしたところで、胸にぽすっと身を寄せるサラにカリクスの心臓が飛び跳ねる。
予想だにしなかったサラの行動に、カリクスは瞬きを繰り返した。
握り返された手に意識を持っていくと、どちらのものか分からない手汗がじわりと滲むが、今はそんなこと全く気にならなかった。
サラはカリクスの胸に身体を預けたまま、ゆるりと見上げる。
掛け替えのない存在──カリクスに向ける眼差しは、ムズムズするくらいに愛おしさに満ちていた。
「私も、お慕いしております」
「……夢、じゃないよな」
「はい。夢では……困ります。カリクス様に触れられないじゃないですか」
「っ、すごい殺し文句だ……誰に教わったんだそんなこと」
見つめ合い、お互い目を細めて微笑む。サラには表情は分からなかったけれど、そんなことは大きな問題ではなかった。
気持ちが繋がっているという事実が重要だったから。
「サラ、愛している」
「私も……愛しています」
そうしてカリクスは一度指を絡ませた手を離してサラの右頬に手を寄せる。
同時にサラもカリクスの左頬に手を寄せ、目を瞑るとお互い吸い寄せられるようにして──ふに、と優しく触れた。
初めてのそれは、公爵邸に来た夜のことだった。薬を飲ませるために治療的に行った行為に、サラはカリクスに対して申し訳無さを感じたものだ。
けれど、今は違う。
柔らかくて温かなそれに、サラは恥ずかしさを感じながらも幸せで涙が出そうだった。
◆◆◆
「今戻った、出迎えご苦労」
「皆さん、ただいま戻りました……!」
「お帰りなさいませ旦那様!! サラ様!!」
正午過ぎ公爵邸に着いたので馬車から降りると、笑顔で出迎えてくれる使用人たちの姿。サラは、はしたないとは思いながらも小走りで彼らに声を掛けると、後方にいるセミナの姿に気が付いた。
髪型や背格好、何よりも背筋がピンとしている姿──サラは顔が見分けられない代わりに、その他の部分で人を見分けられるように無意識に感覚を研ぎ澄ましていた。
「セミナ……!」
「サラ様、お帰りなさいませ」
「ええ、ただいま。屋敷は変わり無かった?」
「はい。つつがなく。……サラ様の方は大きく進展があったようですね」
セミナはそう言うと、ちらりとカリクスを瞠る。
サラは屋敷を出る前に皆の前で告白をしたことを思い出し、顔から火が出るようだった。
「どっ、どうして分かるの……!?」
「お顔を見れば一目瞭然かと。おめでとうございます」
「ううっ、ありがとう……?」
「これでようやく旦那様が浮かばれます」
「えっ? なんて?」
「いえ何も」
それからは新たに屋敷の使用人になったカツィルを紹介し、サラがマグダット家の養女になること、パトンの実のことや領地経営に元ファンデッド領も加わり忙しくなることをカリクスが説明した。そして。
「サラの養子縁組が正式に受理されるのにおよそ半年。済み次第直ぐに婚姻を結ぶ。式は──互いの親が不在の為屋敷で内輪だけで執り行うつもりだ。ここに居ない者たちにもその旨伝えておけ」
馬車で思いが通じ合ってから話したのは式のことだ。
貴族同士──特にカリクスは公爵なので結婚式となればそれなりに盛大に行うのが慣例なのだが。
カリクスはここ数年社交界には顔を出していないので呼ばなければいけない列席者はいない。以前のお茶会に途中から現れたときは関係者以外と会話をしていないし、友人のマグダットがサラの養父となるのだから新婦側の列席者になるのでなおのことだ。
カリクスの両親は既に亡くなっていて、サラの家族に関しては言わずもがな。
いくら貴族とはいえ結婚式は当人たちの問題なので、内輪だけで問題ないだろうという結論に至ったのである。
「サラ、少し良いか」
「はい、何でしょう?」
各自仕事に戻るようにとカリクスが号令をかけると、こちらに歩いて来ていた。
サラはカリクスを真っ直ぐ見つめると、にこりと微笑んで言葉を待つ。
セミナとヴァッシュは近くで待機していたが、カリクスがサラに近付いていくのを確認するとサッと屋敷の中に入った。直ぐ傍に居たカツィルはセミナに背中を押されて半ば無理やりだったが。
優秀な使用人たちは優秀が故大変だった。
「今日の夜、部屋に行っても良いか」
「……! それは……その、何かお話がある、ということ、ですよね……?」
以前は即決できたサラだったが今回は遠回りな聞き方をしてしまう。
先程両想いになってキスをしたばかりなのだ。いくらサラでも夜にふたりきりというのは意識してしまうのは当然だった。
サラのあたふたとした対応にカリクスはくつくつと喉を鳴らす。少し前とはまるで別人のように意識されていることが嬉しかった。
カリクスはサラとの距離を縮めると、小さな耳に口を近づけて囁く。
「馬車での続きをしたいと言ったらどうする」
「……えっ」
「冗談だ。途中で止まれる自信がない。今日は話をするだけだから心配しないで良い」
小さな耳がこれでもかと真っ赤に染まっているのを横目に、カリクスは再び笑みを零す。サラのことが可愛くて仕方がなかった。
「半年後が待ち遠しい」
「……っ、も、もうご容赦を……っ」
「ふ、許せ。意地悪が過ぎた。それではまた夜に」
去っていく背中を見つめるサラの視線は熱を孕んでいる。吐息がかかるほど近くで囁かれた耳はじんじんと霜焼けをおこしたみたいな不思議な感覚を起こす。
公爵邸に来て直ぐのこと『結婚したらもっと凄いことをするから』と言われたことをサラは思い出し、あの頃は言葉の意味が全く分かっていなかったのだと猛省したのだった。
◆◆◆
溜まっていた仕事の処理や湯浴み、夕食などを済ませたサラは、自室に訪れたカリクスを出迎える。
部屋に通すとソファに座ってもらい、サラは落ち着かない様子でお茶の準備を始めた。
「サラ、君の社交界デビューの件なんだが」
はて、とサラは手を止める。前振りなしの会話だからではなく、社交界というものにサラは縁がなかった。
サラは伯爵令嬢として未だ社交界デビューを迎えていなかったことに今気づき、そして即座に大事だと理解したのだった。ちなみに以前のお茶会は陛下並びに皇后陛下から社交界デビューの花を受け取っていないものなので含まれない。
「結婚以前の問題……でしたわ……」
「ああ。特別な事情がない限り社交界デビューを済ませてから結婚が普通だ。……それで今、私の手元には宮廷での舞踏会の招待状が来ている。お互い社交界に積極的ではないが、流石にこれはしておかないと」
「そ、それはなんともタイミングが良いというか何というか……」
「ああ、本当に」
お茶をテーブルに並べ、サラはカリクスから手渡された招待状を見る。当たり前だがあまり乗り気ではないみたいだ。
カリクスの様子から察するに、この舞踏会について話をするために今夜の約束を取り付けたわけではないらしい。サラと同様、帰宅直後から仕事に励みこの招待状の存在に気が付いたのだろう。
社交界デビューともなれば一日がかりで準備が必要なので、当日の予定を確認するためにベッド横のサイドテーブルへと向かった。
ここには毎日のスケジュールと手紙関係がしまわれているのだが、そこで封筒が一つ未開封なことに気が付く。
「申し訳ありません……急ぎだった場合問題になるので、先にこの封筒の中身を確認しても……?」
「問題ないよ。ゆっくり読むと良い」
「ありがとうございます」
快諾してもらえたのでサラは封筒の裏側を見るが、差出人の名前が無いことに首を傾げる。
(書き忘れかしら……?)
ナイフで封筒を切ると中身を取り出す。
二つ折りの便箋を開き上から視線を辿れば、読み終わる頃にはサラの手は小刻みに震えていた。
(これは一体……どうしたら)
カリクスはサラの異変に気付き、徐ろに立ち上がって声を掛けると「これなんですが……」と悩ましそうに手紙を差し出される。
サラは迷った結果、一人で悩まずにカリクスと共有することを選んだ。婚約者だからというのもあるが、その手紙の中身というのがカリクスに関してのことだったから。
『私はカリクス・アーデナーの秘密を知っている』
〜第一章 完〜
読了ありがとうございました。無事1章完結を迎えることが出来ました。2章ではカリクスの生い立ち、火傷の秘密、王家とのいざこざ、サラとカリクスの両想いのイチャイチャを書きます。
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