35 サラ、カリクスに包まれる
「ん………………」
何だか全身が痛い。頬と腹部はズキズキと、手首と足首ははジンジンと波打つような痛みがある。
(あれ? ……私、昨日………………)
サラは覚醒しきっていない中で薄っすらと目を開け、はたと自身の左手の温もりに気がついた。
寝ているからか普段よりも温かくてゴツゴツとした大きな手に包み込まれている。
椅子に腰掛けてベッドサイドに顔を伏せるようにしているその漆黒の髪と、いつも優しいその手をサラが間違えることはなかった。
「カリクス……さま…………」
「んん…………」
「…………!」
どうやら起こしてしまったらしい。
伏せていたカリクスはゆっくりと顔を上げて、首を傾げるようにしてサラを見つめる。
「ん、おはよ」
「えと、おはよう、ございます……?」
寝起きだからか少し掠れたカリクスの声が色っぽくて、サラの頬は無意識に赤色に染まる。
「あの、私一体……」
「昨日は大変だったからな。あのあと意識を手放すように眠ってしまったんだ」
「……も、申し訳ありません……!」
「何故? サラの寝顔をずっと見られて私は役得だったが」
「〜〜っ!!」
カリクスの言葉は寝起きの心臓に悪く、ドクドクと波を立てた。しかしそれがサラにとっては嬉しい。何だか日常が戻ってきたようでホッと胸を撫で下ろした。
カリクスは小さく欠伸をすると凝り固まった身体を伸ばすように一度両手を上に挙げる。
それから再びサラに視線を戻すと、スッと彼女に手を伸ばした。
「…………目、腫れているな」
傷の無い方の手で頬にぴと、と優しく触れるカリクスの手。
そのまま確かめるようにすりすりと撫でたそれは、顎を沿って戻っていく。
サラは名残惜しそうにその手を目で追った。
「だけど……何だかとてもスッキリしています」
「それは良かった。無理はするな。頬と腹部の手当は済んでいるが……怪我の具合はどうだ? ……強がったら怒るぞ」
「……! ……かなり痛いです…………」
「だろうな。ありがとうサラ、素直に教えてくれて」
「あ、ありがとうの使い所がおかしいですわ……!」
「どこがだ。合っている」
即答するカリクスに、サラは手を口元に持っていくとふふふと笑みを零す。
カリクスはそんなサラの姿に薄っすらと目を開け細めた。
「やっぱり可愛いな、君は」
「えっ、あ、あ、ひゃっ……」
瞬間、カリクスは立ち上がりぐいと距離を縮める。今までのどんなときより近い。
鼻と鼻がもう少しでツンと触れてしまいそうなほどの距離に、サラは羞恥心を感じながらも避けることは無かった。
寧ろそう、もっと近くにいたいと感じたのだ。
「────」
それはあと数ミリで触れる、というところでサラは自らの意志で目を閉じる。
合意とも取れるサラの行動に対して、カリクスは己の欲を止める気など無かったのだが。
「サラ様おはようございます!! お加減はいかがですか!? ……って、あれ? もしかして……その…………お邪魔、でしたか……?」
ノックの返事をする前にバタンと音を立てて入ってきたカツィルの登場で、二人の距離は瞬く間に離れる。
サラのことが余程心配だったのだろう。
とはいえ、あと一分でも遅ければ、とカリクスは思わなくもなかった。
「…………まあな」
「!? カ、カリクス様何を仰ってるんですか……!! じゃ、邪魔じゃないわーー。うふふーー。寧ろ良いタイミングというかーー。おほほーー」
以前は乱用していたサラのそれに、カリクスは目をパチパチとさせる。
誤魔化すとき、嘘をつくときに言う彼女のそれが今使われたということは、サラもタイミングが悪いとは思っていたと考えて良くて、つまり。
「そ、そういえばこのお部屋って……宿ではありませんよね?」
カリクスが熱を帯びた瞳で見てくるものだから、サラは咄嗟に話を変える。
「言ってなかったか」とカリクスは呟く。
「ここはマグダット領のプラン・マグダット子爵の屋敷だ」
「え……!? ど、どうしてですか……?」
「あのあと眠った君を抱いて宿まで行ったら既にカツィルの話が宿主を通して馭者まで伝わっていてな。盗まれたデータのこともあるし急ぎこの屋敷まで来たということだ」
「な、なるほど……カリクス様、馬は大丈夫なのですか? その、馬小屋に預けたと」
「問題ない。今家臣たちが馬小屋に向かっている」
ふむ、良かった良かったとサラが安堵したのは束の間だった。
事情があったにせよ、マグダットに挨拶一つせずに寝泊まりさせてもらうなんて常識的に考えて有り得ないからである。
「いっ今から子爵にご挨拶を…………!」
「ふ、その格好でか? とりあえず着替えると良い」
「その格好…………?」
ストン、とサラは自身の胸元あたりに視線を寄せる。
自分のものではないそれは、やや襟ぐりが広い白いシャツ。肩口は落ちていてかなり大きい。袖は捲らないと手が完全に隠れてしまう程長い。
よくよく考えれば足がスースーするので布団をちらりと捲る。すると自身でさえ着替えと湯浴みのときにしか見ない程足全体が姿を見せている。少し動いたら下着が見えてしまいそうなことに気が付き、サラはすぐさま布団を肩まで被った。
「こ……これは一体……っ」
「女っ気の欠片もなくメイドもいないこの屋敷に女性物の服がなくてな……済まないが私が予備に持ってきていたシャツを着てもらっている。昨日の君のドレスには少し血が滲んでいたし、何より身体が休まらないだろう?」
「申し訳ありませんサラお嬢様……私の配慮が至らぬばかりで……」
カツィルを見ればお仕着せの所々に汚れがついている。普段から綺麗好きなカツィルから察するに、おそらく昨日と同じものを着用しているのだろう。
それに引き換えて新しい服を着せてもらっているサラに文句など言えるはずもなく──というかそもそも別に文句が言いたいのではなく。
「違うの……! カリクス様もカツィルも、私は怒ってるわけでも嫌なわけでもなくて……! ただ、その……カリクス様に全身包み込まれているみたいでとても、その……恥ずかしくて…………」
気恥ずかしそうに言うサラに、カリクスの目は何かを射抜くくらいにカッと大きく見開かれる。
無言の様がよりカリクスの限界を体現しているのだが、もちろん鈍感なサラがそんなことに気がつくことはなく。
「まるで生殺しだ…………」
「え? 何かおっしゃいました……?」
「いや、何も」
カリクスはちら、とカツィルに視線を寄せる。
こういうとき、いつもならセミナに憐れな目を向けられるのでどうかと確認していれば、カツィルは「サラお嬢様可愛いですわ〜」とニッコニコだったので安心した。
どうやらカツィルはセミナとは違って恋愛ごとに聡くないらしい。
カツィルといえば、とカリクスは一つ思い出したので、サラに話しかける。
「そういえば、カツィルを正式に公爵家で雇うことにした」
「本当ですか……!?」
「ああ。伯爵家は取潰しになるだろうし、私の目から見ても彼女は優秀だ。何よりサラに尽くしてくれるだろう」
「カリクス様……ありがとうございます……!」
きゃっきゃと喜ぶサラはおいでおいでとカツィルを手招きする。
まだ片手で掛け布団を肩まで掛けている姿がなんとも可愛らしい。
「カツィル、これからもよろしくねっ」
「もちろんですサラおじょ……いえ、サラ様!! このカツィル、精一杯お世話させていただきます……! 雇ってくださった旦那様にも後悔はさせません……!」
「ふふ、カツィルったら」
「よろしく頼む」
◆◆◆
それから、カリクスが急ぎ手配してくれたドレスに着替えたサラは二人で朝食をとった。
公爵邸とは少し違うがこれもまた美味しい。
舌鼓を打っていると「これからのことだが」とカリクスが話を切り出す。
穏やかで楽しかった空気はその言葉により一転する。サラは一気に現実に引き戻されたような感覚だった。
サラはおよそ数カ月後、両親とミナリーの処遇が確定次第、貴族の娘では無くなり、犯罪者の娘となるのだ。
「そんな顔をしないでくれ。……考えがある」
さぁーっと顔が真っ青になったサラにカリクスは優しく声をかける。
「けれど」と不安を口に出そうとするサラに、カリクスは予想だにしない言葉をかけるのだった。
「マグダットの養女にならないか」
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!