36 マグダット、植物につられる
次回、一章最終回となります。
サラは現在マグダット邸の応接間にて、もじゃもじゃ──まさに爆発ヘアーを有したマグダットと対峙していた。
もともと茶色の髪は実験を繰り返した結果、所々焦げて黒くなっている。毛先はちりちりだ。
細いフレームの大きな眼鏡をかけたマグダットの表情を窺い知ることはできないが、頭を抱えているところを見るとこの状況は悩ましいらしい。
サラはカリクスの隣でちょこんと小さく座ると俯いた。控えめに言っても居心地は最悪だった。
「いつまでそうしているつもりだマグダット。昨日話しただろ。お前も納得したはずだ。──借りは必ず返す、だろう?」
「分かってるよぉ……ぶつぶつ……だけどさぁ、いきなりはさぁ…………心の準備がさぁ……ぶつぶつ」
ぶつぶつ言うのが平常運転だとカリクスから聞いていたサラはそれ程驚くことはなかったが、気まずいことには変わり無かった。
サラは今から、プラン・マグダット子爵の養女となるための書類にサインをするのである。
話は少しだけ遡る。
サラがカリクスに、マグダットの養女にならないかと問われたときのことだ。
サラは貴族ではなくなり犯罪者の娘となる時点でどうやってもカリクスとの婚姻は叶わないのだろうと絶望した。
しかしそんな中、カリクスに出された提案はまさに青天の霹靂だったと言える。
優しいカリクスのことだ。どんな立場になろうと婚姻に至るかもしれない。しかしサラの立場というのは間違いなくカリクスの汚点となってしまう。
しかしマグダットの養女になるなら話は違う。サラは爵位を落とすことにはなるが貴族でいられるのだ。
何よりマグダット家がサラを養女として欲したというのが影響としては大きい。植物の研究で一目置かれるマグダットがわざわざサラを養女として救済することそれ即ち、サラにはそれ程の価値があるということ。能力が高いということを意味する。
まだ30歳手前のマグダットが若い女性を養女にするとなれば下品な噂が流れることも考慮したが、それはあまり心配ない。
何故なら以前の王家主催のお茶会にてカリクスがサラのことを婚約者だと口に出しているから。そしてマグダットが研究にしか興味がないことは貴族界隈では有名な話だからだ。
つまりサラにとって今回の話は利益しかなかった。
もちろん、プラン・マグダットが了承しているならの話だが。
そして話は冒頭に戻る。
「あ、あのマグダット様……その、私が貴方様の養女に、というのは本当に良いのでしょうか……?」
「う、うん……それはまあ、昨日決まった……んだけど……ぶつぶつ……嫌とかじゃなくて……将来形だけでもアーデナーと家族になるっていうのが……」
「我慢しろ。私だってお前と家族になりたいだなんて思っていない」
「辛辣……! 僕ものすごい良いことしてると思うんだけど……」
もじもじとしながらもカリクスに対抗するマグダット。
しかしカリクスは足を組み直して、マグダットを論破する。
「借りが2つ。1つはサラを養女にすることで返してもらった。確かにこれは有り難かったが……もう1つは破格の条件だったろう?」
「うっ……! そうなんだよなぁ……早く触りたい……いじりたい……腕がなるぞぉ……ぶつぶつ……」
ソファの背もたれに凭れ掛かるマグダット。
話が読めずサラが疑問の面持ちをしていると、部屋の隅に控えるヴァッシュが「早くご説明さしあげては?」とカリクスに助言してくれる。
流石ヴァッシュは優秀である。
「サラ、ファンデッド伯爵家が取り潰しになると、その土地や領地、その権利はどうなる?」
隣に座るカリクスがそう問い掛けてくる。
「一旦王家預かりとなり、然るべき貴族に譲渡及び売買を────あっ、そういうこと、ですか?」
「流石サラ、察しが良いな」
サラは直ぐにカリクスの言いたいことを理解しうんうんと頷いている。
しかし聞き耳を立てているカツィルには全く分からなかったらしい。「え……? 何が……?」と呟くとカツィルに、サラは苦笑を見せた。
カリクスは確認のために、と説明を始める。
「まずは王家預かりになったファンデッド家のもろもろを私が買い取る。この土地はパトンの実の栽培に適しているからちょうど良い。その研究責任者はマグダットが適任だ。財源と必要ならば人材もこちらで用意するから好きにするといい。パトンの実は今まで人工栽培に成功したこともなく、人々の生活を支える重要な食物だ。植物研究に携わるものならば、この環境は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
それと、領地経営自体は私や家臣たちがほとんど行うが、表に立つのはマグダットだ。領主もマグダットを任命する。元ファンデッド伯爵領地の領民を安心させるのはお前──マグダットの仕事だ。それくらいはやれ」
概ねサラの予想通りであったが、唯一違うのは領地経営はもちろん、領主にはカリクスがなると思っていた。
実際名前など形だけで大事では無いのだが。サラの父親がそうだったように。
カリクスは優しく隣りにいるサラに視線を移した。
「まあ、話はこんなところだ。サラ、半分無理やりな形になってしまったが──私は君を無用な誹謗中傷から守りたい。婚姻のことも誰にも文句を言わせたくない。何より、君に負い目を感じてほしくない。……この書面に、サインをしてくれるか」
さっと渡された筆を、サラは一切迷わず受け取った。
スラスラと名前を書き、拇印を押す。それをマグダッドに渡すと、同じように名前を書いて拇印を押した。
実質紙切れ一枚の話なので当人たちが納得していれば養子縁組は済んだようなものだが。
厳密にはこの書類が受理されるには半年かかるため、正式な養子縁組が結ばれるのは少し先のことだ。
サラは居住まいを正すと、マグダッドに向かってゆっくり頭を下げる。
「その、急ではありますが、これからよろしくお願いいたします……養父様……?」
「僕がそう呼ばれる日が来るなんて……ぶつぶつ……。はい、こうなった以上、養父としての対応はきちんとします……えっと、サラさん」
「お前に頼むことは実際は殆ど無いと思うが──これから頼むよ、義父様?」
「ア、アーデナー!! 君は二度とそう呼ぶな……っ!」
◆◆◆
細かい話はまた後日にしようということで、サラたちは帰路に就くことにした。
馬車は2台に分かれていて、もちろんサラはカリクスと同じ馬車に乗り込む。
「何だか……凄い2日間でしたね」
ガタゴトと馬車が縦に揺れる中で、徐に呟いたサラ。
悲壮感はなく、さらりと言ってのける姿にカリクスは気掛かりだった。
「大丈夫か? 色んなことがあったんだ。本当に無理はしなくてもいい」
強がりな彼女のことだ。平然を装っていても内心では──そうカリクスが心配していると、サラは上を向いてう~んと唸る。
数秒そうして考えてから、眉尻を下げて笑顔を見せた。
「私……強がっているわけじゃなくて本当に大丈夫みたいです。自分でも不思議ですわ……。多分、沢山泣いたからだと思います」
「………………」
泣いてスッキリすることは多々あるが、どうやらサラは昨夜のことで完全に吹っ切れたらしい。
もちろん思うところが全く無いということではないのだろう。ただ家族のことが自身で受け入れられるだけの大きさになったというだけで。
「サラは強くなったんだな」
「……だとしたらカリクス様のおかげですわ! ですから私決めました……! これからは守られているばかりではなくて、私がカリクス様を守ってみせます……!」
「ふ、それは頼もしいな」
「どうして笑うんですか……!?」
「ああ。君が可愛くてつい」
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




